だからボクは嫌いなんだ
〈クロード視点〉
あの日──お母さんが二度と覚めない眠りについた。
「おがあざああああああああんっっっっっ!」
亡くなったお母さんに取り縋って、ボクは号泣していた。
我ながらなかなかの泣きっぷりだったと思う。
周囲の人がガン泣きするボクのことを心配する。というかちょっと引いていた。
だけどボクはお母さんの体を揺りながら、涙で前が見えなくなるくらいまで泣き続ける。
──お母さんはこの国の聖女だった。
聖女は治癒魔法で人々を癒したり、この国に結界を張っている……らしい。
らしいというのは、幼いボクはお母さんの仕事をよく理解していなかったからだ。
今思えば、彼女の苦労の十分の一さえ分かっていれば、少しは運命が変えられたかもしれない。
「お母さんっ! お母さんっ!」
何度も名前を呼ぶが、お母さんからの返事はない。
ボクはそんな彼女を見て、絶望感に駆られていた。
──ボクはこの国の第一王子。
必然的に、次期国王としての教育もたくさん受けてきた。
しかしボクにとってそれは非常にレベルが高く、厳しいものだ。
そう、有り体に言うならボクは劣等生だったのだ。
テストの点数が悪くて、よく家庭教師に怒られた。
あれは確かジークハルトだとかいう名前だったと思う。
たかが歴史学者のくせに、なんて生意気なんだ! 思い出すだけで腹が立つ。
とはいえ、言い返すことも出来ず、叱られた後にボクは決まってお母さんの部屋を訪れた。
『クロード──頑張ったわね。あなたが頑張っていることは、お母さんはちゃんと分かっているからね』
そう言って、彼女はボクの頭を優しく撫でてくれた。
そうされると幸せな気分で満たされた。そのまま泣き疲れてお母さんの膝枕で寝ていると、不安とか怒りが全て吹っ飛んだ。
でもそんな優しいお母さんはもういない。
「クロード殿下。たかが母上を亡くしたくらいで、それだけ泣かれるとは……情けない」
「たかが? お前、今なんて言った!?」
「クロード! 少しは男らしくなりなさい!」
国王陛下──お父さんがボクを一喝する。
ボクは周囲の人に無理やり抱えられて、その部屋を後にしようとしていた。
「離せ! お母さんは死んでないんだ! だから……」
「現実を受け止めろ! 聖女は死んだ!」
一生懸命抵抗したけど、子どものボクではそれに抗うことが出来ない。
死んだお母さんの顔は、ひどく疲れているように見えた。
──男らしくなりなさい!
男らしく?
それってなんなんだ?
男っていうのは、お母さんが死んでも泣いちゃいけないのか?
ならボクはそんなものはいらない。
大切な人を亡くして泣くことも出来ない男に、なんの価値がある?
お父さんの言ったことを、全く理解出来ない。
それは今だって同じだ。
◆ ◆
お母さんが死んでも、ボクの生活は変わらなかった。
すぐに次の聖女が任命され、ボクの婚約者となったんだけど……そんなものにあまり興味がない。
新しい聖女の名はエリアーヌと言ったんだけど、彼女はボクに厳しく接した。
──お母さんはこうじゃなかったのに。
そんな不満をつい口にしてしまったら、エリアーヌは表情こそ変えないものの、静かな怒りを含ませてこう言った。
『あなたはこの国の第一王子なんですよ? 辛いのは分かりますが……王族というのは人々の上に立つ存在。そんなことを言っていては、民が不安がってしまいます』
……って。
──昔のエリアーヌは今以上に真面目で厳しかった。
──あれも今思えば、彼女もお母さんを亡くしてしまって、精神的に不安定だったかもしれない。
だけどボクはそれを知らない。
知る気もなかった。
──そしてある日、ボクはダンスパーティーに出席した。
とはいえ、これは王子としての義務みたいなものだ。
今日はどうやら隣国からの要人も招待しているためか、いつも以上に盛大だった。
でもボクは一緒に踊りたい人もいなければ、ダンスが得意でもない。
こんなの、早く終わってしまえばいい。
だからボクは会場から離れて、一人時間を潰していたんだけど……。
「うわっ!」
すれ違いざまに人にぶつかってしまい、その場で転んでしまう。
ボクはすぐに顔を上げ、ぶつかってきた者に非難の目を向けた。
「ご、ごめんっ! 急いでて前をよく見ていなかった! 大丈夫かい?」
と彼はボクに手を差し出す。
だけどボクはそれを、
「うるさい!」
と払い除けてしまった。
そして立ち上がり、彼に顔を近付ける。
「お前! なんて無礼なヤツなんだ! ボクはこの国の第一王子なんだぞ? この国の次期国王なんだぞ!? お前なんかお父さんに言いつけて、すぐに死刑にしてやる!」
「そ、それは怖いね」
その男はとても困った表情をした。
彼はボクと同い歳くらいだろうか……。
それなのにどこか余裕を感じる、大人のような佇まいである。
言い争っている(とはいえ一方的なものではあったが)と、
「クロード殿下! なにをしているんですか!?」
大臣の一人が駆け寄ってきて、ボクたちの仲裁に入った。
「丁度いいところに来た! こいつからボクにぶつかってきたんだ。今すぐ死刑を……」
「なにをおっしゃっているんですか! この方は──」
と大臣が誰かの名前を言ったと思うんだけど、怒りで頭に血が昇っていたのでよく聞き取れなかった。
大臣はボクにぶつかってきた者に、何度も頭を下げていた。
しかし彼は僕が悪いから──と謝っていた。
そして彼はその場から立ち去る。
優雅な振る舞いで、とても同い歳くらいとは思えなかった。
「な、なんであいつを見逃すんだ! お前もお父さんに言いつけて……」
「はあ……そんなことも分からないんですね」
大臣は溜め息をついて、ボクを呆れたように見ていた。
「隣国の王子殿下はあんなに立派なのに……どうしてクロード殿下はこうなのか……」
──隣国の王子殿下。
名前は知っている。確かナイジェルといったはずだ。
ボクは昔からことあるごとに、隣国の王子殿下──ナイジェルと比べられてきた。
なんでも、彼は頭も良くて剣の腕もピカイチ。さらに品行方正な性格で、幼いながらも民から慕われているらしい。
対してボクは勉強も出来ず、剣の稽古もサボりがち。
彼の話を聞くことは苦痛だった。
だって仕方がないじゃないか。
自分のことで精一杯なのに、御伽噺に出てくる完璧超人みたいなヤツと比べられるんだぞ?
ナイジェルのことを聞いたら、さらに焦りが募っていき、やる気なんて根こそぎ奪われた。
だからボクは会ったこともないのに、隣国の王子が嫌いだった。
「……くっ!」
だからボクは大臣の言葉に反論出来ず、彼から目を逸らす。
……もしかしたら、さっきのがナイジェルだったかもしれない。
ボクが被害者だというのに、大臣が彼に平謝りするのは違和感しかなかったからだ。
駆け足でボクたちから離れていくナイジェルが、だんだん遠くなっていく。
ボクはその姿を、ただ眺めることしか出来なかった。
◆ ◆
あれから十年程度の月日が経った。
相変わらずみんなはボクに厳しい。
そりゃあ、身分の低い家臣の人たちはボクを甘やかすけど……それは媚びへつらっているだけだ。
彼、彼女らからしたら、ボクに逆らうことなんて出来ないんだからな。
だけどそんな偽りの服従を前にして、ボクは悦に浸っている。
バカなボクでは人の気持ちなんて──分からなかった。
「……はあ」
溜め息を吐く。
そうすれば、ちょっとは疲労が取れるからだ。
「なんか、つまらないな……」
エリアーヌは最初の頃に比べたらちょっとは性格も柔らかくなったが、それでもまだボクに厳しい。
お母さんの面影を重ねることなんて、とてもじゃないけど出来やしない。
だからボクは憂さ晴らしの意味も込めて、彼女に強く当たった。
しかしエリアーヌはちっともめげず、それどころか辛そうな表情を決して見せなかった。
彼女の泣いた姿なんて尚更だ。見たことがない。
ボクはそんな彼女を見るたび、胸のところがムカムカする。
だからボクは彼女のことも嫌いだった。
「もっと厳しくしてみようか? だけどそんなことで、エリアーヌが逃げ出すような姿が思い浮かばないし……」
なんてことを考えながら、ボクは人気が少ない庭の片隅で、時間をつぶしていた。
今日はダンスパーティー。
やっぱりダンスパーティーは苦手なままだった。
たくさんのキレイな女の人がボクに声をかけてきた。
だけどどんな女性と喋っても、心のムカムカはなくならない。
嫌い嫌い──みんな嫌いだ。
いや、嫌いなのは他人じゃない?
本当に嫌いなのは、こんな情けない自分自身で──。
「クロード殿下」
そんなことを考えていると、一人の女性が声をかけてきた。
振り返ると、可愛い女の人がいた。
この場には似つかわしくないほど、露出の多い服装。
正直目のやり場に困るところだけど──何故だか、ボクは彼女の顔から目を離せなかった。
彼女は少し困ったような表情を浮かべて、こう続ける。
「わたし、あなたのことが好きになったみたいで──」
三巻の公式発売日が明日(3/2)となっています。ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。