104話 ずれゆく世界
「久々の帝都! 楽しいですね、アレク!」
エリシアは俺の手を握りながら言った。
なんだか上機嫌だ。
俺とエリシアは今、帝都の万国通りを歩いている。
アルスの資金を稼ぐため、何か売れそうなものはないか。
あるいは悪魔や天使に関する情報がないか。
特に決まった目標はなく、情報収集中だ。
人ごみをかき分けながら万国通りの店を見たり、人々の話に耳を傾けていた。
ユーリ、セレーナ、ラーンもこの万国通りに来ているが、俺たちとは別行動だ。
単純に別れた方が情報が手に入りやすいだけでなく、あまり同行者が多いと目立ってしまう。
俺の顔を知るやつに気付かれると嫌なので、別々の行動となった。
もっと言えば一人のほうが都合が良かったが、そこはエリシアたちが許してくれず……結果、エリシアが同行することで落ち着いた。
だから俺は今、街の人らしく白シャツに短パンという格好をして、エプロンドレスを着るエリシアと手を繋いで歩いている。
振り返ると、そこには興味深そうに街並みを観察するメーレがいた。
メーレも初めての帝都ということで、一緒に回っている。
「メーレ、帝都はどうだ?」
「本当に人が多いね。こんなに人が多い街があるなんて」
「この世界で人間が最も集まる街だからな。もちろん魔族も住んでいるが」
「人間も魔族も、いろいろな人がいる……これだけいるなら、お姉ちゃんもいそうな気がしてきた」
「人に紛れていたり……あり得そうではあるな」
悪魔の中でも、黒衣の女メリエは強いと見ていい。
人に化ける魔法を使えてもおかしくない。
エリシアは呟く。
「しかし、万国通りはいつも平和ですね」
「そう、だな」
あまりにも平和な帝都を見て、あることに気がつく。
やり直し前、帝都の人々は常に不安そうにしていた。
しかし今は、そうではない。
その理由の一つは、やはり外的な脅威がないからだろう。
俺は以前、陥落するはずだったローブリオンを助けた。
やり直し前、魔王国はそのローブリオンを橋頭堡に帝国南部へ侵略を繰り返していた。
帝都の人々は常に侵略に怯えていたのだ。
しかし今、誰も魔王国なんて言葉を口にしていない。
どこか他の国に攻められているわけでもなく、皆平和を謳歌していた。
自分のおかげだなんて言いたいわけじゃない。
ただ、やり直し前とは世界が変わってしまっている……
魔王国の者たちの戦略も変更を余儀なくされているはずだ。
もちろん考える者たちはそうそう変わらない。
ローブリオンでは青髪族たちを利用しようとした。
今後も魔族を使おうと企んでいる可能性もある。
帝都は警備が行き届いているから、そう簡単にはいかないだろうが。
万国通りだけじゃなくて、魔族たちの多い地区を見る必要もあるかもな……
メーレが俺の顔を覗き込んで言う。
「何かあった?」
「ああ、いや。別の通りも見てみようかなって。それよりもメーレは大丈夫か? 人混みがすごくて、疲れたんじゃないのか?」
「そんなことは……いや、お腹は減ったかもしれない」
メーレの視線は、飲食店のテラス席に向けられていた。
細長いグラスにチョコレートが注がれていて、上にクリームなどが乗せられている。
とても甘そうなパフェだ。
俺の好みではないが、メーレはそれを興味深そうにじっと見ている。
「よし、あの店で食べるか」
しかしメーレは慌てて答える。
「ご、ごめん。食べるならアルス帰って魚をもらうから大丈夫」
「そこまで余裕がないわけじゃない。たまには外食もいいだろう」
俺が言うとエリシアもうんうんと頷く。
「で、でも」
「遠慮するな。何か商売のヒントがあるかもしれない」
「たまには甘えることも重要ですよ、メーレ。さあさあ、いきましょう」
エリシアはそう言ってメーレの手を引き、飲食店へ向かう。
そうして俺たちは飲食店のテラス席で食事をすることにした。
俺はパンでも頼むつもりだったが──エリシアがすぐに店員へ三人分のパフェを頼んだので、それをいただくことにした。
到着したパフェは見た目ほど甘くなく、甘党でない俺でもちょうどいい甘さだった。
「……美味しい。こんな食べ物があるなんて」
メーレは俺の闇魔法を見た時以上に驚いていた。
こういう手の込んだものは食べたことがなかったのだろう。
エリシアも食べながら言う。
「本当に美味しいですね。クッキーやミントの盛り付けも綺麗ですし、熟練の料理人が作ったのでしょう。通りも見渡せますし、いいお店ですね」
「アルスにもこんな場所があればな」
今のアルスも決して悪くないが、こういう店のような場所も増やしていきたいところだ。
パフェ自体はあっという間に食べ終えてしまい、皆で食後の茶を飲む。
そんな中、何やら通りのほうが騒がしくなってきた。
「うん? なんかあったのか?」
騒ぎに目を向けると、人が何かを避けているようだった。
そして人だかりの視線の先には、追う者と追われる者がいた。
鎧の男たちが、ボロ布を纏った狼頭の者を追っている。
追っているのは衛兵のようだ。
追われているほうはおそらく魔族だ。狼人と呼ばれる魔族だろう。
衛兵が追いながら叫ぶ。
「泥棒だ!! その狼人を捕まえてくれ!!」
「俺は無実だ!! 何も取っていない!!」
狼頭──細身の狼人はそう答えて逃走を続ける。
「任せろ!」
通行人の一人はそう言って足を出し、人狼を転ばせた。
「っ!?」
「今だ! 捕まえろ!!」
転んだ人狼に衛兵の男たちが覆い被さる。
人狼はバタバタと抵抗しながら叫ぶ。
「俺は何も奪ってねえ!!」
「嘘をつけ、この盗人が!! ……ほら、この金貨! 店から奪ったやつだ!!」
衛兵の一人は狼人の袖の下を弄ると、一枚の金貨を取り出して掲げた。
狼人は必死の形相で訴える。
「そんな金貨知らねえ! 俺のじゃねえよ!」
「当たり前だ! お前のような薄汚い魔族が稼げるようなものじゃない!!」
衛兵が言うと、周囲は狼人に軽蔑の眼差しを向けた。
「また魔族か」
「本当、泥棒するしか能がないのかしら」
誰も助けてくれない中、狼人は衛兵に手枷と足枷をはめられる。
「俺は何も知らねえ……ただ、仕事があるからってあの店に……いや、騙されたんだ! 誰か、助けてくれ!! 俺ははめられたんだ!」
「黙れ!! さっさと歩け!!」
立たされた狼人はなおも抵抗しようとするが、衛兵たちに殴られ倒れ込む。
衛兵の暴力は止まらず、蹴られ続けた狼人は気を失ってしまった。
メーレは思わず声を震わせる。
「ひどい……話も聞かないで一方的に」
「メーレ……気持ちはわかりますが、どうか手は出さないでください。それにこういう光景は、珍しくも何もないのです」
エリシアは真剣な表情で呟いた。
「おい! それぐらいにしておけ! 死んだらどうする」
声を上げたのは荷馬車の御者だった。
御者は荷馬車を止めて言う。
「乗せていけ。連れていくぞ」
「へいへい」
その言葉に衛兵たちは狼人を荷馬車の荷台へ投げ込んだ。
衛兵隊と契約している御者だろうか?
それにしては到着が早いな。
狼人を乗せた馬車は衛兵たちとその場を離れる。
それを街の人間は冷ややかな目で見ていた。
「しかしここら辺は最近多いな、魔族の泥棒」
「仕事がないんだろう。戦でも起これば仕事にありつけるんだろうが、平和なこのご時世にあんなやつらを使うやつは誰もいねえ」
命のかかる危ない仕事でもなければ魔族は食っていけない……実際のところ、魔族はそういう環境下で生きている者が大半だ。
だから魔族の泥棒も珍しくない。
ローブリオンが陥落していれば、魔王国との戦いで多くの人が駆り出される。
あの魔族も仕事にありつけたのだろうか──そんなことも考えてしまった。
だが今はそれよりも腑に落ちないことがある。
「なんか、違和感があるな」
俺が呟くと、メーレが訊ねてくる。
「違和感?」
「馬車の到着があまりに早い。たまたま通りがかったか近くにいただけかもだが……」
それにと俺は続ける。
「そもそも店の金貨を盗もうとして、一枚だけ盗むだろうか。金貨だけじゃなくて、銀貨や銅貨だってあったはずだ」
「気付かれないように一枚だけ盗んだ可能性や、一枚だけあったのを盗んだ可能性もありますが……少し妙ですね」
エリシアの声に俺は頷いた。
「前の衛兵はあんなに暴力的じゃなかった。衛兵が通行人に捕まえてくれって言うのも変だ。最近、魔族の泥棒が増えていると言うのも気になる」
俺は席を立ち上がる。
「……食事も済んだことだ。少し尾けてみるか」
エリシアもメーレも席を立って頷く。
そうして俺たちは捕まった狼人の後を追うことにした。