109話 地下闘技場
地下にあったのは、広い円形の広場とそれをぐるりと囲む観客席だった。
俺が良く通った競馬場に似た空間。
しかし、競馬場は楕円形でありここまで綺麗な円形はない。
「──闘技場か」
セレーナもそう言った。
エリシアが呟く。
「戦いで観客を楽しませたと言われる場所ですね。一方が死んだのを喜ぶ……しかしそういった武闘技はもう」
俺は頷いて答える。
「残酷だということで、とっくの昔に禁止されているはずだ。闘技場の遺構がいくらか残っているが、兵の訓練場だったり劇場の使われているはず」
「残酷な見世物と呼ぶ者は私の時代も多かった。禁止されて当然ですね」
セレーナはそう答えると首を傾げる。
「しかし──なぜこんな地下にあるのでしょう。まさか不法な武闘をここで──いや、今はそれよりも」
セレーナの言う通り、今はエリクの無事を確認するのが先だ。
俺たちはすぐに周囲に目を向ける。
すると柱の陰からこちらに向かってくる青いスライム──エリクがいた。
「エリク、無事だったか」
俺たちが近づくと、エリクはぴょんぴょんと跳ねる。
特に怪我などはないようだ。
「よかった……」
「まったく、アレク様を心配させて……あなたは私たちの子供のようなものなのですからね」
エリシアはそう言ってエリクを愛おしそうに抱きかかえた。
まあ子供は分からないが、もう家族みたいなものだ。
セレーナも安心したように息を吐く。
「無事で何より。しかしどうされます、アレク様?」
「そうだな。やはりここからは《転移》できないようだ」
何度も《転移》を試すが使えない。
「闘技場を包む魔力を取り払う必要があるが……調べてからでもいいかもな」
エリシアとセレーナが頷く。
「そうですね。魔力の正体も気になりますし」
「見た目も少し不気味だ。遺構にしては綺麗すぎるというか」
セレーナの言う通り、闘技場は非常に綺麗に手入れがなされていた。
「今もここが使われていたりしてな。誰もいないようだが……魔力の反応の正体は向こうか」
観客席の下に出入り口のような窪みが見える。四方にあるが、その一つの窪みから魔力の反応があった。
エリシアは剣の柄に手をかけて言う。
「人か何かですか?」
「いや、小さい。装置か何かだろう」
「装置……魔道具ですか」
剣から手を放すエリシア。しかしその顔には憂いが残ったままだ。
そのような装置があることからも、ここが重要な場所なのは間違いない。
いつ作られたかは分からないが、最近置かれたのだとしたら結構な技術の持ち主がいることになる。
「魔力では見えない罠があるかも……慎重に進もう」
俺はそう言って、観客席の下の窪みへ近づく。
やがて窪みの中に小さな柱のようなものが置かれているのが見えてきた。
「魔力を発しているのはこれだ……しかし何の魔法が記憶されているんだ?」
エリシアは周囲に目を凝らして言う。
「魔力の属性は……聖でないことは確かですね」
「闇でもない。他の属性でもない。今はまだ魔力を展開しているだけのようだな」
セレーナが大剣を振り上げて言う。
「では、壊しますか?」
「いや、先も言ったがこれぐらいなら魔力を吸収して一時的に止めることもできる。こいつはとりあえず放置しておいてもう少し調べてみよう」
「はい!」
そうして俺たちは窪みの奥側へと向かう。
通路に繋がっているようだ。
「窪みの向こうは回廊か。観客席の下は通れるようにしてあるみたいだな」
俺はそう言って回廊を歩き始める。
「これは……」
回廊の側面に鉄の檻が並んでいるのが見える。
ここに閉じ込めた者を戦わせていたのだろう。
中には誰もいないが足枷などの拘束具が置かれていた。
セレーナが置いてあった鉄鎖を手に取って言う。
「錆びていないし油も注されている。最近まで使われていたようだ」
「拘束具以外は何もない……食器もないし、遺体があるわけでもない。ずいぶんと綺麗すぎる気がしますね」
エリシアも檻の中を観察しながら言った。
「ずっと閉じ込めておくわけじゃなくて、一時的に留めておく場所なのかもな……もっと調べてみよう」
二人が頷くのを見て俺は再び歩き始める。
檻が続く中、やがて両開きの扉を見つけた。
「闘技場から出られるようだな。魔力の壁も向こうには続いていない」
「一見すると錠もついていないようですね。開けますか?」
エリシアがそう問うので、扉の向こうの魔力を探ってみる。
魔力壁に阻まれてはいるが反応はなさそうだ。
「大丈夫だろう。開けてくれ」
俺がそういうとエリシアがゆっくりと扉を開ける。
扉の向こうはまた回廊。
回廊の奥のほうからは水の音が聞こえるので、地下水道に繋がっているようだ。
そして回廊の側面には片開き扉が一つ見えた。
「あの扉を調べてみよう。魔力の反応はないから大丈夫だ」
「はい! ただ、こちらは鍵穴が……あっ」
エリクが扉の鍵穴に粘液状の体を伸ばしてねじ込む。
それからすぐにガチャンと錠が開く音がした。
「さすが、エリク! では開けましょう」
エリシアが扉を開くとそこは執務室のようになっていた。
棚が並び、中央には机が置かれている。
「ほとんど何もないな……なんの書類だ?」
机の上に置かれた手紙に目を通す。
「色々問題はありましたがなんとか混血のコボルトを自前で手に入れました。これでようやく我らの計画が始められそうです。三日後に混血のほうは連れていきますから貴殿は観客の手配をお願いします。別にいなくてもいいのですが、しばらくはお金も必要なのでね──か」
手紙には文章だけが書かれていた。
差出人も宛名もない。書きつけのようなものだろうか。
セレーナが首を傾げて言う。
「混血のコボルト? 魔物のコボルトのことでしょうか」
「おそらくは、狼人たちのことだろう……魔族ではなく混血のコボルトと書いてあるのは引っ掛かるが」
エリシアも頷いて言う。
「混血なのは確かですが、侮蔑するにしてももっとストレートに魔族とかコボルトとか言うのが普通ですよね。あるいは狼人たちを捕まえた衛兵みたいに犬とか……私もだいたいはオークか豚と呼ばれていました」
寂しげな顔で言うエリシアの背中をセレーナが撫でる。
エリシアもこの短い文をおかしく思ったようだ。
実際に魔族として生きてきたエリシアが言うのだから間違いない。
「いずれにせよ蔑称なのには変わりはない。許せない話だ……」
「アレク様、私のことはどうかお気になさらず……しかし興行とはまさか」
「闘技場に連れてくるわけだからな。一番に考えられるのは狼人たちを戦わせ、観客に賭けをさせて金を取る……そんなところだろうな」
魔族を蔑み、さらに彼らの命で金を稼ごうとする──見下げはてたやつらだ。
怒りが湧いてくるが冷静にならなければ。
「だが、いなくてもいいとはどういうことだ?」
「観客がいなければお金は入りませんよね? 自分たちだけでも楽しむということでしょうか」
エリシアが言うとセレーナが顔をしかめる。
「なんという悪趣味なやつらだ……」
「そういう変な奴らも確かにいるだろう。だが、実際のところはまだ分からないな」
「ええ。とっ捕まえて全て吐かせましょう!」
「ああ。だが他には書類を何も置いてないことや名前を隠しているのを見るに、この闘技場を使っている者たちはかなり用心深い者たちと見ていい。慎重にいかないとな」
俺は手紙をもとの場所に戻して言う。
「……ともかく狼人がここに連れてこられるのはほぼ間違いないのは分かった。もう少し調べてティアたちと合流しよう」
エリシアとセレーナは俺の声に頷いてくれた。
俺たちはその後も闘技場を調べた。
他に部屋はなく、あとは檻だけ。
執務室のあった回廊の奥はいくつもの施錠された扉があり、その向こうが地下水道となっていた。
観客席のほうも施錠された扉の向こうが地下水道だった。
しかしどちらの地下水道も地上への階段は遠い。最寄りの階段まで十分ほどかかった。しかも出た場所は広場の隅。
どこかの商会が絡んでいるとかまでは分からなかった。
また、調査の間誰か来ることもなかった。
分かったのはあの闘技場が引き渡し場所ということだけ。
とはいえ、それだけでも十分な成果だ。
場所が分かれば罠を仕掛けられる。
俺たちはティアたち眷属と合流し、地下水道の調査を終えるのだった。