118話 鼠の王
「……ああ、よかったああ!」
アルスに着くなり、セレーナが俺の足元に縋り付いて泣きじゃくる。
セレーナはラーンと共に闘技場の入り口を封鎖していた。中で戦う俺たちには気付いていたらしいが、俺の命令を最後まで順守し入り口で待機していた。
というよりは入り口を開こうとするセレーナを、ラーンが必死に抑えていたらしい。
加勢に行きたくても命令は守らなければいけない。さぞかし葛藤しただろう──セレーナとラーンには心配をかけてしまった。
「すまない。とても連絡できる状態じゃなくてな」
「謝る心配はございません! 謝るとしたら、やはり安直な作戦を考えた私の責任」
「そんなことはない。作戦の立案には俺も加わったし、結果として俺らは勝てたんだ。こうして誰も失わずにな」
俺は皆に向けて言う。
「……俺も省みることがないわけではないが、今日は作戦の成功を祝おう。この作戦でこれから被害に遭う魔族を減らせたんだ。ティア。今日は、制限なく何を好きなだけ食べても自由だからな」
「チュー! やったっす!! 今日はパーティーっす!!」
ティアが言うと他の鼠人たちもチューと応じた。
誰かの歓迎会ほどではないが、アルスでは今日も賑やかな宴会が始まった。
一方の俺は執務室の机を前に座ったままだ。エリシアとメーレも一緒にいてくれているが──どうにも心が晴れない。
作戦の反省は別にすればいい。魔王国とリュセル伯爵の存在を踏まえれば、次はもっと上手くやれるはずだ。
晴れないのは、おそらくやりなおし前の俺が見聞きしたことと差がありすぎるからだろう。
やりなおしの前、俺は帝都にいたが、悪魔を見たこともなかった。まさかリュセル伯爵を騙る者が、地下であんな危険な計画を進めているとは夢にも思わなかった。
もちろん、やりなおし前は今回の計画はなかった可能性もある。俺がローブリオンの陥落を止め、魔王国が帝国へのアプローチを変えてきても何らおかしくない。
やりなおし前とは世界が変わってきている可能性がある──それが俺を不安にさせるのだろう。
だが、俺が闇の魔法を使い始めてからそれは避けられなかったことだ。
だから、それについて考えるのは終わりにしよう。
──もっと力を手にすれば、今回のように対応できる。
そんな中、メーレが俺の顔を心配そうに覗き込んできた。
「ご飯、食べに行かないの?」
「ああ、いや、食べるよ。 ……そういえば、メーレ。あの男──リュセル伯爵には見覚えはないんだな?」
「外見はもちろん、ああ言う口調の者で知っている者はいなかった。分身を使う者もいなかった。まあ、あの感じだと、姿も自由に変えられそうだけどね……だけど、お姉ちゃんでないことは確か」
「そうか。だが知り合いの可能性は?」
「ある……いや、高いかも。お姉ちゃんは多少の自我が保てていた。その術を身につけて、仲間に教えていてもおかしくない」
隣に立っていたエリシアが思い出すように言う。
「なるほど……ですが、あのリュセル伯爵は、そもそも闇の魔法や紋を使って悪魔となったのでしょうか? 闇魔法を使っているようには見えませんでしたし、剣で自分の首を斬って悪魔化していたようにも見えました」
「言われてみれば……普通の悪魔化とは違ったな。そもそもリュセル伯爵の紋章は【聖者】で知られている」
俺が言うとメーレが訊ねる。
「地下闘技場の偽物も同じ紋章だったの?」
「いや、手袋で見えなかった……」
「なるほど。では、闇の紋かは分からない、私たちの知らない悪魔を呼び出す方法──そんな方法もあるのかもね。あるいは、元から悪魔だったか」
メーレはそう言って難しそうな顔をする。
「いずれにしても、危険な相手になりそう」
「ああ。野放しにはできない。早速、ティカとネイトが地上にいたリュセル伯爵を調べてくれている」
あの激戦の後だ。
ティカとネイトにはもう休むよう告げたが、一秒でも目が離せない相手だと言って聞かなかった。
他の諜報部の眷属と交代で、至聖教団同様、リュセルも常時監視するらしい。
「だが、地上のリュセル伯爵は今日ずっと他の貴族と演劇を鑑賞していたそうだ。彼の屋敷も調べてくれたが、悪魔や魔王国との繋がりを示すものは一切見つかっていない。まだ調査の初日だから何とも言えないが」
「地下闘技場にもほとんど何も残さなかったんでしょう? 簡単に尻尾を出す男ではないわね」
「そうだな。だが、魔王国の装置を回収できた」
セスターが使った、生贄を捧げることでケルベロスを召喚した装置。
すでに魔力を発する機能は損なわれているが、何かしらの発見があるかもしれない。明日にでもユーリたち青髪族が分解して調べてくれることになっている。
「生贄を捧げ悪魔を召喚するなんてことは絶対やらないが、何かの魔導具に利用できるかもしれないからな」
「強力な魔力を展開できていただけでもすごいものね」
メーレの声に俺は頷く。
そんな中、エリシアが呟く。
「しかし、帝都には商いの調査で歩いていただけなのに、こんな陰謀を発見するとは」
「帝都は広いし人も多い。他にも俺たちの想像もつかないことが行われているんだろう……」
だがと俺は続ける。
「帝都に魔王国の残党がいたとしても、しばらく大っぴらに動けないはずだ。リュセル伯爵が複数だった場合も、片割れが消えたなら残ったほうも慎重になるだろう」
「至聖教団同様、大きな打撃を与えられたと見るべきですね」
エリシアの言葉に俺は頷く。
「ああ。それに狼人に俺たちの存在を伝えたし、エネトア商会の投書箱にも何か情報が寄せられるかもしれない」
帝都の魔族たちによる情報もを得られたと考えて良い。
「一つ不安があるとすれば、あまりに多く寄せられた場合、彼らの困りごとを処理できるかだが……」
「アレク様……全てをご自身で対応される必要はありません。アレク様のお力が必要でないものは、私や皆で対応いたします。人間のごろつき程度なら、この島の誰でも追い払えますから」
「そう、だな……皆、十分に強い。ありがとう」
エリシアが頷く中、セレーナが執務室の扉を開いて入ってきた。
「アレク様! まだここにおいででしたか! そろそろ食事にしましょう! アレク様がいないと不安で不安で」
「あなたは子供ですか、セレーナ……」
俺は椅子を立ち上がる。
「ありがとう、エリシア、メーレ。話を聞いてくれて不安が和らいだ」
相手が何者であろうと俺たちなら対処できる。過剰な心配は無用だ。
「食事にしよう。今日は何だろうな?」
「龍人が用意してくれた刺身の盛り合わせです!」
「刺身か……美味しいが食べ過ぎないようにしないと」
「心配ご無用です! ラーン曰く、大きいのが大漁だったようですから! いっぱい食べて大きくなられてください」
そう言ってエリシアは俺の背中を押した。
俺たちは執務室を後にし、いつものように食事を取るのだった。
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帝都では、狼人たちが早速、アレクたちのことを吹聴して回っていた。
酒場で路地裏で──帝都のありとあらゆる場所で、狼人たちは他の魔族に語り掛けていた。闘技場にいた狼人の誰もが、魔族を救う英雄のことを広めたくて仕方がなかったのだ。
しかし、耳にした魔族のほとんどは信じられないといった顔だ。
帝都の隅にある酒場。
そこでは牛の頭の魔族がエールを片手に呟く。
「地下水道に現れた魔族を救う英雄ねえ……どんなやつらなんだ?」
「鼠の魔族みたいなのをたくさん従えていた! 本人も小さかったから鼠かもしれない!」
「鼠……鼠の王か」
「ああ、鼠の王! きっとそうだ!」
「とても信じられねえが、覚えておくよ。その鼠の王の話。子供は喜ぶかもな」
魔族を助ける英雄の話は、鼠の王として帝都に広まっていく。
しかし今はまだ、ほとんどの者がおとぎ話だと笑い飛ばす程度だった。