146話 人間
俺はエリシアとエルブレスと共に街へと《転移》した。
まずは街の偵察だ。
街の中は意外にも兵士が少なく、魔物たちも普通に働いている。何か切迫した様子は見当たらなかった。
一番驚いたのは、ルスタフの宮殿の近くの広場にほとんど兵士がいないことだ。清掃をする魔物のほうが多い。
宮殿内部を見ても兵士は数名だけで、ルスタフもいない。
エルブレスが言うには宮殿の屋根に掲げられているはずの隊旗がないという。つまりルスタフとその近衛兵たちが出撃していることを示唆していた。
俺たちにとっては好都合だ。だから、この広場を魔物たちの集合場所にすることに決めた。
すぐに広場とその周辺を警備している兵士を、声を出させないように気絶させていく。兵士の首をエリシアは刀の峰で叩き、エルブレスは手刀で叩いた。
現状は余裕があるため殺さず、あとで魔物たちに縄で手足を拘束してもらうつもりだ。
捕虜にして何かしらの交換条件が引き出せるかもしれない。
そうして広場の警備兵を排除し終えると、エルブレスが小声で言う。
「こんなもんか? 二十人いたかどうかだな。まさか戻ってくるとは思わなかったか」
「まだ油断できませんよ」
エリシアがすかさず言った。
「分かっている……ともかく、話を広めて仲間や他の魔物を集めよう」
早速エルブレスは、兵士が倒れていることに困惑しているオークや魔物に駆け寄った。
それから姿を現し魔物の言葉で話しかける。
「っ!?」
驚いた様子の魔物たちだったが、すぐにエルブレスの言葉に頷くと、周囲のオークや魔物たちに話を広げていった。また、倒れた兵士を縄で拘束し、その武具を奪っていく。
「ここはあいつに任せりゃ十分だろう。他も行くぞ」
「ああ」
俺たちも街をまわって話を広めていく。
見張りを倒し、エルブレスが広場に集まるよう魔物たちに呼び掛けた。広場に向かう魔物に気付いた兵士もいたが、すぐに俺たちが倒す。
ある程度まわるとエルブレスが言う。
「十分広まった! あとは任せて大丈夫だろう。しかも城壁の兵たちは全く気付いていねえ」
エリシアも確認するように城壁を見渡す。
こちらを見る者はほとんどおらず、誰かがやってくる気配もない。
「外に気を取られている、というわけでしょうか」
「そうかもな。あるいはアレクの実力を過小評価していたのかもしれねえ。俺を瞬間移動させるぐらいの力しかないってな」
「それだといいのですが……」
「なんだ。お前もたいがい心配性じゃねえか」
「あまりにも警備が手薄だと思っただけです。もちろん、それだけルスタフが一人一人の兵を信頼しているのかもしれませんが」
エルブレスが言う。
「いまさらあれこれ考えても仕方ねえよ。ともかく今は、街を乗っ取ることだ。この城壁のある街を奪えば、第十三軍団も怖くねえ」
「そうですね。計画自体は順調。アレク様」
「ああ、外のオークを広場に連れてくる」
俺はすぐに街の外の浜へと《転移》し、オークたちを広場へ連れてくる。
オークたちは持参した武具を広場に集まった魔物たちへと分け与えた。
すでに広場に集まっていた魔物たちも、倒れた兵士や武器庫から武具を得た者がいる。
武装している者だけでも、千名以上に膨れ上がった。
エルブレスはそんな彼らに大声で指示を出した。
魔物たちは叫ぶと、一斉に市街へと向かう。
俺たちも先行し、城壁と城門の兵士を倒すことにした。
城壁の上に《転移》すると、兵士たちが街のほうに振り返っている。
さすがに街の様子がおかしいことに気が付いたようだ。
しかし、誰一人として動揺している者はいない。
隊長らしき者が淡々と兵士たちに言う。
「街が中から攻められた……作戦通り、外へと撤退しよう」
「はっ」
兵士たちは粛々と城門へと向かい、そこから街の外へと駆け足で出ていく。声も上げず、列を乱すことなく。中には顔に笑みを浮かべる者すらいた。
とても逃走しているようには見えない。街が落ちることすら想定済みだったか。
エリシアがそれを見て不安そうに言う。
「……この動き、私たちが街を奪うと読んでいたのでしょうか?」
「そうかもしれないが、もともと街が落ちた時の行動も定めていたのかもしれない」
エルブレスは撤退する兵士を見て勝ち誇るように言う。
「いずれにせよ、街を奪ったんだ。俺たちの勝ちのようなものだ!」
魔物たちは次々と城壁を占領していく。
街は確かに手に入った。
だがその時だった。
突如、後ろからまばゆい光が広がった。
振り返ると、広場に立つルスタフ像の剣が光り輝いていることに気が付く。
それに呼応するかのように、街の周囲から無数の白い光が灯る。
暗黒に包まれた街は、一瞬にして白昼のような明るさに照らされた。
エルブレスや魔物たちは突然のことに身構えた。
だが何も起きない。ただ光が、街全体とその周辺を覆っただけだった。
エルブレスは額の汗を拭って言う。
「ちっ。光るだけかよ。驚かせやがって」
「……これは、聖の魔力」
エリシアはそう言って顔を曇らせた。
この光は聖魔法によるもの。聖の魔力が周囲を覆っているわけだ。
つまり、ここでは闇の魔力が打ち消されてしまう。闇魔法の《隠形》を付与した魔導具は使い物にならなくなり、俺たちの姿は露見してしまっている。
当然、俺自身も闇魔法を使えなくなってしまった。つまりセレーナとモノアのところへ《転移》できない。魔法で戦うなら、他の属性の魔法で戦うしかない。
「俺が闇魔法を使うのを、分かっていたか……」
分かっていて、あえて街に閉じ込めた。
ルスタフは俺たちより一枚上手だったか。
そんな中、城門の外から馬を走らせる集団が現れる。
ルスタフと護衛たちだ。
彼らはこちらの顔が見える距離で馬を止めた。
俺へ降伏勧告に来たかと思ったが、護衛たちは何やら困惑した様子を見せている。
ルスタフも街へ顔を向けながら首を傾げた。
「……? 反応が鈍いな。読みが外れたか?」
「ですが、先程まではいなかったオークもおります。悪魔がいたのはやはり事実かと」
なるほど……
ルスタフはエルブレスが消えたことを、悪魔の仕業と考えたのだ。
だから聖の魔法で悪魔を倒そうとした──いや、この程度の聖魔法では殺せない。
無力化するのにちょうどいいぐらいの聖の魔力だ。
ルスタフは悪魔を捕らえたがっていたか。
捕えてどうしたかったかは想像に難くない。
ここを出ていくために悪魔を利用したかったのだろう。ヴェルムでも悪魔は空間を出入りできた。ルスタフも悪魔なら出られることを知っていたのだ。
しかし、ここに悪魔はいない。
俺は人間だ。
ルスタフは困ったような顔をしたが、すぐに城壁の上にいるエルブレスに気が付く。
「エルブレス。これは、どういうことだ? お前の仲間に悪魔がいるんじゃないのか?」
「おあいにく様、悪魔なんていねえよ。風変わりな人間のお仲間ならいるがな──あっ」
エルブレスはしまったと、俺たちに顔を向ける。
エリシアが怒る。
「失言した上に、なんでこっちを見ているんですか!?」
「す、すまねえ! ああ、いや!」
焦るエルブレスだが、ルスタフはすでに俺たちに視線を向けている。
俺たちが特異な存在であることがばれてしまった。
いや、どのみちここに人間が立っていること自体おかしい。遅かれ早かれ怪しまれていただろう。
ルスタフは俺の顔から心の内を読み取っているのか、陽気に声をかけてきた。
「そう緊張せずともいい、少年! 一度、話さないか?」
さて、どうするかな……
このまま俺が引っ込めば、やつは意地でも街を奪取して俺を連れ出そうとするだろう。
俺が闇魔法を使えない以上、混戦は必至。魔物たちの被害は免れない。
しかし今なら、俺とルスタフの間で話ができる。
話しで解決するか、こちらがルスタフをやるか。好機とも言えるだろう。
もちろん、大変危険だ。
向こうも、こちらを殺そうとしてくるかもしれない。
闇魔法を使えない俺は戦力として心許ない。
一方でルスタフは歴戦の猛者。しかも何かしらの魔導具を持っている可能性がある。
いざとなれば、ルスタフに分がある。
頼りは、エリシアとエルブレスのみだ。
だが、ルスタフはそんな俺の懸念を感じ取ったかのように、腰に提げていた剣を地面へ投げる。そして鎧を脱ぎ、質素な麻の服だけとなった。
「心配せずとも、武器は持たん! この通り丸腰だ! 暗器もない!」
ルスタフは服をはだけさせると、その筋骨隆々の裸体を惜しげもなく見せつける。龍眼を使うまでもなく、彼が何も持っていないことが明らかとなった。
エルブレスがそれを見て皮肉っぽく言う。
「けっ。敵じゃなきゃ褒め称えたいぐらいの筋肉だ! だがな、ルスタフ。それじゃあ、自分からその体が凶器だと言っているようなもんだぜ!」
「ぬっ? 子供を安心させたかったが、逆に怖がらせてしまったか……筋肉ばかりは脱ぎ捨てられんな」
しょんぼりとするルスタフ。
それがおかしいのか、護衛や兵士たちがどっと笑い声を響かせた。
「軍団長! 手足を縛って芋虫みたいに近づけば安心してくれるって!」
「地面に体を埋めて、顔だけ出せば大丈夫だ!」
「貴様ら、俺をなんだと思っている!? あとで街を百周させてやるからな!」
兵士の冗談に怒るルスタフ。
しかし本気で怒っているわけではないのは俺でも分かるほど、柔らかい口調だった。
兵士たちはそんなルスタフを見て、げらげらと笑っていた。
彼らが急に見せた人間らしい一面に、俺の胸中に安堵感と恐怖とが入り混じる。
千年経っても、彼らは人間だった。
セレーナとモノアは今、そんな者たちと命を懸けて戦っている。
色々な感情が沸き上がるが……今はそれに惑わされてはいけない。
戦を望む彼らをここから出してはいけない。そして俺たちは、絶対にここから出ていくんだ。
俺は冷静に今の状況を考えることにした。
……ルスタフと話すことはやはり危険だ。
しかしルスタフは俺が闇魔法を使えると知れば殺すことはないだろう。悪魔に準ずる存在として、生かしてここから出る方法を模索するはずだ。
俺にはエリシアがいる。エルブレスも付いてきてくれるだろう。
セレーナとモノアが戦ってくれている中、俺も勇気を出さなければならない。
直接会って、話してみよう。
「──ルスタフ!」
俺が呼びかけると、ルスタフが顔を向けてくる。
「どうした、少年」
「話がしたい! そこの浜で話そう!」
俺が言うとルスタフは深く頷いて答える。
「了解だ! 俺は一人で行くが、お前は何人連れてきてもいい! 久々に人間を見たんでな。色々と話させてくれ!」
ルスタフは顔に喜色を滲ませていた。先ほどまでの不気味さは微塵も感じない。それが却って恐ろしくも思えた。
そうして俺はルスタフと話すことになった。