54・瘴気の原因
馬車で揺られること約三日。
ようやくフィリップが言っていた森の近くに、私達は辿り着いた。
「ここだ」
馬車の外に出て、小高い丘の上から森を一望する。
「うわあ……確かに瘴気で満ちていますね。今までよく我慢していましたね」
ここから眺めているだけでも、黒色の瘴気が満ちていることが分かる。
濃い瘴気は空気や水を汚染し、場合によっては毒と化す。
精霊は人間よりも空気や水に敏感な存在だ。
それなのに、こんなところで暮らしているなんて……彼等の苦しみが見て取れるようであった。
「一つ思ったんだけど、この森を放棄して別のところに移り住む予定はなかったのかな?」
ナイジェルが質問する。
しかしフィリップはその問いを予想していたのか、こう即答する。
「もちろん、それも考えた。実際、今までそういった例もなかったわけじゃなかったからな。しかしそもそも人間に見つからない場所を探すのも一苦労だし、その上で結界を張ったり家を作ったり……と精霊の引っ越しに関してやることは多い。移動中に精霊達が命を落としてしまう危険性もあるしな」
一家族が引っ越しするとは訳が違うのだ。
精霊が何人(何体と呼ぶのが正しいかもしれないけれど、便宜上そう呼ばせてもらおう)いるのか知らないけれど、大人数での移動になることは間違いない。
簡単には故郷を手放せない。
「だから出来ることなら放棄したくなかった。とはいえ、聖女が見つからなければリスクを覚悟で、引っ越ししようと思っていたところだ。本当にエリアーヌが見つかってよかった」
「私もそうならない前に、あなたと出会えてよかったですわ」
なんにせよ森の中に入って瘴気を体で感じなければ、さすがに原因が分からない。
私達は再度馬車に乗り込んで、さらに森に近付く。
「ではこのまま進みましょう。安心してください。馬車とあなた達に結界を張ります。私から離れない限りは、瘴気で体がおかされることはありませんので安心してください」
私が言うと、二人は真剣な顔で頷いた。
馬車はとうとう森の中へと入っていく。
「それにしても暑くなってきたね」
馬車の中。
ナイジェルが上着の襟をパタパタとさせる。
この辺りの地域には四季が存在している。
今は『夏』の入り口といったところで、ナイジェルがそう呟くのも無理はなかった。
馬車に乗っているからまだマシなものの、強い日差しがさんさんと照りつけて、地味に体力が奪われる。
「ですわね。またリンチギハムに帰りましたら、冷たい食べ物を用意しましょう」
「おっ、いいね。楽しみにしているよ」
心なしか、ナイジェルの声が弾んで聞こえた。
フィリップは右膝を立てて、じっと目を瞑っている。あまり口数が多いタイプでもなさそうであった。
「森の奥に進むにつれて、どんどん瘴気が濃くなっていきますわ。フィリップ、これはどこに向かっているんでしょうか?」
訊ねると、フィリップは瞼を開けて。
「さすが聖女様だ。今は森の奥の湖を目指している」
「そこになにかがあると?」
「おそらく」
フィリップは頷いて、話を続ける。
「そこの湖が瘴気の発源地だと思うのだ。今まで湖を何度も浄化しようと思ったが、俺達精霊の魔力では叶わなかった。しかし聖女ならあるいは——と」
「なるほどです」
まあ確かめてみなければ分からない。
そのまましばらく進んでいくと、私達はやがてとある湖の前まで到着した。
「なかなか大きい湖なんだね」
「でもとても水が濁っていますわ」
「そうみたいだ」
ナイジェルと隣り合って、湖を眺める。
大きい湖だ。
しかしその水は灰色に濁っており、所々泡が立っていた。
その泡が弾けると同時、中から瘴気が放たれ外気が汚染されていく。
「フィリップの推測はどうやら当たりのようですわね」
原因は分からないが、湖から瘴気が発生している。
この瘴気が森全体を染め、フィリップ達を困らせていたのだろう。
「やはりそうだったか」
フィリップが顔を歪ませる。
「こうしている間にも瘴気がどんどん発生していますわね」
「うむ。俺が森を出る前よりも、さらに酷くなっている。俺がいない間にも民は苦しんでいただろう。こうなったのは全て、俺の責任だ」
「あなたは悪くありませんわ。フィリップはよく頑張っています」
辛そうに歯を噛み締めるフィリップに向かって、私はそうフォローを入れた。
うーん、良い精霊なんだと思うけど、少々真面目すぎるところがあるようだ。
精霊王としては良いことかもしれないが、こういうタイプは人よりも何十倍も苦労を背負い込み、そしていつか破綻する。
そうなる前にフィリップに出会えたことは、本当に幸運だと思った。
「エリアーヌ、なんとかなりそうか?」
藁にも縋る気持ちというのは、まさしくこのことであろうか。
フィリップが不安そうに私を見上げる。
「ええ。なかなか厄介な瘴気だと思いますけど、私の力でなんとか浄化出来そうですわ」
「ほ、本当かっ!」
フィリップの目に希望の光が灯る。
「ちゃっちゃっとやっちゃいますね。とはいっても、ここから浄化魔法をかけていたら、どれだけかかるか分かりませんし……」
一日中は祈る必要があるかもしれない。
それはいけない。こうしている間にも森にいるであろう他の精霊は苦しんでいるからだ。
仕方がない。
「ちょっと失礼させていただきますわ」
「エリアーヌ? どうするつもりだい?」
ナイジェルが目を丸くする。
私は靴を脱ぎ、スカートの裾を軽く持ち上げた。
あまり男性の前で肌をさらした経験がないせいなのか、こうするだけでもはしたないことをした気分になる。
私はそのまま湖に足をつける。
そしてすねが湖に浸かるくらいまで、進んだ時。
灰色に濁っていた湖が、エメラルドグリーンに輝き出したのだ。
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