161話 兄の決意
余裕だと思っていた。
この国を操るのは、紋章が立派なだけの皇族と貴族。【万神】を持つ自分が力をつければ敵はいない──ヴィルタスはそう信じていた。
実際、すべてが順調に進んでいた。帝都で虐げられていた魔族をまとめ上げ、帝都の商人も驚くほどの収入を得ることができた。仲間も増え、優秀な部下も抱えることができた。
しかし、問題が起きた。
鼠の王が現れたのだ。
鼠の鳴き声と共に現れる彼らは、瞬く間に帝都の魔族が抱える問題を解決していった。問題が起こると風のように魔族を救い、颯爽と去っていく。
自分がただの魔族であれば、どれほど格好良く、また頼もしく感じる存在だろうか。
だが、自分は喜べない。ヴィルタスには悲願があった。
自らがこの国の皇帝となり、世界を支配する。そして──
「──このままでは、とても叶えられそうもないな」
鼠の王と別れたヴィルタスは、深く息を吐いた。
現状ではとても鼠の王の力には敵わない。
最近の活躍だけではない。最初から衝撃的だった。地下闘技場にいた狼人や尋問した観客たちの話はとても信じられないものだった。悪魔やケルベロスを倒したというのだから。
鼠の王という可愛らしい名前には似つかわしくないほどの強大な力の持ち主だった。
別にヴィルタスも、鼠の王と真っ向から戦おうとは思っていない。鼠の王が言ったように、魔族を救っていくという点で今後も長く共闘できる。しかしその後は、確実に自分たちに立ちはだかることとなる。
その際、自分たちの力のほうが強ければ、戦わずして従わせることもできる。むしろ、あれほどの力を持つ者たちを何がなんでもこちらに引き込みたい──それがヴィルタスの考えだった。
ならば今以上に力をつければいい──そうもいかない。
鼠の王が魔族を早々に救う分、自分たちの出る幕がなくなった。自分たちよりも鼠の王のほうが頼りにされている……前ほど、新しい部下が集まらなくなったのが現状だ。
鼠の王が憎いわけではない。むしろこちらに手柄を譲ってくることもあり、その縁で仲間になりにきた者もいる。最初に鼠の王について知るきっかけとなった狼人たちも、多数が仲間になってくれた。
それでも、ほとんどの魔族は鼠の王の功績が大きいと感じている。また、もし自分が鼠の王と対立した時、自分の部下は鼠の王と対峙することから逃げるかもしれない。
帝位を得るには、もっと自分に忠実な仲間と、力が必要だ……
しかし、もはやこの帝都ではより大きな力を得ることはできない。
帝都を出て、地方で力を蓄えるか? あるいは、最近やたら活躍し力をつけているアレクを頼ってみるか。
──いや、あいつも何を考えているかいまいち分からない。それに、鼠の王と同じく最近、急激に力をつけてきているのがうかがえる。やつが復活させたエネトア商会は、すでに万国通りでも一番の店となっている。そして、鼠の王は魔族たちに何かあればエネトア商会に投書するよう伝えていた。
「……ん? 偶然か?」
闇の紋章持ちだったエネトア。悪魔になると言われ客を失い、自ら命を絶った。魔族も闇の紋章持ちもこの国では迫害の対象。鼠の王はそんなエネトアに同情しているのかと思ったが……
もしや、アレクと関係している? アレクの従者も、相当な手練れたちだった。
ヴィルタスは思わず足を止めた。
いや、そんなはずはない……
だが、もし鼠の王がアレクと関係しているとしたら──
ヴィルタスは俯き、熟考しながら歩き出す。
鼠の王のやり方を見れば、そんな簡単に尻尾は出さないだろう。また、関係がバレないように徹底しているはずだ。
人を使って調べるのは厳しいか。なら自分がアレクを詰問して……いや、聞いてもはぐらかされるに違いない。
八方塞がりだな……
ヴィルタスは思わず頭を掻いた。
そんな時、肩が何かにどんと触れた。
「すまない」
「いえいえ、こちらこそ」
ヴィルタスが謝ると、ぶつかった者もすぐに言葉を返してきた。
身なりのいい大人の男はそのままヴィルタスとすれ違う。しかしすぐに足を止めた。
「ん? その声はもしや」
ヴィルタスはその言葉に足を止めた。
聞き覚えのある声。そして、自分の声ですぐに正体を探り当てた。
「リュセル伯爵」
振り返らずにヴィルタスは答えた。
「久しいな。だが、今は悪いが」
「これは失礼いたしました」
名前を伏せ、リュセル伯爵は答えた。お忍びでどこかを訪れる皇族などいくらでもいる。正体を知っていても名を出さないのが、貴族の暗黙の了解だ。
だからヴィルタスはこのまま去ればいい。しかし、ヴィルタスは強烈な違和感を覚えていた。
「リュセル伯爵……こんなところで会うとはな。それに最近は、宮殿であまり姿を見かけないというが」
「はっ、実は陛下より直々に命を賜りましてな」
「命?」
「はっ。ルイベル殿下がミレス行きを希望されたことは存じ上げませんか?」
ヴィルタスは頷く。
「聞いた。皇族が帝国外の学校に行くのは珍しいからな。ああ、陛下は貴公にルイベルの護衛を集めるよう命じられていたのだな」
「然り。まさにその命のため、こうして帝都中を駆け回っているのでございます。最近話題の、鼠の王のように」
「ふっ。さすがはリュセル伯爵。巷の噂にも耳を立てているようだな」
「買い被りすぎでございます。それに今や、あの者らは帝都中で英雄と持て囃されております。衛兵よりよっぽど役に立つと──ああ、これは失礼を」
「陛下のご威光を損ねる言葉だった、ということか。皇族が聞けば黙っていないだろうが、俺は違う。気にするな」
普通の者なら、「今は皇子としてここにいるわけではない」と受け取るだろう。しかしヴィルタスは「自分はあいつらとは違う」という意味も含ませていた。
リュセル伯爵もそれを察したのか、ふふっと笑う。
「私も聞かなかったことにしましょう。 ……それでは、私は行かせていただきます。まだまだ幅広く、ルイベル殿下の護衛を集めなければいけないのでね」
「そうか。ただ、最後に聞かせてくれ。貴族の子ならいくらでも希望者はいるだろう? なぜ、宮殿を出てこんな場所まで来ている?」
「人も様々でございます。貴族は名誉を重んじる。名誉のため、殿下に命を捧げる者は少なくないはずだ。しかし名誉にならなければ?」
「誰も見ていないところ、誰も気付かないような場面で別だろうな。貴族だけでは、ルイベルの身の安全を保証できないということか」
「左様でございます。金のため、家のため、自分のため……様々な境遇の者を同行させたいのです。されば、どのような危険が訪れようと対処できる。故に、身分を問わず、紋章も問わず、種族すら問わず、優秀な者を募っておるのでございます」
ヴィルタスは思わず二度、首を縦に振った。
「理にかなっている。しかし、よくあの男が許したな?」
「陛下は聡明な方でございます。今のように説得しましたら、ルイベル殿下のためならとお許しくださいました」
ヴィルタスはふっと笑う。
リュセル伯爵の正論を聞いて渋々頷いた皇帝の姿が思い浮かぶ。
「貴方は本当に賢い方だ、リュセル伯爵。あの男の下で働くには、惜しいほどに」
「光栄でございます。ただ、褒め言葉だけ頂戴したく存じます。それでは」
そう言うとヴィルタスの後ろから足音が響く。しかしすぐに足音が止まった。
「ああ。殿下の護衛の件ですが。一番欲しい人材がございます。しかしなかなかいい者が見つからなくて困っておりましてな。よろしければ協力をお願いしたく」
「うん? どんな人物だ」
「家族、にございます」
「リュセル伯爵。それは何かの冗談か?」
ヴィルタスは少しイラつくように言った。リュセル伯爵とて、ヴィルタスの出自を知っているはずだ。ヴィルタスは皇帝ともルイベルとも血縁関係はない。
「滅相もございません。ただ、家族……親子供、兄弟、恋人。多くの者にとって、彼らほど信頼のおける存在はいない。そして私は血の繋がりが必要とは思っておりません」
理屈としては、何も間違っていない。
ヴィルタスは小さく笑いを漏らす。
「貴方の言う通りだろうな。だが、ミレスにはアレクがいる。問題ないだろう」
「おお、そうでしたな。私としていたことが失念しておりました」
ヴィルタスは話を切り上げるべく、歩きながら言葉を残す。
「まあ、暇があれば俺もミレスを覗いてみよう。興味のある場所ではあった」
「私もミレスに駐在いたします。御用の際は、何なりとお申し付けくださいませ」
そうしてヴィルタスとリュセル伯爵は別れた。
ラグルの店へと向かうヴィルタスは、遠くの空を眺める。
「ミレス、か」
先も言ったように、帝都でこれ以上の勢力拡大は難しい。
部下の育成や既存事業の強化にも限界がある。
……なら、俺がさらに力をつけるには、どうすればいい?
ヴィルタスの目に、ふと自分の手の甲に輝く紋章が映る。
【万神】の紋章。あらゆる神から愛され、あらゆる神の力を授けられたと呼ばれた至高の紋章。
両親には見捨てられ、偽りの父には魔族の子として不気味がられた。ただの一人を除いては誰からも愛されずに育った。そんな自分にはなんとも皮肉な紋章だ。
しかし【万神】はヴィルタスに力を与えてくれた。
すべての魔法に恩恵のある紋章を持ちながら、魔法を学ばない手はない。紋章を授かってからは休むことなく魔法の習得と練習に勤しんだ。ヴィルタスが努力すればするだけ、紋章も応えてくれた。
その力を背景に、ヴィルタスは帝都の一有力者にまで上り詰めることができた。
そんな自分が、再び壁にぶち当たった今、何をすべきか。
ミレスには、帝国で知られていない魔法があるという。
その魔法を自分のものにできれば……
ヴィルタスは紋章を宿した手を強く握った。
──誰にも負けるわけがない。いや、負けるわけにはいかないんだ。
ヴィルタスは神妙な顔つきで首に提げていたロケットペンダントを手に取る。小さな蓋を開くと、そこには青いドレスを身につけた亜麻色の髪の女性が描かれていた。
「──諦めてたまるか」
必ず約束を果たす。奪われた者を取り戻すために──
ヴィルタスは、ミレス行きを決意するのであった。