美味しいカフェオレを飲むために私はタバコを吸う
一度出したタバコは上手く箱へ戻らない。
覆水盆に返らずではないが、一度タバコを箱からだすともう箱の中へ上手く入っていくことは無い。大概の場合、先の方からタバコが崩れたり、すこし曲がったりする。戻ることには戻るが、元の状態になる訳では無い。
俺は一服しようとタバコ片手に自宅の庭に出て、1本のタバコを取り出したところでスマートフォンへの着信に気付き、「乙坂夏穏」という表示に期待と不安を寄せる。
タバコに火を付ける気にもなれず、俺は灰皿の上にタバコとライターをエアコンの室外機の上に置いて通話という表示に触れる。
「長良、久しぶり。」
「ああ、最近連絡してなかったな。」
いつもの如く、それほど明るくもない声で元彼女で今は不可解な関係の女の子は俺の名前を読んだ。
「確かに、最近連絡くれないね。彼女でも出来た?」
「そんなんじゃねえよ。ちょっと最近はそろそろ研究室分属で大学忙しいんだ。」
実際はそんな面倒なこともないけれど、面倒で連絡しなかったことに理由をつける。
「・・・・・・そ、まあいいけど。」
「そっちこそ、そういうのはいないのかよ。」
「まあ、セフレは何人かいるけど、彼氏は作る気ないよ。」
「あっそ、俺もその男どもの一人だと思うとなんだか聞きたくないよ。」
幼なじみで家も近く、それでなおかつ高校の時には付き合う関係にまでなった夏穏との関係は今、ほとんど身体だけが頼りの関係だ。
夏穏の大学受験の失敗から端を発した問題だが、理由が理由で本人を責めることは出来ない。
「もー、長良とはそんな関係じゃないよ。彼氏とも違うけどそういうんじゃない。それに、男どもなんて言い方やめて、女の子のが多い。」
「あーそ。」
俺は通話をハンズフリーにして、タバコに手を伸ばす。
高校卒業から数年で変わってしまった。彼女の理屈にはついていけない。
「ところでさ、今度の連休にそっちに帰ろうと思うんだけど。」
「ああ、掃除しとこうか?」
「玄関周りだけお願い。あとは帰ったらするよ。」
タバコを吸う気にもなれない俺は箱へタバコを戻そうとする。
夏穏は小さい頃から両親がおらず、祖父母に育てられた。その祖父母も高三の冬に立て続けに失い、さらに受験に失敗したことで下宿することになった。
天涯孤独の身になった夏穏にも残ったものがあった。それは彼女が子供の頃から過ごしてきた家で、それは祖父が子供の頃から過ごした歴史ある建物だ。
下宿することになりそこから離れる夏穏の代わりに俺は定期的に掃除をしている。まあ、幼なじみのよしみでもあるし、自分も子供の頃からよく遊んだ場でもあるので少しは維持を手伝いたいという気持ちもある。
これは夏穏が彼女だろうがセフレだろうがそれ以外であろうが関係の無いことだ。
「まあ鍵も預かってるし、もうちょいやっとくよ。」
「そう、それは助かる。」
まだ半分以上残っているので、タバコを戻そうとしても突っかかって半分ほどしか入らない。
「なあ、俺らこれからどうする?」
俺はタバコを箱に戻すのを諦めて、少し箱から飛び出したタバコをそのままに、室外機の上にタバコを戻す。
「どうって?」
夏穏は少し察しが、着いたような、そんな落ち着いた声でそう言った。穏やかな落ち着きではなく、静寂と緊張の落ち着きだ。
「どうって、今のままじゃダメだろ。」
「まあ、いいとは思ってないよ。」
「なら」
「仕方ないじゃん。」
彼女は僕の言葉を遮って話し出す。
僕は取り出してもうどうにも出来なくなったタバコを手にしたまま話を聞く。
「仕方ないじゃん。仕方ないじゃん・・・・・・、寂しいんだもん。ずっと、寂しい。」
「そん・・・・・・。」
そんなこと、の後に続くとことばを俺は紡ぐことが出来ないと感じ、途中で口を噤む。
しらねーよと言い捨てたり、どうこうしろとか指図したりするには、夏穏の孤独や苦しみを俺は知りすぎている。
沈黙が怖い。
「ごめん、大丈夫だから、また、帰る前には連絡するね。ごめん、・・・・・・見捨てないで。」
同く彼女も沈黙が怖かったのかもしれない。
そう言って彼女は電話を切る。
「見捨てたりするかよ。」
俺はそう小さく呟いて、もう戻らなくなったタバコを丁寧に持って、また部屋に戻る。
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