消えた幼なじみ
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「ふぅ。この一杯のために生きている」
斉藤七瀬29歳は、終電間近の電車を降りて、コンビニで買ってきた缶ビール煽った。くるりとまとめていた髪の毛からシンプルなコーム引き抜くと、緩くクセがついたロングヘアが揺れる。
七瀬の仕事は、総合病院の看護師。
「今日も忙しかったなぁ」
ワンルームマンションの小さなテーブル前に腰を掛けた七瀬はつぶやいて、本日のお仕事を思い返してみる。
朝からナースコールは鳴り続け、救急車がいつもより多く運び込まれた。集中治療室に配属されている七瀬は、一般病棟よりも多い点滴と格闘しながら一人一人の患者様の不安を減らしたいと笑顔で声をかけた。
いつもであればもう少しは早く帰れるのだが、病棟の消灯時間を過ぎても、残っていた記録や退院される患者様のための書類など仕事が山積みで。
今日は同僚の看護師たちが帰ってからも仕事が終わらずこんな時間になってしまった。
本日の管理当直担当だった看護部長が巡視時に、まだ働いている七瀬を発見し「斉藤さんは今月の残業時間が多いわ。早く帰りなさい」と少しきつめに声をかけてきた。このところ病院も残業には神経質で、長く残っていると看護部長に叱られる。
――――しかし、このご時世。記録の必要量は年々増えている気がするし、患者様の高齢化も進むばかり。看護師の仕事が減るわけはないのだ。
ましてや七瀬は最近主任になったばかり。最近は忙しさに拍車がかかっていた。
(明日の夕方からは夜勤だ。今晩は少しゆっくり過ごそう)
毎日たしかに忙しい。人には「大変なお仕事だね」と言われるけれど、七瀬はこの仕事を誇りに思ってるし、好きだとも感じている。
そんな七瀬は、多くの仲間がそうなりがちであるように、やりがいのある仕事が恋人になっていた。
患者様のお孫さんとゴールインしたとか、医師と結婚したという先輩や同僚も数人なら知っているが、基本的に職場に出会いはないのだ。
七瀬は冷蔵庫から出してきたつくりおきのおかずを温めつつ、缶ビールを一口飲んで、少しだけため息をついた。こんな時に思い出すのは、いつも同じ顔。…同じ思い出。
「木下くん…」
七瀬だって、今まで好きな人が一人もいなかったわけではない。幼なじみへのほのかな恋心ではあったけれども。
――――七瀬。
目を瞑ると、なぜかいつも眉にしわを寄せて、少しだけ不器用にこちらに笑いかけてくる幼なじみの顔が浮かんだ。
声変わりして低くなった、七瀬にとってはほんの少し違和感を感じるその声も。
いつの間にか抜かれてしまった、クラスの男子たちの平均よりも少し高いその背丈も。
そんな幼なじみが、消えてしまったのはちょうど今の季節。卒業式を間近に控えた寒い日だった。
――――今から伝えたいことがある。家で待ってて。
携帯から聞こえた、その言葉が七瀬が彼の声を聴いた最後となった。
その電話があったきり、彼は消えてしまった。
(あれからもう11年…)
混乱した様子のトラックの運転手と通行人たちが『目の前でトラックにはねられた。』と証言したらしい。しかし、現場には彼の携帯電話が落ちていたものの、その痕跡はどこにもなく、失踪として片づけられた。
(私たちは、何でも話し合える仲だった)
七瀬と木下くんは、家が近かったこともあって小さいころからよく一緒に遊んでいた。同じ高校に進んで年頃の男女になっても疎遠になることはなく、クラスメートに揶揄われながらも、彼はいつも七瀬を構ってくれていた。
珍しくあんなに真剣な声で『伝えたいことがある』って言っていたのに。木下くんが帰ってくるのを待っていた七瀬を置いて、彼が何も言わずに目の前からいなくなるなんておかしい。
「どう考えても、おかしい」
彼がいない毎日は、なんだかとても色あせて見えた。そんな思いを振り払うように、看護学校へと進んだ七瀬は勉強に、実習に打ち込んでいった。看護学校では友達もできたし、仕事も忙しいながらも順調だ。
でも、忙しく過ごしていても少しでもこんな時間があると、思い出すのは彼の事ばかりだった。七瀬が仕事にのめりこんでいったのも、彼のことを思い出すのが寂しくて、いつも忙しくしていたいという思いがあったのかもしれない。
――――ズキンッ。
最近は、いつも頭痛がする。仕事は最少人数で回しているから、主任になったばかりの七瀬はもちろん休むことはできない。
しかし、突然後頭部をハンマーで殴られたような痛みが七瀬を襲った。
(木下くん…)
そのまま世界が暗転し、七瀬の意識はそこで途絶えた。
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七瀬「今日は救急車が多いわね!」
後輩ナース「主任!ダブルチェックお願いします。」
七瀬「了解!わあああ!お高い薬割った!」
後輩ナースたちは、優しくなんでも知ってる七瀬に憧れているが、ドジなところは微笑ましく見ている。