131話 弟への願い
リンドブルムの首元に、赤黒い印が浮かび上がった。
その印のせいか、リンドブルムたちは一斉に苦しそうな鳴き声を上げる。
見たこともない印だが、商人の言葉から命令を強要させる代物なのは窺えた。
魔力が宿っているわけではないから取り除くこともできない……命令を撤回させることはできないか。
周囲から上がる悲鳴にルイベルは当惑する。
「な、なんだ、いきなりどうしたんだ!?」
「状況から察するに、リンドブルムが襲ってくる」
「なっ!? や、やはり魔物は──」
「早まるな! 先程の男の仕業なのは明白だろう」
「だ、だけど──ひっ!?」
ルイベルは四方八方から雷が向かってくることに気が付く。
子供のリンドブルムたちが雷のブレスを放ち始めたのだ。
俺は周囲に《闇壁》を展開し、雷のブレスを防ぐ。
一方のルイベルは足を震わせ、魔法を撃つこともできなかった。
年齢からすれば仕方がない。それにルイベルも、先程の戦いでリンドブルムが強力な魔物であることは分かっているはず。それが大量にいるのだから、絶望するしかない。
恐らく見たこともない量の雷を前に、ルイベルは縮こまる。
「や、やめろ! やめてくれ! ──くっ!」
ルイベルは何とか立ち上がろうとするが、立ち上がれない。体が震え、足に力が入らないようだ。
やがて目に涙を浮かべると小声で祈るように言う。
「た……た、助けて……兄上、助けて……」
昔、宮廷で貴族の子供からルイベルがいじめられることがあった。その時に助けを求められたことを思い出す。
ルイベルの嫌な記憶にはいつも俺がいたのかもな……
やりなおし前の成長したルイベルが情けない姿を晒すのなら、俺も溜飲が下がる思いだっただろう。
しかし、この小さなルイベルが泣くのを見て楽しむ趣味は、俺にはない。
俺は《闇壁》を展開しながら言う。
「……ルイベル、お前は強い」
「……え?」
ルイベルは驚くような表情をする。
俺が名前を知っていることが不思議と言うよりは、強いという言葉が気になったのだろう。
「お前は強力な紋章を授かった。多くの者を守れる、特別な紋章を」
【聖神】は聖属性に関する魔法の中で最強のもの。それが正しく使われるのなら、帝国の人々への恩恵は計り知れない。
「その力を以てすれば、帝国を、世界を救えるはずだ。さすれば、お前は多くの者から慕われ、愛されるはずだ」
「ぼ、僕は……」
ルイベルは自分の手の甲に目を落とすと、気弱そうに言う。
「僕は……弱い。いつも兄上に守られてばかりだった……」
「守られたことを恥じる必要はない。それに、今度はお前が誰かを守ればいいだけだ」
ルイベルは俺に訊ねる。
「誰かを、守る……僕にそんなことが?」
「できる。今まさに、それができる状況だ。このままでは、この狂暴化したリンドブルムたちが帝都に出て、多くの者を殺してしまう。それを止めて、帝都の人々を守るんだ」
俺が言うとルイベルは真剣な顔をこちらに向ける。
「勇気を持て。お前の魔法があれば、できるはずだ」
本音を言えば、メーレとエリシアに指示を出せば、解決はできるだろう。
先程の商人を見つけて倒せば、突破口は見えてくるはず。
だが、ルイベルに自信をつけさせたくもあった。
「俺はリンドブルムの攻撃を防ぎ続けるから、お前はまばゆい光でリンドブルムたちの視界を奪え。そうすれば、こちらを正確には狙えない。その間に洞窟の隅々まで光で照らすんだ。先ほどの商人の居場所が分かるかもしれない」
「わ、分かった……!」
ルイベルは頷くと両手をリンドブルムたちに向けた。
「──照らせ、《聖灯》!」
次々とルイベルの手から放たれる白い光。
それはリンドブルムたちの顔へと放たれた。
光により視界を覆われたリンドブルムたちは、雷のブレスを明後日の方向へと放ち始める。
リンドブルムどうし雷を浴びせる形となってしまったが、電気を宿せる体を持つ彼等に傷はつかない。
俺はルイベルに声をかける。
「よくやった。次は商人を見つけろ」
「あ、ああ!」
ルイベルはそう言うと、洞窟の隅々に聖魔法の光を放ち始める。
最初暗かった洞窟は、今や地上と変わらないほどの明るさとなっていた。
どのような技で姿を隠しているのかは知らないが、何かしら尻尾を出すだろう──うん?
俺は親のリンドブルムが苦しみ雷撃を放ちながらも、尾だけはゆっくり動かしていることに気が付く。
その先には──微弱ながらも人型の魔力を感じ取れた。
……商人の居場所を教えてくれているのか。
印で逆らえないながらも、反抗しているようだ。
俺はリンドブルムの尾が差す方向に、手を向ける。
そこに、メーレと共に作った闇魔法 《闇檻》を放った。
俺たちがヴェルムで閉じ込められた経験をもとに編み出した魔法で、中に対象を捕らえることができる。
そうして《闇檻》が展開されると──
「──なっ!? なんだ!? なぜ出られない!?」
檻の中には、全身が影のような人型が捕らえられていた。
商人の姿ではないが、状況からしてあの影が商人の正体で間違いない。
見たこともない魔物だが、伝記に人型の影の魔物の記述があったのを覚えている。
ドッペルゲンガーという魔物で、どんな者にも化けられるらしい。
強力な魔法で戦うというよりは、他人になりすましてだまし討ちする……そんな魔物だった。
セスターの種族ストゥムも化けることはできたが、あちらは死霊魔法が使えた。
それと比べれば、あまり強い種ではないかもしれない。
事実、ドッペルゲンガーは《闇檻》にあらゆる魔法を放つが、びくともしない。
出られないと分かったのか、こちらを睨んだ。
「お、お前か!? お前が私を閉じ込めたのか!?」
「そうだと言ったらどうする」
ドッペルゲンガーはごにょごにょと俺の知らない言語で話し始めた。
メーレが訳してくれる。
「くそ、くそ……セスターと連絡を取れなくなった時点で、こうなる運命だったか……よもや人間にこれほどの者がいるとは。かくなる上は──」
ドッペルゲンガーはリンドブルムに顔を向ける。
「──この洞窟を崩落させろ!! すべてを地中に沈めるのだ!!」
勝てないと悟ったか。魔王国の存在を知られぬように、証拠の隠滅を図るのだろう。
その言葉に、親のリンドブルムは大空洞の壁に突進した。
大空洞全体が大きく揺れると、やがて天井から岩がばらばらと崩れ始める。
しかしこの規模の大空洞は簡単には崩れない。
つまり、時間はまだある……後処理は俺がやるとして、ルイベルには戻ってもらうか。
俺が顔を向けると、ルイベルは天井を見上げ狼狽えていた。
「ひ、ひっ!」
「落ち着け、ルイベル!」
俺は闇魔法で空洞の出入り口にあった鉄柵を破壊して言う。
「このまま地上へ逃げろ!」
「あ、ああ!」
ルイベルはそのまま大空洞の出入り口へと走り出す。
俺はメーレに言う。
「メーレ。すまないが、ルイベルについていってくれるか? 地上までの道が崩落しないとも限らない」
「任せて。私が彼を地上まで守る」
そう言うとメーレはルイベルについていってくれた。
やがてルイベルは出入り口に着くと、俺が動いていないことに気が付き振り返る。
「お、おい!! 早くしろ!」
「俺のことは気にするな。早く地上へ帰れ」
「で、でも!! このままじゃお前が」
「俺は死なない。守るべき者がいるからな。それよりもルイベル……お前の魔法、見事だったぞ」
ルイベルは俺の言葉に真剣な表情で耳を傾けた。
「願わくは、その力が多くの者を助けることに使われるのを願っているぞ、ルイベル」
俺は大空洞の出入り口に闇魔法を放つ。すると、出入り口にばらばらと砕けた岩が落ちてきた。
ルイベルは岩から離れるも、慌てて問うてきた。
「お、お前の名前は!?」
「名はない……いや、鼠の王とは呼ばれている」
「鼠の、王……ま、また会えるか!?」
「お前が正しい道を進むなら、また会うこともあるだろう──それまではお別れだ。ルイベル」
その言葉のすぐあと、完全に空洞の出入り口が岩で塞がれるのだった。