140話 世界の王
兵士と虜囚が通り過ぎた後、俺たちはその後を追って街へと向かった。
城門は閉じられ、多くの兵士によって守られている。城壁の上にも巡回する兵士が見えた。
セレーナが額に汗を浮かべて言う。
「守りが厚いな……それに皆、真剣に職務にあたっている」
気怠そうにする者は一人もおらず、誰もが目をぎょろぎょろと周囲に向け目を光らせていた。
千年も同じことをしていれば、誰かしら手を抜くものだと思うが……
サボっている者は一人も見えない。
エリシアが呟く。
「あれだけ視線を動かされると、こちらと視線が合う者もいますね」
「見つかっているのではと思ってしまうな……とはいえ、正面からいく必要はない」
セレーナの声に俺は頷く。
「城壁に《転移》して、街に入ろう。そこでまず、街の中の様子を見る」
二人が頷くのを見て、俺は兵士が通り過ぎた城壁の上へと《転移》した。
周囲に兵士がいないのを確認し、俺たちは街に目を凝らしてみる。
各所にランタンが灯された街は、格子状の街路で綺麗に区画分けされていた。
街の大通りは特に人が多く、酒屋や娼館らしき店が見える。
セレーナが呟く。
「懐かしい雰囲気だ。帝国軍の駐屯地から発展した街は、こんな整然とした雰囲気だった」
「では、この街を造ったのも彼ら第十三軍団というわけですか。しかし……」
歩いているのはほとんど人間の兵士だが、魔物らしき者たちもいた。
兵士は外と違い気楽そうにしているのに比べ、魔物たちは何かしら働いている者たちしかいない。娼館の娼婦も男娼も魔物、酒屋の店員も魔物だ。
エリシアはその様子を見て言う。
「魔物か魔族は分かりませんが、奴隷として働かせているようですね」
「ルスタフは逆らう者は徹底的に殺したが、命乞いをしてきた者の命までは取らなかった。奴隷として使役していたらしい……とはいえ、使い捨ての駒としてだが」
セレーナの顔を向ける先には、大きな岩を背負って運ぶ魔物たちがいた。
オークやトロールなど腕力に優れた魔物たちが見える。
しかし魔物たちの体は傷だらけで、皆足どりも重かった。
そんな中、オークの一体が足を滑らせ、岩を落とす。
魔物を監視していた兵士は、そんなオークに無慈悲にも鞭を叩きつけた。一回ではなく、二回三回と。
「遅いぞ、急げ!!」
「ま、待て! 少しぐらい休ませてくれたっていいじゃねえか! ──っ!」
近くにいたオークが庇うように言うが、すぐに兵士が鞭で打った。
倒れ込むオークに何回も鞭を振るう。
「口答えをするな! お前たちはルスタフ様の慈悲で生かされているのだ!」
その光景を見た他の魔物たちは顔を青ざめさせ、先ほどよりも早歩きで岩を運ぶ。
残酷な光景だが、初めて見る訳ではない。
魔物ではないが、帝国の各地で魔族がああいう扱いを受けていた。
兵士はある程度鞭打ちすると、他の場所の監視へ向かった。
オークは死んでいないが、傷が原因で死ぬかもしれない。
「エリシア……」
「私の魔法で傷は癒せます。ですが、あのオークたちが善良な者たちだとは」
「それでも、彼らは無抵抗の捕虜だ。それに、後で話を聞くこともできるかもしれない」
「わかりました。ですが、本人にも周囲にも分からない程度の治癒にします」
エリシアはそう言ってオークたちに魔法をかけた。
少しは癒えたのか、オークたちはなんとか立ち上がる。
セレーナは魔物たちを見て憤っているようだった。
「敵だった戦士を働かせるならまだしも、中には子供もいる。やはりルスタフのやり方は好かぬ……」
「解放してやりたいところだが、まずは情報収集を続けよう」
俺の言葉にセレーナとエリシアが頷いた。
まずはあえて街の大通りへと《転移》する。
本当に兵士たちが俺たちに気がついていないかを確認したかった。
大通りに出ると、酒の匂いが強くなる。
通路には空いた酒瓶や食料品の類が見えた。
この街と島で食料を生産できるとは思えない。恐らくは略奪品だ。酒瓶や木箱には魔王国のものらしき文字が見える。
ランタンは蝋燭の火ではなく、魔導具のもののようだ。形や様式が不揃いなので、これも奪ったものだろう。
「ルスタフ様に乾杯! 第十三軍団に乾杯!!」
「世界の王、ルスタフ様に乾杯!!」
通りには酔っ払っている兵士が多かった。
そして誰もが口々にルスタフを讃えている。
一方で魔物たちは兵士たちにぶつからないよう恐る恐る自分の仕事をしていた。
街路では、散乱したビンの破片や生ゴミを掃除するスライムや、物資を運ぶゴブリンが目立つ。
娼館を覗くと、そこには人のような見た目だが翼と角を生やした魔物がいた。サキュバスやインキュバスだろうか。
ともかく、多様な魔物がここでは使役されていた。
この街では人間より魔物のほうが多そうだ。
「兵士よりも魔物が多そうだ。反乱を起こせば、勝てる可能性もありそうだが……」
俺が言うと、セレーナは小さく首を横に振る。
「無理、でしょう。兵士が強いのはもちろんですが……ルスタフが強すぎます。彼は一人で数多のドラゴンや悪魔を葬ってきた。三百体のゴブリンに囲まれても彼は臆さず、半数を血祭りにして退かせたようです…それも、剣と盾だけで」
そう言うとセレーナは、こう呟く。
「化け物……誰もが彼を、化け物と呼んでいました」
滅多に恐れを見せることがないセレーナが少し震えている。それだけ、ルスタフが強いのだろう。
「それほどか……人間でそんな者がいるなんて話は、聞いたことがないな」
「ルスタフのような者は、後世現れなかったのでしょう。私の生きていた時代も、皇帝たちは死してなお功績を語り継がれるルスタフを恐れ、ルスタフについて記述された書を焼き、記念碑を粉々にしていたぐらいです。ルスタフの存在を徹底して消そうとしたのです」
「なるほど……」
少なくとも、当時の人間で最強の男だったのは間違いなさそうだ。
兵士たちはそのルスタフの強さに心酔している、というところか。
「そのルスタフを見てみたい。城や宮殿みたいな場所を探そう」
「承知いたしました。ただ、探すまでもないかもしれません」
エリシアはそう言って、遠くへと目を向けた。
街の山側の高い場所。そこにランタンに照らされ、高々と剣を掲げる大男の石像が鎮座していた。旗章と同じ意匠の男。ルスタフの像で間違いない。
「ルスタフも近くに住んでいるかもな。いなくても、高い場所だし街を一望できるはずだ。あそこに向かおう」
そうして俺たちは街路を歩き、像がある坂を上がることにした。
坂道は綺麗に舗装され、赤い絨毯が敷かれていた。脇には色とりどりの花が植えられている。
特別な者が通る道で間違いない。
その道を通ると、円形の広い広場に出る。その中心には、倒れた龍の上に立つルスタフの像があった。
広場沿いには、普通の市街の建物と違い、壮麗な大理石の建物が建てられている。
神殿や宮殿だろう。
その中で警備兵の多い建物に俺たちは目をつけた。
「あそこ、だな。あそこがルスタフの宮殿だろう」
「恐らくはそうでしょうね。入られますか?」
「ああ。注意して進もう。ルスタフは何か特別な力を使えるのかもしれない。それに、略奪品の魔導具も持っているはずだ」
そう言って俺は、宮殿に近づいていく。
警備兵は俺たちには気が付かない。
しかし門の近くで、頭を動かすフクロウの像があった。
その像は、目から魔力を放射状に発している。
恐らくは何かしらを感知するための魔道具だろう。屋根などにも同じような像が見えた。
あの魔力にぶつからないよう、俺は《転移》を駆使し慎重に宮殿へと入る。
宮殿の中に入ると、そこは天井の高い大広間になっていた。
大きな列柱と立哨する兵士たちの奥には、大きな玉座がありそこに一人の大男が深く腰掛けている。
「あれが、ルスタフ……」
像と寸分も違わない、立派な体格の大男がそこにいた。
ブロンドの髪を短く切り揃え、顎髭を少し生やしている。
屋内にもかかわらず、黄金の鎧を身に纏い、抜き身の剣を杖のように立てかけていた。
あまりの眼光の鋭さに、正面に出た俺たちは見つかって睨まれていると思った。
しかし横にずれてもルスタフの視線は微動だにしない。
とりあえずは見つかっていないようだ。
ルスタフの玉座の奥には、出入り口らしき場所がある。ルスタフの私室かもしれない。
何か有益な情報が得られる可能性もある……俺は危険を承知で、その私室に向かうことにした。
ゆっくりと列柱の裏を通り、宮殿の奥へと向かっていく。
他の兵士と違い、ルスタフは怪訝そうな表情を緩めない。
威厳のある顔つきで、じっと宮殿の外に視線を送っていた。
兵士たちも微動だにせず、立哨している。
いずれにせよ、俺たちには気づいていないようだ。
よし、このまま部屋に──
そう思った瞬間、ルスタフの口が動いた。
「──匂うな」
俺は思わず足を止めた。セレーナはびくりと肩を震わせる。
狼人たちのように俺たちを匂いで判別した……
すぐにマーレアス号まで撤退すべきか考えるが、少し様子がおかしい。
ルスタフはこちらを見ることもなく、ずっと同じ姿勢で外を見ている。
近くに控えていた副官らしき者が口を開くと、ようやくそちらに目を向けた。
「オークの臭いかと。島の東側で、オークの集落を潰しました。降伏した捕虜を先ほど、収容しております」
「豚の臭い、そうだ、これは豚の臭いだ」
「大変申し訳ございません。ご不快でしたら、少し間引いてまいります」
「いや、その必要はない。オークは頑丈で強いから好きだ。役に立つ奴隷は一人でも多い方がいい。この島を出て、俺が覇業をなすためにはな」
ルスタフはそう言うと、急に口角を上げた。
「最近は、漂流者が多いな?」
「はっ。この五年ほど、年々迷い込む魔物が増えております。外で何かあったのでしょうな」
「そうか……ならば、ここを出られる日も近いかもしれない」
愉快そうに言うルスタフ。
魔物が増えているのは、輪廻嵐が早まったから。それでも、彼らにとっては大きな変化に思えるのだろう。
そんな中、兵士の一人が入ってくる。
「ルスタフ様!! 昨日南岸に漂着した人間の代表を連れてまいりました!! 帝国人の神官セオネルと名乗り、至聖教団の所属と申しております!」
「また、あの教団か。通せ」
ルスタフは少し呆れるような顔をして言った。
「はっ! ……入れろ!!」
兵士が外に向かって叫ぶと、第十三軍団の兵士に囲まれた司祭服を着た若い男が入ってくる。
至聖教団の神官か……彼らも迷い込んだか。
神官は恐れる様子もなく、堂々とルスタフの前に出る。
「私は、至聖教団の神官セオネル!! 聖なる神のお告げを聞き、魔王国を征伐せんと同志たちと帝国を発った!!」
「ほう。俺たちと同じだ。俺たちも、魔王国を滅ぼそうと船を出した。そしてここに迷い込んだのだ」
「おお!! ならば、我らの志は同じ! 聖なる神のため、聖なる皇帝のため、聖なる帝国のため、共に手を組もうぞ!!」
顔に喜色を浮かべて言う神官。
しかしルスタフは淡々と即答する。
「いや、それは無理だ。お前たちには、俺に従ってもらう」
神官はそれを聞いて少し苛立つが、自分も仲間もあまりいい状況にないのだろう。一方で、ルスタフは安定した街を治めている長だ。
しばらくすると神官はこう提案した。
「──そなたが聖なる神に愛されているなら、従っても良い! 我が【聖兵】の紋章よりも優れた紋章か、聖なる紋章を持つなら、従おう!!」
「なるほど。分かりやすくていい。俺の紋は──」
ルスタフは手に嵌めていた鉄製の手甲を外す。
そして手の甲に浮かぶ、その黒い紋章──闇の紋章を見せた。
「俺の紋章は──世界の王だ。この世界を統べる王のな」
ルスタフは、闇の紋章の持ち主だった。