痛い時は痛いと言うんだぞ
3巻、本日発売です。
〈ヴィンセント視点〉
あれは私が学院に通っていた時のことだ。
「おい、知ってるか……ナイジェル殿下、試験ダンジョンの百層に到達したらしいぞ?」
「やっぱりすごいよな。カッコよくて勉強も出来て、その上──剣の腕も一流だなんて」
「憧れるよな」
ナイジェルと廊下を歩いていると──他の生徒たちが、彼のことを話ししているのが耳に入った。
「どうしたんだい? ──ヴィンス」
「いや……」
私──ヴィンセントは、ナイジェルの顔を見ながらこう続けた。
「相変わらず、お前はすごい人気だと思ってな。学園でお前のことを知らない者は、もはや誰一人いない」
「そうかな? 仮にそうだとしても、一応僕はこの国の第一王子なんだしね。どうしても注目されるだろう」
とナイジェルは肩をすくめる。
「僕なんか、王子の看板がなくなったら、何者でもなくなるよ。ヴィンセントは僕のことを買い被りすぎだ」
「そうとは思えんが……」
こいつ──ナイジェルはなんでも出来る完璧超人だ。
次期国王にふさわしい人物。
彼が国王の座につくことを咎める者はいないだろう。
ナイジェルはこう言っているが、仮に王子じゃなかったとしても──彼の人気がおさまるとは思えなかった。
「それに試験ダンジョンの百層をクリア出来たのは、君のおかげでもある。感謝してるよ」
「まあ、そう言ってもらえて悪い気はせんが……」
この学院には『試験ダンジョン』と呼ばれるものが存在している。
学院の敷地内にあり、日夜生徒たちが試験ダンジョンに挑む。そこの到達記録は成績にも反映された。
そういうこともあって、試験ダンジョンで良い成績を収めれば、瞬く間に他の生徒から羨望の視線を浴びることになる。
そんなダンジョンに潜るため、ナイジェルは私を相棒として選んでくれた。
私はそのことを誇りに思い、彼の背中を必死に追いかけた。
これでも、昔からなにをやっても上手くいく自信はあった。
若気の猛りというものか……自分が一番だと疑っていなかった。
しかし彼と出会ってから、私の自信など完膚なきまでに打ち砕かれた。
どれだけ追いかけても、一向に彼に追いつける気がしない。
それどころか、どんどん距離が離されているように思う。
私も努力しているつもりだ。だが、ナイジェルはそれ以上に努力した。
恵まれた才能を持って生まれたくせに、誰にも負けないくらいに努力するなど……正直反則だと思う。
しかし私はそんな彼の友人であることに、誇りを感じていた。
「みんな、お前のことを見ている。私なんて、周囲から見れば金魚の糞くらいにしか見えていないだろうな」
「そうとは思えないけど? 君も一目置かれているよ」
「はっ! どこを見て、そう言うんだか。お前は人を見る目だけはないんだな」
「……はあ。君こそ、自分のことをよく分かっていないように思うけどね」
ナイジェルが呆れたように溜め息を吐く。
こいつの周りには、いつも人がいる。
それに比べ、私は人と話すのがそこまで得意ではなかった。
そのせいでなかなか友達が増えない。
この性格はいつか治すべきだと思っているが……これだけはなかなか上手くいかない。
「君もいつか気付くだろうね。君の方こそ、みんなから人気者だって」
「笑えん冗句だ」
そう言って、私たちはお互いを見合って笑う。
◆ ◆
翌日──。
私は一人でぽつーんと食堂の席に座って、食事を楽しんでいた。
いつも昼飯はナイジェルと食堂で食べている。
しかし今日の彼は公務があるようで、どうしても学校に来られなかった。
間に合えば、午後の授業から出席するらしいが……昼飯になっても現れないということは、このまま欠席だろうな。
「……旨い。やはりここのヒレカツ定食は最高だ」
ゆえにこんな状況になっているわけだ。
食堂は混んでいるのに、まるで私の周りに結界が張られたかのように、人がいなくなっていた。
しかし……私は寂しくない。
本来、食事というのは一人で楽しむものなのだ。うん、そうだ。そもそも誰かと食べなければならないという文化の方がおかしいのだ。食事というものは命を頂くということ。神聖な気持ちで食物と向き合わなければならず──。
「おやおや、ぼっち飯ですか〜。ヴィンセントさん」
……心の中で言い訳──じゃなくて、物思いに耽けていると。
そんな私に話しかける者がいた。
「……フランツか。なんの用だ」
私は視線を上げて、突然声をかけてきた不躾者に返事をした。
彼はフランツ。
ウルマモズ商会の長男である。
ここの商会はリンチギハムの中で最も力のあるところだった。
莫大な財産を抱えている……という噂だが、どうだろうな。
まあ貴族が通うような学院に、こうして入学するようなヤツだ。あながちその噂も間違いではあるまい。
しかもフランツは学生でありながら、そんな商会の幹部の一人だとも聞く。
次々と事業を起こし、それら全てを成功させている。学生だというのに、妙に羽振りがいいのはそれが原因だ。
「いやあ〜、なになに。君がぼっちだっていうのを聞いて、不憫に思ってね。可哀想だよね〜、友達のいない人は」
「なにを言いたい」
「ぼくっちたちが食事をご一緒してあげようってことさ」
そう言って、フランツは勝手に私の対面に腰を下ろした。
彼の周りにいた何人かの女がクスクスと笑った。フランツの取り巻き連中だ。
こいつはいつも女を侍らせている。
色んな女に手を出しているらしく、必然的にこいつの周りでは色恋沙汰が多い。
しかし時には絡れだ浮気だのと、悪い噂も耳に入る。
恋愛をするのは悪いことじゃないが……もう少し節度を持って、楽しんでもらいたいものだ。
まあ、私には関係のないことなので、どうでもよかったが。
「ぼっち飯はどう? 美味しい? ぼくっちってさ、一人でご飯食べたことなくてさ〜、ぼっち飯がどんなのか分からないや。いつも彼女たちがいるからね。ほんと、人気者って辛いよね〜」
「──お前はなにか勘違いしているかもしれないが」
私は箸を置いて、彼を睨みつける。
「私はぼっちなのではない。ただ一人でいることが好きなだけだ。孤独というのは良いものだ。そもそも現代人は自分と向き合う時間が──」
「ああ、出た出た。ぼっち特有の言い訳。見苦しいったらありゃしないね〜」
私が言い終わるよりも早く、フランツがせせら笑う。
即刻、この場から消えて欲しい──素直にそう思った。
まあ、ここで言い争うのもあれだし……場所を移動するか……。
そう思い、席を立とうとすると……。
「ヴィンス」
声が聞こえた。
そちらに顔を向けると、人だかりが出来ていた。その中から一人の男が抜けて、こちらに近付いてくる。
「ナイジェルか。公務はどうなったんだ?」
「うん。思いのほか早く終わってね。午後からの授業に出席しようと思ったんだけど──やっぱり君はここにいたか」
微笑むナイジェル。
……公務終わりということもあって疲れているはずなのに、それを一切表情に出さない。大した男だ。
次にナイジェルはフランツの方に顔を向ける。
「あっ、フランツと一緒にご飯を食べていたんだね。君たちが仲が良いとは知らなかったよ。僕としても、ヴィンスに友達が増えるのは嬉しくて……」
「はあ? ぼくっちがこのぼっちと友達だって? ぼくっちみたいな人気者が、このぼっちと友達になるわけないじゃないですか〜。この国の王子はバカなんですかあ?」
明らかに敵意を込めて、フランツはナイジェルを見返す。
第一王子のナイジェルをバカだと言ったことに対して、周囲の空気がピリッとなる。
他の国なら、即刻処分されてもおかしくない発言だったからだ。
しかしナイジェルに気にした様子はなく、
「そうなのかい? まあ、まだそうじゃなくても、これから友達になっていけばいいじゃないか。ヴィンスはとても良い男なんだよ。僕も君とは以前から友達になりたかったんだ。よろしく──」
とナイジェルがフランツと握手をしようと、手を差し出した時であった。
パンッ!
その手をフランツは払い除ける。
食堂に悲鳴が上がった。
第一王子にこんな不敬な真似をするなど、考えられないことだったからだ。
「うっせえんだよ! 誰がお前なんかと友達になるか! 君はいいだろうねえ。欲しいものは全部手に入る。ぼくっちみたいな成金をバカにしてるんだろ? 王族だからって調子に乗んじゃねえ!」
さすがにこの物言いに、彼の取り巻き連中──女性たちの顔も青ざめる。
……やりすぎだな。
友人をバカにされて黙っていられるほど、私も大人じゃない。
私が拳を握り、立ちあがろうとした時。
「いいんだ、ヴィンス。ありがとう」
それをナイジェルがさっと手で制した。
「ごめんね。ちょっと距離感を間違えていたみたいだ。これからは気を付ける。申し訳ない」
そしてフランツに対して──なんとナイジェルは深々と頭を下げたのだ。
周りから「おぉ〜」と歓声が起こる。
彼のスマートな出立に感心したのだろう。
これにさすがのフランツも怯む。
しかし。
「……ふ、ふんっ! 分かればいいんだ。しかし親はお前にどんな教育をしてんだ? そんなんじゃ、今はもうくたばった王妃も浮かばれないだろうな!」
ピクッ。
その言葉に、ナイジェルがかすかに反応した。
聖人の彼でも、さすがに王妃──自分の母親をバカにされるのは、許せないらしい。
ナイジェルは死んだ母親のことをとても慕っていたからな。こうなるのも仕方がない。
彼は顔を上げて、
「……王妃をバカにするのは、ちょっと違うかな。僕だけならいいけど、王妃をバカにするのは許さないよ?」
と警告した。
しかし顔はニコニコと笑ったままである。なるべく穏便に済ませようとしているのだろう。
とはいえ。
「……くっ!」
ナイジェルを怒らせてしまったことは、この愚か者も気付いたらしい。
悔しさで顔を歪ませて、私たちに背を向けた。
「い、いくぞ、お前ら! 場が白けた。中庭でいちゃいちゃしようぜ!」
「ま、待ってよ、フランツ〜」
「ちょっとあんた、フランツ様に馴れ馴れしくない!? 気安くフランツ様の名前を呼ぶんじゃないわよ!」
とフランツが歩き出すと、取り巻きの女たちは慌てて彼を追いかけていった。
……どうやら取り巻き取り巻きで、色々とあるらしい。
「ナイジェル、すまんな」
「ん? なにがだい?」
こんな状況だというのに、ナイジェルの様子はいつもと変わらなかった。
──フランツがナイジェルに敵対心を抱いていることは知っている。
フランツも大商会の幹部だ。頭もキレるし、運動神経も悪くない。
しかし彼がいくら頑張っても──私と同じように──ナイジェルを越すことは出来なかった。
テストで一番はいつもナイジェル。二番目に私やフランツの名前があった。
そういう意味では、私もフランツから嫌われているだろうが……ナイジェルに対するほどの憎悪は向けられていないだろうな。
「私のことを気遣ってくれたんだろう? お前らしくない行動だった」
「うーん、そうかな? 僕は王妃のことをバカにされて、ちょっとイラッとしただけだよ」
とナイジェルは軽い調子で言う。
──こいつがこの時、本当はなにを思っていたか分からない。
王妃──母をバカにされて怒っているように感じたが、それは私の思い込みなだけで、もしかしたらそうじゃないかもしれない。
ナイジェルの友人である私も、彼の本心はなかなか分からないところが多かった。
だから。
「……痛い時は痛いと言うんだぞ」
「え?」
ナイジェルは目を丸くする。
「それだけじゃない。嬉しい時は嬉しいと。怒っている時は怒っている──もっと感情を表に出せ。そうでないといつかお前は、壁にぶち当たるだろう」
「ははは、ありがとう。でもそれはヴィンスも一緒だと思うけどね? 君も感情を表に出せば、もっと友達が出来るだろうに」
「なにを言う。私はぼっちなのではなく孤独を愛し──おい、ナイジェル。聞いているのか?」
反論すると、ナイジェルは楽しそうに笑った。
今思えば──この時、フランツが抱いている闇に気付いておくべきだった。
私たちはフランツことを軽く見過ぎていたのだ。
そして後悔はそれだけではない。
あの時。
ナイジェルの弱点を、もっと強く指摘しておくべきだったのだ。
3巻が好評発売中です。
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