105話 帝都地下水道
俺たちは狼人を捕らえた衛兵の荷馬車を追っていた。
逮捕から十分ほど追っているが、衛兵たちが俺たちに気づくことはなかった。
そんな中、メーレが周囲の街並みを見渡しながら言う。
「街の様子がだいぶ変わってきたね」
「ああ。もう万国通りじゃなくて、ここはセルビカ区だ」
「へえ。何か特別な場所なの?」
「いや、帝都のよくある地区の一つだよ」
帝都の大部分を占める居住区の一地区──それがセルビカ区だった。
万国通りとは異なり低い階層の建物が多く商店も少ない。
あっても小さなパン屋や工房ばかりだ。
人通りも少なく、先ほどまでの人ごみが嘘のようだ。
俺は続けてメーレに答える。
「商売する場所というよりは、住む場所と言っていいかな」
「なるほど。変な場所ではないんだね」
「ここ自体はね。だけど」
マーレの言葉に頷くと、俺はエリシアに顔を向ける。
「このセルビカ区にも衛兵の詰所はあったな」
「はい、各地区に詰所はあります。ですが、万国通りにもあったはずで、あそこの詰所は他の地区よりも大きい。なぜそこに囚人を連れていかないのでしょう?」
「帝都中央の衛兵隊本部に向かうことも考えられるが、セルビカ区に行くのは遠回りだ。中央に行くなら、万国通りを進めばいいだけだからな」
「万国通りは人が多くて、荷馬車を走らせにくい。人ごみを避けていることも考えられそうですが……」
魔族が捕えれた時の違和感も含めれば、やはりおかしい気がする。
「……尾行を続けよう」
それから荷馬車と衛兵を追跡することさらに数分。
荷馬車がようやく止まった。
しかし詰所の前ではない。
人気の少ない小路でだ。
一見何もない小路だが、目を凝らすと地下へと続く階段があった
御者が荷馬車から狼人を下ろして担ぐと、他の衛兵と共に階段を下りていく。
「……詰所ではなさそうだな。姿を隠して追おう」
俺は自分に《隠形》をかけて、エリシアとメーレは《隠形》を付与したブレスレット──影輪で姿を隠す。
メーレが言う。
「地下牢ってやつ?」
「可能性はあるが……階段には扉がない。もちろん階段の下に扉がある可能性もあるが……」
衛兵の後を追い階段の下を覗き込む。
下にも扉はなく、どこか広い空間に続いているようだった。
「牢獄とはとても思えないな。俺たちも下りよう」
階段を下ると、ざあっと何かが流れる音が聞こえてくる。
川のような音とカビの臭い──地下水道か。
やがて目の前に水路が見えてきた。
脇には歩廊があり、衛兵はその歩廊を進んでいく。
メーレが小声で言う。
「人の作った川……これって、アルスにもあったやつだよね」
「ああ、地下水道だな」
アルスにもある地下水道。
帝国の古い都市の地下にはよく見られるものだ。
しかしここ帝都のものは規模が違う。
何千年も前に帝都全域の地下に張り巡らされてからも、絶えず拡張や改修が行われてきた。
結果あまりにも複雑な構造になってしまい、管理と整備が追いつかず崩落したまま放置されている箇所も多数存在する。
今や地下水道の構造を完全に把握している者は誰もいないほどだ。
現在では盗賊や密売人などが隠れ家のように使っていると聞く。過去には魔物が住み着いたこともあったとか。
もちろん衛兵も巡回しているが、その大きさでとても取り締まりきれないようだ。
この帝都地下水道は無法地帯と言っていい場所だった。
こんなところを地下牢として使っているのか……?
俺は衛兵を追い、歩廊を進む。
壁には松明が括り付けられており、歩くのに苦労はしなかった。
水路は無数の分岐があり、人の入れないような小さな水路も見られた。
どこがどう繋がっているか、俺にはさっぱり分からない。
しかし衛兵たちはこの入り組んだ水路を右に左にと迷わず進んでいく。
それから数分ほど追跡していると、広い場所に出た。
アルスの地下にもあった池のような場所。
池をぐるりと囲む歩廊の上には、鉄の檻がいくつも置かれていた。
周囲には鉄鎖や重りなどの拘束具も見える。
檻の中にはすでに囚人がいるようで、歩く衛兵に声を浴びせる。
「お、おい! 出してくれ!!」
「私たちは無実よ! なんでこんなところに!」
そう訴えるが、衛兵は見向きもせずに気絶させた狼人を空いている檻へと入れる。
──捕まっている者たちは皆魔族か。
人間はいない。
しかも全員、狼人の魔族たちだ。
こんな場所に魔族用の地下牢を設けているのか……?
逮捕の仕方から見れば、彼らは魔族を人だとは思っていない。
人間と違う牢を用意したのだろうか
また、魔族の話を聞いているとより酷い環境であることが窺えた。
「出してくれないならせめて水だけでもくれよ! もう三日も飲まず食わずなんだ!」
「俺もだ! このまま餓死させるつもりか!?」
ここの狼人たちは水も飲み物も与えられていないようだった。
彼らのほとんどが痩せこけている。
衛兵たちは捕えた狼人を閉じ込めながら答える。
「ワンワン吠えるな、小汚い犬ども。何度も言っているだろう。ここにいるのは一時だけだ。明後日には皆ここを出してやる」
「それじゃあ餓死しちまう! 隣のそのガキはもうずっと寝たきりなんだぞ!」
狼人の一人はそう訴えた。
彼の隣にはぐったりと寝転ぶ狼人の子供がいる。
その子供だけでなく、他にも声すら出せないほど衰弱した狼人もいた。
しかし衛兵たちは狼人の檻に鍵をかけて言う。
「別に餓死したっていい。引き取り手は死体も引き取るって言っているからな」
衛兵はそう答えると、やってきた水路にさっさと戻っていく。
「引き取る!? 出してくれるんじゃないのか!?」
「どこに連れていくつもりなんだ!? お前たち、絶対衛兵じゃないだろ!?」
狼人たち声を荒げるが、衛兵たちは笑って答える。
「衛兵じゃないのに衛兵の格好ができると思うか? 言っとくが俺たちは本当の衛兵だ。お前たちの家や家族のことだって調べ上げているぞ。逃げようだなんて思うなよ?」
衛兵たちの言うことが本当かは分からない。
そもそも本当に衛兵かも不明だ。
しかし狼人たちからすれば家族に危害が及ぶかもしれないという怖さがある。
去っていく衛兵たちを見て、狼人たちは愕然とするしかなかった。
やがて狼人たちが口を開く。
「俺たちは何もやってないのに……」
「皆そうだ。いい仕事があるからって呼び出された。今運ばれたあいつもそうだろう」
どうやらここの狼人たちは同じ手口で嵌められたらしい。
街では狼人の窃盗が多発していると聞いたが、誰かが彼らを捕まえるために謀ったのだろう。
「あいつら、俺たちをどうするつもりだ?」
「……恐らく、トーレアス商会みたいに奴隷として売り払うんだろう」
狼人たちの言うようにそれが一番考えられる。
しかしトーレアス商会の件が明るみになって間もないのに、また奴隷売買をしようと考えるだろうか?
狼人ばかり狙っているのも気になる。
労働力だけなら、他の種族もいていいはずだ。
なんというか、不可解なことばかりだな……
だが今はそれよりも狼人たちを助けなければ。
このままでは死んでしまいそうな者もいる。
俺はエリシアとメーレに言う。
「……まずは彼らを助けよう。だけど、解放してもさっきのやつらが本当の衛兵ならまた捕まえようとするかもしれない」
エリシアが頷いて答える。
「はい。それに引き取り手が慎重な者なら、囚人が脱走したと聞いて慎重になるかもしれません」
「ああ。引き取り手──黒幕も誘拐を表沙汰にはされたくないはずだからな。もしこの件が露見して騒ぎになったら、衛兵たちを切り捨てて自分たちは助かろうとするだろう」
「それから時間をおいてまた同じことをするか、あるいは今度は別の手法で魔族を捕らえようとするかも……黒幕を逃せば厄介ですね」
「ああ。だから黒幕もちゃんと捕まえる必要がある。彼らの安全を確保するには……彼らの力が必要だ。彼らと話してみよう」
俺は魔族たちに声をかけることにした。