151・僕の大切な妹
エリアーヌと別れてから、僕は早足で城内を歩いていた。
「セシリー……」
そうしていると彼女との思い出が、次から次へと頭の中に浮かんでは消えていく。
──あれは三年くらい前のことだろうか。
まだ僕が学生だった頃──学内の試験や公務が重なって、大忙しの時期があった。
体や心は疲れを訴え、壊れる寸前にまで至っていた。
しかし表面上はいつもと変わらず、日々の生活を過ごすようにと心掛けていた。
『ナイジェルはすごいな。いつも涼しい顔をして、偉業をやってのける』
『ほんとすごいよね。私達とは体の作りも、心の在り方も根本から違っているんでしょう』
周りの同級生達は、そんな僕を褒め称えていた。
僕はそれに笑顔で応える。
だが──心は悲鳴を上げていた。
僕は常に国の代表として、みんなに規範を示す必要があった。
だから心の叫びを外に出せるわけがない。そんなことをしてしまえば、みんなが僕を見損なってしまうんじゃないか……と今まで築き上げてきた評価が崩れるのが、怖かったのだ。
とはいえ、僕はそんな生活に満足していた。
ゆくゆく、僕はこの国の王となるだろう。
理想の王として民を引っ張り、国を発展させていくことに無類の喜びを感じた。
ゆえにその日の夜も、自室で教科書を広げて勉強をしていた。夜も大分更けていたと思う。
その時に──ドアのノックがする音が聞こえて、廊下から誰かが入ってきた。
セシリーだ。
『セシリー、どうしたんだい? 眠れないのかい?』
『ううん……』
彼女は首を横に振ってから、僕に小さな袋を差し出した。
『にぃにのために、クッキーつくってきたの。これたべて、げんきだして』
それは感動よりも、驚きの方が大きかったと思う。
袋を開ける。そこには色とりどりのクッキーが入っていた。形も不揃いで、どこかで購入してきたものとは思えない。セシリーが作ったというのは本当なのだろう。
もちろん、あの時のセシリーは今よりさらに幼い。お城のコックに手伝ってもらって、作ったんだろうか。
クッキーを一口食べてみる──甘い。というより、甘すぎる。
砂糖の配分を間違ってしまったのだろうか?
しかし疲れた体に、その甘さが染み渡っていく。今の僕にとって、最高のクッキーだった。
だから。
『ありがとう、セシリー。美味しいよ』
と心からの本音をセシリーに伝えた。
すると彼女はにぱーっと笑顔を浮かべて、僕に寄りかかって、
『つかれたときは、やすんだほうがいいの。にぃに、がんばりすぎだよ』
と口を動かした。
誰にも疲れを悟られていないつもりだった。
現に同級生も──アビーや父上も普段と変わらない僕を見て、なにも言ってこなかった。
しかしセシリーだけは違った。
彼女だけは、僕の心の悲鳴に気付いていたのだ。
気付いたら、目から涙が滴り落ちていた。
「ふふふ、今思えばお兄ちゃんらしくないところを、セシリーに見せてしまったね」
つい笑みが零れる。
「元々甘いものは好きだったけど、あれから、さらに好きになったかもしれない」
セシリーは僕にとって大切な妹だ。
でも──そんな彼女ともう二度と会えなくなってしまうかもしれない。
エリアーヌの前では出来るだけ気丈に振る舞ったつもりだった。しかし本当のところは、不安を吐露したかった。
しかしそれはいけない。
そんなことをすれば、みんなは不安がるだろうから。
せめて人前では、みんなの理想の王子様を演じなければならない。
そう自分を諌めて、再びセシリー捜索のために頭を切り替える。
「早く学者から話を聞かないとっ。確か城内に……」
と呟いた時だった。
「……っ!?」
強烈な目眩。続けて頭痛が襲ってくる。
思わず近くの壁に手をかける。そうしなければ、このまま倒れてしまっていただろう。
「一体なにが……?」
いや、今だけではない。
最近、頗る体調が悪い。
少し頑張りすぎたためだと思っていたが、これはいつもの疲れとは少し違っていて──。
〈いい加減、己が欲望に忠実になれ。今の貴様は醜い〉
まただ。
ドグラスと剣を交わした時に聞こえてきた声と同じものだ。
こんな声は聞いたことが──いや、僕はこの声の主に一度会ったことがある?
記憶が遡るが、頭痛のせいもあいまって上手く思い出すことが出来なかった。
「君は……誰なんだ」
しかし答えは返ってこない。
僕の問いかけは、虚空に消えていった。