129話 強さ
大空洞の奥底にいたのは、リンドブルムの大群だった。
しかし大きいのは一体だけ。象ほどの大きさはあるだろうか。他は、犬ぐらいの小さな個体ばかりだった。
見たところ、リンドブルム親と子供たち、といったところか。大きい個体の奥にある水溜まりには、人の頭ほどの大きさの卵が無数にあるのが見えた。
ルイベルは薄暗い大空洞の奥に目を凝らして言う。
「暗くて何も見えないな……」
俺は魔力の反応を掴めたり龍眼を使うなりしてリンドブルムを認知できるが、肉眼を頼りにするルイベルには見えない。
「──《聖灯》!」
ルイベルの手から大空洞の天井へ白い光が放たれた。
《聖灯》は聖魔法でも基礎的な魔法で、攻撃というよりは明かりを確保するために使われることが多い。
しかし、ルイベルは聖魔法に恩恵を与える紋章では最高級の【聖神】を持っている。
《聖灯》はまばゆいばかりの閃光を放つと、大空洞全体を皓皓と照らした。
その光には、男たちも驚くような顔を見せる。
これほどまでに強力な魔法を使えるとは思わなかったのだろう。
しかしルイベルもまた口をあんぐりと開けて、周囲を見ていた。
奥に、見たこともない魔物が大量にいる。しかも、ドラゴンの一種であるリンドブルムが。
ルイベルと同じ立場なら、俺も恐怖するしかなかったはずだ。
大きい個体がそんなルイベルを威嚇するように、咆哮を響かせた。
大空洞全体を震わせるその咆哮に、ルイベルは思わず尻餅をついてしまった。
「ひっ!?」
男たちは突如大声を上げる。
「な、なんだ、この大群は!?」
「に、逃げろおおお!」
男たちは叫ぶと、大空洞の入り口へと走っていった。
「お、おい、待て!」
ルイベルは呼び止めるが男たちは振り返らない。
やがて入り口へ到達すると、鉄柵のようなものが下りてきた。
その鉄柵の隙間から、男たちは下卑た笑いを響かせる。
「へへ、感謝するんだな。ちゃんと魔物のいる場所まで案内してやったぜ──うわっ!?」
ルイベルはすぐに鉄柵へと火魔法を放った。
聖魔法ほどではないが、《聖神》は他の属性の魔法にも多少の恩恵を与える。
つまり、その火魔法もそれなりに強力。鉄柵を溶かすのには十分のはずだが……
俺の予想に反し、鉄柵はびくともしなかった。
奥の男たちは火だるまとなって消火に躍起になっていることから、魔法の威力は十分。
つまりは、あの鉄柵が頑丈すぎるのだろう。うっすらとだが魔力も宿しているから、魔鉱石が少し使われているのかもしれない。
ルイベルは愕然とした顔をする。
「こ、壊せない!? 僕の魔法がなんで!? ──ひっ!」
ルイベルが再びの大きな咆哮に振り返ると、リンドブルムがルイベルを睨みつけていた。
「あっ、あっ……」
圧倒されたのか、ルイベルは立ち上がることもできなかった。
だが、リンドブルムにその場から動く気配はない。卵を守るためか、あるいはルイベル 《聖灯》の力を見て警戒しているのか。自分から仕掛けてくることはなかった。
しかし、狼狽したルイベルは手をリンドブルムに向ける。
「──ぼ、僕の力をお前に見せてやる!! お前なんて、僕の魔法で消し炭にしてやる!! ──《聖陽》!!」
そう言うと、ルイベルは手に極大の光を宿し始める。
アンデッドなら浴びただけで瞬時に蒸発する光。聖魔法でももっとも強力な魔法だ。
その光は悪魔やアンデッドだけでなく、どんな魔物も焼き切ることができるほどだという。一方で相手が人間であれば、瞬時にその体を癒す力があった。
リンドブルムはそれを見て避けはせず、大きく体を回転させ天井を叩いた。
すると天井の大きな鍾乳石がルイベルとリンドブルムの間に落ちてくる。砕けた鍾乳石で壁が作られた。
放たれた《聖陽》は鍾乳石の壁に阻まれた。
「く、くそ!!」
ルイベルはすぐに立ち上がると、壁を迂回してリンドブルムを攻撃しようとした。
しかし壁の向こうにリンドブルムはいない。
鍾乳石の壁を軸に、ルイベルとは反対側のほうに走っていたのだ。
ルイベルはすぐに後ろに振り返る。すでにリンドブルムが目と鼻の先まで迫っていた。
「ひっ、ひい!!」
リンドブルムはそのまま大きく口を開く。
このままではルイベルが死ぬ──俺は咄嗟にルイベルの周囲に《闇壁》を展開しようとした。
《聖灯》の光で闇魔法は使いにくいが、ルイベルを守るだけなら──うん?
リンドブルムはルイベルを咬むわけでも魔法を放つわけでもなく、口から突風を吹かせた。
「うわ!!」
ルイベルは突風に吹かれると、水たまりへと吹き飛ばされる。
そんなルイベルに、リンドブルムはゆっくりと近づいていった。
「あ、あ、あ……」
ルイベルは何とか上半身だけは起こせたが、立ち上がれなかった。全身ががくがくと震え、足に力が入らないようだ。
メーレが呟く。
「あのリンドブルム……手加減している?」
「リンドブルムは雷魔法が得意なはず……相手が水に濡れた今、何故使わないのでしょう」
エリシアも言うように、リンドブルムは自分が使える中で最も強い雷魔法を使っていない。
単にルイベルを新鮮なまま食そうとしているだけだろうか? いや、微弱な雷魔法でルイベルを麻痺させる選択肢もあるはずだ。
……このリンドブルムは、いやいや戦っているように見える。
しかしルイベルにそんなことを察する余裕はない。
ルイベルは迫りくるリンドブルムを見て、何かに気が付いたような顔をした。
「く、来るな!! 来たらあの卵をたたき割るぞ!!」
ルイベルはそう言って、水たまりにある卵へ手を向けた。
さすがのリンドブルムもそれを見て危険と判断したのか、後ろ脚を蹴り一挙にルイベルへと突進する。
「ひ、ひいっ!? ──えっ?」
悲鳴を上げたルイベルだが、目を丸くする。
俺はルイベルの近くへと《転移》し、《闇壁》を展開した。
リンドブルムはすぐに大きく身を躱し、俺と距離を取った。
後ろからルイベルが訊ねてくる。
「だ、だ、誰だ?」
今の俺は仮面で顔を隠しフードを被って正体を隠している。だから、俺がアレクであることは分からない。
振り返って答える。
「……俺の名などどうでもいい。それよりも、これ以上の戦いは無用だ。あいつはお前との争いを望んではいない」
「は、はあ? あいつは魔物だぞ!! 汚らわしい、不浄な存在だ!! 僕たち人間を殺そうとしている!!」
「それは自分が見てきたことか? それとも誰かから教わったのか?」
「え?」
俺の言葉にルイベルは沈黙する。
全て、ビュリオスなどから吹き込まれたことを鵜呑みにしていることに気が付いたのだろう。
だが、ここで至聖教団やビュリオスを批判しても仕方がない。
「……人間を憎み蔑む魔物は俺も見てきた。人を殺すことを正義と思う魔物は多いだろう」
「そ、そうだ! だからこそ」
「だがそうでない魔物もいる。目の前のリンドブルムがまさにそうだ。あいつは、ただ自分の子供を守りたいだけ」
このリンドブルムには戦う意思がない。戦いを止めさせたかった。
……そしてルイベルも助けたかった。
ただ命を救いたい、というわけではない。それなら、《転移》で外へ運べばいい。
敢えて目の前で姿を現したのは、ルイベルに言いたいことがあったからだ。
もしルイベルがやりなおし前のような傲慢な人物に成長しないなら……そういう道を歩んでほしかった。
「……今のお前は、強くなりたいのだろう。何のために強くなりたいのかは知らないが……珍しい魔法を使うことや戦に勝つだけが強さではない。相手の心情を読み、時には戦いを避けることも強さだ。見てみろ」
俺はそう言って、リンドブルムに顔を向けた。
リンドブルムは警戒こそしているが、こちらに手を出そうとはしていない。
「先ほどから、あいつは逃げるための猶予を与えてくれている。お前が倒すべきは、単に子を守ろうとしているあの魔物ではなく、先程のお前を騙した人間たちじゃないか?」
「そ、それは……!」
ルイベルは俺の言葉に何も言い返せなかった。
紋章を授かる前から努力家で勉強家でもあった。俺の言葉を否定したこともなかった気がする。
とはいえ、今は紋章を授かった後。
俺が闇の紋章を授かったアレクと知っていれば、話を聞くことはなかっただろう。この状況で、全く知らない人間だからこそ、耳を傾けているのだ。
俺はリンドブルムに呼びかける。
「──邪魔をしたな。俺たちはすぐに出ていく」
リンドブルムは警戒したままだったが、しばらくして小さく頷いた。
こちらに戦意がないことが伝わったのだろう。
ルイベルももう戦うつもりがないのか、ずっと俯いたままだ。
俺の言葉が聞き届けられたか、あるいはあのリンドブルムに勝てないと悟っただけか。いずれにせよ、この場はこれで収められた。
俺はルイベルへと手を差し伸べる。
「行くぞ。立てるか?」
「くっ……大丈夫だ」
ルイベルは悔しいのか恥ずかしいのか、俺の手は取らず自力で立ち上がる。
俺はそれを見て、空洞へと歩き出した。ルイベルはリンドブルムをちらちらと見ながらも、後ろからついてくる。
あとは鉄柵を壊し、正面から帰る……その後で、リンドブルムたちに事情を聞いてみるか。
ルイベルに口止めを頼んだとして、聞き入れてくれる可能性は低い。この場所を話せば、衛兵が雪崩れ込んでくるだろう。
だから外へ連れていくことも含め、交渉してみるつもりだ。
魔物の言葉は分からないが、メーレやスライムのエリクなら意思疎通ができるかもしれない。
そんなことを考えていると、やがて鉄柵の向こうで笑みを浮かべている男に気が付く。
さきほどの男たちと思っていたが違う……いつの間にか、商人のような身なりのいい人物が立っていた。
「おやおや。もう一人子供がいたとは……残念ですが、ここからは出せませんよ」
男はそう言って奇妙な笑みを浮かべるのだった。
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