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174話 約束

「ユリス?」


 そう答えると視界が徐々に開けてきた。


 見覚えのある光景。皇宮の俺の部屋だ。その部屋の片隅で、俺は小さく蹲るようにして座っていた。


 だいぶ視界ははっきりしてきたが、周囲はまだ暗い。灯りを落とし、部屋のカーテンを閉め切っているからだ。カーテンの隙間からわずかに光が漏れていた。


 その光の方から、再び聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「アレク……ここに食事置いておくね」


 ユリスだ。なぜ、ここに?


「いらない……」


 俺の意思に反して、俺の口から思ってもいない言葉が漏れていく。


 思わず口を抑えそうになる。しかし、俺の腕は両脚をぎゅっと抱えているままだ。


 ……うん? 体が動かない?


 困惑していると、ユリスの一際大きな声が耳に入る。


「いらなくてもちゃんと食べないと! じゃないと、死んじゃうんだよ!?」


 叱るように言うユリス。


 とても驚いた。俺が知っているユリスは怒ったことがない。そもそも、こんなに言葉に感情を込めたことはなかったはずだ。


 ……どういうことだ?


 間違いなくここは俺の部屋だ。やり直し前、紋章を授かってからこうしてカーテンを閉め切って引き籠っていたのも覚えている。しかし、ユリスが訪ねてきたことは一度としてなかった。


 ……ああ、そうか。これがウテリアの言う夢──幻覚なのだろう。


 一瞬理解が追いつかなかったが、これは聖域が見せる幻覚なのだ。なぜユリスが現れたのかは分からないが。


 早く目を覚まさないと……


 思考ははっきりしてきたが、体は相変わらず自由に動けない。


 そんな中、再びユリスの声が響く。


「ここをこうして……こう! やった……!」


 ガチャと錠が落ちる音に、窓が開く音が続く。カーテンは風で翻ったと思うと、そのまま左右に大きく開かれた。


 部屋に、眩いばかりの光が差し込む。窓枠に立っていたのは、白銀の髪を風になびかせる美しい少女だった。


 一瞬、誰か分からなかった。だが、ユリスで間違いない。


 ユリスは俺が見たこともない勝ち誇るような笑顔を見せていた。


「ふふ。風の開錠魔法を練習した甲斐があったわね! さ、アレク、もう逃げ場はないわよ!」


 ユリスはそう言うと窓から部屋へと侵入する。


 しかし俺は俯きながら答えた。


「……いらないって言ったでしょ? というか、衛兵呼ぶよ。勝手に窓なんて開けちゃって」


 ユリスはそんな俺に袋に入れていたパンを差し出した。


「ちゃんと陛下から許可を得ているわ。婚約者としてアレクの面倒を見ますって」

「まだ、そんなこと言っているの……? そんな約束、もう父上もユリスの父上も本気にしてないよ」

「約束は約束よ! 絶対に守ってもらうから! 私はアレクの婚約者! そもそも、アレクが言ったんだよ!!」

「あれは、仕方なく……」

「分かってるわ。私を守るために、そう言ってくれたんでしょ」


 ……思い出した。


 なぜ、俺はユリスが婚約者だと皆に言いふらしたのか。あまりにも古い記憶で忘れていた──


 ユリスは真剣な表情で続ける。


「皆からいじめられていた私を、アレクは助けてくれた。母を殺したと責められていた私を守ってくれた……アレクは、私を救ってくれた」


 ユリスの言う通りだった。俺は、ユリスが貴族の子供たちからいじめられているのを見て、ユリスを守ろうとした。


 皇子の婚約者だと言えば、誰も何も言わなくなると考えた。実際、俺がそう言いふらしてから、ユリスはいじめられなくなった。父たちがまさか本当に婚約を認めるとは思わなかったが。


 だから、本気で婚約を申し込んだわけではない。成り行きだ。ユリスだって、それは分かっていたはずだ。


 ……じゃあ、この記憶にない会話はなんなんだ?


 やはり幻覚か──いや、待てよ。


 そういえば、ユリスが宮殿の地下で俺の知らない”アレク”との記憶を話していた。その”アレク”は、まるでユリスの恋人のようだった。


 これは、その記憶の一つなのか? いや、そんなはずは……


 困惑していると、ユリスが俺に手を差し伸べる。


「今度は、私の番──私が、アレクを助ける」


 力強い声に顔を上げると、まっすぐとこちらを見つめるユリスがいた。


「私たち、結婚するんだから」


 ユリスはそう言うと、少し恥ずかしそうに目を逸らす。やがて耐え切れなくなったのか、赤らめた頬を隠すように両手で顔を覆った。


 思い出したわけではない。だが、俺は俺だ。だからこの時の俺の気持ちはわかる。


 ……この時、俺は決めた。


 彼女ユリスに、俺のすべてを捧げると──


 この後も、俺の頭に見たことがない記憶が流れていく。




 ユリスに救われていた俺は、魔法を使えないなりにも頑張った。政治、土木建築、商売、いろいろなことを貪欲に学んだ。使えない魔法も、知識だけは身に着けた。


「アレク、そろそろ寝ないと駄目よ! 灯り、消すわよ?」

「もう少しだけ。あと少しで、橋の製図が終わりそうなんだ」

「もう、いつもそうじゃん……ふふっ。本当に頑張り屋さんなんだから」


 すべては、隣で寄り添ってくれるユリスのため。将来、領主になるであろうユリスを補佐してあげたい。その一心で、勉学に励んだ。


「見て、アレク。魔族の子がいじめられている! こら、やめなさい!」

「ま、待て、ユリス!! ああ、もう!!」


 引きこもりもしなかった。ユリスと一緒にいろいろな場所へ行った。買い物をしたり、調べごとをしに行ったり、毎日のようにユリスと一緒に過ごした。驚くことに、二人で魔族や闇の紋章持ちを助けてあげたりもしていた。


「ルイベルの言うことなんて無視よ」

「分かっているよ」


 ルイベルや貴族たちの嫌がらせや悪口なんて、まったく気にならなかった。つらいことのほうがはるかに多かったのに、心から幸せと思える日々を過ごしていた。


「こんな国、出てってやるわ!」


 それは、俺とユリスが駆け落ちしたあともそうだった。


 俺たちが十三歳の時だ。


 ユリスは無理やり婚約を迫るルイベルの頬を叩き、謹慎となった。俺とユリスは着の身着のまま、帝国から脱出することにした。宿に泊まる金もないので、野宿を繰り返し西方へと向かう。


「ユリス……本当に俺と一緒でよかったのか?」

「嫌なの? じゃあ、私一人で行かせて、自分だけ帝都に帰る?」

「ユリスが帰るんだ。父たちも、俺との婚約を解消すれば許してくれるはずだ」

「それでルイベルと婚約しろって?」

「……そういうことを言っているわけじゃ」

「はあ、情けない男になったわね。昔のアレクはどこへやら。西方に行ったら、他の良い男見つけようかしら……」


 ユリスはそう言うと、俺の頬に口づけした。


「ユリス……」

「ふふ、なーんてね。別れられるわけないじゃない」

「……俺もだよ」

「うん? よく聞こえなかったわ?」

「別にいいだろ」

「もう、照れちゃって!」


 俺とユリスの笑顔は絶えなかった。不安を感じることもなく、むしろ初めて得た自由を謳歌した。


 そうしてようやく西方の山奥で安住の地を見つけた。湖と森に囲まれ、遠くには海が見える美しい場所に小さな家を建てた。田畑を耕し、羊を飼い、自給自足の暮らしを送る……夢のような日々を過ごしていた。


 ──本当に夢のようだな。


 やり直し前の俺にはこんな記憶はなかった。夢というか幻覚だ。


 しかし幻覚なのに、本当にあったことのように思えてくる。俺だったら選ぶであろう言動を、幻覚の中の俺も選んでいた。不自然な点が見当たらないのだ。


 そしてユリスの話していた出来事と一致する出来事もあった。


 偶然か? それともユリスから聞いた話をもとにこの幻覚ができているのか?


 ともかく、早く目を覚まさなければ。魔物たちが正気でいてくれているとはいえ、同じく幻覚を見ているはずのエリシアたちが心配だ。


 しかし、体はまだ自由に動かない。魔力を集めることもできないので、魔法も使えない。


 そんな時、だった。


「何、あれ……?」


 平和に暮らしていた俺とユリスの日常に変化が起こる。


 空を、闇と光が覆った。


「あれは、天使? あっちは、悪魔?」


 天使と悪魔が、戦いを始めたのだ。


 ──もしかしてこれが……その日?


 俺が危惧していた戦いだ。


「まずい! 悪魔が来る! ユリス、逃げるぞ!」

「う、うん!」


 悪魔が向かってきているのを見て、俺とユリスは家を離れようとした。


 しかし悪魔は瞬時に俺たちの前に《転移》した。


「──《聖光》!!」


 ユリスは悪魔に聖魔法を放つ。しかし悪魔は軽々と避けると、ユリスの目前に《転移》した。


「くっ、速い!」


 ユリスは再びすぐに聖魔法を放つが、魔力が微弱なのか悪魔には通用しなかった。


 悪魔は、そんなユリスの前で腕を振りかぶる。


「ユリス!!」


 俺はユリスの前に躍り出て、悪魔の振るう腕を身体で受けた。


 シャツ一枚で防具なんてつけていない。俺は腹部を引き裂かれ、地面へと叩きつけられる。


「ぐっ……」


 身を起こそうとするも無理だった。体の傷は深く、血が大量に流れ落ちていく。激痛で意識は朦朧としていた。


「よくもアレクを!!」


 ユリスは聖魔法を放って、悪魔を焼いた。悪魔は悲鳴を上げながら倒れる。


「アレク、大丈夫!?」


 ユリスは俺のもとに駆け付け、聖の魔法で癒そうとした。


「す、すぐに治すからね!」

「俺は、大丈夫だ……逃げろ」

「馬鹿なこと言わないで!! アレクを置いていけるわけ──」

「──っ!? ユリス! 後ろだ!」


 混濁する意識の中、俺は声を振り絞った。


 ユリスはすぐに聖魔法の壁を展開したが、新たに現れた悪魔の腕の一振りで吹き飛ばされてしまう。


 揺れる視界の中、ユリスは力なく横たわっていた。


「やめろ……」


 地を這いながら、俺はユリスのもとへ向かう。


 しかし悪魔はそんな俺を見ると下卑た笑みを浮かべ、ユリスに歩み寄った。


「……やめろ……やめてくれ!」


 悪魔は俺の言葉など気にも留めず、ユリスに手を向けた。掌に闇の魔力を集め始める。


 この時、俺に残された手段は一つしかなかった。


 ──闇の魔法。使えば悪魔となる魔法。


 ……少しの間なら正気を保てるかもと聞く。悪魔を倒し、俺もすぐに命を絶つ。


 俺は手を悪魔に向け、闇の魔力を集め始めた。


 ……それからの記憶は意外なものだった。


 俺は悪魔とも天使とも知れない異形へと姿を変えた。俺自身の視界は変わらないので、外面は分からない。しかし眼下に見える胴体と手足が漆黒の闇に覆われているのは分かった。


 目の前に現れる悪魔や天使を次々と闇魔法と腕で打ち倒していった。そこにアレクの意思などなく、ユリスのことを顧みることもなかった。


 やがて、天使と悪魔は見えなくなった。人も動物も魔物もだ。

 皆、天使と悪魔の戦いによって滅ぼされたのだ。ただ、一人を除いては……


 同時に俺の体は人間へと戻っていた。異形に変わる前の傷はそのまま。もはや指を動かすことすらできないまま、俺は唯一の生き残りユリスに抱きかかえられていた。


「アレク……」


 ユリスは涙を流していた。


「私が何もできないから……私が助けるって言ったのに」


 自分の無力さを嘆くユリス。


 だが、誰がこんな戦いを予測できた? 予測できたとして、誰が止められた? 俺は絶望するしかなかった。


 しかし──ユリスは違ったのだ。


「──やり直したい──アレクを、助けたい」


 俺の意識が途絶える中、ユリスの胸に白い光が宿るのが見えた。




 ……なんと趣味の悪い幻覚だろうか。


 幸せな日常から、こんな地獄を見せられるなんて。そして俺自身が化け物になるなんて。ウテリアのいう神とやらはきっと碌な奴じゃない。


 だが、それは今まで見た出来事が本当に幻覚だったとしたらだ。


 俺はやり直しの前、闇魔法を使ってやり直すことができた。


 もし、ユリスも俺と同じやり直しの力があったとすれば──これは、本当にあった出来事なのかもしれない。宮殿の地下でユリスが話していたことにも説明がつく。


 ──いや、微妙におかしいか?


 ユリスは俺が駆け落ちしようと提案したというが、今目にした記憶では駆け落ちを提案したのはユリスだった。それに秘密基地を作ったみたいな話もしていたが、今回そんなものは作っていなかった。


 ──ん? そうか、それはやりなおしたあとの話か。


 ユリスがやりなおしていたなら、今回見なかった出来事があっても頷ける。


 それを証明するように、俺の視界に別の俺の記憶が映った。今度は謁見の間。


 父や貴族たちに囲まれる中、ユリスが声を上げる。


「闇の紋章持ちは悪くありません! アレク殿下は立派な方です!!」


 その声を聞いて、俺は謁見の間を飛び出した。


 察するに闇の紋章を授かった後か。


 ユリスのやりなおしが始まったのだろう。


 頭でそう理解した瞬間、俺は急に背筋が凍る思いがした。


 今回も、俺の知るやりなおし前と違う。俺が闇の紋章を授かった後、ユリスは黙っていた。


 ユリスはこの世界も最終的にやりなおしたのかもしれない。


 そうだ……やりなおしの力があるなら、何度だってやりなおせるのだ。ユリスのやりなおしが一回とは限らない。


 もし何度も繰り返しているなら、邪竜の出現場所を知っているのも優秀な仲間をあれほど集められるのも頷ける。


 一方で、ユリスは何度も俺の変貌や死、世界の終わりを目にしている可能性が高い。


 ユリスの性格はだいぶ変わってしまっているように見えた。俺の知るやりなおし前はなかば絶望しかけて俺と関わらなかったのかもしれない。結末を変えようとしたのは何回何十回どころではない可能性がある。


 もしそうだとしたら、ユリスの心情は言葉ではとても言い表せないだろう。少なくとも、俺だったら精神が持たない。地獄を見せられているようなものだ。


 そしてそれだけ辛い思いをしても結末は変えられなかったことは、その日の前を生きる今の俺たちが証明している。


 その日というのは、それほどまでに高い壁というわけだ。


 俺も、何度ものあの化け物になっているのだろうか? 闇魔法を使って。


 だが、今の俺は闇魔法を使っているのに、あんな異形にはなっていない。俺の中の悪魔が乗っ取った可能性もあるが、悪魔には見えなかった。


 ──どういうことなんだ? そもそも今のが、その日の結末なのか?


 悪魔も天使も滅びていた。もちろん、その他の生物も。


 生き残ったのはユリスだけだった。


 そういえば、リュセル伯爵やルスタフが言っていた。最後は全てが一つに収束すると。


 その一つというのは、ユリスということか? そして永遠にユリスがやりなおしを繰り返すことを示唆しているのか?


 理解が追い付かないな……


 困惑していると、後ろから俺の腕が掴まれる。


「アレク!!」


 今にも泣きそうな顔。闇の紋章を授かった俺を憐れんでいるわけではない。やりなおせたこと、死んだ俺と再会できたことを喜んでいるのだろう。


「よ、よかった……本当にアレクだ……!」


 目を潤ませるユリスを見て、俺は怒りを込めて言う。


「な、なんであんなことを皆に言うんだよ!?」

「あ、ご、ごめんね! 驚かせちゃったよね! えっと、その……とにかく、紋章なんてどうでもいいでしょ! アレクはとっても強いし優しいんだから! それに頭もいいし格好いいし!」

「は、はあ?」


 必死に訴えるユリスを見て、俺は困惑するしかない。


「と、ともかく! わ、私がアレクを守るからね!! 大丈夫だから!!」


 ──この時のユリスの気持ちを思うと胸が痛くなる。


 それに残酷だ。これは、長い地獄の始まりに過ぎないのだから。ユリスは何度も嘆き、怒り、苦しむことになるのだ。


 ──俺が、ユリスを助けないと……


 もちろん、エリシアや皆もだ。罪のない人たちを見殺しにすることもできない。なんとか、その日を乗り越えるんだ。


 ──そのためなら、俺の死なんてどうだっていい。


 不安そうな顔で俺を見るユリス。


 俺は、ようやく自らの意思で口を開く。


「──ユリス、ごめん」


 それを聞いたユリスは「えっ」と口を開く。


「俺が、ユリスを救い出すから」

「あっ……」


 やがてユリスは目に涙を浮かべ、嬉しそうに笑う。


「アレクも、記憶が残っていたんだね……!」


 ユリスは泣きながら俺に抱き着いてきた。俺も小さな腕で、ユリスの小さな体を抱きしめた。


 ……何故、今までの俺はユリスのことに気がつけなかったのか。ユリスはずっと一人で戦ってきたというのに。


「ユリス、許してくれ……これからは一緒に戦うから」

「え? う、うん! 私とアレクなら、絶対に乗り越えられる!」

「ああ、必ず」


 俺とユリスは互いに目を合わせ、頷いた。


 視界が再び光に包まれる。


「──アレク様!!」


 聞こえてきたのは、エリシアの呼びかける声だった。


 俺の意識は、聖域へと戻っていくのだった。

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