男女の友情はあるのか試してみた
これはフィクションです。
エッセイではないです。
今、俺の目の前に女が一人いる。
さて、どうしたものか。柄にもなく心臓が駆け足だ。それも全力疾走状態だ。
テーブルにはコーヒーが二つある。女のコーヒーは全く減っていない。俺のコーヒーはもうほとんど飲み干されている。
喉が乾いて仕方ない。
残り数滴になったコーヒーを舐めるように飲み干した。
女は無表情でスマートフォンをスクロールしている。怒ってはいないと思う。それどころか、リラックスしているようにも見える。
「最近なんか映画見た?」
女はチラリと俺を見た。視線は再びスマートフォンに落ちた。
「見たよー。高倉健のやつ」
「そう……」
そうか。高倉健か。健さんか。
タイトル……言えよ。有り過ぎるだろ。
「てかさ、今日どうしたの? 珍しく呼び出して」
「ああ……実はね」
ああ、くそ。ええいままよ。
「千秋さ、俺が告ったら付き合える?」
千秋は何も言わず、スクロールを止めた。
顔には「はっ?」と書いてある。いや、普通はそうだろうな。
「無理。裕太と何年友達やってると思ってるの?」
「絶対に無理? どうしても?」
マグカップを口に付けた。あ、もうないんだっけ。
「あんた……クスリでもやってんの? 早く病院に行ったら?」
あれだけ全力坂してた心臓が活動停止した。完全に沈黙ってやつだ。
にしてもこんなに拒否しなくてもいいじゃないか。「少しは考える」ぐらい言ってくれても――
「少しは考えるけどさ。まあでも無理だよ、きっと」
ん? これは脈ナシではないってこと? 脈アリではないけど、無し寄りの有りか。
「うん。考えてみて。無理でもいいから」
「分かった。でもなんで? 高校からの付き合いだけどなんで今更? ちょっとウケる」
あ、ウケてくれた。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。いや、歌うなし俺。
理由はある。一年ほど考えに考え込んだんだ。理屈が正しかったら、日本人でこの言葉を使う頻度はきっと減るはずだ。「詮索」という二文字が。
「男女の友情は本当に有るのか、確かめたい」
そして、本当に正しかったら、世の中の恋愛は総じてひっくり返るはずだ。
間違っていたら、言わずもがな俺の思考が破綻しているだけなんだ。
三度マグカップを舐めた。喉がカラカラだ。
「いや、有るでしょ」
呟いた千秋は頬杖をついて窓の外を眺めていた。
最短でまっすぐに一直線に帰宅した俺は、すぐさまスマートフォンを操作した。
まずはツイッターを見た。無論千秋だ。
K-POPグループをアイコンにしている、可愛らしいカラフルなページだ。それにしても顔の区別が付かん。
ちなみにフォローはしていない。友人から聞いただけで、千秋は俺がツイッターをやっている事すら知らないだろう。
あ、これってネットストーカーってやつだっけ?
ええいままよ。
『男女の友情って普通にあるよね? なんかバイトの後輩ちゃんから相談されたー。その子、友達からいきなり告白されたんだって。みんなどう? #男女の友情』
おーおー、早速だよ。しかも後輩を使ってまで。ウケる。いやウケちゃダメだ。ウケちゃダメだウケちゃダメだウケちゃダメだ。
俺の中のシンジくんが焦っている。
これは実験というか、何としても証明しなきゃいけないんだ。
お、早速コメント。K-POPグループの熱狂的ファンである千秋は、ものすごい数のフォロワーがいる。あれよあれよと、いいね♡も増えている。
『チャッキーさんこんにちは。私は有り派です。友達だからこそ成り立つ居心地の良さってあると思う』
ほう。そうか。至極真っ当な意見ですね。てか、千秋よ……チャッキーは安易ではないですかね。
『お疲れ様です。チャッキーさんとは逆かも。所詮男女ですからね』
無い派、登場。
『FF外から失礼します。男と女なんてやっちまったら雄と雌だよ』
あ、捨て垢さんキタ。ただ、これも間違いではないのかも知れない。
一時間もしたら、ちょっとしたツリーが出来上がっていた。趨勢は半々ぐらいか。
当の千秋……チャッキーは静観しているようだ。
俺はコメントはしない。もちろん、この数日千秋のページによく飛んでる訳だから、オススメに表示はされているかも知れないが、身バレしないように細工はしてある。
細工は流々仕上げを御覧じろ。まさに御覧じて欲しい。
ちなみに、俺は男女の友情は有り派だ。
昔、今の俺と同じように女の友人から告白をされた事があった。その時は、「友達としていたい」と断った。今でもよく会う友人の一人だ。確かに居心地はいい。
ページを閉じようとした時、あるコメントに目を奪われた。
『私は主人と10年近く友人でした。お互い何も意識してなかったけど、なし崩し的に結婚まで行きました。今は幸せですが、有りか無いかは分かりません』
俺が求めていた答えがあった。いや、その入り口のような、ある種の問いかけだ。
無いか有りか分からない。現時点ではどちらにも与しない。これは予想だが、体裁を気にせず有り体の心情を発してしまうと、大多数の人がこの答えに近いのではないか。
そんな事を考えてると、チャッキーに動きがあった。
俺が目を奪われたコメントをリツイートしてコメントしてる。
『そういう話もよく聞きますよねー。友人から恋人になったって。ちょっと後輩ちゃんにも言ってみます!』
え。これは……無い寄りの有りから脈アリになったって事?
まあ多分パーセンテージがちょこっと増えたぐらいだろうが。
少し楽しみになってきた。
千秋を実験道具にしているわけではない。むしろ、実験道具は俺なのだから。
後日、俺は千秋を呼び出した。正直、その連絡の最中に断られるかもと思っていたが、呼び出しに応じてくれた。
前と同じ喫茶店だ。
目の前にはコーヒーが二つ。予備で水の入ったグラスが三つ。これは全部俺のだ。大丈夫、カバンにもペットボトルがある。これで干乾びることはない。
「悪いな」
「ちょっと先にごめん。まだ保留なんだけど、こないだのアレ、告白……でいいのよね?」
少し小声だ。そうか、喫茶店だもんな。
「まぁ……そうだな。告白だね」
「あたしが……好きなの?」
頭にタライが落ちてきた。
そうだ。確かに「付き合って」とは言って、懇願まではしたが、「好き」とは言ってなかったなぁ。
しまった。理論優先で考えてたから、肝心な愛の告白を失念していた。
やっちまったな。
フンドシ姿のお笑い芸人が餅を搗いている。古いけど。
あの時千秋がそこに疑問を持たなかったのは、多少なりとも混乱してたからか。いや、普通「付き合って」と言われたら、好かれているんだなぁ、と思うのは必然か。
千秋の事は好きだ。ただ、友人としてだ。
「もちろん好きだよ、千秋が」
「なんか面と向かって言われると……キモい」
とか言いつつ、早く次の言葉を言え、と目で促してくる。こりゃ「友人として」と言ったら怒られるかな。
ええいままよ。
「いやキモいなんて言うなよ。真剣なんだから。だけど、その好きって、友達として好きって意味だよ。胸がドキドキしたりはしない」
水をがぶ飲みした。コーヒーをがぶ飲みしたら舌と喉が溶ける。
千秋は……やっぱり。眉間に皺だ。てめえどこ中だ!と言わんばかりの顔だ。
「あんた馬鹿にしてんの? 友達として? じゃあ付き合わなくてもいいじゃん。あーほんとウザい」
千秋そっぽ向き、窓の外に視線を外した。
ほんとにごめんよ千秋。騙すつもりはないし、付き合いたいのも事実だ。だけど――千秋が思考を遮った。
「ぶっちゃけ少し意識しちゃったよ。あんたは友情云々て言ってたけど、好きになられたと勘違いするじゃん普通。やっぱり女としては見られてないって事よね」
千秋は窓に向かって喋っていた。
「いや、それは違うかな。千秋は女だよ。スタイルは悪くないし、顔だって可愛い顔してると思う」
千秋は俺を見た。見る見る顔が赤くなっている。これは照れ……じゃないな、怒りだな。いや、でもしょうがない。本心だもん。
「ますます意味わかんない! 女として見てるけど、女として好きじゃない? は? 本当に病院行けよマジで。要は上辺だけ付き合ってセフレになれって言ってるようなもんじゃん」
あ、すごい怒られた。皆さん、こっちを見ないで下さい。恥ずかしくて俺も赤くなっちゃう。
でもまず先に千秋だな。誤解を解かなきゃ。
「とりあえず落ち着けって。お前がそう言うのも無理ないけど、断じてセフレになってくれって言ってるわけじゃない」
「いやそういう事じゃん。言っとくけどあたしそんな軽くないから」
落ち着け。水を飲もう。残りグラス一杯と、ペットボトルだ。まだ慌てるような時間じゃない。
「とりあえずさ、座って。ささ、ほら、コーヒー飲んで落ち着いて」
千秋は立ち上がっていた。もう殴られるのも仕方ないか。
「よく聞いて、千秋。俺、前に言ったよな? 男女の友情は本当に有るのか確かめたいって」
「あんたは有る派でしょ」
付き合いが長いから知ってて当然か。
「うん。有る派なんだけどさ。それは今も変わらない」
「じゃあやっぱり付き合えないじゃない」
「それだよ」
「は? 意味わかんない」
三杯目の水を飲んだ。やばい、あとペットボトルだけだ。
いくら水を飲んでも喉は潤わない。そうだろう。これだけ緊張して、怒られるのを覚悟で、友人の、親友と言ってもいいぐらいの千秋を失うのかも知れないんだから。
でも伝えなきゃ。
「友情がある男女は何で付き合えないんだ?」
「決まってるじゃん。異性として見れないもん」
良かった。少し落ち着いたみたいだ。だけどこの喫茶店、さっきまで話していた人達の声が全く聞こえなくなったぞ。
おいマスター。BGMの音量を下げるな。おい奥の兄ちゃん。しれっとスマホをこちらに向けるな。動画で拡散か? 拡散するのか? バズったら好きなアイドルの宣伝でもするのか?
ええいままよ。
「じゃあ正直に言う。俺は千秋とセックスは出来る。もちろんセックスさせてくれとは言わない。したいとも今は思えない。千秋はどうだ? 生理的に無理な相手じゃなかったらセックスは出来るだろう。したいしたくないは別にだ」
「いや、裕太とは出来ない。変な感じするし。したくない」
「じゃあ生理的に俺の事は嫌いだって事でいいか? なら俺もすっきりするし、これ以上千秋に会ったりしないしさ」
「そういう事じゃないじゃん」
「生理的に嫌い……じゃない?」
「当たり前だよ。じゃなかったら友達になんてならないし」
「じゃあセックスは?」
「だからさ! 何でそこに飛ぶの!」
ダメだ。水。ペットボトルよ、お前が最後だ。
「千秋さ。不思議だとは思わない? 好きでもない男女がセックスをするって話、あまりにも聞かないか?」
この事実に辿り着いた当時、俺はふと両親を思い出した。
両親は恋愛結婚だった。
じゃあお見合いは?
義理や社会的立場で結婚した夫婦は?
もちろん好きになればセックスは存分にできる間柄だ。
ただ、生理的に嫌いとはいかないまでも、異性としてタイプではない者同士は?
それでもするだろう。義務が生じてしまうのだから。
互いに恋愛感情がなくなった熟年夫婦でもセックスをする人がいるとも聞く。それは恋愛感情以上の愛情を育んだ結果に違いない。もしくは身近の近しい人に快楽を求める場合もあるのだろうが。
つまり、恋愛感情以外でもセックスは出来る。そこに理性や道徳や法が加われば醜い性犯罪も起き得ない。
これらを考えた時、付き合う立場を望んだ時、男女の友情は時として邪魔になるのではないかと俺は思った。
「それは聞くけどさ。まあ、それは快楽的な……ねえ」
千秋も思い当たる節はあるのか。こいつめ。可愛い顔して。
「ちょっと話脱線したけどさ、もし千秋が了承してくれたとするよ。仮定な。もしそうなったら全力で好きになる努力をする。女として見るようにする。男として」
「そりゃあ付き合うなら当然よ。あたしはまだ保留だけど、もし万が一……億が一、天地ひっくり返ったり、無人島に裕太と二人っきりになって、あたしが裕太と付き合ったら、それなりに努力するわ」
なんだ、やっぱり千秋も少しは考えてくれてるんじゃないか。
「でもさ、もし付き合って、やっぱり合わなくて、別れちゃった場合、もう今までの関係には戻れなくない?」
「いや、俺は戻れると信じてる。時間はかかるかも知れないけど。二人の恋人らしい事を辞めればいいだけだから。浮気とかは別だけどね」
「……付き合ったらセックスするんでしょ?」
「ああ。たぶん。だけど約束する。俺が千秋を女として見れて、千秋が男として俺を見てくれたらね」
セックスから始まる恋もあるが、それは当人の倫理観とか貞操観念に寄るところが大きいから、そんな冒険はしない。
千秋は先程からマグカップをいじらしく玩んでいる。
周りはまだ静かだ。あの兄ちゃんは……と。
おい、やっぱりムービーか。YouTuberかあなたは。この動画をアップしていくら稼ぐんだ。こんなんBAD評価の嵐だぞ。バンされるぞ。
「検討する。もうちょっと時間をちょうだい」
千秋はコーヒーを一口啜って俺の目を見た。
「あと一つ。何であたしなの」
ああ、それか。それも言ってなかったね。ごめんよ未来のハニー。括弧書きで「予定」と入れとこう。
「女友達で一番仲がいいから」
「それだけ?」
「いや。好きになれる要素が一番多いから」
「例えば?」
「顔も割とタイプだし、スタイルも嫌いじゃないし、良いところ悪いところもかなり知ってる。話も合う。友達じゃなかったら普通に女として見てたかも知れない」
「ありがとう。前向きに検討しとく」
少し嬉しかった。保留から検討へ、検討から前向きな検討へ。心のどこかで、この関係を望んでいたのか。何せ初めての事で、頭がいっぱいだ。
そして俺と千秋は席を立った。
店内に喧騒が戻った。あ、マスターの不気味なウィンク頂きました。
結果、俺と千秋は付き合う事になった。
セックスは比較的早かったと思う。
正直、相性とかは分からない。だけど、恥じらう姿を見たり、二人重なった時、友達同士では絶対に分からなかった感情が俺の中で渦巻いた。
それ以上に、異性として好きになるという事が、当人同士の理解と努力が必要以上に大事なのだと思った。
これを怠れば結局別れるのだろう。
そして、今はもう実験という言葉で済ませたくはないが、「男女の友情はある派」で友人同士だったとしても、男女の仲になるのは可能だと分かった。
ベッドの上で、千秋が唐突に言ってきた。どうしたハニーよ。
「あの時、裕太とセックス出来るかどうか聞かれたでしょ? したくない、って答えたけど」
「本当は別に出来なくもなかったんだよ。でも尻軽だと思われたくなかったし、男女の友情は成り立つってずっと思ってたから、言えなかっただけかな。人並みに性欲はあるし、寂しい時もあるし」
じゃあ俺も言うか。
「俺も実はそうだよ。友達っていう概念が邪魔してた。固いフタをしてさ、女として好きになっちゃいけないんだ、ってね」
そう。つまりきっかけが無かっただけ。
きっかけさえあればどう転ぶか分からないのが男女。
例え深く固く厚い友情でも、きっかけ一つで壊れてしまう男女の友情。
おそらく、世の男女の友情の中にも、そのきっかけ待ちが多く孕んでいるんだろう。
ただ、お互いが隠してるだけで。
そんな事を考えてると、「あー!」と横から声が飛んできた。千秋はスマートフォンをいじいじしている。
見慣れた『チャッキー』のページだ。
『ますます意味わかんない! 女として見てるけど、女として好きじゃない? は? 本当に病院行けよマジで。要は上辺だけ付き合ってセフレになれって言ってるようなもんじゃん』
あ。
あの兄ちゃんか。
拡散しやがった、マジで。
おいおい、しかも超恥ずかしい部分を切り取ってやがる。でもモザイクはかけてくれてるね。偉い偉い。
そして批判コメントたっぷりだ。ざまみろ。
コメント欄でも男女の恋愛観について大いに議論されてる。にしても捨て垢多いな。
それを見ながら二人で笑った。
なんていうか、友人の時より、いいな。
思った通り、俺の中の世界観が逆転した。
了
あなたの友人も、もしかしたら本心を隠してるかも知れませんよ。ふふふ