135・ナイジェルの弱点
私達はそれからしばらく、ナイジェルの稽古姿を見学していました。
「ナイジェルが剣を振るっている姿、キレイだわ。あたしのきったない剣筋とは大違い。相変わらず良い男ねえ〜」
ナイジェルを見ながら、ゲルトさんがうっとりしている。
私はゲルトさんの隣で緊張しっぱなし。
「あの……ゲルトさん」
「あら、ゲルトじゃないわ。マリアって言ってちょうだい」
とゲルトさん──マリアさん? はウィンクする。
あっ、そうでした。
ゲルトというのが本名なんですが、みなさんにマリアと呼ばせているのでした。私もそれに倣いましょう。
「で、ではマリアさん──ナイジェルって昔からこうなんでしょうか?」
「昔から?」
「はい。こうしてずっと努力して……」
再びナイジェルに視線を移す。
いくら私の治癒魔法で疲れが取れたとはいえ、あれだけ激しい模擬戦を行っていたのです。普通なら一旦休憩するところ。でもナイジェルはすぐに稽古を再開しました。
どうしてこんなに頑張れるんだろう──ふと疑問が浮かびました。
「そうねえ、ナイジェルは昔からこんな感じよ」
とマリアさんが私の疑問に答える。
「ナイジェルは昔からなにをやっても一番。勉強でも剣でも、いつもあたし達兄弟の中で先頭を走っていたわ」
「そうだったんですね」
「その上──誰よりも努力する。そんなのされたら、あたし達みたいな凡人は敵いっこないわよね」
そう言って、マリアさんは肩をすくめた。
「でも……あたしはそれではいけないと思った。なにか一つでもナイジェルの上をいきたかった。だからナイジェルが他のことを頑張っている間に、あたしは剣の腕を磨き続けたわ。そうしたら、きっとナイジェルに勝てる……って」
「ゲルトさん、すごく──」
「マリア」
「マ、マリアさん、すごく強かったです!」
慌てて名前を言い直して、こう続ける。
「あのナイジェルを圧倒出来るなんて、そうそうないことだと思います。それはマリアさんが、その言葉通り──頑張ってきたからだと思います」
「ふふふ、ありがとね。そう言ってくれると嬉しいわ」
マリアさんはそう柔らかな笑みを浮かべる。
「だけど……あたしの戦い方はナイジェルと違うから。エリアーヌはどう思った?」
「そうですね……ナイジェルの剣が王道と言うなら、マリアさんのは変則的と言いますか──あっ、別にダメって言っているわけじゃないですよ?」
「ええ、あなたの言う通りだわ。あたしの剣はいわば実戦向き。動きで撹乱して、相手の意表を突く。だからナイジェルにも勝てるんでしょうね。王道は変則派に弱いから。多分今でも、こんな卑怯な真似をしなければ、あの子には勝てない」
とマリアさんは遠い目をする。
彼(彼女?)は謙遜していますが……それは決して卑下すべきことではありません。
だから。
「卑怯ではありません。それはマリアさんが実戦で身につけた宝物です」
私がそう言うと、マリアさんは目を丸くした。
「マリアさんはもっと自分を誇るべきです。その年齢で騎士団の隊長もやられているんですよね? しかもあなたを次期騎士団長に、と推す声も大きいんだとか。すごいと思います!」
「ありがと。あんたと喋っていたら、気が楽になってくるわ」
再びマリアさんは笑みを浮かべて、さらにこう続ける。
「でも……まだまだ騎士団長だなんて、あたしには務まらないわ。あのアドルフのおっさんが認めてくれないからね。ほーんとに、あのおっさん。良い男なんだけど、部下には厳しいし頑固なのよ」
「そうなんですか? 私にはとても優しかったんですが……」
「そりゃあ、あんたみたいにキレイな女の子の前じゃデレデレよ」
「キ、キレイだなんてそんな……」
「あんたが男なら、あたしもほっとかないでしょうね──なーんて、バカなことを考えてしまうわ」
『本当にバカだな』
とラルフちゃんが口を挟んできた。
無論、マリアさんには聞こえていないけれど……ラルフちゃんが大きく溜め息を吐いたのに気付いて、彼は不思議そうに首をかしげていた。
しかしすぐに気を取り直して、こう口を動かす。
「でも……ナイジェルはすぐにでも王位に就いても、おかしくないくらい。その差よね。あたしは──結局今でも、ナイジェルに勝てないまま」
とマリアさんは寂しそうな表情をした。
「他の王子には会った?」
「いえ──一度か二度、顔を合わせたくらいです。みなさん、お忙しいので……」
「だったら、今度落ち着いて話してみなさい。みんな、あたしと似たような考えだから」
そう言うマリアさんの表情は、なにかを諦念したものでした。
でもどこかすっきりしている。きっと気持ちの整理が付いているからなんでしょう。
もちろん、マリアさんも第二王子である以上、王位継承の権利がある。それは他の王子だって同じ。
もっと言うなら、セシリーちゃんにも権利があったりする。とはいえ、彼女が王冠を付けて、玉座に座っているところはなかなか想像しにくいですが。
だけどナイジェル以外は、誰も王位に就こうとすらしません。
それは誰もがナイジェルのことを認め、彼こそが理想の王子様──そして、未来の国王陛下だと思っているから。
そのことは伝え聞いていましたが──マリアさんと話していて、本当にそうなんだと実感しました。
「ナイジェルはすごい。なにをやっても一番の完璧超人。それどころか誰に対しても優しくて、民にも慕われている理想の王子様」
「本当にそうですね」
「ただ……」
とマリアさんは表情を曇らせる。
なにか不安になることがあるんでしょうか? ──と私が思っていると、
「──ううん。これは考えすぎね。あの子に弱点なんてないし」
と首を左右に振った。
「弱点──ですか?」
うーん、欠点という意味でしょうか?
だったら、実は甘いもの好きとか? ……可愛らしいけれど、欠点じゃない気がする。
「まあ……あんたにデレデレなところくらいかしらね? ナイジェル、あんたのことだったら、冷静さを失うところがあるから」
マリアさんは冗談めかして言って、立ち上がった。
「じゃあ……あたしはそろそろ行くわ。ちゃんと、父上とも話をしなくちゃね」
「またお話し出来ますか?」
「もちろんよ。しばらく王都にはいるつもりだから」
とマリアさんは手を振って、私から離れていく。
去り際に、
「ほーんと……またこの格好について、なんか言われるんでしょうねえ。お父様はこういうのに理解がないから……」
と不満げにぼやいていたのが耳に入ってしまった。
……やっぱり、彼の外見に戸惑うのは私だけではないようです。
「ふう、ちょっと休憩しようかな」
入れ替わるようにナイジェルが剣の一人稽古をやめて、私の方へ戻ってくる。
「おつかれさまです」
「ゲルト──あっ、マリアって言わないと怒るんだったね。マリアと話してたけど、どうだった? 外見と喋り方はちょっと個性的だけど、悪いヤツじゃないだろ?」
「はい! とても良い方でした!」
私は笑顔でそう返した。
「よかった! エリアーヌもマリアのことを気に入ってくれて。今度、機会があったら三人で──」
ふらあっ。
話している途中、ナイジェルは立ちくらみを起こしたのか、前のめりに倒れようとする。
「だ、大丈夫ですか?」
私は咄嗟に彼の体を支える。
「う、うん。心配させてごめん。ちょっと頑張りすぎたみたいだ」
「自分の体を大切にしてください。あなたが倒れたら、私だけではなくみんなが悲しみますよ」
「その通りだね。実は最近……ちょっと体調が悪いんだ。きっと疲れからだと思うんだけど」
「そ、そうなんですか!? では二週間後のサーカスは……」
「もちろん! それまでには体調を万全にしておくよ。なんてったって、君との大事なデートだからね。ふらふらの状態だったら、もったいなさすぎだよ!」
とナイジェルは力こぶを作ったのでした。





