157・全ての真相
「ようやくここまで辿り着いた」
ヨルは《白の蛇》を見上げ、そう呟いた。
しかし今回は《白の蛇》だけではない。
聖女──エリアーヌが両手両足を伸ばして空間に固定されている。
その両瞼は固く閉じられたままだ。直に目を覚ますことになるが、彼女が《白の蛇》を見て、なにを思うのだろうか。
ここに連れてくる前──なんとか活路を見出し、ヨルに抵抗しようとしていた彼女の姿を思い出す。
エリアーヌは人間が好きなように見えた。そうでないと、あの時セシリーを見捨てているはずだ。
「こんな醜い世界で生きているというのに、どうしてこいつは希望を失わないんだろうか」
それはふと呟いた独り言。
その答えを、ヨルは未だに掴めていない。もしかしたら、そんな答えなど最初から存在していないのかもしれない。
しかしこんな無駄なことを考えるのは──。
「僕はまだ、人間に期待している……?」
そう思って、ヨルはすぐに首を横に振る。
バカな考えだ。人間に希望を抱くのはやめよう。
「ん……」
エリアーヌの口から声が漏れた。ようやくお目覚めのようだ。
ヨルは頭の中を切り替え、エリアーヌの顔を見据えた。
◆ ◆
「ん……」
目を開ける。
すると──そこは不思議な場所でした。
壁が半透明の壁になっているんでしょうか?
その外側には水が満ちています。
まるで巨大な水槽の中に入れられたみたいです。
私はそこで両手両足を伸ばして、空中に固定されている。
これでは、十字架に磔にさせられた罪人みたい。
「ようやくお目覚めか」
まだ状況の把握も終わっていないのに──男の声が聞こえてきた。
前を向くと、そこには人形師のヨルが宙に浮いた状態で、私を見ていました。
だけどその瞳には感情が宿っていない。
底がない深淵のような黒さ。そんな瞳に私は不気味さを感じた。
「……ここが《白の蛇》のいる場所ということですか」
私が問いかけると、ヨルは無表情で頷く。
なら《白の蛇》はどこに──と思うより早く、私には聞かなければならないことがあります。
「セシリーちゃんはどこですか? 答えなさい」
「そう慌てるな。そいつならここだ」
とヨルが指を鳴らすと、彼の隣に人形の光が現れた。
そしてそれはゆっくり像を結び──、
「セシリーちゃん!」
セシリーちゃんが私と同じように、両手両足を固定されて空間に浮いていました。
彼女は気を失っているよう。呼びかけても返事はありません。
だけど微かに、呼吸で肩が上下しているのが分かります。生きていることは確かなようです。
「私はあなたの言う通りにしました。早くセシリーちゃんを解放しなさい!」
「まあ待て。そう慌てずとも、こいつは不要だ。ちゃんと返してやる。その前に──」
そう言って、ヨルは壁の向こう側に視線を移す。
「それをまずは見ろ。邪神──《白の蛇》だ」
私がヨルの視線の先を見ると、仄かに光を放つ白い蛇が水の中を泳ぎ回っていました。
しかしただの蛇ではありません。
どこからどこまでが端なのか分からないくらい、巨大なサイズ。
その圧倒的な姿に、私は思わず息を呑む。
さらに……よく目を凝らすと、《白の蛇》の周りには無数の点のようなものが浮かんでいた。
「これらは《白の蛇》の力によって街から消えたものだ。お前等に言わせると『大切なもの』──といったところか」
「こんなところに……」
微かにそれがなんなのか分かるものもある。
一際大きい点──あれは時計台でしょうか。
ここからだとはっきりとは分かりませんが、リンチギハムにあったもので間違いなさそうです。
「……あなたはなにを考えているつもりですか? 《白の蛇》と一緒になにを企んでいるのですか?」
「ふんっ、《白の蛇》と一緒にというのは間違っている。何故なら、《白の蛇》には意志がない。僕はこの《白の蛇》を利用し、この世界を──消滅させようとしているだけだ」
「世界を……!? そんなことが出来るのだとお思いに?」
「無論だ。《白の蛇》──そして聖女の力があればな」
ヨルが淡々とそう口にする。
「なので、私をここまで生きたまま連れてきたわけですね」
「やはり、その様子だとなにか勘付いているようだな。さすが聖女だ」
そう喋っているヨルからは、やはり感情の揺らぎが感じ取れない。
この世のなにもかもがどうでもいい──そう思っているかのようでした。
「ご名答。まずは《白の蛇》の力についてあらためて説明しようか。たまに魔法を使ったかのように、人が行方不明になることがあるだろう? お前等が神隠しと呼んでいる現象だ。
それだけではない。戦争中、突然独裁者が姿を消してしまうことがある。連続殺人が唐突にやむ時もある──それらは全て、《白の蛇》の力によってもたらされるものだ」
黙って話に耳を傾けていると、ヨルはさらに無表情のまま続ける。
「そして今回の事件も、そんな《白の蛇》の力の放出だった。しかし……僕が少し手を加え、過剰に《白の蛇》の力を行使させてはいるがな。ここにこの小娘とお前を連れてきたのも、《白の蛇》の力を利用させてもらった。
しかし《白の蛇》の力は急激に弱まっている。《白の蛇》はもう限界なのだ。近いうちに寿命は尽きるだろうが──果たして、お前等人間達にとって、およそ十年という年月はどう感じるんだろうな」
「十年──」
《白の蛇》の寿命が尽きてしまいそうなのは朗報。
だけどその十年で、どれだけの犠牲が出るのでしょうか。それを思えば、やはり放っておくわけにはいきません。
「だが、それでは世界は消滅させられない。《白の蛇》の力もこれから弱まるだろうし、せいぜい出来たとしてリンチギハムを半分消し去るくらいだろうな」
とヨルは口にして、私を指差す。
「そこでお前──聖女の力が必要だった。お前にはこの空間で千年以上、《白の蛇》に魔力を供給してもらう。そうすれば《白の蛇》は世界を消滅させるまで、活動を継続することが出来る」
「だから私に死んでもらったら困るわけですか……」
──私はあの時、「舌を噛んで死ぬ」と言った。
何故なら、ヨルは私に危害を加えるつもりがなさそうでしたから。
つまり……私の命が取引材料になると思ったのです。
その推測は間違いではなかったよう。
「ですが、私がそれを聞いて、《白の蛇》に魔力を分け与えるとお思いですか?」
「お前はそんなことをしないだろうな。そうだな……まずは可視化させてやろう。《白の蛇》の寿命をな」
パチンッと指を鳴らす。
すると《白の蛇》の体が白い炎で燃え盛った。
「この炎が《白の蛇》の寿命だ。だが、今は弱々しい。すぐに消えてしまいそうだ。一方……お前自身の体を見てみろ」
ヨルに言われて、私は胸元に視線を落とす。
そこには《白の蛇》と同じような白い炎が、いつの間にか現れていました。
とはいえ、《白の蛇》とは違い全身ではないですし、小さく灯っているだけですが。
「お前の命と《白の蛇》を直結させてもらった。こうすればお前の意志がどうであろうと、自動的に《白の蛇》に魔力を供給することになる。お前の魔力と、《白の蛇》──神々の魔力が非常に似た性質を持っていたため、可能だった所業だ。
とはいえ、これにはリスクも生じる。それはお前がいなければ、《白の蛇》はもう自分の存在を保てなくなるということだ。なにもしなければ十年先まで持っていた寿命が、一瞬でゼロになるわけだな。しかし──僕は世界を消すことにしか興味がない。ゆえにこのリスクもあってないようなものだ」
「つまり……私が死んでこの灯火が消えてしまえば、《白の蛇》が纏っている炎も同じように消えるということですね」
「その通りだ」
とヨルはゆっくりと首を縦に振った。
……話を纏めましょう。
ヨルは世界を消滅させたいと思っている。だけど《白の蛇》の寿命が近くなってきているので、彼の野望が達成されるまでに死んでしまう。
そこで私と《白の蛇》の魔力──そして命を繋げて、寿命を延ばそうとした。この場合、私が死ねば《白の蛇》の残されていた寿命が一瞬で枯渇する。
なら──。
「妙なことを考えるな」
私の考えを先読みしたように、ヨルが口を開く。
「お察しの通り、お前が死んでも《白の蛇》を直接殺したことにはならないので、神罰は発生しない。しかし──ここに来てしまったお前は無力。この空間は神界の端っこ。神界においては、自死というのは大罪でな。自分から死のうとしても、それが出来ない仕組みとなっている」
「あら、では試してみますか?」
「やってみても、僕は問題ないぞ。しかし──いちいちこのやり取りが面倒臭い。この小娘を人質に取らせてもらおうか」
と今度、ヨルはセシリーちゃんに顔を向けた。
……やはりそうきましたか。
「……どうやら聖女の力も使えなくなっているようですね」
「ああ。僕が欲しいのは、お前の魔力だけだ。無駄な力は必要ない」
先ほどから、結界魔法や治癒魔法を発動しようと思いましたが──上手くいきません。
女神と交信しようとしても、返事がない。
体の内側に、魔力が残っているのは感じられるんですけれどね。
「お前はもう詰んでいるんだ。女神の力なしでは、この空間から出ることも出来ない。死ねば《白の蛇》は寿命を迎えるが、自分で死ぬことすら出来ない。諦めろ」
「諦めるわけにはいきません。私はみなさんに『事件を解決する』と約束したのですから。必ずなんとかしてみせます」
とヨルをキッと睨み返すと、
「くくく……」
彼は無表情のまま、口から笑いを零した。
「どうやらその目──この絶望的な状況で、まだ希望を失っていないということか。認めよう──お前は予想以上にたくましい女だ」
「それはどうも」
だって、助けを待つだけのお姫様でい続ける気はないのですから。
こうしている間にも、この窮地を脱出する術を無数に思考する。
でも──ダメ。
どのような筋道を辿っても、なにかを犠牲にしなければなりません。
最有力な選択肢は──私が死んで、《白の蛇》の暴走を止めること。
だけど自死を封じられています。万事休すですが──それは諦める理由にはなりませんから。
「む──来たか」
ヨルと会話を交わしながら、なんとか尻尾を掴もうとすると──突如、彼はなにかに気付いたように声を上げる。
「どうかしましたか?」
「この空間に異物が入り込もうとしている。しかも二人分だ。まあもっとも、その内一人は計算通りだがな」
「……?」
もしかして──ナイジェル?
でもどうやってこの空間に?
それに二人分ということは、もう一人は誰でしょう。皆目見当が付きません。
「お前達人間は足掻いてくれるな。退屈な人間ばかりだと思っていたが、ちょっとは骨のあるヤツもいるらしい。しかし──これで僕の渇きは潤せない」
ヨルがそう言うと、彼の体が徐々に薄くなっていく。
「どこに行かれるつもりですか?」
「異物を排除しにいくだけだ。すぐに戻る」
ヨルの姿が消えていく──どこかに転移するつもりなのでしょうか。
だけど彼の姿が完全に消える前に、私はこう問いかけた。
「あなたは一体何者ですか? 答えてください」
「それを知ってどうする。だが……そうだな。僕は長年、《白の蛇》に仕えていた者とだけ教えておこうか。そして理由だが──」
仕えていた──やはりあれしかありません。
「だとしたら、どうしてあなたは──」
私が次の質問を紡ぐよりも早く、ヨルは目の前からいなくなってしまった。