132話 外交交渉
「一人残るとは、バカな奴め!! もはやこの洞窟の崩落は止められぬ! たとえ私を殺そうともはや逃げられぬぞ」
《闇檻》に捕らえられたドッペルゲンガーは、人の言葉で罵声を浴びせてきた。
岩が落ちてくる中、俺はドッペルゲンガーの眼前へと《転移》する。
「っ!? お、お前やはり」
「ああ。お前がさっき言ったように、俺は瞬間移動ができる。このリンドブルムたちも一緒に、外へとな」
「な、なに? ……お前、まさか人間の悪魔崇拝者か? ならば、何故私を邪魔する!?」
「決まっているだろう、人間の悪魔崇拝者ではないからだ。それよりも、まずはリンドブルムに洞窟を攻撃させるのをやめさせろ。でなければ、この檻をどんどんと狭めていくぞ」
「ふん……魔王様の忠臣たる私が、人と交渉するなぞ、あるわけなかろう!? そのリンドブルムもろとも、消えればいいではないか!」
ドッペルゲンガーはそう言って取り合わなかった。
こいつやセスターの忠誠心を疑うつもりはない。
魔王のためなら喜んで命を捧げるのだろう。
しかし、誰であっても無駄死にはしたくないものだ。
もし、俺を騙して出し抜くことができるなら──そう考えさせれば、とりあえず死を避けようとするはずだ。
自分に存在価値があると思わせ、色々と喋らせる。そうして少しでも情報を引き出すとしよう。
とはいえ、向こうも人を騙すのに長けた魔物。
いきなり帝都の魔王国の拠点や拝夜教団について問うのは避ける。
まずは、魔王について訊ねてみるか。
「……俺はお前とではなく、魔王と交渉したいのだ。人を超えた力を持つ、魔物の頭領。会って、話してみたい」
「お、お前ごときが魔王様に拝謁するだと!?」
「セスターを殺し、いままさにお前を閉じ込めた俺だ。醜態を晒したお前たちよりは、会うに値する存在だと思わないか?」
「くっ……うざったい人間だ」
苛立つドッペルゲンガー。
しかし俺から話をしたい意思は伝わったようだ。
ドッペルゲンガーは、どんどんと崩れていく空洞を見て言う。
「……やめろ!! 静かにするのだ!」
その言葉に、リンドブルムたちは動きを止めた。
これで次の命令の前にドッペルゲンガーを殺せば、リンドブルムたちは救えるだろう。
とはいえ、魔王との関係が切れるとは思えない。
今まで俺が経験したことで、呪いのようなものから解放させるとしたら……一度、俺の眷属になってもらうしかないか。
ドッペルゲンガーは俺に問う。
「魔王様とお会いしてどうするつもりだ? 言っておくが、魔王様はお忙しい。お前のような取るに足らない人の子と会う時間などないのだ」
「理由などない。ただ、会ってどんな者か確認したいだけだ」
「……は?」
「人間にとって、魔王は未知の存在。興味がわかぬ訳がなかろう。どんな見た目をしているのか、どんな名なのか。そもそも、本当に存在しているのか。人間にとって、これほど大きな謎はない」
「……ふざけているのか?」
「何がおかしい? 未知を明かすことは、人間にとって最上の喜び……俺にとっては、人を蝕む悪魔崇拝者どものほうがよっぽどふざけた存在だと思うがね」
そう言うと、ドッペルゲンガーは少しの沈黙の後笑い声を響かせた。
「ははは……そうだな、あやつらは同胞を殺そうとする、自己中心的な存在。理解できぬ。あやつらと共闘するなど、虫唾が走る……セスターと私は意見が合ったことはないが、傷つけあったことはない。奴らは異常だ」
悪魔崇拝者とは、やはりリュセル伯爵のことだろう。とはいえ、彼は悪魔そのものだったが。
あの地下闘技場で、セスターはリュセル伯爵を軽んじていた。
魔王国の者からすれば、共闘はしているが、心の底では軽蔑している、といったところだろうか。
ともかく、魔王国とリュセル伯爵が共闘関係にあることは判明した。
一つ、確かな情報は得られたな。
「魔王のためなら、大同団結すると。人間ではなかなかできぬことだな」
「まことに哀れな生き物だよ、お前たちは──しかし、私はある程度、理解しているつもりだ。お前のように好奇心を剥きだしにする人間は、今までも見てきた。人の体の中が気になり生きたまま解体するとか、生き埋めにしてどれだけ生き残れるか観察するとか……信じられない愚行を、山ほど見てきた」
「帝国の商人としてな」
「左様。故に、お前のような人間も珍しくはない。だが、そんな何も目的もない者を魔王様に引き合わせるわけにはいかない」
俺は言う。
「おいおい。俺が目的がないといつ言った? 俺は悪魔崇拝者ではないが、魔物は愛している。だからこそ、リンドブルムたちを傷つけたくなかったんだ。お前もな」
「魔物を愛す、だと? 人間が?」
「そうだ。魔王と会えば、人間と魔物の戦いを止めさせられるのではと思ってな」
ドッペルゲンガーはそれを聞いて、耐え切れなくなったのか腹を抑えて笑う。
「ふ、ふはははは! 人と魔物の戦いをやめさせる!? お前は何も知らないのだな!? 人と魔物の諍いなど、代理戦争にすぎん。セスターは否定したが、魔王様はその前提のもと、動いておられる」
「代理戦争……天使と悪魔のか。聖と闇の最終戦争。くだらぬおとぎ話だ」
「ふっ。知ってはいるが、信じてはいないか」
ぺらぺらと喋ってくれるやつだ。
とはいえ、俺のような人間は他にいないと察してのこの口の軽さだろう。
俺が帝国人にこの話をしたとして、誰も信じてくれるわけがない。こいつはそれが分かっているのだ。
しかし、天使と悪魔の戦いか。
リュセル伯爵だけでなく、魔王自身も、天使と悪魔の戦いが起こると考えているようだ。
もちろん、悪魔に勝たせるのが目的なのだろう。
ドッペルゲンガーは真剣な口調で言う。
「そこまで知っている……つまりお前は、ただの帝国人、いや人間でないことは分かったぞ。悪魔崇拝者でもない。そして、鼠の王を名乗っていた。狼人を救った、あの鼠の王をね。有益な情報を引き出せたようだ」
向こうも、俺から情報を引き出そうとしていたか。
とはいえ、鼠の王についてはすでに世間に出た呼称だ。
このドッペルゲンガーに新しく教えたことがあるとすれば、魔物をすぐに殺さないこと、そして強力な魔法を使うことぐらいか。
俺は頷いて言う。
「だが、引き出せたとして、それを主人に伝えられなければ意味はないな」
「そうだ。だから、交渉といこう。私を解放すれば、お前が魔王様と謁見できる機会を設けてやる」
「ほう。だが、失態を犯した者の提言を受け入れてくれるかな?」
俺が言うと、ドッペルゲンガーはぴくりと全身を震わせた。
「魔王様は、一つの失敗などで臣下を罰したりはしない!」
「落ち着けよ。俺にはそれが本当かどうかも分からない。その上、お前自身が本当に魔王との交渉の席を設けるように動く保証もどこにもない。それでは、とても交渉にはならないじゃないか」
ドッペルゲンガーは言葉に詰まる。
一つ確実なのは、ドッペルゲンガーが魔王に俺の存在を伝える、ということだけだ。
魔王に俺の存在を知られる……一昔前なら絶対避けたかったが、今は考えものだ。
というのは、俺の存在が伝わることで、確実に魔王国の帝都に対する戦略は変更を余儀なくされる。
俺が強力な魔法を使うと知れば、もっと戦力を送り込む、あるいは慎重に行動する。いずれにせよ、今までとは帝国へのアプローチを変えてくるはずだ。
帝国の人々にとってそれがいいことかはなかなか判別しにくい。
しかし時間を稼げることは確かだ。俺としても、より帝都や帝国に強力な拠点を構えることができる。
また、魔王は戦略を変更する過程で、俺と本当に接触しようという気にもなるかもしれない。魔王国内で俺を捕えようとする可能性もある。
しかし逆にこちらが魔王を捕らえられれば……やりなおし前、年々増していた魔王国の脅威を排除できる。
俺は訊ねる。
「まあいい……しかし、どうやって担保するつもりだ?」
「お前の願いを何かこの場で聞き届けてやる。そうだ……あのリンドブルムを解放してやる」
「お前が、魔王とリンドブルムとの契りを破棄できるのか? とてもそうは見えないな」
「わ、私のこの札があればできる!」
「どうかな。情報が魔王に渡らないようにし、さらにリンドブルムを助けたいなら、お前をここで消し去る以上に確実な手段はないと思うが」
俺が言うと、ドッペルゲンガーは慌てて訊ねてくる。
「お、お前は魔王様と会いたいのではなかったのか?」
「会いたくないかどうかと言われれば、それは会ってはみたい。だが絶対ではない」
「お、お前!! 最初から、俺の持つ情報が目的か!?」
「そうだ。魔王国と悪魔崇拝者の繋がり、そして魔王の目的を知ることができた」
そう言うと、ドッペルゲンガーは体を震わせた。
しかし少しして諦めるように笑い声を響かせる。
「ははは……掌で転がされていた、ということか。魔法も交渉力も、とてもではないが、敵わぬな。せめて一矢でも報いることができればと思ったが、リンドブルムを使っても難しそうだ」
ドッペルゲンガーはそう言うと、床に腰を下ろす。
「今更ジタバタせぬ。殺せ」
「潔い姿は人に好印象をもたらす。それも人間社会で覚えたことか?」
「まさか……これは私たちの美学だ」
もうドッペルゲンガーに抵抗の意思は見られない。
そもそも《闇檻》の中では何もできないし仕方がない。
リンドブルムを道連れにしようにも、その前に俺に殺されると理解しているだろう。
煮るなり焼くなりこちらの自由。さて、こいつをどうするか。
このまま殺してしまえば、先も言ったように魔王に情報は渡らず、リンドブルムに新たな命令が与えられることもない。
しかし、依然として帝都には魔王国の拠点が残ってしまう。リュセル伯爵との手がかりもまた探す必要があるだろう。
そして一番は、魔王をどうするか……俺の存在を知らせるかどうかという問題。
天使と悪魔の戦いが本当に起きるとするなら、魔王とはいずれ何らかの形で関わることになるだろう。
となれば、先に接触の可能性を作っておくのも悪くはないかもしれない。
「ドッペルゲンガー。こちらの要求を伝える。それを呑むなら、お前を魔王国へ返してやってもいい」
「内容は聞いてやろう」
「帝国と帝都における魔王国の拠点を教えろ。他の者を捕らえた後、お前と一緒に送還する。あとは、リュセル伯爵との窓口を教えるんだ」
「飲めるわけがない」
「では、俺は一つ一つ、魔王国の拠点を消していくしかないな。セスターやお前を葬ったように、魔王に俺の存在を気づかれず、一つ一つ」
ドッペルゲンガーは今、究極の選択を迫られている。
今の帝都の拠点を保持するために黙っているか、あるいはそれを教えてまでも俺の存在を魔王に伝えるか。
セスターの件を知って、さらに自分がこの状況に追い込まれている……ドッペルゲンガーは仲間もそう遅くない内にやられてしまうと考えているはず。
それならば──魔王にとっての脅威である俺の存在を知らせるのは悪くないだろう。
つまり、俺は大幅に譲歩しているわけでもある。
「くっ……本当に何者なんだ」
「ずる賢い交渉には慣れているだけだ。どうする?」
「……俺と仲間の安全はどう保証してくれる?」
「信じてもらうしかない。そこも含めて、飲んでもらう必要がある」
「つまり、仲間の場所を教えた後、殺されても文句は言うなと」
ドッペルゲンガーの心配は当然だ。
裏を返せば、俺はドッペルゲンガーから情報を得た後全員殺す選択肢もある。そうすれば、魔王国の拠点を壊滅させ、さらに魔王に情報が渡るのを防げる。
しかし、それはやらない。俺は魔王にあえて自分の情報を知らせる。そして仲間を殺さずに送り届けたことに、何かしらの恩義を感じる可能性もある。
急に喧嘩を仕掛ける気は俺にもない。
とはいえ、俺にはドッペルゲンガーたちの安全を保証する手立てがなかった。
「そうなるな。まあ、賭けのようなものだ」
「ちっ……人間の言葉のなかでも、特に嫌いな言葉だ」
ドッペルゲンガーはしばらく俯いて沈黙する。
しかしやがて俺に訊ねてくる。
「……お前は、鼠の王と名乗ったな。狼人を救ったあの鼠の王。つまりお前は、魔族の守護者というわけか?」
「それは事実だ。しかし魔族だけを守りたいわけではない。俺の仲間には人間も魔物もいる。つまりは、協力できるなら種族を問わない」
「何のために?」
「ただ、平和を謳歌したいだけだ」
「はっ、嘘をつけ」
失笑するドッペルゲンガーだが、俺は真面目に答える。
「何がおかしい? そこのリンドブルムたちも、そうだったのだろう?」
ドッペルゲンガーはそれを聞いて、リンドブルムたちに目を向けた。
リンドブルムたちは人間との争いを嫌っているようだった。つまり、魔物にもそういう考えの者がいるわけだ。
「魔物だけじゃない。人間にも魔族にも、そういう考えの者はいる。帝国にいるのが長かったのなら、お前も見てきたはずだ」
俺の言葉に、ドッペルゲンガーはまたしばらく黙り込む。
「……賭けるか、下りるか、好きにしろ」
そう言葉をかけると、ドッペルゲンガーは小さく頷いた。
「分かった……お前の言葉に乗ってみよう。しかし、後悔するなよ? 魔王様にお前の存在が知られても」
「後悔はしない。お前が信じてくれるなら、こちらもそれに応えよう」
そうして俺は、ドッペルゲンガーとの交渉を終えた。