159・お姫様は王子様にしか救えない
「呪術士の娘か」
ヨルはレティシアが現れてなお、感情を露わにしない。
「あら、そこまで分かってんなら、どうしてクロードにあんなぬいぐるみを渡したのかしら。なにを考えているつもり?」
「…………」
ヨルはレティシアの質問に答えない。
「……君がどうしてここに?」
僕の言葉に、
「さあね。気付いたらこの空間にいたわ。ここは……《白の蛇》がいる場所ってところかしら? でも今はそんなことより──あいつをなんとかしましょ」
とレティシアがウィンクをして答えた。
「……楽しいお喋りは終わったか? なんにせよ、小娘一人が現れたくらいで事態は好転しない。一度下がった幕は二度と上がらないのだ」
そう言って、続けてヨルは先ほどの闇の弾丸を放ってくる。死の運命が付随している弾丸。一発でも体に擦ったら即死。
しかも今度は一発ではない。何発も連射してきた。
「舐めんじゃないわよ」
だが、それらは──レティシアが指を鳴らすと、全て爆発し木っ端微塵になった。
「あれの主成分は呪いのようね。呪いなら、わたしの呪いをぶつけて相殺出来る。さあ──わたしがあんたの盾となってあげるから、あのクソダサい男をさっさと倒してきなさい!」
「助かる!」
僕は剣を強く握り、再びヨルに向かっていく。
しかしヨルもただ黙って待っているだけではない。
弾丸が僕を殺そうと向かってくるが、レティシアが片っ端から無効化してくれた。
しかし不思議なことに走れば走るほど、ヨルが僕から離れていく。
通路が無限に続くのではないかと錯覚してしまう。だけど僕は足を止めなかった。
「なんのつもりだい?」
駆けながら、僕はヨルに問いかける。
「なにを言っている?」
「堕天使といっても、天使であることには変わりないんだろう。それなのに《白の蛇》を使って──エリアーヌとセシリーを攫って──なにをするつもりだったんだ」
「僕は《白の蛇》を使って、この醜い世界を消滅させようとしているだけだ」
弾丸はさらにその数を増やしていく。
しかし僕は前に進むのをやめない。
「富める者が貧しい者を虐げる。力ある者が力なき者を殺す。僕だって、天使の端くれだ。最初は人間を信じたかった。しかし──お前等人間はことごとく、僕の期待を裏切ってくれる。なのに──お前はどうしてそういう目をする?」
「決まっている。僕はこの美しい世界を信じているからだよ」
ヨルは不可解そうに首をかしげる。
「世界の醜い光景しか見せられなかったことに対して──人間の代表として、僕は君に謝罪する。ごめん。でも……信じて欲しい。人間ってのは、そういうヤツらばかりじゃない。きっとみんな、幸せになりたいだけなんだ。それが擦れ違うだけで──」
「キレイ事だな。いくらそんなことを言われても、もう遅い。僕の心はとっくの昔に壊れている」
──不思議なことに、あれだけ走っても走っても近付けなかったヨルとの距離が、見る見るうちに詰まっていく。
そしてヨルの目と鼻の先まで、僕はとうとう到着する。
「もう分かり合えないのかな?」
「無駄だ」
「……そうか」
それを聞いて──僕はヨルの胸を神剣で貫いた。
驚くほど、すーっと剣が入っていく。まるでケーキ入刀かのごとき軟さ。
「……どうしてそんな悲しい目をするんだい」
「なにもかもが虚しくなったからだ」
ヨルは抵抗する素振りすら見せない。
事実上の敗北宣言のように思えた。
「教えてやる。僕を倒しても、お前等に訪れるのは絶望だ。《白の蛇》を殺せばリンチギハムは消滅する。しかし《白の蛇》もいなくなり、リンチギハムが消滅しない手段が一つだけある」
「それは……?」
「聖女を殺すことだ」
ヨルは淡々と告げる。
「彼女を殺せば、《白の蛇》の残されていた寿命が一瞬でゼロになる。そうすれば神罰は下らない。この先は考えろ。僕がなにを言いたいか分かるな?」
「……ああ」
昨日までの僕なら、まだ迷いが生じていたのかもしれない。
だけど僕は決めたんだ。
「分かるさ。その答えもある。だから僕はここに来た」
「そうか。ならそれを見せてもらおう」
そう言って、ヨルはゆっくり瞼を閉じる。
彼の体が光の粒子となって消えていった。
「……人間を信じたかったっていう言葉は、本心だと思うのよ」
後ろからレティシアが歩み寄り、僕にそう声をかける。
「だって、考えてもみなさいよ。エリアーヌとセシリーならともかく、クロードにここの《入り口》になるぬいぐるみを渡す道理は、どこにもないんだもの」
「どういうことだい?」
「多分、試してみたんだと思う。わたしが呪術師ってことも見抜いてたみたいだしね。もしかしたら彼、人間を見極めたかったんじゃないかしら」
とレティシアが口にする。
……案外、答えというのはそんなものかもしれない。
「なら、僕達の行動は彼になにかを示すことが出来たのかな」
「さあね。それに──今はそんなこと、重要じゃないわ」
レティシアがそう言うと、彼女の体が輝きを放ち始めた。徐々に体の色素が失われていき、この空間から消えようとする。
「レ、レティシア!?」
「あっ……もうダメみたいね。多分、わたしを連れてきたのはあの子なんだし、もうお役御免ってことかしら? わたしはここまで。それに──」
そう言って、レティシアは口元に笑みを浮かべた。
「エリアーヌはあんたにしか救えないわ。お姫様を助けるのは、王子様だけって相場が決まってるんだから」





