117話 魔族の英雄
「た、倒せた……」
ティカはそう言って汗をぬぐった。
捕まえられなかったことを悔やむより、倒せたことに安堵しているらしい。
他の皆も勝利を喜ぶと言うよりは安心した様子だ。あのエリシアでさえもホッと息を吐いていた。
かくいう俺もようやく一息吐けた。本当に強力な相手だった。
そんな中、鼠人のティアが慌てて俺の前にやってくる。
「も、申し訳ないっす! 成り行きとはいえ、勝手なことを」
「気にするな。お前たちの判断は何も間違っていなかった。俺もいつも最善だと思う命令を下しているが、結果として正しくない可能性もある。お前たちは戦況を見て正しい判断をしてくれたよ」
ティアは照れるように後ろ脚で顔を掻こうとするが、兜を付けているので掻けない。
俺はティアたち鼠人や鎧族の実力を過小評価していた。
この闘技場を見つけたスライムのエリクにしろ俺の眷属たちは皆優秀だ。もっと皆に裁量を持たせるべきかもしれない。
もちろん、頼りすぎるのはよくない──しかし、頼りにしないのもまたよくない。
今回の戦いでそれを分からされた。
そんな中、闘技場の観客席で忍び歩きで逃げようとしている者たちに気が付く。
賭博をしようとしていた観客たちだ。
「動くな。お前たちには罪を償ってもらう」
そう言うと、すぐに鼠人や鎧族が俺の前に観客を連行する。
跪かされた観客の一人が怯えながら答える。
「お、俺はただ刺激的な賭けがあるって聞いただけだ! 魔族が憎いなんて思っちゃいねえ」
「嘘っす! あんた、さっき薄汚い魔族を殺せって言ってたっす! うちらは聞いていたっすよ!」
ティアがそう言うと、他の鼠人もチューと叫んだ。
俺は観客に向かって少し怒気を込めて言う。
「愚行の上、嘘を吐くとは──許せん。地上の人間に引き渡したとてお前たちの罰は軽い。ここは我らが直接」
「ゆ、許してくれ!! 俺が間違っていた!! バカだったのは俺だ!」
そう言うと、他の残った観客も自分たちが間違っていたと口にした。
罰を与えようと思えば与えられる。
しかし、彼らは今回の悪夢のようなできごとを目にした。これ以上、恐怖を与える必要はないだろう。
とはいえ、俺たちが魔族を救う恐ろしい存在だということは、この者たちにもっと植え付ける必要がある。
狼人に喋らせてやり方は決めよう。
俺は狼人に顔を向ける。
「──拘束されていたお前たちはどう思う?」
「俺たちは……俺たちは、あんたに任せる。あんたのおかげで助かったんだ。任せるのが一番だ」
他の狼人もそれに同調するように頷いた。
怒りに身を任せるでもなく、俺たちに任せるか……
俺たちに任せるのが最善と判断してくれたのだろう。
俺は観客たちに顔を向ける。
「命拾いをしたな……彼ら狼人の慈悲に感謝しろ」
「あ、ありがとうございます!!」
観客たちは礼を口にし、狼人たちに深く頭を下げた。
「すぐに地上の人間が来る。お前たちは今回のことを正直に報告し、罪を告白しろ。次に嘘を吐けば、どうなるか分かるな?」
「は、はい!! 必ず、ありのままを伝えます!」
「我らがお前たちの言葉を信じるのはこれが最後だということは忘れるな。 ……さて、同胞たる魔族たちよ。災難だったがもう安心しろ」
俺は観客から狼人のほうに顔を向けて言った。
「あ、ああ。本当に助かったよ」
「単に人間に玩具にされて殺されるだけと思ったら、まさかあんなやつらがいたなんて」
狼人たちはケルベロスや悪魔に驚いていたようだった。
しかしその中でも戦おうとしたのだから勇気がある。
「……俺たちも予想していなかった相手だ。人間だけではなく、魔物たちも魔族を利用しようとしているとはな」
「人間も魔物も、本当になんでこんなに俺たちを嫌うんだ……」
「ただ、平和に暮らしたいだけなのに……」
狼人たちが悲しそうに言う中、少し小さな狼人が目を輝かせて言う。
「な、なあ、俺たちもあんたたちの仲間に加えてくれないか!? 俺もあんたたちみたいに、魔族のために戦いたい」
「ありがたい申し出だ。お前たちは勇気があるし、俺たちを信用してくれた。お前たちの力は俺たちの助けになるだろう……だが、その前にここの皆に頼みがある」
俺が言うと、狼人の一人が口を開く。
「なんでも言ってくれ。命の恩人だ」
「俺たちのことを他の魔族に伝えてほしいんだ。俺たちは魔族を救うために動き出した。困ったことがあれば、エネトア商会にある銀色の投書箱に手紙を届けてほしい。解決が困難なことなら、俺たちが必ず助けに行く」
「つまり、あんたたちの存在を、魔族に広めるんだな?」
「ああ。そして魔族を受け入れる地を俺たちが用意出来たら……お前たちを迎えたいんだ」
その言葉に狼人たちは頷く。
「任せてくれ!」
「すぐに帝都をあんたたちの噂で持ち切りにするよ!」
「ありがとう」
そう言うと、礼を言うのは俺たちだと狼人たちは頭を下げた。
とりあえずこの場は一件落着だな。
あとはヴィルタスに任せよう。
ヴィルタスには狼人を誘拐している衛兵のことと、その狼人がこの闘技場に連れてこられたのを匿名の手紙で伝えてある。金も添えて。
セスターが狼人を迎えに来る前に、ヴィルタスが部下と共に自分の店を出たという報告があった。この闘技場のあるセルビカ区に向かっているのも確認している。
ヴィルタスはもう闘技場の近くに来ていてもおかしくない。
「では、俺たちはいかなければ。皆、撤収だ──」
俺の言葉に、鼠人や鎧族は隠し扉から出ていく。
あの隠し扉はゴーレムたちにすぐに岩で埋めてもらうことになっている。
ティカとネイトには装置と執務室などに置かれた物を回収してもらい帰還してもらった。
あのリュセル伯爵が何か情報を残しているとは考えにくいが、装置には何か発見があるかもしれない。
そうして最後に、闘技場の扉を見張っているセレーナに扉を開くよう伝令を送る。
やがて闘技場の扉がばたんと開いた。
俺はエリシアとメーレと共に姿を隠し、闘技場を見守る。
それから少しして、入り口から雄叫びが上がった。
入ってきたのは武装した魔族たち──ヴィルタスの部下たちだ。ヴィルタス自身も後ろから続いていた。
ヴィルタスと部下たちは、自由の身となった狼人と捕縛されている観客を見て困惑する。
「……ここで何があった?」
観客と狼人はありのまま起こったことをヴィルタスに報告した。悪魔やケルベロスのこと、そしてそれと戦った俺たちのことも。
「本当か? 悪魔やらケルベロスなんてそんな話……」
ヴィルタスの部下は信じられないような顔をしていたが、ヴィルタスは周囲を見て顔を青ざめさせる。
「闘技場をよく見ろ……あの床や壁の大きな亀裂は、巨大な魔物の爪痕だろう。しかも、周囲は乾いていない黒い液と血痕まみれ……とんでもない激戦があったのは確かだ」
ヴィルタスは部下に言う。
「……とりあえずは、狼人たちに拠点で食事と水を与えてやれ。皆、疲弊しているだろう。観客の人間はいつもの場所に連行しろ」
その言葉に観客たちは震える。
いつもの場所というのは、もちろん牢屋のことだ。衛兵のものではなく、ヴィルタスの店の地下にある牢屋。
一応、ヴィルタス自身も観客を尋問するのだろう。
「嘘を吐いていないと判断すれば、衛兵にそのまま突き出してやる。だが嘘を吐けば……」
観客たちはこくこくと頷き、ヴィルタスの部下に連行されていった。
それに続き、狼人もヴィルタスの部下の案内のもと闘技場を出ていく。
だが、ヴィルタスと少数の部下は残り、闘技場を調べはじめた。
すでにティカとネイトがあらゆるものを回収している。
ケルベロスや悪魔、観客の死体は消えたので、何も残っていない。
ヴィルタスはこれ以上の情報は得られないだろう。
ヴィルタスも何もないと察したのか早々にこう言った。
「……何も残っていないな」
「ええ、奇妙なぐらいに。 ……あいつらがさっき言ったことは本当なんですかね?」
兎頭の部下がヴィルタスにそう問いかけた。
「セルビカの衛兵からは地下の檻へ狼人を誘拐したことを吐かせてある。狼人たちが巻き込まれたのは確かだ。それにさきほどの観客たちのあの安堵した顔を見たか? 捕まると言うのにあんな顔は普通できない」
「先ほどまでいた魔族の英雄とやらが悪魔とケルベロスを倒してくれたから、安心しているっていうわけですね」
「そうだ。英雄の正体は調べる必要があるな……」
「……あ! もしかして弟さんとかじゃないですか? 前もトーレアス商会の魔族のことを伝えてくれたじゃないですか。旦那の店に来たわけだし弟さんも絶対魔族好きですよ、ありゃ」
俺の体が一瞬震えた。
しかしヴィルタスは首を横に振る。
「あいつは今、ミレスにいるはずだ。 ……まああいつの仲間は優秀そうだったから、そいつらの可能性はあるかもしれないな」
「なるほど。どちらにせよ、俺たちにとっては心強い味方ですね」
「そう、だな。これからも共闘できるといいが」
ヴィルタスのその言葉に、俺は少し安心する。
いまだヴィルタスの真意はつかみにくいところはあるが、少なくとも俺を敵とは見てないのだろう。
頼ってよかったな……
これからも魔族についてはヴィルタスと共闘していこう。
それから俺はヴィルタスが帰るのを見届け、自分もアルスに帰還した。