113話 帝都の共同戦線
俺たちは地下水道を進むセスターと狼人たちをつけていた。
檻から二十分は歩いただろうか。突然先頭のセスターが足を止める。
やはり、ばれているか──?
魔法を使えるよう警戒するが、セスターは自分の体を魔力で包む。
光が収まると、そこにはセスターではなくツレンがいた。
セスターはツレンの姿で再び歩きだす。
俺たちも尾行を再開した。
ティカが言う。
「……ツレンの姿に戻りましたね」
「闘技場では人間として振舞うんだろう。至聖教団の神官として」
「成り代わった者の姿で至聖教団に入った……至聖教団の情報を手に入れるためだけではなさそうですね」
エリシアはそう推測した。
「至聖教団は基本的に魔族嫌いの者が多い。魔族嫌いの者を引き寄せることができる。観客も魔族がやられるのを期待してきているやつらなのかもしれないな」
「観客はそんな感じでしょうね……しかしセスターはなぜ人間を喜ばせるようなことをするんですかね? 魔王国でも魔族は嫌われていますが、わざわざこんな場所まで来て殺しにくるとは思えません」
ティカはそう呟いた。
「……魔王国の者は、人間社会では知られていない魔法が数多あると聞きます。魔族だけでなく、観客の人間にも何かをするつもりなのかもしれません。でも、どんな魔法を使ってくるかは全く予想できませんね」
エリシアは珍しく不安そうに言った。
強力な相手なのは想定していたが、まさか正体が魔王国の者とは思わなかった。
彼等は帝国の自然に存在する魔物とは異なり、人間と同様に高度な文明社会を築いている。魔法と武具の技術力に関しては人間国家よりも進んでいるかもしれない。
「そうだな……さっきの笛の魔法も、悪魔が使う闇魔法とは違った。伯爵と呼ばれる男や他の仲間がどんな魔法を使うかも気になる。戦いになった場合、相当な激戦となるのは間違いない」
俺はティカに顔を向けて続ける。
「先に段取りを決めておこう……捕まえたい者たちは闘技場にもう集まった。セスターと狼人が闘技場に入ったら、狼人たちを闘技場の壁に作った隠し扉から避難させてくれ」
「承知しました」
「頼むぞ」
エリシアが訊ねる。
「それ以外は手はず通りでよろしいでしょうか? なるべく全員を捕縛するということで」
「ああ。しかし相手は魔王国の上位の魔物。難しいと判断したら、倒す方針に切り替えよう。俺も全力で魔法を使うつもりだ」
エリシアとティカは深く頷いた。
やがてセスターは地下闘技場の入り口の前へと到着する。
「入れ!!」
狼人はその声に従い、闘技場へと続く通路を歩いていく。
俺たちもそれに紛れ、中へと入った。
そんな中、通路の脇で複数の人間が立っていた。
その中には立派な貴族のコートに身を包んだ壮年の男がいる。
ティカが耳打ちする。
「皆、観客ではなく胴元です。中央の壮年の男が伯爵と呼ばれているそうです」
「あいつは……」
伯爵と呼ばれた者は俺も見たことがある男だった。
「リュセル伯爵……帝国北部に領地を持つ正真正銘の伯爵だ。だが彼は……宮廷で至聖教団を真っ向から非難していた男だ。領内では魔族も真っ当なお金で働かせているって聞いたのに」
「それが魔族を見世物にする……彼もツレン同様、偽物が成り代わっていると?」
「そう考えるのが普通だな」
リュセル伯爵が至聖教団と対立していたのは、やり直し前ずっとそうだった。
至聖教団の長ビュリオスも彼には相当手を焼いていたのを覚えている。
闇の紋章を持つ俺とすれ違った際は、他の皇子と同じように俺に頭を下げていた。俺を皇子として扱う数少ない人物だ。
何か他に交流があったわけではないが、誰にでも分け隔てなく接する高潔な人物──
そんな人物が魔族を戦わせお金を儲けているなんて信じられない。いや、信じたくないのかもしれない。
……やり直した後の俺の行動によって、リュセル伯爵も違う未来を歩んでしまったのだろうか。
ともかく、彼は今、狼人たちを殺めようとしている者の一派。
なんとしても無事に狼人たちを助けなければ。
そんな中、リュセル伯爵がセスターに声をかける。
「ちゃんと連れてきてくれましたね。皆、実に美しく逞しい者たちだ」
「はあ? 混血が美しいなんてどこがだよ……気持ち悪っ! ……お喋りはいいからさっさと始めるよ、人間さん」
セスターはリュセル伯爵にそう言った。
人間──セスターは確かにリュセル伯爵をそう呼んだ。
リュセル伯爵は人間のままで、ツレンのように成り代わったわけではないのだろうか。
それにセスターとリュセルの関係はお世辞にも親密そうには見えない。
セスターはリュセルを蔑むような顔で見ると、さっさと闘技場のほうへ向かってしまった。
一方のリュセルは悲しげな顔で呟く。
「……人間も、魔物も、魔族も、結局はすべて食われてしまうのに。哀れなものだ」
すべて食われる……何にだ?
そんな疑問を浮かべながら、俺はリュセルの隣を過ぎ去ろうとする。
その際、リュセルがこちらに目を向けた──気がした。
だが、リュセルは闘技場のほうに目を向けている。
そして誰に言うでもなく呟く。
「……その日にすべては一つに収束し、一つに戻る。私たちは流れに身を任せることしかできない」
リュセルの言葉は、至聖教団の者とも魔王国の者とも思えないものだった。
その日──メーレやヴェルムの霊レヴィンが話してくれた、天使と悪魔の決戦の日のことに違いない。
また、一つになるという言葉にも覚えがある。
何かが一つになったのではなく、一つが複数に分かれた話。
メーレが話してくれた、魔法と属性の話だ。
この世界にはもともと闇の魔力しかなかった。
それが分かれて他の属性の魔法が生まれた……
一つになるとは、またすべてが闇に戻るということだろうか?
ともかく、リュセル伯爵の言葉は悪魔との関係性を疑わせるものだった。
まさか……メーレの姉メリエの仲間なのか?
とはいえリュクス伯爵自体はまったく悪魔には見えない。
そうなると、闇と悪魔を信奉する人間たち──拝夜教団の信徒なのかもしれない。
何故魔族を攫う必要があるのかは分からないが、闇の魔法や紋章を嫌っているわけではない魔王国となら拝夜教団が共闘していてもおかしくはない。
拝夜教団は悪魔を増やしたいし、魔王国は悪魔が増えれば人間国家に打撃を与えられる。
しかし拝夜教団の信者がこの時代にもいたとは……
あるいは、メリエが暗躍し帝国内で信徒を増やしているのだろうか。
妹のメーレは、悪魔になっても相当な自我を残していた。
メリエも理性を保ちながら組織的に行動していてもおかしくはない。
魔王国に拝夜教団……厄介なのは至聖教団だけじゃないってことだな。
だが、渡りに船とも言える。
逆に考えれば、これは彼らの陰謀を止める絶好の機会だ。
セスターはともかく、リュセル伯爵を捕らえられれば相当な情報が得られるはず。
──メリエの所在もつかめるかもしれない。
俺はもう一度リュセル伯爵へと振り返る。
リュセル伯爵は執務室へといったん戻るようだ。
「……ティカ。セレーナの部隊に闘技場の入り口を封鎖させろ」
「はっ!」
そう言うとティカは闘技場の外へと向かう。
「エリシア、行くぞ」
「はい! 何があろうと、必ずやアレク様をお守りいたします」
エリシアの力強い返事はいつも安心感を与えてくれる。
不明なことが多い相手だが、俺とエリシアたち眷属なら必ず無力化できるはずだ。
そうして俺は、セスターと狼人たちが入っていく地下闘技場へと足を踏み入れる。
闘技場はけたたましい騒音に包まれていた。
「おお、哀れな魔族が来たぞ!!」
「帝国に巣くう汚らわしい狼どもめ!!」
「さっさと殺せ!! キャンキャン鳴くゴミどもを殺せ!!」
観客たちは狼人たちに聞くに絶えない罵声を浴びせてくる。
すべての狼人が入場すると、闘技場と通路の扉が閉じられる。
観客席が一層盛り上がる中、ツレンに化けたセスターが一礼した。
「皆さま」
セスターが口を開くと、観客たちは声を潜めていった。
「本日はよくお越しくださいました。皆さまはこの魔族闘技場の栄えある最初のお客様でございます。どうかこれからも末永く──いえ、永遠に当施設をお楽しみいただければ幸甚に存じます」
その言葉に観客たちが騒ぎ出す。
「おい!! 挨拶はいいからさっさと血を見せろ!!」
「ありったけ突っ込んでんだ! さっさと戦え!!」
セスターは一瞬イラっとするような顔を見せるが、すぐに笑顔に戻る。
「……大変申し訳ございません。それでは早速本日の魔族を紹介いたします! 最初の魔族は、狼人!! こともあろうに魔物のコボルトやウェアウルフと交わった穢れた者の末裔です!! なんとおぞましい!!」
殺せと観客が声を上げる。
「ええ! もちろん、彼らは死ぬべきです!! だが、ただ死なせるのは生温い! 皆さまも呆気なくては面白くないでしょう!! 故に! この笛で彼らを狂乱させます!!」
セスターは再び笛を手にし演奏を始めようとする。
また闇魔法が来る──俺は狼人たちに【闇壁】を展開し、近くに控えていたティカに言う。
「ティカ、頼む!」
「はっ!!」
先程とはまた違う笛の音が響くと、闘技場の壁に設けていた隠し扉が開いた。
「皆、こっちへ!!」
ティカが隠し扉の隣でそう言うと、狼人たちは一斉に隠し扉へと駆けこむ。
「っ!? お、おい! 戻れ!! ──なんで従わない!? 魔法が切れたのか!?」
セスターはすぐにまた笛を吹き始める。
しかし狼人たちは瞬く間に闘技場から出ていってしまった。
「──な、なんで僕の魔法が効かないんだ!? 戻れ!! クソ!!」
突然の出来事に闘技場は騒めきだす。
「ど、どうなっているんだ?」
「魔族が消えたぞ!」
「おい! 戦わせるんじゃないのか!?」
狼人たちは特に抵抗を受けることもなく、闘技場の外へ消えた。
俺は仮面を付け、自らの姿を現す。
「彼らは戦わない──この賭けは終わりだ」
闘技場の者たちの視線が俺に注がれるのだった。