170話 声の力
ウテリアは衛兵隊長と護衛を引き連れ、地下坑道へと向かっていた。
レジョンの村を抜け採石場に到着すると、昇降機を使い採石場の底へと降りていく。
この採石場には百を超える俺の眷属たちが待ち構えている。ウテリアも仲間もそれにまったく気付いていないようだ。
いや、仮に気付けたとしたなら、誰もこの包囲に自ら足を踏み入れたりはしない。足を踏み入れるのは無謀者か愚者だけだ。
ウテリアの宿す魔力は確かに膨大だが、エリシアには敵わないし想定内。護衛たちにも変わった点は見られない。俺一人でも戦える相手だ。
──それなのに俺は何を怯えている?
俺たちはウテリアを誘い込めている。あいつはもう袋の鼠だ。
そう言い聞かせるも、不安は拭えなかった。
しかしそのおかげだろうか──ウテリアが地下坑道を目前にして振り返ったとき、俺は何も驚かずに済んだ。
ウテリアは採石場を見渡し口を開く。
「ふむ。地獄の谷もかくや」
「はっ?」
ヒストは目を丸くしている。護衛たちも驚いた様子だったが、すぐに剣の柄に手をかけた。
だがウテリアは手を小さく振り護衛を制止する。
「やめよ。我らを攻撃しようと思えば、マルシスでもレジョンでも、いつでも攻撃できた。しかしそうしなかったのには意味がある……我らを掌中に収め、交渉せんがため。違うかな、姿なき者よ?」
ウテリアは見透かすように言った。俺たちがつけていたことも、眷属たちが包囲しているのも気付かれている。
魔力で察知したのか、あるいは声が聞こえたのか。いずれにせよ、ここまで察しがいい男は初めてだ。
ウテリアは加えてこうも言った。
「姿の見えぬ者たち。鼠の鳴き声。そしてこの坑道には魔族がいる。鼠の王、という者たちではないか?」
鼠の王を知っている……帝都の情報にも通じているようだ。
「何か誤解があるようだ。とりあえず、声を聞かせてはくれないか? 声を交わせば、我らは分かり合えるはずだ」
声か。ウテリアは相当耳が良いようだ。
つまり俺が声を発すれば、いろいろな情報を与えることになるかもしれない。
……どうする? 撤退するのも手だ。皆、いつでもアルスの拠点に撤退できるようにしている。
しかし、リーシャたちを眠らせようとした。そして俺が今まで見てきたどんなやつよりも、察しが良い。
──野放しにはできないな。
眷属たちに一斉に姿を現わさせれば、戦意を喪失する……ということはないだろうな。そもそも包囲されていることはウテリアも分かっている。
ここは俺が話してみるしかない。もちろん正体は明かさない。魔族絡みのことだから、鼠の王として振舞うとしよう。
俺はすっと姿を現した。
「──なっ!? 何者だ!?」
ヒストは驚愕し、護衛たちは剣を抜いて俺に向けた。
しかしウテリアが一喝する。
「控えよ!!」
護衛たちは剣を収め、すぐにその場で片膝を突く。ヒストはただポカンと口を開き、こちらを見つめていた。
ウテリアはこちらに言う。
「失礼した。私はマルシアの総督ウテリア・アトルス。しがない文官だ」
「そう、か。俺は、察しのように鼠の王だ」
「おお」
ウテリアは初めて表情を大きく変えた。どこか愉快そうな笑みを浮かべる。
それからすぐに、なぜか頭を大きく下げた。
「まさか、かくも高潔な方とは……今までの非礼をお許しください」
失敗した、と思った。
ウテリアの態度が急に恭しくなった。恐らくは、俺が皇族であることを察したのだろう。
……どうやって俺が皇族だと見抜いた。
口調だろうか。だが、俺はウテリアと話したこともないし、文官の集まる公の場で声を発したこともない。
やはり只者じゃないな……
不要な会話はやつへ情報を与えることになる。こちらは必要なことだけを伝えよう。
「鼠の王を知っているのなら話は早い。なぜ、坑道の魔族たちに毒を盛った?」
「毒? ああ、薬酒のことですな。滅相もございません。あれは、体の疲れを癒す薬でございます」
「癒すだと? 衛兵たちは眠ってしまったではないか?」
「人が飲めばたちまち眠りに落ちるほどですが、体の大きい者であれば滋養となる。魔族たちの労を労いたかったのですよ。今までも、仕事に従事してきた魔族に送ってまいりました」
ウテリアは苦しい弁明をした。
しかし思い返せば、ウテリアは毒とは一言も口にしていない。衛兵が飲んだことも織り込み済みだとしか言わなかった。
また、坑道の入り口には酒を飲んだはずのリーシャが立っている。俺が酒を飲ませるのを止めたと察知したのだろう。
つまり、ウテリアは何も間違ったことは口にしていない。
──声を聞き分けることができるだけあって、弁が立つな。
しかしやつの言葉に頷く必要はない。
「下手な嘘を吐くな。それより、毒を盛って何をしようとしていた?」
「ですから、毒ではないと」
「すでに毒であることは調べがついている」
「嘘ですな。嘘が下手なのはあなたでしょう」
ウテリアは即答した。
根拠があるのかは分からない。だが向こうの口車に乗せられてはいけない。
俺は話を進める。
「……単刀直入に聞こう。お前が掘らせた地下坑道。あの歪な形はなんだ? 魔族を眠らせたのも、それを利用するためだったのだろう」
「何のことやら。あれは私が気ままに筆を走らせた落書きにすぎません。ただ、あれぐらい不規則なほうが迷路としては優れているでしょう? もしものときの隠れ家によいなと」
「あくまでシラを切るつもりか」
「ううむ。これは困りましたな。何かを勘違いされているようだ」
ウテリアはそう言うと、ふうと息を吐く。
「仮にあなたの言う通り、私があの坑道と魔族を使いとんでもないことを企んでいるとします。酒の毒も、私が混ぜさせたものだったとしましょう。そうと断じているのなら、何故あなたはこんな問答をしている?」
ウテリアの言葉は核心を突いていた。俺がすぐに力に訴える者でないとウテリアは見透かしているのだ。
「私をさっさと捕縛し、拷問すればよい。そうすればあなたの知りたい情報は得られるはずだ。そうしないのは何故か? それはあなたが公正な方で、私が真に悪かどうか見極めたいからだ」
ウテリアはこちらに向かって両腕を広げる。
「ですが、私は悪ではない。それでも私を悪と思われるなら、力ずくで問いただせばよろしい。さあ、早く」
その言葉通り、もはや拷問するしかないだろう。あるいはここで引いて、ウテリアが尻尾を出すまで待つか。
いや、これほどの男だ。リュセル伯爵のように何もなかったかのように振舞うかもしれない。ここで逃したくない。
だが、今のウテリアに敵意はない。ウテリアは武器を持っているわけでも、魔法を使っているわけでもなく丸腰だ。そして明確に悪事を働いた証拠はない。
危険な相手と確信しているのに……こちらは手を出せない。
ウテリアは、声だけで俺を制していた。
返答に詰まっていると、遠くから突如膨大な魔力が動くのを感じた。
「うん?」
俺は魔力の動きに振り返る。
レジョンの村のほうからだ。この魔力はルクナイトのものに違いない。
──レジョンに蓄積されていたルクナイトが動いているのか?
何者かが勝手にルクナイトを動かした、という小さな動きではない。大きくうねるように魔力が動いている。
やがてそれは音と振動でも感じられるようになった。レジョンの上空に瓦や外壁が、宙高く舞った。
同時に、ルクナイトの魔力が次々と空に上がり姿を現す。光の翼を生やした白い鎧の者たちが、無数に現れた。
「天使?」
エリシアは刀を抜いて言った。
天使ほどは大きくない。鎧を着ているから、鎧の天使といったところか。百体以上は見える。
俺はすぐにウテリアに振り返った。
ウテリアがやったことは明白。しかしウテリアは空をぼうっと見上げているだけだ。魔力を使った形跡もなかった。
「……何をした?」
「私は何も」
ウテリアはきっぱりと答えた。
鎧の天使たちはすぐさま採石場の上空に展開する。
ウテリアを包囲した俺たちは、逆に空から包囲されてしまうのであった。