283・王妃になって一年後
コミカライズ11巻発売を祝しまして、新章開始です!
なんの変哲もない日。
──その災厄は、東の国でひっそりと目覚めてしまった。
「ここは……?」
女は上半身起こし、そう口にする。
真っ先に目に入るのは、どこまでも続いていそうな青だ。風は仄かに海の匂いを感じる。右手を握ってみれば、じゃりっと砂粒の音がした。
どうやら、自分は海辺で目覚めたらしい。
(そうか……戻ってきてしまったわけか)
ゆっくりと腰を上げる。
……問題は、どうしてこの世界に降り立ったかということだが、女は薄々分かっていた。
女神だ。
女神がもう一度、自分にチャンスを与えてくれたらしい──と。
(ならば、行かなければならぬ)
女はゆっくりと歩を進める。
行くアテなどない。
だが……この世界に生を受けたということは、自分にはまだ、果たすべき使命があったということだ。
女はただ、ふらふらと歩く。
その透き通った瞳には、このままでは未来に起こり得るであろう、世界の破滅が映っていた──。
◆ ◆
──あの戦いから一年後。
「いい天気ですね〜」
私──エリアーヌは大海原の上にいました。
「そうだね」
船の上。
隣では、私の夫でもあるナイジェルがそう頷きます。
彼は一年前、ご高齢だった国王陛下から王位を継ぎ、リンチギハムの国王となりました。
ここ一年は慌ただしく働き回っており、それは私の目から見ても心配になるほどでしたが……今の彼は、とても穏やかな顔をしています。
「こういう平和な光景を船から眺めていたら、一年前の戦いが嘘のように思えてくるよ」
「そうですね」
ナイジェルの言葉に、私もそう返事をします。
一年前の戦い……。
あの戦いは今でも、私たちの記憶に深く刻まれています。
私は気持ちいい潮風を肌で感じながら、今までの出来事を思い出しました。
私は、ベルカイム王国の聖女でした。
ですが、当時の婚約者であるクロードに国外追放&婚約破棄を告げられ、隣国のリンチギハムに向かいます。
そこで出会ったのが、ナイジェル。
彼は当時リンチギハムの第一王子で、それを初めに知った時は大変驚いたものです。
私はナイジェルに聖女であることを打ち明けます。それからは彼の妹のセシリーちゃん、ドラゴンのドグラス、メイドのアビーさんなどと楽しく暮らしていました。
そしておよそ一年前。
大昔に世界を恐怖で染めた魔王がリンチギハムの地で完全に復活し、私たちに牙を剥きました。
その戦いは熾烈を極め、私たちは精霊王のフィリップ。氷の公爵ヴィンセント様。さらにはベルカイムからクロードとレティシアも来てくれて、総力戦で魔王に挑むことになりました。
魔王が持つ『絆を断ち切る剣』によって危機に陥りますが、女神と一体になることにより、私は『真の聖女』として覚醒を果たします。
魔王の剣によっても断ち切れない、深い絆を結び、私たちはとうとう魔王を打倒したというわけです。
「あれから一年が経つとは……時の流れは早いものですね。ナイジェルは、国王という立場に慣れましたか?」
「どうだろうね」
とナイジェルが肩をすくめます。
「もちろん、みんなの理想の王子様になるべく、昔から努力は重ねてきたつもりだ。だけど慣れたかって言われると、正直まだ分からない。ここ一年は、脇目も振らずに頑張ってきたからね」
「ですよね」
ナイジェルがそう言うのも仕方がありません。
魔王との戦いで奇跡的にも死傷者は出ませんでしたが、その被害はリンチギハム王都に爪痕を深く刻んだからです。
国王の代替わり。
それだけでも、大きい出来事でしたがその上、ナイジェルには街の復興に尽力する必要がありました。
現にここ一年のナイジェルはずっと働き詰めで、ろくに睡眠も取れなかったほど。
ですが、最近ではようやく街の復興も一段楽し、ナイジェルも比較的落ち着いた時間を過ごせていると言います。
とはいえ、忙しいことには変わりないのですけれどね。
これだけ目まぐるしい日々を送りながら、弱音一つ吐かないのは、さすがナイジェルといったところでしょうか。
「それに、エリアーヌだって同じだよ」
「私……ですか?」
ナイジェルからそんなことを言われるとは思わず、私はついきょとんとしてしまいます。
「うん。君はまだ忘れがちだけど……僕が国王になったということは、君は王妃だ。君だって、忙しいはずだけど?」
ナイジェルはお茶目な仕草で、首を傾げます。
──王妃になって一年が経っているのに、まだ自分の立場には慣れません。
もちろん、聖女としてのお勤めは変わりません。
ですが、その上で私はナイジェルの妃──王妃としての役割を求められることになりました。
国内の貴族との関係を強固にするために、パーティーやお茶会への参加。
民の意見を広く聞き、ナイジェルに彼らの意見を伝える。
慣れない仕事で最初は戸惑うことも多かったけれど……今では随分とマシに感じています。
ですが、『王妃』と呼ばれるのには慣れず、未だにふと呼ばれるとすぐに反応出来ないくらい。
とはいえ。
「王妃になったとはいえ、私は私。国──世界を守る聖女のつもりです。基本的なことは変わりません」
「君なら、そう言うと思ったよ」
とナイジェルが苦笑します。
……ほんと、こんな会話をするなんて、ベルカイムを追放された頃は想像だにしていませんでしたねえ。
時の流れの早さに、驚きを感じます。
それから私たちはしらばく、甲板の上で穏やかな海面を眺めていましたが──。
「──あっちの方も見てきたぞ」
上空──。
突如、空が黒で覆われ、辺りが薄暗くなります。
「ドグラス」
空を旋回するドラゴン──ドグラスに、私はこう叫びます。
「どうでしたかー! なにか異常はありませんかー!」
「皆無だな。平和そのものだ。同じ景色がずっと続くから、飽きてきたぞ」
とドグラスがまるで欠伸をするように言います。
「ありがとうございますー! もう戻ってきてくださいー!」
「おう」
ドグラスがそう言ったかと思うと、彼の体が光に包まれます。
次の瞬間には空を覆っていたドラゴンが消え、私たちの前に立つ赤髪の男が現れていました。
「全く……人使いならぬ、ドラゴン使いが荒い聖女と国王陛下様だ。労働法?的なものは、どうなっているのだ」
ぶつぶつと文句を呟くドグラス。
彼は、ベルカイムから私を追ってきたドラゴン。
普段は人の姿でいることが多いのですが、こうしてなにか理由があったらドラゴンとなり、空を飛んでいました。
ドラゴンと人の力が一体となった──『竜の騎士』モードという新たな技も手に入れ、彼の存在はますます私たちの中で大きくなるばかりです。
「そもそも船に乗るくらいだったら、我の背に乗って、飛んでいけばいいではないか。どうして、このようなまどろっこしい真似をする必要がある」
「ドラゴンの姿で行けば、あっちを怖がらせてしまうかもしれないだろう? 近海に異変がないか、確認もしておきたかったしね」
「そうですよ、ドグラス。ここに来るまで、散々説明したではありませんか。覚えていないのですか?」
「ガハハ。ちゃんと話を聞いておらぬかった」
私が軽く嗜めてもドグラスは豪快に笑うだけで、悪びれたりする様子を見せません。
「こうして船に乗っていると、トレジャーハンターをした時を思い出すな。あれは、なかなか楽しめた」
「懐かしいですね」
トレジャーハンター……王城の宝物庫から一枚の宝の地図が出てきて、セシリーちゃんやクロードとレティシア、フィリップも誘って、大海原を冒険した一連の出来事です。
結局、『なんでも願いを叶えることが出来る』宝は古ぼけたハーモニカだったのですが……バロックさんは元気ですかね? あれから会えていないので、今どうしているかやら。
「それにしても、今回我らが向かっている場所は……『アマツ』といったか。どんな国なのだ?」
ドグラスが首をひねります。
それについても、何度も説明したんじゃ……。
と口にしかけますが、ドグラスが人の話を聞かないのはいつものことです。
「いいですか、ドグラス。アマツというのは──」
私は内心ドグラスに呆れながら、そう説明を始めます。
「リンチギハムから東方にある、小さな島国です」
おかげさまで、松もくば先生によるコミカライズ11巻が本日発売となりました。
コミカライズでは、ベルカイム救済真っ只中ですが、WEBの新章では今まで名前だけ出ていた『東方の国』を描きたいと思います。
コミカライズ共々、ぜひお楽しみいただければ幸いです。





