161・僕は君だけの──
「魔王の闇の力よ。この手に宿りたまえ」
それを言葉にした瞬間──目の前と頭が真っ暗になる。
視界が完全に遮断された中、こんな声が聞こえてきた。
〈ほお、ようやく妾の力を頼る気になったか?〉
それは聞いているだけで、頭がぐちゃぐちゃになってくる。
憎い憎い憎い憎い。
この世の全ての憎しみを一身に受けたような感覚。
頭は痛さを通り越して、すっきりしている。
しかし思うように体を動かせない。
途切れそうになる意識を、僕は必死に繋ぎ止めていた。
「ナイジェル!」
彼女の姿は見えない。だけど声だけが聞こえる。
だけどその声を聞いているだけで、彼女に対する愛しさが膨らんでいく。
〈貴様はなにを捨てる?〉
魔王の声が、僕に語りかけてくる。
「僕は……」
〈今の状況、分かっているだろう? 聖女を見捨てれば、世界は救われる。しかし逆に──世界を見捨てれば、聖女は救われる。つまり聖女と世界を天秤にかけられているのだ。貴様はどちらを選ぶ?〉
それはここに来る前、女神に──そして魔王に尋ねられた質問だ。
いや、さらにずっと前──ドグラスはこういう状況がいつか訪れると思って、僕に問うた。
王子として──僕の取るべき選択肢は分かっている。
エリアーヌを見捨てることだ。
王族というのは時に、自分の大切なものや人を捨ててでも、民を救わなければならない。
そして──自分自身の命ですらも、犠牲にしなければならない時がくる。
今がまさしくその時だ。
僕はみんなの理想の王子様として、エリアーヌ一人だけを犠牲にしなければならない。
しかし──。
「僕が選ぶのは──エリアーヌ……だ」
僕の取った選択肢は──王子としてふさわしくないものだった。
「ナイジェル、お気を確かに持ってください!」
僕は今まで、ワガママを言ったことがない。
ならばこれは、僕にとっての初めての反抗期なのだろう。
〈くくく、面白い答えだ。考えが変わったか?〉
魔王が愉快そうに笑う。
闇の力を強く渇望したためか──正常な判断を下すことが出来ない。
自分でも感じたことのないほどの、憎悪や嫌悪感が湧いてきた。
「やめてください、ナイジェル! あなたは王子でしょう? ここで私を選ぶということは、有り得ません!」
そう言われて、ちょっとむっとしてしまった。
違う。
僕がしたいのはそうじゃない。
「僕は──」
頭の中のもやもやを振り払うかのように、僕はこう叫ぶ。
「君だけの理想の王子様になりたいんだあああああああ!」
みんなの理想の王子様になんて、なれなくてもいい。
ただ僕は──たった一人、愛する人だけの王子様になりたい。
だって男というのは、そういうものだからだ。
惚れた女の理想の王子様になろうとする──。
「ナイ──ジェ──っ」
ああ──エリアーヌの声がどんどん遠くなっていく。
闇に染まっていく僕では、もう彼女の手は握れないのかもしれない。
しかし──。
「違う」
一言、そう呟く。
果たして、国を見捨ててエリアーヌの手を取ることが、彼女だけの理想の王子様になるという意味なのだろうか?
──違うだろ、ナイジェル?
お前はそんな、器の小さい男だったのか?
こんなことをして、エリアーヌは喜んでくれると思っているのか?
──全て否だ。
〈貴様はなにを捨てる?〉
あの時──そして今、魔王が僕に問いかけてきた言葉。
僕はそれに対して、何度だってこう答えてやる。
「なにも捨てない。欲張りだと思われてもいい。全部全部──僕はこの手から大切なものを、一滴たりとも零すつもりはない!」
それが彼女の理想の王子様だと思うから──。
頭の中のもやを斬り裂くかのように、剣を払う。
すると、今まで真っ暗だった世界が急に白く輝き出す。
そして目の前には、僕が愛した女性がいた。





