178・美しくも儚い旋律
「本当だね。行ってみようか」
頷いて、私たちは人だかりの方へ向かう。
「ベルカイムのみなさん。我々はアポロン音楽団。クロード殿下の結婚式に馳せ参じました」
人だかりの最前列では、一人の男性がみなさんにそう話していました。
ふわっとした長髪。穏やかそうな顔立ちは、見る者の目を釘付けにします。
その証拠に、語り手の男性の端正な顔立ちに、周囲にいる女性たちはうっとりしているようでした。
そしてなにより──こうして耳を傾けているだけで、心地よくなってくる声質。
彼の語る一言一言が美しい音楽のようで、他の通行人たちも思わず足を止めています。
「クロード殿下が言ってた、音楽団って彼らのことだったのかな?」
「そうかもしれませんね」
と私はナイジェルに返事をする。
こうしている間にも、男性は話は続く。
「とはいえ──結婚式当日だけに、音楽を披露するのはあまりにも味気ない。我々の音楽をもっと多くの人に聞いてもらいたい。というわけで、即席の演奏をここで披露いたしましょう。もしよろしければ、お聴きいただければ幸いです」
恭しく男性は頭を下げる。
「……おっと、失礼しました。私はディートヘルム。アポロン音楽団の団長と指揮を担当しています。以後、お見知り置きを」
彼──ディートヘルムさんはちょっとおどけた風にそう自己紹介をします。
「では──お聞きください。『天から舞い降りるソリチュード』──」
そう言って、ディートヘルムさんが背を向けると、その後ろに控えていた演奏者たちが一斉に構える。
ディートヘルムさんが指揮棒を持った右手を上げると──演奏は開始された。
静かな立ち上がり。
まるで流麗な川のせせらぎのよう。緑が豊かな森の中で、妖精たちが楽しく踊っている光景が頭に浮かびます。
そのまま演奏は続き、やがて激しい曲調となります。森に嵐が吹き荒れ雷が落ち、動物たちが逃げ出します。それはまるで孤独の辛さを物語っているような──。
しかしどんな悲劇にも終わりがきます。
曲はゆっくりなものへと転調し、落ち着きと調和を取り戻します。
そしてディートヘルムさんがゆっくりと指揮棒を下ろすと、割れんばかりの拍手が起こりました。
「す、すごいです……!」
「そうだね。こんな演奏はなかなか聞いたことがないよ。クロード殿下も良い音楽団を招いたね」
ナイジェルもアポロン音楽団に拍手を送る。
まるで時間が止まったかのようでした……曲の世界観に、知らずのうちに引き込まれてしまいました。
「でも……」
「どうしたんだい?」
こんな素敵な音楽なのに──何故だか、ぞっとするような寒さを感じてしまいました。
まるで演奏者の悲しみと憎しみが滲み出ているような、そんな音楽。どうして私、こんな感想を抱いてしまったんでしょうか……。
しかしこんなに盛り上がっているのに、それを言うのも野暮というものです。
「い、いえ。素敵でした。リンチギハムにも来てもらいたいです」
「その通りだね」
慌てて首を横に振り、そう口にすると、ナイジェルも微笑みを携えて答えてくれた。
「ご清聴、ありがとうございました」
ディートヘルムさんがそう言って、その場を離れる。
なんでしょうか……? と思っていると、彼はすぐに戻ってくる。その両手には薔薇の花束が抱えられていました。
「こんな素敵な日に、あなたたちとお会い出来て私は嬉しい。これは私からのちょっとしたプレゼントです」
と──ディートヘルムさんは薔薇の花束を高く放り投げる。
それは風に乗って、最後列の私のところまで届きました。
あっと思って、反射的に両手を差し出すと──いつの間にか、私の両手には薔薇の花束が。
「おや、どうやら素敵なお嬢さんにプレゼントが届いたようですね。どうか、受け取ってください」
ディートヘルムさんが笑顔を浮かべる。
一斉に周囲の人たちが振り向き、私たちに視線を浴びせる。
「すごい美人……隣にいる人は彼女の恋人かな?」
「くーっ! 羨ましいぜ。それにしても、あの男女。どこかで見たことがあるような……」
「お、おい! 間違いねえ。あれは隣国の聖女様だ。しかも隣にいるのはナイジェル殿下!?」
「クロード殿下の結婚式に招待されたのか!? だとしても、どうしてもこんな街中に……」
私たちに気付いた人々がざわざわと騒ぎ出し、それは周囲に伝播していきます。
「ど、どどどうしましょう! 目立つのは、苦手だというのに……」
「とにかくこの場から離れようか。こんなところで騒ぎを起こしたら、クロード殿下とレティシアにも申し訳ないよ」
私の右手をナイジェルが握って、走り出す。
両手には先ほど、偶然捕ってしまった薔薇の花束が抱えられています。せっかく頂いたものですから……と思い、離さないように気を付けます。
最後に音楽団の方に顔を向けると、私の視線に気付いたのか、ディートヘルムさんが微笑みで答えました。
◆ ◆
「ま、まさかリンチギハムの聖女様が、俺らの演奏を聞いてくれるなんてな……」
「突然のことすぎて驚いたよ。聖女様、満足してくれたらいいんだが」
「それにしても、すごいキレイだったわね。同じ女性として憧れるわ」
エリアーヌがいなくなった後。
アポロン音楽団の者たちは、そう口々に話していた。
その表情はとても興奮したものだった。この顔を見るだけでも、彼ら・彼女らにとって、聖女に自分達の音楽を聴いてもらえることがどれだけ誉れなことなのか──を如実に示していた。
しかし。
「ふふふ、確かに美しい女性だったね」
ディートヘルムだけが普段と変わらない様子で、一本の赤い薔薇を右手でクルクルと弄んでいた。
「だけどこういう言葉は知らないかな? キレイな花には棘がある。あれはいわば、世界にとって光の部分だよ」
「光の部分……? そりゃあ、聖女様は世界全域に結界を張って、我々を守ってくれているらしいからな。光っていうのは、あながち間違いじゃないと思うが……」
「そういうことじゃない」
とディートヘルムは顔を上げ、こう続けた。
「光あるところに影は必ず存在する。彼女の存在は、世界の影の部分を際立たせるものだ。そして愚かなことに、人々は影に蓋をして見ないようにする。バカだよね。そんなことをしても、影はなくならないというのに──」
ディートヘルムの言葉に、他の楽団員は一様に首をかしげた。
しかしそれ以上、追及しようとはしない。ディートヘルムがこうして、詩的なことを口にするのは珍しくなかったからだ。
ディートヘルムは薔薇を顔の前まで近付ける。
彼がふっと息を吹きかけると、何枚かの花びらがひらひらと地面に落ちていった。





