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酒場


 エーデルの冒険者登録を終え、僕は約束通りギルド二階の酒場へと彼女を案内した。作りは至って平凡。四つの椅子に長方形の食卓が幾つも並んでおり、酒場と言うよりも食堂感の方が強いだろう。しかし、利用しているのは冒険者と言う事もあって、朝でもそこそこの人数が杯を傾けていた。


「おいおい、ここはお嬢ちゃんたちが来るような場所じゃねえぞ」


 僕らが席に着くなり、野太い男の声が響く。つられて屈強な男たちが粗暴な笑い声を上げた。エーデルが新人だと知られたのは、見ない顔と言う事もあるが、胸に下げられた若葉の首飾りが原因だ。これは新人に配られ、ギルドの店で割引してもらえたり、先輩冒険者が何かと目を掛けてくれるようになる。僕はCランクなのでもうとっくに卒業している。


「……って、セイじゃねえか。新人教導のクエストか?」


 僕と気付くなり、野太い声の男ガイ・ガードマンが先ほどの態度を崩して声を掛けてきた。彼の質問に僕は胸を張ってこたえる。


「ガイ、彼女は僕の正式なパーティメンバーだよ」

「本当かっ! 良かったじゃねえか!」


 ガイが立ち上がって僕の肩を叩く。

 周りの冒険者からも祝福の言葉を受ける。パーティを組めないからといって、僕は嫌われているわけではない。冒険者とは命のかかった職業であるため、仲が良いだけでパーティメンバーを決めてはいけないのだ。


「……おい、それよりも先程のは何じゃったんじゃ?」

「ん? ああ、あれは新人冒険者への伝統的な歓迎? みたいなものかな」

「あれが伝統じゃと? 趣味が悪いのぉ」


 顰めっ面をするエーデルに僕は苦笑いする。どうしてこれが伝統なのかは僕にもわからないのだ。


「まぁ、度胸試しみたいなもんじゃねえか? それより酒だ酒だ! セイのパーティ結成を祝して今日はたらふく呑むぞ!」


 ガイの言葉に「うおおおお!」っと野太い歓声が一斉に上がる。祝ってくれるのは嬉しいが、パーティを結成しただけなので冷静に考えると少し恥ずかしい。


「俺はガイ・ガードマン。あんた長命種だろ? 今日は俺たちの奢りだ。たらふく呑んでくれよな」

「ふん! 言われんでもこの酒場の酒を呑み干してくれるわ!」


 エーデルもヤル気満々である。

 騒ぎを聞きつけた店員が、ここぞとばかりに素早く酒を配膳していく。僕らの席にも直ぐに麦酒が運ばれてきた。


「エーデル乾杯」

「ああ、確か杯を合わせるんじゃったな」


 僕とエーデルの容器が合わさって、小気味の良い音を響かせた。


 ◇


「あー、美味い」


 人のお金で飲むお酒は美味しいなあ。

 あれから数時間、ゆっくり呑んでいる僕は別として、床を布団にしている人たちも散見され始めた。ガイも既に極上の布団を見つけたらしく、すやすやと眠りこけている。


「ぷはぁ〜……もっとじゃ! もっと酒を寄越すんじゃ!」


 ご満悦なエーデルの声が酒場に響く。

 彼女の杯を積み上げる速度は衰える事はなく、起きたガイが支払額を聞いたらまた布団が恋しくなるに違いない。本当、あの小さな身体にどうやって入ってるんだか。


「ティアボーロさんだっけ? あんた良い飲みっぷりだねぇ」


 僕たちの席に髭面の男がやって来た。

 背の低さと四本の腕が特徴的な、鍛冶とお酒を愛する<多腕族>の男だ。だいぶ出来上がっているようで、彼の腕には四つの酒が握られており、その顔は火球の魔法のように赤い。


「何じゃ、貴様。儂が気持ち良く呑んでる時に。邪魔しようと言うなら容赦はせんぞ」


 エーデルの顔がこれまでに無い真剣な表情を形作る。流石は魔族と言った感じの重圧であるが、お酒のために出していると思うと少し面白い。


「け、喧嘩しようってわけじゃねえ。どうだ、俺と勝負をしねえか? どっちが酒を多く呑めるか」


 多腕族は<闘飲とういん>と呼ばれる、お酒の勝負をすると聞く。エーデルの呑みっぷりを見て、酒呑みとしての琴線に触れたのかもしれない。


「儂に酒で勝負を挑むとは……良いじゃろう。お主の勝負受けて立とうではないか」

「ヘヘッ、そうこなくっちゃ。俺は<鎧壊し>のブロンズよろしくな」


<鎧壊し>何処かで聞いた事があるような二つ名だ。しかし、二つ名があるような冒険者を忘れるだろうか。んー、思い出せないなあ。


「ふむ、ただ呑むだけでは芸がない。何か賭けるのはどうじゃ?」

「ちょ、エーデル待った!」


 思考を打ち切って僕は慌てて口を挟む。

 何かを賭けてしまえば、それは闘飲と思われかねないからだ。闘飲は一見、ただ多くお酒を呑んだほうが勝ち、と言う遊びのようにも見えるが、時に善悪の判断基準にも用いられる程の風習だ。迂闊に挑んで良いものではない。


「安心しな。俺はいつだって命を賭けて飲んでいる」


 ブロンズは僕とエーデルを見ながら言う。命、と言いながらもそこには剣呑な雰囲気は一切ない。良かった。どうやら、闘飲には発展しなさそうだ。


「……確かにそうじゃな」


 静かに口角を上げる二人。

 何だか格好良い雰囲気を醸し出している。二人の視線が合う。それが始まりの合図だったのか、ブロンズが手を上げて店員を呼んだ。


「注文だ! 火吹き竜の酒を二つ頼む!」


 その注文に場が騒然とする。

 竜の火はこの酒が原因で出ている、と言われる程の濃度を誇るランスター冒険者ギルドの名物酒。そしてなにより、鎧の形をした巨大な容器に入って出て来るため、冒険者の間でも恐れられていた。


 ──そうか! 


 僕はここでブロンズの事を思い出した。彼は火吹き竜の酒を呑み終わった後、その容器を調子に乗って砕いてしまう事から有名な人であった。


 容器はもちろん弁償。

 凝った作りなので料金は相当嵩むだろう。その事で、奥さんに色々と言われている姿は僕も見た事があった。あれは、傍目から見てもかなり怖かったし、本人はもっと怖かったはずだ。


「お待たせしました!」


 火吹き竜の酒が運ばれて来た。

 鎧の形をした容器は、座っているエーデルを僕から隠してしまう程大きい。しかし、二人は怖気る事もなく椅子の上に立ち、鎧の腕に手をまわして持ち上げた。


「おおっ!」と周辺から歓声が上がる。

 二人は直接口を付けて飲み始めのだ。その豪快な様子に続々と人が集まり、中には「一気一気!」と囃し立てたり、「あの子に一票!」「エーデルに一票!」や「ブロンズに一票!」「鎧壊しに一票!」「やっぱブロンズだろ!」など、賭け事の対象にもなっていた。


 ゴクリゴクリと、エーデルの白い喉を鳴らしながらお酒を落としていく。喉には薄っすらと汗がにじんでいる。しかし不思議とお腹は膨れてはいない。一体あのお酒は何処にいってしまったのだろうか。


 対してブロンズも負けてはいない。

 時折、豊かな髭に雫を落としながらも、全てのお酒をそのトロールようなお腹の中へと導いていく。身体全体を仰け反らせ、豪快に呑み干していく様は圧巻だ。


「ぷはぁ〜……もう一杯じゃ!」

「オラ! 俺ももう一杯!」


 呑み干したのは同時。

 お代わりは既に用意されていたが、店員は慌てて容器を回収して裏へと帰っていく。二人の様子を見て、容器が足りなくなるだろうと察したのだろう。


「いけ! ブロンズ!」「新人ちゃん頑張って! ブロンズなんてやっつけちゃえ!」「ブロンズ! 多腕族の意地を見せやがれ!」「エーデル頼む! 結構賭けたんだ!」「ブロンズ! 勝たないと嫁さんに言っちまうぞ!」


 周りも興奮も増していく。

 既に二人の周囲は、外からでは見えない程人集りが出来ているだろう。誰もが二人に注目し、どれ程呑むのだろうかと期待の眼差しで見つめている。それを感じたのかブロンズは両手で容器を掲げ、


「オラ!」


 残った腕の指で底を突いた。

 鎧壊しの異名を早とちりで発揮してしまったか、と誰もが思ったが、壊れた部分から漏れ出るお酒をブロンズは余すことなく大きな口を開けて受け止めていた。


「弁償だ!」「弁償ね!」「いっよ! 弁償!」「エーデルはぶっ壊さないでね!」「嫁さんに殺されるぞ!」


 周囲からはどよめきが起きる。

 あれでは自分の配分で呑んでいく事が不可能なのだから。これは余裕のあらわれか、エーデルへの挑発ともとれる。


「ふん! 小賢しい!」


 対してエーデルがとった行動は容器を床に置く事であった。不可解な行動に「何をするんだ?」と皆んなの注目が集まる中、彼女は椅子の上で逆立ちをすると、口の力だけで容器を傾けて呑み始めた。


「良いぞ! 何が良いかわからんが良いぞ!」「す、すげぇ! 何て口の力だ!」「舐めたくなる程良い足だよ!」「新人ちゃん! お腹が見えないように服はおさえてあげるから頑張って!」


 二人の行動に、本当に火吹き竜が火を吹いたかのような熱気が渦巻く。食卓を拳で叩く音、野次と歓声。思わず僕も立ち上がり、熱狂の中へと身を投じてしまった。


「やるじゃねえか!」

「お主ものお!」


 互いに賞賛の言葉も程々に二人はさらにお代わりを要求する。


「おかわりじゃ!」「俺もだ!」「面倒じゃ! 二つ持って来い!」「俺は四つだっ! 全部いっぺんに呑んでやる!」「ええい! 酒樽ごと持って来るのじゃ!」「俺は──」「儂は──」


 次々と運ばれてくるお酒。

 荒れ狂う歓声を背に、無限を思わせる程の勢いで二人は呑み込んでいった。しかし、終わりは突然やって来た。


「ブ、ブロンズ!」


 誰かの叫び声が響く。

 ブロンズが傾けていた容器から、とめどなくお酒が漏れ出てきたのだ。本来、口の中に入るはずのお酒が床に落ちると言う事は……彼の仲間が容態を確認するために近づいた。


「き、気絶してやがる」


 それを聞いた瞬間、「うおおおお!」「新人ちゃんの勝利!」「エーデル良くやった!」などとこれ迄で一番の歓声が上がる。しかし、それと同じくらい頭を抱え、悲痛な声を上げている人もいるのも事実。勝負とは、残酷なものだなあ。


「ふっ……気絶しても尚、その手は離さぬか」


 エーデルのこの言葉に全員が頷く。

 確かにその通りだ。ブロンズの健闘は讃えなくてはならない。彼に惜しみない拍手がおくられた。


「楽しかったぜ」


 そう言ってブロンズの仲間が彼を抱える。それでも彼は容器を離そうとしない。


「もう良いんだブロンズ……」


 仲間がそう言うと、乾いた音立てて容器が床に落ちる。すると、穏やかなブロンズの顔があらわになった。


「また一緒に呑んでくれよな」


 そう言って、ブロンズを連れて彼らは酒場を後にした。


「いやぁー、良かった良かった。お疲れ様エーデル。かなり儲かったよ」

「それは良かったですね」

「ありがとうございますクロエ……さん?」


 え? どうしてクロエさんが此処に? 

 笑顔の彼女が僕の後ろに立っていた。気が付けば、あれほど居た冒険者もバラバラに散って行っている。まるで自分たちは無関係だと言わんばかりに。


「あのー、何で此処に?」

「ライフさん、周りを見て下さい」


 言われた通り、周囲を見渡す。

 傾いた食卓、割れた容器、割れた食器、成分不明の液体、脚の折れた椅子、背もたれが無い椅子。おっと、確か僕は用事があったんだ。


「逃がしませんよ」


 がっちりと僕の肩を掴むクロエさん。

 あー、こんな嬉しく無い女性との接触は初めてだ。


「……皆さんもです」


 底冷えする声が、逃げようとしていた冒険者の動きを止めた。僕の<鈍足>よりもずっと効き目がありそうだ。


「……あの、代金宜しいですか?」


 横から店員が気まずそうに僕にたずねる。そこは大丈夫。何せ今日はガイの奢りなのだから。


「……って、ガイは何処だっ!」


 床に寝転がっていたはずのガイが見当たらない。何処だ! 何処だ! ガイ・ガードマン! 


「あ奴なら帰ったぞ。儂らが勝負を始めた時じゃったな」


 未だ呑気にお酒を呑むエーデルが僕に絶望を告げた。


「う、裏切りやがったなああああ! ガイ・ガードマン貴様は許さんぞっ!」

「い、いえ、ガードマンさんはきちんと支払いを終えています。お代は火吹き竜の酒のほうです」


 あー、なるほどなるほど。

 いやあ、良かった良かった。ガイごめん。君は良い友人だよ。えっと、結局どのくらい呑んだのかな? いちにーさんしーごーろくしちはちきゅーじゅーさらにようきはつかいまわされている……。


 僕は考えるのをやめた。


「あのー、代金は鎧壊しのブロンズさんにつけといて下さい。僕達は関係ありませんので」

「……ライフさん。多腕族の飲み合いは器をはかる意味も兼ねているので、勝ったほうが『器が大きい』って事でお代を支払う事になってるんですよ。なので、ブロンズさんはきっとライフさんのパーティ結成のお祝と、盛り上がりを兼ねて勝負を持ちかけたんでしょうね」

「あー、心の器とかけているんですね。あはは、上手いですねえ。それにブロンズさんめっちゃいい人やんけー」

「粋な奴じゃのう。まぁ、儂の器ははかりかねたようじゃが」


 上機嫌にエーデルは笑う。

 僕も笑うしか無い。


「はい。と言うわけで大騒ぎした冒険者の皆さん、酒場の修繕費はきちんと払ってもらいますからね! 騒動の中心だったライフさんとブロンズさん一行は、ギルド内でしたので規約違反と迄はいきませんが、常在討伐クエストくらいはやって貰う事になるかもしれません。もちろん、無償で! です!」









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