179・呪術士がやられてたこと
「肝を冷やしました……」
「でも上手く撒けて、よかったじゃないか」
アポロン音楽団が演奏していた場所から離れて──私たちはようやく一息吐くことが出来ていた。
少しだけれど、走ったので疲れました。こういう時のために、帰ったら、アビーさんと一緒に運動をしましょう。そう心の中で誓いました。
「これからどこに行こうか? 宿屋に戻る?」
「いえ……その前に行きたいところがあるんです」
「行きたいところ?」
「ええ。少し離れた場所なので……馬車に乗りましょう」
実はもうあまり歩きたくないだけなのですが……そんなことを言って、ナイジェルに幻滅されたくもないので、そう提案します。
彼もそれに同意してくれて、私たちは近くを走っていた馬車を止めて、中に乗り込んだ。
そしてしばらくして……。
「着きました。ここです」
馬車から降りると、とある建物の前。
薔薇の花束は馬車の中に置いておく。
キレイな花ですが、持ち歩くには不便ですからね。
「ここは……学校?」
「はい。ここに知り合いがいるんです。ナイジェルにはちゃんと紹介したことなかったですし、丁度いい機会だと思いまして」
「どんな人なんだい?」
「とても素敵な方です。それに──先日の魔王騒ぎの際にも、彼には力を貸してもらいました。行きましょう」
そう言って、私たちは学校の敷地内に足を踏み入れる。
校庭では子どもたちが楽しそうに走り回っていました。それを見ると、自然と頬が緩んでしまいます。
「すみませーん! 誰か大人の人はいませんかー」
建物の前まで辿り着き、そう声を上げると、
「誰かと思ったら、随分懐かしい顔だねえ。なんか用か?」
少ししてから、一人の男性が建物の中から出てきました。
「ジークハルトさん、お久しぶりです」
と私は彼──ジークハルトさんに挨拶をする。
「久しぶり。もしや、その隣にいる男は……」
「ナイジェル・リンチギハムです。初めまして」
「……やはりそうでしたか。隣国リンチギハムの第一王子。あなたにお会いすることが出来て、私も光栄です」
ジークハルトさんがナイジェルと握手を交わす。
「ナイジェル殿下はどのような身分が相手でも、礼儀正しい方と聞いていました。この様子だと、それは間違いなかったみたいですね」
「恐縮です」
「ですが……私は一介の歴史学者。あなたほどの人が、私にそう謙らなくても十分ですよ」
「それは僕の台詞です。あなたの人となりについては、エリアーヌから聞いています。随分喋りにくそうに感じます。いつもの喋り方で問題ありませんよ」
「それは──」
「なら──僕も普段通りの言葉遣いでいくよ。これでどうかな?」
「……ナイジェル殿下の心遣い、感謝します。では──俺もいつも通りにいかせてもらう。この喋り方は肩が凝って仕方がねえ」
ジークハルトさんはそう言って、頭を掻く。
「えーっと、ジークハルト氏は魔王騒ぎの際に、始まりの聖女の手がかりともなる情報を教えてくれたんだよね?」
「ええ」
ナイジェルの問いに、私は首を縦に振る。
ベルカイムには始まりの聖女の力が眠っている。
そう目星を付けた私たちでしたが、その力はどこを探しても見当すら掴めずにいました。
そんな時、元歴史学者であったジークハルトさんにお話しを伺い、私たちはとうとう始まりの聖女の力に一歩近付いたのです。
「あなたがいる場所は、前々からレティシアに聞いていましたが──どうして学校の教師になろうと?」
「んー? そんなん決まってる。金が必要だからだ」
とジークハルトさんは人差し指と親指で、硬貨の丸い形を形取った。
「嘘──ですね。クロードの家庭教師も続けているんでしょう? そちらの給金で十分、生活費は賄えるはずです」
「……全く。相変わらず勘の鋭いお嬢ちゃんだな」
ジークハルトさんが罰が悪そうな顔をして、こう続ける。
「まあ……実際、家庭教師の給金は十分な額だ。元々、質素な生活が好きでねえ。ただ生きていくためだけなら、わざわざ学校の教師を兼任する必要はない」
「なら……」
「だが、歴史学を本気で研究しようとしたら、金がいくらあっても足りねえ。だから金のためっていうのは、あながち嘘じゃないが──それとは別に、人になにかを育てるってのに楽しみを感じてねえ。だからこうして、教師として雇ってもらっている」
「……変わりましたね。ジークハルトさん」
「そうかあ? 今までがマイナスすぎたからな。ちょっといいことして、プラスに見えるだけだろ」
ちょっと照れた様子のジークハルトさん。
「……で、お嬢ちゃんは挨拶をしに、こんな町外れの学校にまで来たっていうのか?」
「それもありますが──ジークハルトさんに聞いておきたいことがありまして」
「聞いておきたいこと?」
「はい。魔王が封印されていた場所に、火事場泥棒が入った話は聞きましたよね? それについて、なにか知っているかと思いまして……」
クロードが言っていた『有名な歴史学者』というのは、間違いなくジークハルトさんのことでしょう。
ジークハルトさんは魔王伝承について調べすぎて、一度学会を追放されてしまった身。
私は別ですが──魔王について、この世界で一番詳しい人間は彼だと自信を持って言えます。
私が質問すると、ジークハルトさんの表情が一転。
真剣味を帯びた顔つきで、
「……ああ、聞いている。しかしクロード殿下にも言ったが、さすがに特定までは出来ねえ。だが──唯一、心当たりがあるとするならば『呪い』だ」
と口を動かした。
「呪い……そういえば、あの場所は魔王の呪いで充満していたね。僕でもふらふらしてしまうような場所だった」
ナイジェルもそう口にする。
「持ち去られたものは、呪いに関連するものだと?」
「まあこれは俺の推測だ。証拠なんてありもしねえ。そもそもそんな見つけやすいものだったら、レティシア王太子妃が気付いているだろうしな。だから俺の言っていることも、確証なんてありもしない」
そう肩をすくめるジークハルトさん。
「そうですか……謎が深まるばかりです」
「お役に立てなくて、すまねえな。それにしても──レティシア王太子妃ねえ。まさか呪術師が、この国の王子と結婚することになるとは思っていなかった」
「どういう意味ですか?」
私が問うと、ジークハルトさんはとつとつと語り始めた。
「いや、なに。元々、この国において呪術師の扱いがどんなものかって、世間知らずのお嬢ちゃんでも知ってるだろ?」
「むーっ。世間知らずは余計です」
ジークハルトさんに軽口に、私は頬を膨らませた。
「呪術師──正直、人々はあまり良いイメージは持っていないでしょうね。それに……私はレティシア以外だと、お会いしたこともありません。どちらかというと、この国の影の部分というイメージです」
「そうだ。呪術師はこの国の影の部分。表部分には決して出てこない。言葉は悪いが──虐げられる側の人種なんだ」
それは私も肌で感じていました。
昔から、世の人々の呪術師のイメージは悪い。呪術師という疑いをかけられて、不当な扱いを受ける人々もたくさん見てきました。
しかしこうしてあらためて、ジークハルトさんの口から出た言葉を聞いてしまうと、実感が湧いてきます。
それはそう、今まで影の部分を見なかったようにしていたみたいで──。
「リンチギハムにもそういうところがある。だけどベルカイムは、呪術師に対する忌避意識がさらに高いように思えるね。それはどうしてかな?」
「ベルカイム王国で事件があったからだ。お嬢ちゃんはナイジェル殿下が生まれるよりも、ずっとずっと前にな──」
とジークハルトさんはさらに話を続ける。
「大昔、とある呪術師の集団がこの国を乗っ取ろうとした。呪いを使って国を混乱させたらしい。少なくない数の人々が傷ついたし、たくさんの人が死んだ」
「そんなことが……」
「その騒動をなんとか治められたそうだが……もしかしたら、呪術師の集団が国を乗っ取っていたかもしれない。そうなったら、今のベルカイム王国も呪術師の国になっていたかもな。それほどの事件だ」
「一国を乗っ取れるほどの呪い──気になりますね。レティシアに聞いてみたら、分かるでしょうか?」
「知らないと思うぞ。その呪いは禁術とされ、闇に葬られてきたからな。二度とこのようなことが起きないようにするためだろうな」
大昔にあった事件。禁術としてその記録は消され、二度とそのようなことは起こらないはず。
ですが──何故でしょう。彼の話を聞いて、胸騒ぎが酷くなっていきました。
「そういう事件があったから、ベルカイムでは呪術師を忌避する傾向があると?」
「その通りだ。もっとも、その差別意識も大分薄れてきたけどな。しかし呪術師というだけで、まともな職業にありつけなかったり、家や金も貸してくれなかったりする。そういう事情があるから、レティシア王太子妃がクロード殿下と結婚するという報せを聞いた時は──驚いたものだ」
レティシアも言っていました。
クロードと結婚するにあたって、反対する者が多いと。
私ですら、「聖女とはいえ平民がナイジェル殿下と結婚するとは、なにごとだ!」と反論の意を唱える人が多かったのです。
呪術師であるレティシアには、どれほどの障害が立ち塞がっていたのでしょうか。
彼女たちの笑顔の裏に、私の知らない苦労があったかと思うと胸が痛くなります。
「ありがとうございます、ジークハルトさん。貴重なお話を聞かせていただいて」
「俺みたいなおっさんが、少しでも役に立てるっていうならお安いご用だ。他に聞きたいことは──」
「せんせー!」
ジークハルトさんが話を続けようとすると、校庭にいる子どもたちが彼に駆け寄ってきた。
「せんせーもあそぼー!」
「きょうは負けないんだからねー」
「ちょ、ちょっと待てって。先生にはお客さんが……」
「ふふふ、忙しそうですね。ナイジェル、私たちもそろそろお暇しましょうか」
「そうだね。仕事の邪魔をしちゃいけないね」
と私たちは微笑む。
「では、ジークハルトさん。また来ます。どうか、お体にはお気を付けください」
「お嬢ちゃんも元気でな」
子どもたちに腕を引っ張られているジークハルトさんに手を振って、私たちはその場を後にしました。





