173話 聖域
「っ!? な、なんの光だ!?」
悲鳴を上げたのは、ヒストと護衛たちだった。
無理もない。肉眼では直視できないほどの眩しい光が広がっている。目を瞑るしかない。
だが、俺と眷属たちは光を防ぐゴーグルを装備している。空から降り注ぐ光を見逃すことなく目にできた。
「天使の召喚? いや、これは……」
光の拡大が終わると、辺りは白みがかった光景に包まれた。
また、地下坑道だけだったはずの聖の魔力が、今や周囲全体に充満している。魔力の動きを探ると、採石場の上空と周囲は、分厚い聖の魔力の壁に覆われているようだ。
護衛やヒストたちは目を瞑りながら、体を震わせるしかなかった。
一方、ウテリアの目は眩しさをものともせず、まっすぐとこちらに向けられていた。しかし、その口元はわずかに緩んでいる。
「ほう……神はあなたを敵と仰った。それなのに、神の光には焼かれない」
表情に乏しいウテリアだが、驚いていることは分かる。
これほどの聖の光に照らされれば、悪魔はひとたまりもない。俺を悪魔と考えたのか。
「光を当てれば勝てると思ったか? 俺は悪魔じゃない。人間だ。お前のように少し変わっているがな」 「ふふ、そうでしょうな。確かに、あなたと私は、変わっているようだ」
少し愉快そうに呟くウテリア。
俺は空を見上げ、本題に入る。
「あの地下坑道は、この光の空間を生み出すために掘らせたのか」
「その認識で相違ございません。聖域を作り出すためにございます」
「聖域?」
「ええ。神の加護を受けた、聖なる空間にございます。私もこれほどのものを目にするのは初めてですが……あなた様は、あまり驚いていないようですね」
「似たようなものは見たことがあるからな」
「なるほど。私とはやはり、経験が段違いのようだ」
“聖域”という言葉に聞き覚えがあるわけではない。しかし似たような場所は知ってる。その場所とは奇しくも、衛兵たちを送ったティール島だった。
ティール島の亀たちは聖獣であり、あの島はその日に備えて作られた最後の砦だという話だった。あそこは装置によって産み出された聖の魔力の壁によって守られていた。これほど聖の魔力で満ちていたわけではないが。
ウテリアは少し感心した様子で言う。
「神の敵、というのは悪魔や邪竜に限らないというのも、初めて知ることができましたよ」
なぜウテリアの言う神は俺を敵視するのか。
神の声なんて本当は聞こえておらず、ウテリアが言いたいことを言っているだけか? だが、ウテリアが何もせずとも、この聖域は展開された。
理由は分からない。しかしウテリアの反応を見るに、俺が悪魔として焼かれないことは神の声を聞いていても予想外だったようだ。
ウテリアに囁きかける神とやらは、本当に存在するのかもしれない。
俺はウテリアに詰め寄る。
「……ウテリア。これで俺が悪魔でないことは分かっただろう? それでも俺と敵対するのか?」
「もちろんです。あなたが悪魔でなかろうと、私が何を思おうと、神はあなたを敵と申されているのです」
ユーリは皮肉っぽく言う。
「それじゃあ、あんたはその神様ってやつの伝言板でしかないわけね。虚しくないの?」
ウテリアは全く苛立つこともなく少しの間沈黙した。そして、やがて淡々と答える。
「虚しいですとも……大きなうねりの中で、私自身は何を成すこともできないのですから。ですが、これも“声”を聞くことができる者の定め」
ウテリアは天を見上げて言う。
「神よ。声に導かれ、私は私の役目を果たしました」
“役目”というものがどういうものかは分からない。しかし、“果たした”というのは、もうやるべきことを終えたという意味なのだろう。
事実、ウテリアは依然として抵抗のそぶりも見せていない。
ユーリが問いかける。
「なら、これでお終いにしてくれる? 私は仲間たちを返してほしいだけなの」
「神がお許しになれば、いつでもお帰りになれるでしょう」
「懺悔しろってこと? 付き合ってられないわ……アレク様。早くここから出て、しばらくはこの人たちをどこかで拘束しておきましょう」
ユーリは呆れたような顔で言った。
エリシアは俺の耳元に口を寄せ、低く言う。
「……私も、なるべく早くここから出たほうがいいと思います。この者、何を企んでいるか分かりません」
たしかに、ウテリアは得体の知れない男だ。落ち着きすぎている。俺たちが彼を殺さないと見透かしているのかもしれないが、それにしても不気味なほどに冷静だ。
神の声とやらのためなら命も惜しくないのか。あるいは、この聖域にいる限り安全だと信じているのか。
ともかく、この聖域に長居するのは得策ではない。聖の魔力に満たされたここでは、《転移》をはじめとした闇魔法が使えないのだから。
ウテリアと坑道の調査は続けるにしても、まずはこの聖域から引き離すべきだ。
俺は頷いた。
「ああ。そうしよう」
エリシアたちも頷く。
だが、ユーリは顔を曇らせた。
「でも……自分で言っておいてなんだけど、どうやって出るの?」
ユーリの言う通り、ここの出方は不明だ。
魔力の反応を見ると、採石場とその周辺は分厚い聖の魔力の壁に阻まれている。
初めて足を踏み入れる空間だが、既視感がある。ヴェルムや輪廻嵐と同じような、魔力の壁で隔てられた空間──膨大な聖の魔力を用いれば、壁を開閉できるはずだ。
幸い、この場には聖の魔力を宿す膨大なルクナイトがある。
その上、強力な聖の紋章を持ち、聖魔法の使い手であるエリシアがいる。妨害する者もいない以上、簡単に壁は破れるだろう。
「エリシア。聖の魔力を集めて、壁を破ってくれ」
「はい!」
早速、エリシアが聖の魔力を集め始める。それから空に向かって魔力を放ち、採石場を覆う聖の天井を破ろうとした。
「さすがに分厚いですね……ただ、私でも動かせます。時間をかければ問題ありません」
「さっすがエリシア! どうリーシャ? これが私の仲間よ?」
ユーリが自慢げに言うと、セレーナがぼそりと呟いた。
「自分のことみたいに自慢するんだな……」
「ともかく、これで出られそうですね」
ラーンはほっとしたような顔で言った。
俺も一息つく。
だが、油断はできない。
ウテリアを横目で見る。やはり動じる様子もなく、空を見ていた。空には鳥たちが舞い、まるで歌のようなさえずりを響かせていた。
これから捕まるのは、俺たちの会話から分かっているはずなのに──本当に冷静だな……
そんなことを考えていると、突然、鼠人たちが声を上げ始めた。
「チュー!! 見るっす! 飯の山っす!!」
「何を訳の分からないことを言うっすか──チュ!? 本当っす!!」
ティアも歓喜するように声を上げ、それから周囲がどっと騒がしくなる。
セレーナが首を傾げた。
「飯の山? 戦闘で食料でも散乱したのか? ──ぬ……あれ? え?」
突如、目を丸くするセレーナ。その視線の先には、何があるわけでもない。
ラーンは、そんなセレーナの肩を揺さぶった。
「ど、どうしました、セレーナさん? ……んんっ? ど、どうして母上が……」
「お、お父さん!?」
ラーンもリーシャも、突如として誰もいない空間に向かって声を震わせた。しかし、二人の目には、何者かの姿がはっきりと映っているようだった。
ユーリは慌てた様子でリーシャの頬を軽く叩く。
「何ふざけたこと言ってんの!? あんたのお父さんは、私のお父さんと一緒に西の鉱山で──う、嘘!?」
ユーリもまた、肩を震わせた。
「……お父さん、お母さん……なんでここに?」
エリシアも聖の魔力を集めるのを止め、何度も瞬きをする。
「こ、これは、そ、そんな──ま、待ってください!」
メーレも目を見開いた後、眠るようにゆっくりと瞼を閉じた。
「お姉ちゃんが見える……幻覚の類だね。これはまずいかも……」
他の眷属たちも皆、様子がおかしくなっていく。ティカもネイトも、見えない何者かに向かって手を伸ばしていた。
「み、ミアリ……」
「ミアリ、生きていた……」
ミアリ──ティカとネイトの、悪魔化した幼馴染だ。他の者たちも、それぞれ家族などの大事な者の姿が見えているらしい。
俺はすぐにウテリアに顔を向けた。
しかしそこにいたのは、先ほどと変わらず落ち着いた様子のウテリアだった。魔法を使っているわけでもなく、微動だにしていない。
周囲の護衛やヒストは、金だとか女だとかを口にしながら、至福そうな顔で空を仰いでいる。
「……お前の仕業か、ウテリア?」
「先ほど申し上げた通り、私は神のお声に従い、役目を果たしたまでのこと。ですが、私は殺されたとて、あなた方を恨みはいたしません。気になられるのであれば、どうぞわが命、お召しになってください」
ウテリアは、やはり何かをしているわけではなかった。つまり、ウテリアを殺してもこの幻覚が止むわけではないということだ。
表情を変えず、淡々と続ける。
「神は誰にでも寛大だ。決して、あなた方の命を奪おうなどとは考えておりません。最後の日までこの聖域までおやすみになられるとよい……神は、あなたの“見たいもの”を見せてくださるはずです」
「見たいもの、か……生憎俺に、眷属たち以外に大事な者なんて……」
俺はそう強がるが、視界が歪んできていた。聞き取れない声が、頭の中に響いてくる。
──悪魔の声……ではない。誰の声だ?
そんな中、俺の周囲にエリクとモノアがやってきた。
モノアが心配そうに声をかけてくる。
「アレク様、一体何が?」
「恐らく幻覚だ……お前たちは何ともないのか?」
「は、はい。全く何も。私たちは魔物だから、影響を受けていないのかもしれません」
モノアの言葉通り、俺の眷属でもスライムや鎧族をはじめとした魔物たちは平気な様子だった。
「お前たちがいてくれてよかった……すまないが、警戒を続けてくれ。俺はなんとか、この幻覚を解いてみる。お前たちは──」
「ア、アレク様、大丈夫ですか? アレク様!!」
眼前にいるはずのモノアの声と姿が遠くなっていく。俺の声は全く届かない。
視界に映る景色も、ぐにゃりと歪み、闇に包まれていく。
──ここは。
闇の中に、一筋の光が差し込んできた。そして、安らぐような声が静かに響いた。
「──アレク」
耳を癒すような、聞き覚えのある声だった。
「アレク、いる?」
俺は、自然と口を開いて返事をしていた。
「──ユリス」