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159話 仮面の下

 現れた黒いローブの男は、我が兄ヴィルタスだった。


 ──つまり、ホーリーシャドウの真の馬主はヴィルタスだったことになる。


 やりなおし前、こうしてホーリーシャドウが活躍していた時期、俺はまだ幼く、そしてよく宮廷に引きこもっていた。


 だからヴィルタスが競走馬を所有していたことは知らなかった。ホーリーシャドウが死んだ後も、その死について語ったことはなかった。もっともヴィルタスは元々、思い出話をするような男ではなかったが。


 事件を受けて悲しんだりしたのだろうか? あの男が怒るところは何度か見たことはあるが、泣いていたのは見たことがない。


 しかし今、こうしてホーリーシャドウを撫でているヴィルタスの顔には、どこか年相応の無邪気さのようなものが感じられた。愛情を持って接しているのは間違いない。


 メーレがエリシアに訊ねる。


「地下闘技場のときの、お兄さん?」

「はい。第四皇子のヴィルタス様です」

「そうなんだ……アレクとはだいぶ雰囲気が違うから、兄弟とは思えなかった」

「本当に全然違いますよ。ヴィルタス様は色々とまだお子ちゃまです。年上の女性を口説こうとするのも、本当に好きというよりは背伸びしたいだけに見えます。一方で、アレク様は大人の紳士です!」

「……うーん。アレクの本当の年齢考えれば当然じゃない?」


 メーレは一度首を傾げたが、やがてどこか遠くを見るような目で呟く。


「……アレク。お兄さんは大事にしたほうがいいよ」


 突然の助言。メーレの頭には、自分の姉メリエのことがよぎったのかもしれない。メリエを止められなかった後悔もあるのだろう。


 エリシアは一度頷くが、すぐに補足する。


「それはそうですね。ただ、確かヴィルタス様の本当のお父上は、現皇帝ではないのです」


 俺も頷く。


「ヴィルタスの母が皇帝の側室だったのは間違いない。その側室は俺の母ではないけど。だがその側室は、吸血鬼と恋に落ちてしまった」

「なるほど。じゃあ、アレクとは血が繋がってないから、本当のお兄さんではないんだね」

「いや……俺の兄だよ。それだけじゃない。俺にとっては唯一の家族だ」


 民衆の家ならともかく、貴族や皇族ともなると、赤の他人のような兄弟も多い。事実、俺はルイベルや他の兄弟や皇族から蔑まれていた。母も、俺の世話をずっと乳母や使用人に任せていた。紋章を授かる前も後も、家族の思い出というようなものは残っていない。


 だが、それでもヴィルタスだけは、やりなおし前の俺を不器用ながらも気遣ってくれた。側室の子だとか、魔族の子だとかそんなことはどうでもいい。


「だから、もちろん大事にするつもりだよ」


 自然と出た言葉だったが、自分で言っていてどこか不安も覚えた。


 ヴィルタスが帝位を狙っていることは確実。その過程で俺に敵意を抱く可能性もあるのではと心配になったのだ。


 そうなったとしたら……いや、難しく考える必要はないか。メーレがメリエを何とかしたいと思うように、俺もヴィルタスを説得しようとするだろう。


 そんな中、エリシアが言う。


「しかし、ヴィルタス様は本当に大人びてますね。娼館の経営から、こんなことまで」

「それだけじゃない。他にも数えきれないほど手広く事業をやっていた。取り立てなんてのもやっていたな」

「意外です。清濁併せ呑む方だったとは」

「いや、取り立てといっても、相手は魔族であることをいいことに踏み倒そうとする奴らとかからだよ。ヴィルタスは今も昔もずっと魔族を守ろうとしている」

「なるほど。その点は、確かに間違いなさそうですね」


 エリシアが言うと、メーレは訝しむように、騎手と談笑するヴィルタスを見る。


 ヴィルタスはホーリーシャドウの調子などを仔細に訊ねているようだ。


 他の騎手たちは熱心な馬主だと感心しながらその場を去っていった。


「もしかして、お兄さんもやりなおしていたりしない?」

「それはないと思う……いや、確証があるわけではないが」


 やりなおし前の記憶があるなら、俺の行動の変化をおかしいと思うはずだ。紋章を授かった日から、俺を調べ上げようとしてもおかしくない。それに、俺が物件を探すと言えば、明らかにおかしいと考えるだろう。


 それに、今のフードに隠れたヴィルタスの顔は……


 年相応にはしゃいでいるように見える。


 メーレは察するように言う。


「ずっと近くにいたアレクが言うなら、そうなんだろうね。でも、なんで馬主になったんだろう。しかも身分を隠して」

「皇子が魔物の血を引く馬の主になったら、帝国中で大論争になる。ホーリーシャドウは、馬の魔族みたいな存在だからな」

「皇帝や貴族たちからの圧力もかかりそうだね」

「ああ。だから身分を隠したんだろう。ヴィルタスの紋章は強力だし、頭も切れる。だけど、至聖教団とその仲間に真っ向から対立できるとは思わなかったはずだ」


 今思えば、やりなおし前のヴィルタスはずっと至聖教団に対抗するための力を蓄えていたのだろう。


 その目的は──


 メーレが口を開く。


「目的は、同じような魔物の血を引く馬を助けたかったからかな」

「そうだろうな。そして魔物の血を引く人間……魔族も同じような存在であることを知らしめたかったのかもしれない」

「アレクと志は同じってことだね」

「その、はずだ」


 俺が言うと、メーレは首を傾げた。


「自信がないの?」

「いや、そんなことはない。ヴィルタス自身、魔族だ。同じ境遇の者を思っているのは当然だろう。俺にも優しかったし、闇の紋章持ちのことも毛嫌いしていない」


 それなら何も心配することはない……なのに、ずっと何かが引っかかる。


 エリシアは言う。


「ともかく、基本的には共闘できる相手、という認識でいいのは確かですね」

「そうだな。実際にヴィルタスは、間接的にだが俺たちと共闘した」


 トーレアス商会や地下闘技場での出来事。ヴィルタスは俺の狙い通り、魔族を助けるため動いてくれた。


「魔族のためなら手を取れる相手、それだけで十分だ」


 俺が言うと、エリシアとメーレが頷いた。


 だがエリシアは思い出すように言う。


「しかし、あのヴィルタス様が馬主なのに、なぜホーリーシャドウは殺されてしまったのでしょう?」

「そうだよな。それが一番気になる」


 ヴィルタスと仲間たちは、少なくともこの帝都では有力な一味だ。帝都全域に情報網を張り巡らしている。また、人間よりも優れた能力を持つ魔族の部下も多い。


 そんなヴィルタスたちをもってしても、ホーリーシャドウを守れなかった。


 相手はやはり至聖教団だろうか。いや、拝夜教団の暗躍か?


 もしその両者が犯人であれば、もう心配することもないかもしれない。今は鼠の王が帝都に目を光らせている。眷属たちにこの競馬場と周辺に情報網を広げてもらえば、万全と言えそうだ。


 加えてヴィルタスもいる……大丈夫だろう。


 そんなことを考えていると、ヴィルタスに駆け寄る黒いローブの者が見えた。


 ヴィルタス同様、目深くフードを被っているが、俺には顔が分かる。猫の顔をした魔族だ。


 ヴィルタスを害そうとしているわけではない。ヴィルタスも騎手の視線が魔族に向けられたのに気づくと振り返る。


「ミーア、か。どうした?」

「ヴィル……いや、テイロス様、大変にゃ! ラグルの店の前でやばそうな集団が集まってるにゃ」

「やばそうな、か。どんな奴らだ?」

「武装はしてないって。おそらくどこにでもいるゴロツキだと思うにゃ」

「そう、か。誰が向かっている?」

「にゃ。最寄りの北門の部隊が向かっているにゃ」

「ラグルの店まで結構あるな。俺が一番近いか……まあ、でも、大丈夫だろう」


 魔族の慌てぶりの一方で、ヴィルタスは落ち着いていた。


 焦るほどの相手ではない、というよりは「またか」という顔だ。


「にゃ! 本当ですかにゃ?」


 魔族は不安そうに尋ねるが、ヴィルタスは冷静に答える。


「ミーア。お前は先週、うちに入ったばかりだったな。しかも、帝都に来て日が浅かったか」

「お、覚えていただき光栄ですにゃ!」

「仲間の名前は全員覚えている」


 ヴィルタスはそう答えると、厩の屋根の上で種をかじる鼠を見て言う。


「最近はこの手のことがあっても、あいつらがどうにかしてくれるんだ」


 それを聞いていた騎手が口を開く。


「鼠の王です、ね」

「ああ。同じような騒ぎが何度もあったが、俺たちが到着した時にはもう片が付いている。不思議なことにな」

「話だけは聞いていたにゃ! でも、そんなに早く駆けつけてくれるですかにゃ?」


 魔族の声にヴィルタスが頷く。


「ああ。俺たちよりも早く騒ぎを聞きつけてな」


 喜ぶでも怒るでもなく、その口調は淡々としていた。


 騎手が察するように言う。


「魔族を救う鼠の王……噂によれば、闇の紋章持ちにも手を差し伸べているのだとか。我らと同じ活動をしているが、正直なところ我らよりも実力は上で間違いない」

「悔しいが、事実だな。地下闘技場で救助した狼人の話が本当なら、やつらは悪魔やケルベロスたちを倒す力を持っている」

「しかし、その目的は不明……しかも何かあれば我らに手柄を押し付けることも多々ある。地下闘技場での一件も、我らの関与は少なかったにもかかわらず、我らの功績が大きく伝えられた」

「ああ。そもそも、狼人たちに鼠の王は俺の名前を出して接触したらしいからな。本当に不気味な奴らだ」


 ヴィルタスは真剣な表情で言った。


 強くて魔族を何故か助ける謎の集団。しかも何故か、自分たちを立ててくる。俺もヴィルタスの立場なら不気味に思っただろう。


「仲間にできるかはわかりませんね。それに、もし共闘するにしても、こちらが向こうさんに飲み込まれる形になってしまいそうだ」

「目的さえ果たせるなら、俺は別に誰にでも頭を下げる。しかし得体の知れないやつは信用できん」 「そうですね。ならば、急ぎましょうか?」


 騎手の言葉に、猫の魔族が首を傾げる。


「にゃ? 今の話なら別に急がなくてもラグルの店は……」

「ラグルのことはもう何も心配していない。鼠の王の尻尾を掴みに行くんだ」


 騎手はそう言いながら、手早くホーリーシャドウの馬具を付け直す。


「ホーリーシャドウ、もう一仕事頼むぞ。 ──テイロス様、どうぞ」


 ヴィルタスは騎手に頷くと、ホーリーシャドウに乗りその首を優しく撫でる。


「ああ。ホーリーシャドウ、行くぞ」


 ホーリーシャドウは頷くような仕草を見せ、競馬場の外へと疾走していった。


 エリシアが俺に顔を向ける。


「どういたしますか? ティカとネイトが向かうほどの騒ぎではないでしょうから、あまり強い者は向かっていないかもしれません。そこでもしヴィルタス様と戦闘になれば……」

「すぐに撤退するよう伝えてはいるが、ヴィルタスが相手だと何が起こるか分からないな……それに」


 ヴィルタスは鼠の王と接触したがっている。もし話ができれば、今後共闘できるかもしれない。そして俺もヴィルタスに聞きたいことがある。


「……俺たちも行こう」


 俺たちはホーリーシャドウを駆るヴィルタスを追跡することにした。

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