240・悪夢の終わり
そこは深い暗闇だった。
いくら足を動かしても前に進んでいる気がしない。息を吸うだけで、肺には毒が流れ込んできた。
「シルヴィ……」
それでも──俺は彼女の名を呼びながら、足を動かす。
すると突如、前方に女性を形取った光が──。
「もしや──」
声を出すと、彼女──シルヴィは振り返ってくれた。
「ここにいたんだな! 君を迎えにきた!」
腕を伸ばして、叫ぶ。
走るが、何故だか彼女には近付けない。
焦る俺に、彼女は寂しい顔をして。
「……もう遅いのです。待ちくたびれてしまいました」
「え?」
「さようなら」
そう言って、彼女は離れていく。
「待ってくれ! 俺は君を──」
変わらず走り続けるが、やはり前に進めない。
遠ざかっていく彼女を、俺は見ていることしか出来ず──。
◆ ◆
「シルヴィ!」
叫んで、上半身を起こす。
「ここは……リンチギハムの王城?」
見覚えのある室内だった。
どうやら、今の俺はベッドで寝かされているらしい。
窓から差し込む朝日が眩しかった。
「目が覚めましたか?」
声が聞こえそちらに顔を向けると、そこにはエリアーヌとドグラスの顔があった。
「うなされてでもいたのか? 酷い顔をしているぞ」
ドグラスが腕を組んで、呆れ気味に言う。
「一体、どうしてここに? 確か俺はアルターと戦い……」
「戦いには勝利しました。だけど戦いが終わってしばらくしたのち、あなたは疲れていたのか、気を失ったんですよ」
「寝ている汝をここまで連れてくるのは大変だったぞ。なにせ、エリアーヌとナイジェルに比べて汝は重いからな! ガハハ!」
とドグラスが豪快に笑う。
口は悪いが、これも俺が気を遣わないようにするための彼なりの冗談だろう。その証拠に、ドグラスの声には嫌悪の類が含まれていなかった。
記憶も鮮明になっていき、俺はあることを思い出す。
「そうだ! アルターのコア!」
シルヴィは時の牢獄の中にいる。
そのためにはアルターのコアが必要だった。
視界にアルターのコアらしきものが見当たらない。もしや俺は手離してしまったのか……?
「大丈夫ですよ」
エリアーヌがそう微笑む。
「右手を」
「右手? ──ああ」
そこでようやく、俺は右手でなにかを掴んでいることに気付いた。
宝玉が握られていた。
竜島で見た、アルターのコアだ。
「なくしたりしては大変ですから、預かろうと思ったんですけれどね」
「だが、気を失いながらも、お前はそれを離さなかった。無理やり引っ剥がそうとしても、強い力だったぞ」
エリアーヌとドグラスが説明してくれる。
俺はアルターのコアを胸元に当て、こう呟く。
「よかった……本当によかった」
もう、あんな悪夢を見ることはないと思ったから。
◆ ◆
アルターのコアを大事そうに持ち、「よかった」と何度も呟くファーヴに、私はこう口にします。
「少し休憩したら、すぐにみんなで時の牢獄に向かいましょう。シルヴィさんを救い出してこその、ハッピーエンドです」
そういう意味では、私達の戦いはまだ終わっていないのかもしれません。
魔王とアルターも言っていました。
時の牢獄の中に入れても、シルヴィさんを見つけられるか分からない。仮に見つけたとしても、戻るのも至難──と。
もしかしたら、それはアルターと戦うより辛いことになるかも。
「…………」
すぐにファーヴは「もちろんだ」と答えてくれると思いましたが、彼はなにも喋りません。
「ファーヴ?」
「い、いや……すまない。考え事をしていた。そうだな、すぐにシルヴィを迎えにいかないと」
そう言うファーヴの瞳には、戦いに向かう力強さが宿っていました。
「しかし向かう前に、しばらく一人にさせてくれないか? さすがにここまで動きっぱなしで疲れた」
「はっ! 柔なヤツだな。我は元気だぞ!」
とドグラスが腰に手を当て、胸を張ります。
「まあまあ、ドグラス。ファーヴに無茶をさせてはいけませんよ。では、準備が出来たら、呼びにきてくださいね。私達は食堂にいますから」
「ああ」
ファーヴが頷く。
それを見て、ドグラスと一緒に部屋を出ます。
ファーヴの視線は宝玉の神秘的な光に向けられている。
彼はなにかを決意したように、宝玉を強く握っていました。
それからしばらく経過したのち。
「エリアーヌ! ナイジェル!」
ドグラスが慌ただしく、食堂に飛び込んできます。
「どうしたの?」
「ヤツがなかなか来ないと思って、部屋を見にいったのだ。するとこれが……」
すっとドグラスは一枚の手紙を差し出します。
それには、こう書かれていました。
『我が親友達へ
世話をかけた。
君達のおかげでアルターを倒し、シルヴィを救うための鍵を手に入れることが出来た。
いくら感謝の言葉を重ねても、言い切れないだろう。
だが、戦いはまだ終わっていない。
これからシルヴィを救いに、時の牢獄に向かわなければならない
しかしここから先は、帰ってこれるかも分からない戦いだ。
それでも優しい君達は、一緒についてきてくれるだろう。
ここから先は俺の戦いだ。
君達を巻き込むわけには行かない。俺は一人でシルヴィを迎えにいく。
重ねて言う、世話になった。ありがとう。
願わくば、シルヴィと一緒にエリアーヌのご飯をまた食べさせてくれ。
ファーヴ』
「ファーヴの姿は既に部屋になかった! ヤツめ……っ! あれほど言ったというのに、また一人で突っ走りおって。反省しておらぬのか!」
手紙をくしゃっと握りしめ、ドグラスが悔しそうな表情を見せます。
「そんな……」
「ファーヴにはまだ、僕達に対する申し訳なさが残っていたのかもしれないね」
とナイジェルも表情を暗くします。
「どうする? ファーヴを追いかけるか?」
「だとしたら、一体どうやって? 時の牢獄に入るために、今まで奔走していたんだ。そう簡単に追いかけられるものとは思えないけど……」
ドグラスとナイジェルは、慌ただしく話し合っています。
「…………」
私はファーヴの心中を思いながら、一頻り考える。
そして。
「祈りましょう──」
私はそう両手を握ります。
「もちろん、時の牢獄に入るための別の方法も探ります。時間はかかるかもしれませんけれどね」
「そうだね。なにもしないっていうのは、性に合わない。だけど祈るっていうのは……?」
「一度目──シルヴィさんには、ファーヴの想いが伝わっているようでした。なので祈りを捧げれば、ほんの僅かでもファーヴの力になるでしょう。それに……私は思うんです」
寝室でのファーヴの表情──。
決意に満ちた顔をしていましたが、決して悲壮感はありませんでした。
それを思うと──。
「ここから先は無粋です」
「無粋?」
「ええ。だって、ファーヴは久しぶりに恋人と再会することになるんですよ?」
これは私の想像になるけれど──ファーヴは私達を心配しているわけでもなく、だからといって信頼していないわけでもありません。
ただただ、シルヴィさんと二人でいたかったから。
「大丈夫。二人でなら、絶対に帰ってこれますよ」
二百年間、恋人のことを思い続けたファーヴの想い。
私は二人を思い、こう口にしました。
「きっと、二人っきりで積もる話もあると思うんです。恋人との大事なひと時──私達はお邪魔です」
書籍版6巻の発売日が明日となりました。
ぜひお手に取っていただけると、幸いです!