100話 人と悪魔
セレーナは黒衣の少女をゆっくり地面に寝させる。
ラーンは回復魔法で治療を開始する。
「息は……ある。回復魔法も効いているようです」
ラーンはホッとした様子で言った。
黒衣の少女は無事だったようだ。
いつ目覚めるかとか後遺症はないかなど心配はあるが、ひとまず救出成功と言っていい。
エリシアは腕を組んで言う。
「しかし、どういうことなのでしょう? この邪竜が少女に憑りついていたのでしょうか?」
「でも、邪竜って闇の力を使って悪魔に乗っ取られた存在だったよね? 前のラーンたちの祖龍も、悪魔に操られていたわけだし」
確認したわけではないが、祖龍がそうだったように、邪竜は悪魔に操られている可能性が高い。
事実、今倒した邪竜を見ると、先程までのまがまがしさが嘘のようだ。
覆っていた闇の魔力は消え失せ、鱗は黒ではなく鮮やかな赤色になっていた。普通のドラゴン、というのも変だが、邪竜には見えない。
つまり、このドラゴンの中にいた悪魔は消えたのだ。
だが、俺たちは悪魔を倒したのを目にしてない。
ただ、少女を体から出しただけ。
では、この少女は悪魔なのか?
しかし、このドラゴンを操っていた少女もまた、他の誰かに操られているように見えた。
先程まで会話できたことからも、悪魔とは考えにくい。
「そうだ……彼女が人間なら」
俺は腰を下ろし、少女の両手を確認する。
そして袖を少し捲り、隠されていた手の甲を確認した。
人間なら、紋章があるはず……
だが、この子には──
「紋章が、ない」
「え?」
人間や魔族なら誰しもが持つ紋章。
彼女の手には、それがなかった。
セレーナは思い出すように言う。
「……私が黒衣の女と戦った時、彼女の手にも紋章は見えませんでした」
「でも、その黒衣の女は拝夜教の巫女なんでしょう? 闇の紋を持つ人を崇める宗教の」
ラーンの疑問にエリシアが答える。
「悪魔と化した人の手からは、紋章は消えている……」
「じゃあ、つまりこの子は……」
ユーリだけじゃなく、皆が少女を見て驚くような顔をした。
「──悪魔」
ラーンが呟く。
「人間にしか見えないのに……」
「それに、さっきまで話せてた──あっ!」
ユーリは言葉の途中で声を上げた。
少女が目をぱちぱちと開いたのだ。
「意識が戻った! 今、水を」
ラーンはすぐに腰に提げていた水筒を少女に差し出そうとした。
しかし少女は、突如周囲から魔力を集め、それを闇の魔力へと変えた。
俺は慌てて《闇壁》で防ぐ。
黒い瘴気が収まると、少女は少し離れた場所へ一瞬で移動していた。
人の速さではない。
おそらくは、《転移》を使ったのだろう。
また、少女の体は闇の魔力で覆われていた。
少女は頭を抱えながら苦しそうに呻く。
「……逃げて……いや……あなたたちなら」
少女は声を振り絞り、はっきりと言う。
「──殺して、私を」
やがて少女は悲痛な叫びを上げると、黒い瘴気を放ってきた。
「くっ!!」
エリシアは聖魔法で黒い瘴気を瞬時に打ち消す。
先程の邪龍とはくらべものにならないほど、弱弱しい魔力。
少女を纏う魔力も微弱だ。
倒そうと思えば、簡単に倒せるだろう。
だが、そんなことは当然したくない。
「聞いてくれ。君を助けられるかもしれない」
少女は闇魔法を放ちながらも、俺に答えてくれた。
「そんなこと……できない」
「できるはずだ。俺の眷属になるんだ」
「眷属……? じゃあ、あなたは」
「悪魔ではない。俺も闇の紋章の持ち主だ」
「悪魔じゃないのに、なんで眷属が……それに、闇の魔力を動かしていたのは」
「俺だ」
少女は痛むことも苦しむことも忘れ、驚くような顔をみせた。
「なんでそんなことが……あなたは、悪魔に操られてないの?」
「ああ。今のところ、体を勝手に動かされたことはないな」
「信じ、られない……普通は私たちみたいに」
再び少女はこちらに闇魔法を撃ってきた。
「きっと、私たちの知らない術があるんだろうね……それを知っていれば、こんなことには」
少女は真剣な面持ちで言う。
「私はもう手遅れなの……お願いだから、私を殺して」
「俺の眷属になれば、君の行動を制御できるはずだ。ここにいるセレーナも、そうだった。だから」
「私だってそうしたい……でも、悪魔がそれを許さない。眷属にしたいなら、もう眷属にできているはずだよ」
少女は俺を信用し眷属になりたいと願っているようだ。
しかし体を操る悪魔がそれを許さないのだろう。
「だから早く私を……ニンゲンを殺さないと──お前たちを殺す!!」
少女は野太い声を発すると、手に大きな紫色の光を宿し始めた。
ユーリが悲しそうな顔で言う。
「っ! ……やるしか、ないの!?」
そんな中、エリシアが俺に言った。
「アレク様……悪魔と戦ったときのこと、覚えていますね」
「ああ。最後は皆、人間の人格に戻っていた」
エネトアの息子は俺たちに商会の未来を託し、トーレアスは裏切ったエネトアへ謝罪を口にした。
ティカとネイトも、悪魔化した幼馴染ミアリが最後に人格を取り戻していた。
ここから分かるのは、悪魔を弱体化させると、体の主導権が悪魔から持ち主に戻るということ。
俺が少女から闇の魔力を吸い出せば、彼女が自由に動けるようになるかもしれない。
それにこの少女今まで戦っていた悪魔と比べ、はるかに人間らしさが残っている。
きっと、人間に戻せるはずだ。
闇の魔力を奪い、悪魔を黙らせよう。
「ああ、もう面倒だ……弱き悪魔よ、やるならすべての魔力を以て俺を撃てよ。お前程度の魔力では、それで傷一つ付けられるか怪しいからな」
挑発するように言うと、少女の体が黒い瘴気に包まれる。
「っ!! ……弱いニンゲンが!! 消し炭にしてやる!!」
分かりやすい煽りに乗ってくれたな……
以前は恐ろしい存在としか思っていなかった悪魔だが、戦いを重ねているうちに弱さも見えてきた。
まずは挑発に乗りやすいということ。
そしてとても戦況を把握できているとは思えない言動。
俺が闇の魔力を使っていることなど、疑問にも思ってないのだろう。
ただ強大な力で暴れるだけの存在……
もちろん個体差はあるだろう。とんでもなく理知的なやつもでてくるかもしれない。
そうして待っていると、やがて少女が両手から黒い瘴気をこちらに撃つ。
途切れることのない瘴気は、先程の邪竜のブレスによく似ていた。
「アレク様!!」
「大丈夫だ!」
俺は《闇壁》を以て、それを防ぐ。
実際、挑発の言葉のように余裕と思っていたが、結構な威力だった。
「くっ──よし」
少女は黒い瘴気を撃つのをやめる。
それを見てすぐに、俺は少女の周囲に集まる闇の魔力をこちらに引き寄せた。
闇の魔力はすぐに少女から引き離される。
「なっ!? 移動が……魔法が!」
魔力が扱えないせいで《転移》も使えないようだ。
困惑する少女に俺は呼びかける。
「今なら体の自由が利くはずだ!」
「人間ごときが私の体を……なっ……ま、待て、耳を貸すな!」
苦しそうに頭を抱える少女。
「やめろ……! 私はあなたの──やめろ!!」
少女は悲鳴を上げると俯いた。
だがしばらくすると、ゆっくり顔を上げて真剣な面持ちで言う。
「……私を──眷属にして」
「分かった」
そう言うと、少女の体が光に包まれる。
光が収まると……そこには、先程までと変わらない少女がいた。
しかし、その顔からは苦しそうな表情が消え失せていた。
少女は自分の両手を胸の前に持ってくると、驚く様な顔で言う。
「体が……動く。悪魔の声が──聞こえない」
俺は顔を少女に頷く。
「自由になれたんだ」
「ううっ……ありがとう……ありがとう」
少女は再び涙を流す。
だが、すすり泣くのではなく、大声で泣いていた。
こうして黒衣の少女は悪魔から解放された。