192・真の聖女はここにいる
──笛の音。
レティシアがそちらに視線を向けると、そこにはアポロン音楽団の団長──ディートヘルムが笛を片手に、こちらに歩み寄ってきた。
「……この状況はあんたが作ったの?」
レティシアが視線を厳しいものにする。
だが、ディートヘルムは一切怯まず、こう口を動かした。
「その通りです。発動させたのですよ。禁術──禁じられた呪いをね」
「やっぱり……」
式のセレモニーの時は気付かなかった。
ディートヘルムの持つ笛が、あまりに悍ましい呪いに包まれていたことに──。
「貴様がこいつらに、こんな酷い言葉を言わせているのか!?」
クロードもその可能性を察したらしい。
しかしディートヘルムは困ったような表情をして、首を横に振り。
「残念ですが──それは彼らの心の声が表出したまでに過ぎません。本当のところは、誰もあなた達を祝福していなかった。誰もクロード殿下との結婚を認めていなかった──レティシア、呪術師であるあなたは殿下の隣にふさわしくない」
「──っ!」
今までのレティシアなら、即座に「嘘よ!」と反論していただろう。
だが、出来ない。
呪いの言葉は彼女の心を蝕み、体を鋼鉄の鎖によって縛っていたからだ。
「あ、あんたは何者よ」
ゆえに彼女は話を逸らし、警戒感を持ってディートヘルムに問いかける。
「一介の呪術師に、こんな真似が出来るとは思えないわ。いえ──呪術師だったとしても、これだけの大規模な呪いを発動させることは不可能。それなのにどうして……」
「ふふふ、まだ気付いていないのですか?」
「はい?」
「相変わらず、呪い以外のことは物覚えが悪いようですね。全く……世話の焼ける生徒です」
生徒。
その言葉を聞き、レティシアは昔の記憶が一気に甦った──。
◆ ◆
あれはレティシアがクロードに出会うよりも、ずっとずっと前の話。
幼少期の彼女の時間は来る日も来る日も、呪いの訓練に費やされていた。
表向きはただの伯爵家であったが、レティシアは呪術師の一族の生まれ。彼女は生まれた瞬間、呪術師になることを運命づけられた。
当初は自分の人生が嫌だった。
呪術師というだけで、周囲からイジめられる。
友達など──お話の中でしか、存在を知らなかった。
とはいえ、呪いの訓練を投げ出すわけにもいかない。
そうすれば、自分はなにも持たない──空っぽな人間になってしまうからだ。
ゆえに周囲から孤立していけばいくほど、レティシアは呪いに時間を費やすことになった。
幸いにも、どうやら自分には呪いの才能があったらしい。
厳しい訓練をものともせず、レティシアは呪いの力をめきめきと伸ばしていった。
そんな彼女にある日、家庭教師が付けられた。
『彼は一流の呪術師だ。彼から色々なことを学びなさい』
やって来た家庭教師を前にして、父がそう言ったのを今でも覚えている。
その男は『先生』とだけ呼ばれていた。
この世に光と影があるならば、呪術師は影の存在。
無闇やたらに、他人に対して名前を明かさないことはそう珍しいことではなかった。
最初は身構えていたレティシアではあったが、徐々に先生の呪いの力に心奪われていくことになった。
──キレイな呪い。
無論、呪いにそんな感想を抱くのは間違っている。
呪いというものは元来、汚れた力であるからだ。
だが、先生の使う呪いはまるで音楽を奏でているような美麗さを含んでおり、整然としている。
当時から早くも、大人顔負けの呪いの力を使えたレティシアに、格好の人物であっただろう。
先生は優しくレティシアに指導を施した。そして先生の指導を受けていく度に、自分の力のなさを思い知る。
自分も先生に並び立てるような呪術師になりたい。
呪術師として、レティシアは初めて目標が出来た。
だが──先生のことで気になっていることがあった。
彼はずっとなにかを調べていたのだ。
『なにを調べてるの?』
幼い頃のレティシアは幾たびも先生に質問を重ねたが、彼は明確な答えを返してくれなかった。
しかし。
『私はこの世界が間違っていると思っています』
なにかの気まぐれだったのか──彼がレティシアに語ってくれたことがある。
『レティシアは、世の中に不満はないのですか?』
『不満……ありすぎて答えられないわ』
『ふふふ、レティシアは{欲張り}なんですね。私もあなたと同じようなものです。不満なことばっかりです。その中でも──最も不満に感じていること、それは呪術師が虐げられている現状です』
先生が語る言葉に、レティシアにも心当たりがあった。
彼女は彼の話に、自然と引き込まれていった。
『だから、私はこの世界を変えたい。だけど世界を変えるためには、今の私では無力』
『先生が……なの? 先生ほどの力を持っていたら、なんでも出来そうな気がするのに』
『私なんてまだまだです。だから私は力を手に入れたい。この世界をぶち壊す力です。それがあれば、世界は呪いで溢れかえる。魔王なんて比じゃない──もっと絶望して、素晴らしい世界を築くことが出来るでしょう』
と彼は微笑みを浮かべた。
いつもの優しい先生の笑顔と比べると、あまりに醜悪で──レティシアは言葉を失ってしまった。
それから、レティシアは先生の調べているものを問い質したりしなかった。
彼の話が怖く、これ以上聞けば闇に引きずりこまれると感じていたからだ。
レティシアは己の中にある恐怖から目を背け、繰り返される日々を過ごしていった。
そんなある日──あの事件をレティシアは起こしてしまうのだ。
◆ ◆
そこで記憶は途切れ、レティシアはディートヘルムの顔を真っ直ぐ見つめる。
「ま、まさか……あの時の先生だっていうの!? わたしの家庭教師をやってくれた……」
「その通りです」
とディートヘルムは昔と変わらず、優しげな口調で続ける。
「まあ、あなたが気付かないのは仕方がないかもしれません。私はあの事件の後、顔も声も作り替えた。昔のあなたならいざ知らず──今のあなたでは、自力で私の正体には辿り着けない」
「レ、レティシア、どういうことだ? それにあの事件って……」
クロードもレティシアに質問を投げかける。
しかし今のレティシアは先生──ディートヘルムに意識が集中していて、答えを紡ぐことが出来なかった。
とはいえ、悠長に考えている時間も与えられない。
こうしている間にも、呪いで体と思考の自由を奪われた人々が、レティシア達に襲いかかってくるからだ。
「と、とにかくここにいちゃダメ! 逃げるわよ!」
クロードの手を握り、レティシアはこの場から逃走することを決める。
(悠長なことを言っている場合じゃないかもしれないけど──呪いがかけられた人達を傷つけられないわ。彼らは被害者。救済する側の人間なんだから)
真正面から戦うのは得策ではない。
しかしこのままでは、自分達が殺されてしまう。
これがこの呪い──いや、禁術の真骨頂。本来は仲間内で争わせるものなのだろう。そして生まれるのは疑心暗鬼。禁術によって、昔のベルカイム王国が呪術師に滅ぼされそうになったのも納得出来る。
「し、しかし……この人達はどうするつもりだ? このままにしておくのか?」
「大丈夫よ! この城には真の聖女がいることを忘れたの!?」
レティシアがそう言うと、クロードはハッとした顔になる。
そしてディートヘルムに後髪を引かれていそうながらも、レティシアと共に走り出した。
(そう……たった一つの希望はエリアーヌ。彼女ならもしくは──)
「いいですね。やはり人が恐怖する時、そこには素晴らしい音楽が流れる」
ディートヘルムの不気味な声。
後ろから彼が追いかけてくる足音も聞こえた。
(全部、あいつの計算通りな気もするけど……)
子どもの頃から優秀な呪術師だったレティシアではあるが、先生であるディートヘルムには勝てる気がしなかった。
それなのに、今の自分が彼に勝つことが出来るのだろうか?
だけどここで足は止められない。
レティシアは焦燥感を抱きながらも、それを表に出さないように努めた。
◆ ◆
ようやく会場に辿り着くと、凄惨な光景が広がっていた。
「酷い……」
会場にいた人々が正気を失い、好き放題に暴れ回っている。目は血走っていて、一眼見ただけでも呪いにかかっていることが分かった。
少し前までこの場に満ちていた幸せな空気が嘘のよう。
「すぐに治して差し上げますからね」
私は手をかざし、部屋全体に解呪をかける。
すると人々は徐々に落ち着きを取り戻し始めました。みなさんの間で動揺が広がりました。
「クロードとレティシアはどこだい!?」
近くにいた人にナイジェルが疑問を発する。
「わ、分かりません。気がついたらこんなことに……頭の中に『殺せ』という声だけが響いていました」
「呪いによるものだな。まあエリアーヌがいたら、解呪には問題ないが」
とドグラスが口にすると、話しかけられた彼は混乱の表情を見せる。
「呪い……? どうして、そのようなものがこの式に? ま、まさかレティシ──」
「そうではありません」
私は彼の口元に人差し指を付ける。
「これだけは言えます。彼女のせいではありません。今はまだ混乱しているようですが、どうか冷静にしてください」
「だ、だが! それならこの現状はどういうことだ!? 説明しろ!」
話していると、大臣の男が近寄ってきてそう問い詰めてきました。
それがあまりに大きな声だったものだから、会場中のみなさんの視線が私達に集中する。
どうやってこの場を鎮めたらいいのか──考えていると、ナイジェルがこう声を上げた。
「みんな──細かく説明している時間はないのだけれど、信じてほしい。レティシアは被害者だ。それが僕が保証する」
「それを保証する証拠はどこにあるんだ──いや、あるんですか?」
声を発しているのがナイジェルだと気付き、大臣の男はすぐに取り繕う。
「……今すぐには証拠は出せない」
「な、なら──」
「しかし今は責任の所在を追及している場合でもないはずだ。みんなはこの場をすぐに避難してほしい。じきに騎士団の方々も追いついてくるはずだ」
「承知しました。し、しかし──それならナイジェル殿下はどこに?」
「この事件を解決する」
力強く言葉にするナイジェル。
「だから今は僕を──そしてクロード殿下とレティシアを信じて欲しい」
「ナ、ナイジェル殿下がそう言うなら……」
ナイジェルの有無を言わせない男に、周囲から反論の声は上がりません。
彼の冷静さに、みなさんも引っ張られた形でしょう。
言葉だけでも、みなさんの気持ちを一つにするカリスマ性──それをナイジェルから感じました。
「クロードとレティシアが、どちらにいるのか知っている方はいませんか?」
少し落ち着きを取り戻した人々に、私はそう語りかける。
先ほどから視線を彷徨わせますが、二人の姿が見えないのです。
しかし一様にみなさんは首を横に振る。
どうやら誰も二人の所在に見当が付かないようです。
「普通に考えれば、危険を感じて逃げたのだけれど……エリアーヌとドグラスにも分からないかい?」
「はい。先ほどから魔法で気配を察知しようとしていますが……城の至る所で呪いが発生しているせいで、二人の行方が掴めません」
「我も同じだ」
ドグラスも自分に歯痒さを感じているのか、悔しそうな表情を作った。
「そうなんだね……とはいえ、城の中は広い。闇雲に探している間に、クロード殿下とレティシアの身になにかあるかもしれない。ある程度、見当は付けておきたいね」
「うむ、汝の言う通りだな」
とドグラスは首肯する。
「それなら、お城の中庭に向かいましょう。そちらに強烈な呪いを感じます。このまま放置しておけば、被害がどれだけ拡大するのか分かりません」
「分かった。たとえそこにクロードとレティシアがいなくても、見逃せないね。すぐに向かおう」
「ひ、ひやあああああ! 誰か助けてくれ!」
中庭でも阿鼻叫喚の図。
一際目につくのは、ベヒモスの形をした黒いもや。見上げないと、その全貌が掴めないほどの巨体です。
濃度の濃い呪いはこうして集合し、なにかを形取る。そして意志を持って、一人でに動き出すのです。
それ──簡易的に呪いのベヒモスと名付けましょう──に踏みつけられようとしている男性が悲鳴を上げています。
腰が抜けて、どうやら動けないみたい。
「ナイジェ──」
「うん!」
私が言葉を紡ぐより早く、ナイジェルが颯爽と駆け出し、呪いのベヒモスに斬りかかる。
両断された呪いのベヒモスは光の粒子となり、天に昇った。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ」
男性の手を取り、立ち上がらさせる。
「エリアーヌ! 悠長なことをしている暇はないぞ。まだ呪いは残っている!」
ドグラスの声で私は顔を上げた。
中庭の至るところから複数の呪いのヘビモスが発生する。それらは雄叫びを上げ、人々に襲いかかっていった。
「クロード殿下とレティシアはいないみたいだけど……ここを放置したまま、先には行けないね」
「はい!」
返事をして、私達は中庭にいる人々を守りながら、呪いのベヒモスを倒し始めた。
しかしいくら倒しても、その度に新しい呪いのベヒモスが現れて、キリがありません!
「はあっ、はあっ……私がみなさんを、守ります……」
肩で息をしながらも、私は解呪を続ける。
だけどこれだけ巨大な呪い。本当はまとめて呪いを除去したいのですが、さすがに力が足りません。なので一体ずつ倒していくしかありません。
連戦に次ぐ連戦。
魔力の使いすぎで意識が朦朧としてきて、集中力がなくなってきた頃──。
「エリアーヌ、後ろだ!」
ナイジェルの声が聞こえた。
ハッとなって後ろを向くと、呪いのベヒモスを足を上げて私を踏み潰そうとしていた。
ナイジェルとドグラスが急いで、私を助けようとする。
だけど……あそこからでは間に合いません。
咄嗟に目を瞑り、次に来るであろう痛みを待ち構えていると──。
「なにを諦めている」
ズシャアアアアアン!
目を開けると、呪いのベヒモスが斬られていた。
そしてその先には──黒いローブを身に纏った謎の男。両手には見覚えのある双剣が握られています。
「ファ、ファーヴ……?」