265・魔獣ナイトメア
街中──。
「これで大方、片付いたか」
辺りを見渡しながら、ドグラスがそう口にする。
彼の周りには、夥しい魔族の死体が転がっていた。
「そうだな。だが、まだこれで終わりではない」
そう答えるのはヴィンセント。
ドグラスと共に、街中の魔族の掃討にあたっていたのだ。
「すぐに他の場所へ移り──」
と続けて、ヴィンセントが言葉を続けようとした時であった。
「やれやれ、面倒だねえ。そんなに頑張っちゃって、カッコ悪いや」
上空から声。
刹那──なにかが放たれると同時、ヴィンセントは即座に体を翻して回避した。
「ようやくお出ましか」
ドグラスは攻撃が放たれた方を見やって、好戦的に笑う。
そこには右手に見慣れぬものを持った、魔族が浮遊していた。
「ドグラス、ヤツは──」
「上級魔族だ。確か名はシアド。魔導銃と呼ばれる、奇妙な武器を使いこなす魔族だ」
魔導銃──聞いたことがある。
(確か、とある国で開発された新型の武器)
魔法に長けたものでなくても、簡単な動作で高威力の攻撃を遠距離から放つことが出来る。
その威力はすさまじく、分厚い壁や頑丈な鎧も貫通すると聞いていた。
「僕のことなんて、忘れてくれた方がいいんだけど。侮ってくれた方が、面倒ごとが少なくて済むから」
と魔導銃を操る上級魔族──シアドはヴィンセント達から少し離れた地面に着地し、面倒臭そうに頭を掻いた。
「昨日は時間稼ぎが目的だったからねえ。だけど今日は違う。殺すつもりでいかせてもらうよ」
「ほざけ!」
休む間もなく、再び戦闘が始まった。
二対一の戦い。
こちらが圧倒的有利のはずなのに、シアドはヴィンセント達と互角に渡り合っていた。
「汝、どうしてそれほどの力を持ちながら、前回の戦いでは不在だった? どこかに隠れておったのか?」
ドグラスは回し蹴りを放ちながら、シアドに問いかける。
鉄をも砕く攻撃を、シアドは危なげなく回避して、ドグラスと距離を空けた。
「僕は勝てる戦いしか、したくないんだよ」
──発砲。
ドグラスは迫る魔法弾を、あたかも邪魔な虫を払うかのような動作で弾き落とす。
「前回のベルカイムでの一戦は僕達の分が悪かった。負けると思ったから、戦いに参加しなかった」
「分が悪い? 前回も魔王が復活したではないか。魔王の力を信じていないと?」
「まさか。魔王様の力は絶対だ。だけど前回は準備の時間もほとんどなく、魔王様が完全復活するまでの時間も稼げそうになかったからねえ。まあ、無理だろうなと思っていたよ」
まるで世間話をするかのように、シアドの言葉は軽い。
「はっ! 勝てる戦場にしか出たくない……か。汝の戦いには誇りがない。弱き者のさらに下、死人だ」
それをドグラスは一笑する。
シアドはドグラスの言ったことをどうでもいいと思っているのか、猛攻の手を緩めない。
「──魔王の完全復活、それが勝利の鍵だと貴様は考えているんだな」
ヴィンセントも魔剣を振るいながら、シアドに問いを投げた。
「そうだけど」
「ならば、貴様の考えは破綻している。魔王は未だにこちらの世界に降臨していない。エリアーヌが魔族界に向かっているからだ。前回のベルカイムの戦いで、魔族も戦力を大きく削られている。果たして、この戦力で私達に勝てると思っているのか?」
「おお、鋭いことを言うねえ。人間にしては賢い。だけど──それは僕も危惧していたよ。そろそろ目覚める頃だ」
「……? なにを──っ」
その時、ヴィンセントは不吉な予感に襲われた。
どんな異常も察知出来るように、彼は耳を澄ませる。
──ドクンッ──ドクンッ──。
(心臓の鼓動? 私のか? いや、違う。これは……)
ヴィンセントが異常の正体を探る前に、それは起こった。
「誕生だ」
シアドが歓喜の声を上げる。
王都の中心。
暗黒の帷を裂くように、一筋の闇の柱が天高く昇った。
「なんだ……?」
やがて柱の中から現れた異形に、さすがのヴィンセントも戦いの手を止め、意識が向いてしまう。
夜の闇に浮かび上がる輪郭は、巨大な馬である。
全長は見上げても把握出来ない。その馬のような生き物が歩くだけで、人々が踏み潰されるだろう。
黒色の毛並みは、光を一切反射しない深淵の闇を纏っている。
さらに、たてがみから尾にかけ、静かなる炎が揺らめいている。それは蹄にも及び、ここからでも焦げたような匂いが漂ってきた。
「魔獣──ナイトメア」
謎の生物の戦力を計りかねているヴィンセント達に対して、シアドは余裕げな口調でそう告げた。
「大昔、魔王様と共に戦った英雄って聞いてるよ。魔王様が封印されてから、機能停止に陥ってたけど──ようやく目覚めたんだ」
「魔王と同質の魔力を感じる。差し詰め、魔王の力の残滓を餌としたのか?」
とドグラスが突如生まれた生命体──魔獣ナイトメアを見上げる。
「ご名答。あのナイトメア一体で、君達を屠るのは容易いよ」
「バカなことを──と言いたいが、汝のその自信も分かる。あれは最悪だ。おそらく──力を取り戻したら、どうなるか分からぬが──魔王より強いとすら感じる」
「僕達のペットを褒められると、なんだか照れるね」
シアドはそう口では言うものの、声の調子は変わっていなかった。
「さあ……どうするかな? ナイトメア一体で、王都を落とすことなんて容易いよ」
「そうだろうな。あれはおそらく、我より強い」
とんでもないことをドグラスは口にし、ヴィンセントは思わず自分の耳を疑ってしまった。
「ならば尻尾を巻いて逃げるかい?」
「逃げる? バカか。絶対に勝てる戦いほど、つまらぬものはない」
それでも──ドグラスから絶望は感じられない。
口元には笑みすら浮かんでいた。
「ヴィンセントよ──ここを任せてもいいか? この魔族と決着をつけたかったが、さすがにあれを放置出来ぬ。魔獣と対等に戦えるのは、本気の我くらいだからだ」
「それはいいが……大丈夫なのか? 勝算はあるのか?」
「ならば我からも問う。汝は大事なものを守るためには、勝てる戦いしかしないのか?」
「……いや、違うな。すまない、愚問だった」
大事なものを守るためなら、負ける戦いにも身を投じる──。
それがヴィンセントの考える戦いの誇りだった。
「うむ……汝は強き者だ。そんな下の下の魔族には負けぬだろう。任せたぞ!」
そう言って、ドグラスは駆ける。
意外にも、王都の中心──ナイトメアに駆けていくドグラスを、シアドは止めなかった。
「止めないのか?」
「まあ……ナイトメアが誕生した時点で、もう勝負は決まっているようなものだからねえ。空や地上にも魔族はいるから、すぐには辿り着けないだろうし。そんなことより──君は自分の心配をするべきじゃないかな。君一人では僕に勝てないよ」
シアドは魔導銃の引き金に人差し指を引っ掛けて、クルクルと回す。
「私では貴様に勝てない──か。それは事実かもしれぬ。だが、寂しい生き物だな、貴様は」
ヴィンセントはシアドに剣先を突きつけて、こう告げる。
「なにも守るべきものがない。戦いの誇りもない。そんな貴様に私は負けるわけにはいかない」