私は泣いちゃいけない
〈エリアーヌ視点〉
──昔の夢を見ました。
あれは私がまだ小さい頃。
『お母さん!』
そう言って、私はお母さんが寝ているベッドまで走ります。
『あらあら、そんなに走ってっちゃ危ないわよ』
『だいじょーぶ! そんなことよりお母さん、今日は顔色がいいねー?』
『なんだか今日は調子が良いみたい。だから今日はエリアーヌと遊んじゃおうかしら』
『やったー!』
お母さんに頭を撫でられると、私は幸せな気持ちでいっぱいになりました。
お母さんは体が弱い人でした。難病だったらしいです。
いつもお母さんはベッドで横なっていて、一人で立ち上がることすら出来ません。
そんなお母さんの薬代を稼ぐために、お父さんは遠くの土地まで出稼ぎに行ってしまった。
定期的に生活費を貰えていたので、生活は出来ていたんですが……その代わり、家のことは全て私がやらなくてはなかったのです。
その時に料理は覚えました。
今では料理のレパートリーは、ちょっとしたコックレベルなんですよ?
そんな私にお母さんはいつも謝っていました。
『ごめんね、エリアーヌ……私がこんなんじゃなかったら、あなたにはもっと楽をさせてあげれたのに……』
ううん、お母さん。大丈夫だよ。
だって私、お母さんと一緒にいられるだけで楽しいもん。
だから早く元気になって、お父さんと三人でピクニックに行こうね──と笑顔で。
でもそれだけで、疲労感を完全に誤魔化せるわけではありません。
倒れそうになったことは何度もあります。
だけど私は決して挫けません。
だって、私が辛そうな顔をしたら、お母さんが悲しんでしまうでしょうから。
私はせめて、お母さんの前ではずっと笑顔でいられるように──そう思いながら、日々を楽しく暮らしていたのです。
だけどそんな日々は長くは続かなかった。
「お母さん! 大丈夫!?」
ベッドでぐったりとしているお母さんの手を握りながら、私は必死に呼びかけます。
「エ、エリアーヌ……」
そう口を動かすお母さんの声はか細いもの。
今にも命の灯火が消えてしまいそうでした。
お母さんの容態が急変したのには理由がある。
出稼ぎに行っていたお父さんが──亡くなってしまったのです。
どうやらお父さんは炭鉱で働いていたみたいです。
お父さんが働いていた炭鉱が、突如として崩落した。その際にお父さんは岩盤に押しつぶされて、戻らぬ人となってしまった……と。
必然的に私の家の収入は途絶えました。
しかもそれだけじゃなく、お父さんを亡くしてしまって、お母さんは精神的にひどく弱ってしまったのです。
みるみるうちに体調が悪化していき……お医者さんを呼ぶことも出来ず、こうして死の淵で彷徨っていました。
「そんな悲しそうな顔をしないで」
お母さんは涙を流す私の頬を優しく摩ります。
「私は……あなたがいてくれて、本当に幸せだったわ。だから……泣かないで。あなたを残していなくなるお母さんを……許して……」
「お母さん! お母さん!」
そしてやがて、お母さんの瞼が閉じます。
二度と覚めない眠りにつきました。
私の心を一瞬でいっぱいにした悲しみ。
涙が流れ──いえ、いけません。
私はぐっと涙を堪え、上を向きました。
そう──私は泣いちゃいけない。
じゃないと、お母さんが悲しむから。
それに泣いてちゃ、私のことが心配でお母さんも天国に行けない。
だから私は泣いちゃいけない。
──お母さんのお墓を作ってあげたその日、王宮から迎えがきました。
なんと奇しくも、お母さんが亡くなった日にこの国の妃──聖女様も亡くなってしまったそうです。
そして同時に私は女神の神託を受け、聖女の力を得ました。
幼い頃の私はなにがなんだか分からない。
どうやら聖女の力はすさまじく、どんな傷でも癒してしまうものらしいです。
でも──お母さんを生き返らせることは出来ませんでした。
だったらこんな力、欲しくなかったのに。
◆ ◆
だけど私に拒否権はありません。
こうなった以上、上を向いて歩いていかなくちゃならないのです。
すぐに王宮に連れて行かれ、私は聖女としてビシバシ働かされることになりました。
その時、私は覚悟を決めました。
これからは人々を幸せにするために、身を粉にして働く……と。
私が誰に対しても丁寧に喋るように心がけたのは、この時だったからかもしれませんね。
聖女としての生活は非常に辛く、険しいものでした。
時には泣きそうになったこともあります。
だけど私は決して挫けません。
だって決めたんですから。
お母さんを悲しませないため──心配させないためにも、上を向こうって。
そんな私の婚約者として紹介されたのは、クロード王子。
彼は私の目から見ても、我儘で怠惰な性格をしていました。
クロードはよく勉強をサボって、私とデートをしたがる素振りを見せました。
だけどそんな時、私は決まって、
『いけません、王子殿下。あなたは次期国王。こんなところで、弱音を吐いてちゃいけませんよ』
と彼を嗜めました。
クロードは私の言ったことに、とても不満そう。
でも仕方がありません。
それが王子殿下の使命なのですから。
今思うと、少々厳しい物言いですが──あの時の私は精神的に弱っていたんでしょうね。
クロードが私に愛情を抱いていないことはすぐに分かりました。
だけど私はそれでも構いません。
これから先、私は普通の女の子みたいに街で買い物をしたり、くだらないことで友達と駄弁ったり──好きな人と愛を語り合うこともないでしょう。
私はもう普通の女の子ではないのです。
でもそれでもいい。
だってそうやって頑張っていれば、天国にいるお母さんも喜んでくれるでしょうから。
だから私はどんな辛いことがあっても、上を向き続けていました。
◆ ◆
……そんなある日。
「あら?」
今日も祈りを捧げ、結界の維持に努めようと、城の屋上に向かう道中──一人の男性と女性がバルコニーで向かい合っているのを発見しました。
どうやら男性の方は、この城の兵士みたい。女性は服装から察するにメイドさんでしょうか。
男性は街に向かって、こう叫びます。
「君が好きだあああああああああ!」
……と。
一見、かなりヘンテコな光景。
だけど女性の方はとても感動し、涙ぐんでいた。
「私もあなたを愛しています!」
「ほ、本当か? だったら……」
「ええ──よろしくお願いします!」
そして二人は抱き合い、感激で涙を流します。
もしかして、男性は女性にプロポーズをしていたんでしょうか?
そんな時に私がたまたま立ち寄ってしまった……と。
「……いいですねえ」
はっ!
気付いたら、声が漏れてしまいました!
でも……どうしてでしょう?
私は女の子としての幸せを諦めたはずです。
だから今更、こんな光景を見てもなにも思わないはずなのに──素直にそんな感想を抱いていました。
男性は周囲の目を気にせず、大声で彼女への愛を叫んだのです。
一方、女性もそれを受け止め、嬉しくて泣いてしまうくらい。
「……私とクロードだったら、絶対にあり得ない光景でしょうね」
そう呟いたら、急に寂しくなりました。
……いけません。
私は──泣いちゃいけない。
期待するのはやめましょう。そんなことをすれば、辛くなるだけなのですから。
私は足早にその場を去った。





