300・【断章2】シキがいつか見た風景
城の侍女に任命された私だが、早くも後悔し始めていた。
最初にフタバから、ミツハはちょっと泣き虫だと聞いていたが、その通りだったのだ。
いつも彼女の泣き声が城内に響いている。
よく稽古をサボり、彼女は城を抜け出した。
だが、私は知っている。
あれはミツハなりに考えた行動だったのだ。
民がどういう暮らしをしているか知るため、街に出かけている。
とはいえ、ミツハが勝手に抜け出して困るのは、私のような部下である。ミツハの行動に、よく私もとばっちりを受けて叱られたものだ。
そんなミツハに、フタバも辛く当たった。
おおよそ、親の愛情はなかったと思う。
遊びたがるミツハを突き放し、彼女に姫としての自覚を芽生えさせようとしたのだろうか。
親の愛情に飢えたミツハは、ますます勝手な行動を取る。悪循環だ。
この親子は、どうしてこうも不器用なのか──私はミツハの侍女をしながら、しばしば疑問に思っていた。
寒くなり始めた季節、フタバが体調を崩した。
なにやら、不治の病らしい。
国内外問わず医者が訪れ、フタバの病気を治そうとしたが、一向に回復しなかった。
私もミツハの侍女をしながら、なんとかフタバに良くなってもらうように努めたが、状況は改善しなかった。
そんなある日、私はフタバに呼ばれた。
なんの用だろう……そう思ってフタバの部屋に行くと、彼女は驚くほど穏やかな顔でこう言った。
『私はもう少しで死ぬと思うの』
窓から外の風景を眺めながら語るフタバは、同性の私から見てもハッとするくらい、切なげな美しさがあった。
『諦めないでください。アマツにはまだまだ、フタバ様のお力が必要なのです』
『そうね。それだけが心残りだわ。ミツハにはまだ、姫としての自覚がないようだから』
そう言って、フタバは私と視線を合わせる。
これが最後の機会になるかもしれない、そういう危機感があったのだろう。気付けば、私は突き動かされるようにこう口を開いていた。
『……どうして、ミツハ様に辛く当たるのですか』
私から見ても、フタバのミツハへの対応は過剰だった。
いずれ姫の座を継いでもらわなければならないという事情はあるものの、もう少し甘やかしてもいいような気がする。
ただでさえ、ミツハはまだ九歳なのだ。親からの愛情を欲する年齢だろう。
だけど、フタバは微笑みを浮かべて、
『必要なことだから』
と即答した。
『必要? 確かに、ミツハ様は次代の姫になられるお方です。時には厳しく接する必要もあると思いますが……ミツハ様なりに頑張っておられると思います』
『全然ダメよ。ミツハにはまだ姫としての自覚がない。民の生活を知ろうとして、よく勝手に城を抜け出してることは知ってるけど、あんなのは私から言わせれば、ただのお遊びだわ。他人に迷惑をかけているようじゃ、姫にふさわしくない』
姫にふさわしくない。
今だけではなく、フタバはよく私の前でそう口にした。
それはミツハを心配するような類の声音ではない。なんというか……切羽詰まった理由があるようなのだ。
しかし、今の私ではその意味が分からず、首をひねるしかなかった。
『……こういう事情がなかったら、もっと普通の親子として接することが出来たでしょうね。でも、それはいけない。私だけならともかく、ミツハに姫としての自覚が芽生えなければ、アマツが滅びるのだから』
少し寂しげな顔をして一転、フタバは真剣な顔をして、私を真っ直ぐ見つめる。
『ねえ、覚えてるかしら。あの入城試験の際、サネモリに追い返されようとしてあなたを、私が呼び止めたのは』
『もちろんです。あのご恩は一生忘れません。みんなに幸せになってほしいと考えているような目……を気に入られたんでしたっけ?』
『そうね。でも、理由はもう一つある。一目見た時、あなたはミツハに似てると思ったわ。似た者同士なら、ミツハと合うんじゃないかと思って』
ミツハに似ている……?
悪いが、とてもそうとは思えない。
ミツハは明るいお方。
対して、私は他の臣下ともろくにコミュニケーションを取らず、影では『暗い女』と陰口を叩かれることも知っている。
それに──もし私がミツハの立場に立たされても、あんな風に泣いてばかりの日々を過ごさないと思う。
『お言葉ですが──』
『そして、その考えは当たっていたわ。あなたたちは、よく似ている』
否定の言葉を紡ぐより先にフタバに言われ、彼女は机の引き出しから、小箱を取り出す。
『これ、あなたに渡しておくわ。ミツハが十歳を迎え──姫の資格があると思った時、彼女に渡してちょうだい』
『フタバ様自身の手で渡されたら、いいじゃないですか』
『もちろん、私だってそうしたいわよ。でも、ダメ。きっと、そこまでは生きられないから』
まただ。
また、フタバは泣きそうな表情を浮かべる。
『……ね。お願い』
『承知しました。フタバ様のご用命、しかと受け止めました』
そもそも、私は一介の部下。フタバの命令を断れるわけがないのだ。
私がフタバから小箱を受け取ると、彼女はほっと胸を撫で下ろしているようだった。
『よかった……これで心残りはないわ。そして、あなたがミツハにそれを渡せる時が早く来るのを、心から待っているわ』
優しい笑みを浮かべるフタバを目に焼き付けてから、私はその場を後にする。
城内の自室に戻り、小箱を眺める。
『中になにが入っているんだろう?』
もしかしたら、あまり見てはいけないものかもしれない。
しかし今まで、私が知っている限り、フタバは一度もミツハに贈り物をしなかったのだ。
よほど重要なものが入っているのだろう。
どうしても見たい衝動に抗えず、私は小箱の中身を見る。
そこに入れられたものに、私は驚きで目を見開くのであった。
それから数日後。
フタバは息を引き取った。
驚くほど安らかな死に顔だったそうだ。
フタバが亡くなり、私の心にはぽっかりと穴が空いたようだった。
葬儀も終わり、あてもなく城内を彷徨っていると、子どもの泣き声が聞こえてきた。
またか──そう思い、泣き声のする方へ向かってみると、ミツハが自室で嗚咽を漏らしていた。
『なんで……なんで、亡くなったのじゃ、母上。余には姫の座はまだ重い……』
その姿は悲愴感が漂っており、今にもぽっきりと折れてしまいそうなくらい細かった。
しかし、私は思った。
こんな時にでも、ミツハは泣くことしか出来ないのか。フタバが死んで、次は自分が国を引っ張っていかないといけないのに情けない。
呆れるやら苛々しながらミツハに歩み寄ると、気付けば私は口を開いていた。
『ミツハ様、いつまでも泣いてばかりではいけません。泣いているだけでは、なにも解決しないのですから』
私がそう言った時、ミツハは一瞬きょとん顔。
だが、やがて。
『そう……じゃな。泣いたところで、母上が蘇るわけでもない。シキのおかげで目が覚めた、ありがとう。余はもう泣かぬ』
涙を拭って、ミツハが力強く言う。
その表情には、確かな覚悟が秘められていた。
ようやく前を向いてくれた。私はミツハの成長にほっと安堵の息を吐いて、こう口を動かす。
『ならば、すぐに皆を集めましょう。これからの国の指針を、皆で話し合うのです』
『うむ!』
元気よく答えるミツハ。
だが、その時の私は──ミツハが抱いた覚悟はまだ弱く、いつ折れてしまってもおかしくないことには気が付かなかった。





