皇帝と聖女
誤字報告いつもありがとうございます。
✳︎ ✳︎ ✳︎
月の光を映したような銀の髪とルビーの瞳が美しい、レーゼベル伯爵夫人の侍女。まだ幼さの残る姿と、完璧な立居振舞の彼女の出自は不明だ。どこかの貴族の隠し子ではないかという噂まであった。
「奥方様、本日はこちらをお召しください」
「……もしかして、またレオンが買ってきたの?」
「左様でございます」
「ねえ、二人でいる時くらい前みたいにしゃべってくれないかな?」
銀色の三つ編みをしたヒナギクは、完璧に侍女に擬態できるといったあの日から、侍女の態度を崩すことがなくなった。
「それは出来ません。敵を欺くにはまず味方からと言いますから」
「敵……?」
侍女にとっての敵ってなにかしら?とリリアは不思議に思って小首を傾げる。
その姿を見たヒナギクが、微笑ましいものを見たかのような表情をした。
「はぁ。本当に危機感が少ないわ。奥方様は私より腕は確かなのかもしれないけれど、妊娠しているから尚更、誰に狙われるか分からないのよ!」
「……それはそうかもね」
リリアとレオンの子どもは、リリアの魔力の出力が安定しないことから考えて、双子のうちのどちらかは闇の魔力を持っているだろう。
闇の魔力の有用性は、すでにレオン団長が証明している。そして、もしかしたら光魔法をもう片方の双子が持っているのかもしれない、そうリリアは感じている。
帝国との国境がきな臭い。そう言ったレオン団長は、カナタと斥候に命じて国境線の偵察をさせている。
(何も起こらないといいけど)
残念ながら、今夜は遅くなるとレオン団長が今朝出かける時に言っていた。待っていたいけれど、妊娠中のせいか、眠くて仕方ない。その夜リリアは早めに眠りについた。
夜遅くレオン団長が、そっと髪に触れてきた気がしたけれど、リリアが目覚めた時には、レオン団長の姿はなかった。
それでも、やはり帰って来たのはリリアの夢ではなかったようで、テーブルの上には山盛りのサンドイッチが用意されていた。
「流石にこんなに食べられないわ」
ヒナギクと一緒に食べようかと、部屋の外に出ようとドアを開くのに外に出られない。
「やられた……結界が張ってある」
何か緊急事態が起こったのだろう。リリアを守るために、レオン団長は部屋に結界を張っている。
リリアは閉じ込められてしまったようだ。
(結界を解く手立てはあるけれど、最終手段にしたい)
リリアはため息をつきかけて、そのまま息を止める。幻にしてはあまりにはっきりと、少しだけお腹の膨らんだもう一人のリリアが扉の前を通り過ぎて行ったから。
「……ヒナギク」
ヒナギクの幻影に違いない。リリアは、慌てて部屋の奥に向かう。
「私の身代わりになろうとしているの?!」
ここまで事態が深刻なんて、なぜレオン団長はいつも一人で解決しようとするのだろう。どうして相談してくれないんだろうか。
テオドールが作ってくれた、闇魔法の結界を解く道具を手に取って……。
「こんな時に……」
魔道具を手にしたその瞬間から、リリアの魔力が消えてしまった。
最近は、魔力が安定しなかったけれど、完全に使えないなんて。
まるで「行ってはいけない」とでも言うように。
リリアは、部屋から脱出するのを一時的に諦める。光魔法が使えないなら、無理に出てもリリアが戦力として戦うのは難しいから。
「いいわ。タイミングを見計らうことにする。カナタさん、いるんでしょ?」
天井に向かって呼びかけるリリア。レオン団長の結界を抜けることができるのは、カナタしかいない。
「……奥方、ここで大人しくしていろよ。一人の体じゃないんだから」
「わかってる。それに今は魔力が使えないみたいなの。……それより何があったのかくらいは教えてくれるよね?」
リリアの脳裏に、一瞬青い髪の男の姿が浮かぶ。おそらく間違いないだろう。
(……帝国皇帝直属騎士団、フィール・ラピス)
「青い髪の男?」
「奥方の時々見せる洞察力には、感服するよ」
「カナタさん。ヒナギクが、私の姿に変わって通り過ぎていったけど?」
「――あいつは詰めが甘いんだよな。ああ、フィールが謁見を申し込んできたのは、聖女様にだからな」
帝国が聖女にどんな用事があると言うのか。
それに、私の身代わりとして対応しているヒナギク。ヒナギクの幻影を知っている相手の前に出るなんて。
「ダメ!!やっぱり私が行かないと」
「あっ、おい?!」
テオドール様に貰った魔道具をやっぱりリリアは使うことにした。誰かを身代わりに、自分たちだけ助かろうとか、本当に性に合わない。
「ごめんなさい、カナタさんが心配してくれてるのわかってる。でもね……」
そう心に決めた瞬間から、使えなくなっていた光魔法が「頑張って」とでも言うように今までになく力を増すのを感じる。
「うわ……その力、ちょっと引くんだけど。今なら、我が主も倒せるんじゃ?」
流石にそれはないと思う。
「いや……奥方だけはいつでも我が主を倒せるな?」
それはそうなのかもしれない。
レオン団長は、リリアの前ではほんの少しの警戒心もないから。
ガシャンッとガラスが割れるような音を立てて、結界が破壊された。
✳︎ ✳︎ ✳︎
――――結界が破壊された。
フィールを目の前にして、鋭い視線をしたレオンは動揺を表に出さないことに苦慮した。
少しでも動揺を見せれば、おそらく青い髪の男には、すぐ気が付かれてしまうだろう。
隣に座る、リリアの姿をしたヒナギク。
多分、フィールはリリアではないと分かった上で、素知らぬ顔をしている。
「それで、帝国の使者殿は我が妻へ会いたいとのことでしたが、どういった御用向きですか?」
「聖女殿に皇帝陛下はお会いになりたいそうです。実は陛下はもう、こちらに向かっておられます」
レオンの背中を、冷たい汗が伝う。
あの男に先手を取られた。
戦場で戦った帝国皇帝は、一度手に入れると決めたものは決して諦めない。
「そうですか。それでは宴の準備をしなければなりませんね?」
「我が君はそのようなこと気にされませんが」
「使者殿は宴の用意ができるまで、ごゆるりとお過ごし下さい。――――失礼する。行くぞ、リリア」
レオンは立ち上がり、踵を返す。
内心の動揺を表に出すことはない。
だが、もしリリアに何かあれば。
冷たいそれはリリアには決して見せることがない表情だった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
結界が壊れると、目の前に一人の男性が立っていた。優しそうな微笑みと不遜な態度、明らかに人の上に立つ人間だ。
「――――聖女と辺境伯の屋敷に招かれず訪れるとは、いくら帝国の皇帝陛下でも許されることではありませんよ?」
リリアは背筋を伸ばして、聖女の仮面を被る。聖女は、皇帝陛下や国王陛下にも、場合によっては跪く必要がない。
「……どうして俺が皇帝だと思う?」
皇帝は想像していたよりも、ずっと若かった。
もしかすると、リリアと同じくらいの年かもしれない。それでもその立居振舞すべてが、帝王教育を受けていると証明している。
それなのにブロンドに翡翠色の瞳、優しそうな微笑みからはうわさに聞く戦争での戦い方や冷酷さとは無縁の王子様といった印象を与える。騙されてしまいそうだが、レオン団長から聞いている情報から考えても気を許してはいけない人間に違いない。
「……見ればわかりますよ」
「ふーん。流石にあの男に見初められただけあって、度胸があるな」
「……」
強い威圧に背後に控えるカナタすら、アメジスト色の瞳を見開いて身動きが取れずにいる。
「ああ、俺から贈ったアメジスト。気に入ってくれているようだな?」
その瞬間、黒い風が吹き込んだようにリリアの目の前に、レオン団長が立っていた。
「屋敷に入った曲者なら、切っても誰も文句は言わないだろうな?」
「……ああ、いいなその瞳。やはりお前はそうでなくては」
「戦争になろうが俺は構わない。リリアに害になるものは全て切る」
「……やはり欲しいな。奥方も連れてきてくれて構わないのだが。帝国に来ないか?」
黙ったままレオン団長は圧を強めた。
私はハラハラと、二人の様子を眺めるしかない。
いつの間にか侍女の姿にもどっているヒナギクが、私の腕を引く。
「ああ……ルビーまで献上しているんだ。少し配慮してくれても?」
カナタとヒナギクの雰囲気が変わる。臨戦態勢は良くないわ。このままでは本当に戦争が起こってしまうかもしれない。
「……豪華な宝石を頂いて感謝していますわ。毎日大切にしております。代わりとしてよろしければお礼の品をご用意いたしますわ?」
「聖女様の下さる品か……魅力的だな。あなたたちの子どもが娘ならいただこうかな?まあ、今日のところは聖女様の顔も拝見できたことですし、そろそろ帰らなければ。今度はぜひ、我が帝国にいらしてください。歓迎しますよ?」
そういうと、皇帝の姿は消えてしまった。いつの間にか、控室からもフィールの姿は消えていた。
「はあ……。屋敷には強力な結界を張っていたのに。リリアの傍、ますます離れられないな」
「……今度閉じ込めたら、私たちだけ王都に帰りますから」
「え?!いや、リリアたちを守るために」
私たちを守るために、誰かを犠牲にするなんて私には許せない。もちろん、一人の体ではないことを理解しているけれど。
「一人で決めるのだめだって言ってるよね?」
「……ごめん。それに、閉じ込めるとリリアはより危険なことをするって理解できた気がする。自信あったんだけどな、あの結界」
いつの間にか、カナタとヒナギクはいなくなって、私たち二人きりになっていた。
「――――それを選びたいならどこか遠くで家族だけで過ごしてもいいんだよ?」
「……うそだな。すべて大事で守りたいって顔してる」
いつの間にか、たくさんの大切なものに縛られている。
だからこそ、たぶん毎日は輝いている。
「……リリアだけ守るには、この力も思いも大きすぎて、リリアのことを壊してしまいそうだから。大切にしているものごと、守らせて」
「そうだね……レオンの大事なものはまだ増えるから。絶対に大事なものを離さないで?」
新しい家族たちが、私のお腹の中でポコンと元気に動いた。
私たちは、いつか帝国の地を踏むことになるのかもしれない。
それが、戦いの末ではないことを今は祈るだけだった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
『☆☆☆☆☆』からの評価やブクマいただけるととてもうれしいです。




