112話 芝居
「君たちを、助けたいんだ」
セスターの言葉に狼人たちは一瞬にして沈黙する。
俺たちが助けると言って数日経たないうちに、新しく助けたいと申し出る魔物が現れた──
もし同じ立場なら俺でも混乱するだろう。
セスターは困惑する狼人たちにやさしく語り掛ける。
「今まで辛かったよね……人間に良いように使われ、馬鹿にされ、殴られて……だけどそれも今日で終わりだ」
セスターはそう言いながら自らの手に魔力を宿し始めた。
闇の魔力か……
ストゥムという魔物は魔法に長けている。死霊を使役する魔法など、人間では扱えないような魔法を使うと言われていた。
それほどの相手となると、計画を変える必要があるかもしれない。何よりも狼人たちの命が最優先だ。
俺はすぐに狼人たちに【闇壁】を展開しようとする──しかしその必要はなかった。
セスターの放った闇の魔力は狼人たちの檻の錠に宿った。
それからすぐにガチャンと錠が外れ次々と落ちていく。
セスターは言葉を紡ぐ。
「君たちは自由だ。だが、まだ自由ではない。本当の自由は、最も尊き御方──魔王様の御許でのみ与えられる」
魔王様……
あのセスターは帝国と海を挟んで南にある魔王国の者のようだ。
まさかこの帝都に魔王国の手の者がいるとは──やり直し前も彼らは帝都で活動していたのだろうか。
その割には帝都で魔物の事件があったという報告はなかった。
狼人の一人がすかさず訊ねる。
「お前は魔王国の魔物……魔王の部下だっていうのか?」
「……部下? なんだそのつまらない響きの言葉は」
セスターは少し苛立ったように見えたが、すぐに先ほどのように微笑む。
「ああ、いや。そんな表面的な関係じゃないってことを言いたかっただけ。 ……魔王様は我が主! 僕は魔王様の眷属で、ただの魔王様の一部に過ぎない! 身も心もあの御方のために存在するんだ」
セスターは仰々しく両腕を開き、天を仰いで言った。
小声でティカが呟く。
「……なんか心酔っぷりがエリシアさんみたい」
「否定はしませんがあんなのより私のアレク様への愛のほうが強いですよ」
エリシアが苛立つように返した。
静かにしろと言いたいところだが、先程の小声も含めセスターには俺たちの声は聞こえていないようだ。俺が先ほど【闇壁】を展開しようとしたことも気付いていないように見える。
もちろん狼人たち同様匂いで俺たちの存在に気付いている可能性もある。
いずれにしても気付かないふりをして、こちらの出方を窺っているだけかもしれない。
とはいえ、先程の魔力の集める速度も見たが悪魔ほどではなかった。
現時点では倒せる相手、と思っていい。
狼人の一人は少し引いた様子でセスターに話しかける。
「あ、あんたが魔王の眷属とやらだってのは分かった。だがその眷属様が俺たちに何の用だ」
「僕は魔王様から、ルクス大陸の魔族たちを救出せよと仰せつかったんだ。 ──喜べ! 君たちは魔王国の臣民になれるんだ!!」
セスターは嬉々としてそう言うが狼人たちの反応はいまいちだ。
狼人の一人が言う。
「魔王国ね……あんた、私たち魔族が何も知らないとでも思っているのかい?」
「人間世界で虐げられているのは事実だ。だが魔王国でだってずっと虐げられてきた」
「そうだ。どうせお前らだって奴隷にしたいだけだろう」
人にも魔物にも嫌われている。
狼人をはじめとする魔族たちなら誰もが知っていることだ。
セスターは笑顔のまま言う。
「魔王様もそれには心を痛めておいでだったんだよ。だから最近、魔族を魔物と同等に扱う様お触れを出したんだ」
「証拠はどこにある? 俺たちが知っている魔王は人間の王と変わらず頑固で──」
「っ──人間!? 人間だとぉ!? 魔王様を人間ごとき下等生物と同列に語るな!!」
セスターは急に声を荒げた。
狼人たちはセスターの豹変ぶりに驚く。
「ああ、ごめん……ああ、くそ、だるいなあ」
そう言ってすぐに笑顔を作ろうとするが、すぐに大きな笑い声を響かせた。
「ははははは! もういい!! 魔法で片づければいい!! 面倒な雑種どもめ!!」
セスターはそう言うと、司祭服から棒状の何かを取り出した。
杖ではなく、笛……しかし黒くごつごつとしており、様々な動物の髑髏の彫刻が施されている。
ティカがすかさず言う。
「セレーナさんが商人に騙されて買っちゃいそうな笛みたい……」
「確かに買ってきそうですが……ふざけたことを言っているときではありませんよ。アレク様、いかがいたします?」
エリシアの声に俺は頷く。
「笛で魔法を使うのかもしれない。狼人たちに【闇壁】を展開する……気が付かれるかもしれないが、仕方ない。もし防ぎきれないようなら【転移】で狼人たちとともに逃げる」
俺は自分と狼人たちの前に【闇壁】を展開した。
一方のセスターは笛を口の前に持ってくる。
「喜べ……僕が奏でる至高の笛の音を聞けるんだからな……」
そう言ってセスターは笛を奏で始めた。
美しい音と共に、周囲に闇の魔力が広がる。
思わず寝てしまうような魅惑的な笛の音が耳に届く。
空でも飛べるのではないかという高揚感が沸き上がってくるほどの、美しい奏でだった。
しかし笛の発した魔力のほうは俺の【闇壁】により阻まれる。
セスターの演奏は十秒も経たずに終わった。
「ふっ……お前らみたいな混血に聞かせてやるなんて反吐が出るよ。ああ、魔族は行儀もなってないなあ。ここは拍手だろ? ──拍手だ!!」
セスターがそう言うと、狼人たちは即座に拍手した。
「それでいい。ちゃんと雑種にも通用しているみたいだな……さっさと檻から出て僕についてこい!!」
その言葉に狼人は皆無表情で従う。
ティカが焦るように言う。
「あ、アレク様。もしかしたら狼人たち笛で操られちゃったんじゃ」
「セスターはそうしたかったんだろうな。だけど……」
セスターについていく狼人の数名が俺たちのほうに向かって目配せする。
「【闇壁】で防げた。皆、やつの言葉に従ったふりをしてくれているんだ」
「芝居の上手い方たちですね。匂いで私たちの位置も分かっているのでしょう」
俺たちは作戦の前に衣服をよく洗浄し、体を隅々まで洗った。それでも狼人たちは気が付けたらしい。
エリシアの声にティカが頷く
「一方のセスターの芝居はまだまだですね。プライドが高く魔法には自信があるようですが工作員としては二流です」
「まだまだ経験が浅いんだろう。とはいえ、まだ芝居をしている可能性は捨てきれない」
先程の【闇壁】を使った時魔力の動きをみられた可能性はある。
そして狼人同様、匂いで俺たちに気付いているかもしれない。
「罠かもしれないが、闘技場に向かうのは確かだろう……向こうにはセレーナや皆も待機している。このまま追おう」
そうして俺たちは狼人を連れたセスターを追った。