六話
『汝! ボケっとするな! 注意せよ!』
そんな油断をあざ笑うかのようにドスッと何かが素早く接近して来て俺の腕に突き刺さった。
「いって!?」
突然痛みのした箇所を見る。
するとそこには拳大もある大きな蚊みたいな魔物が俺の腕に引っ付いていた。
スモークアーマーの隙間から刺したっぽい。
スプレイグリーンモスキート。
「うわ!?」
名前を把握しきる前に、ほぼ脊髄反射で払いのける。
スプレイグリーンモスキートは俺の払った手をサッとかわして飛び立ち、ホバリングしながらゆらゆらと再接近して来る。
何か腕がジンジンする。見ると針で刺したみたいな跡があり、実際に痛みが走っている。
蚊の魔物って事は俺の腕を刺して血を吸ったって事だよな?
こんな魔物も居るのかよ。刺されたけど大丈夫なのか?
『だから注意しておったではないか!』
……戦闘に意識を集中しろ。
さっき戦ったポイズンウィップなんかよりも厄介な相手なのは違いない。
剣で狙いを定めていると……スプレイグリーンモスキートはビクッとしてからユラユラと明らかに動きが緩慢になっている。
まるで狙ってくださいって感じだが……この動き、何か見覚えがあるぞ。
子供の頃、家に侵入してきた蚊を潰そうとした時の事だ。
妙に動きの速い蚊ってのは居るもので、叩き潰すのが難しかったりする。
そう言った蚊には殺虫剤を吹き付ける方が簡単に殲滅出来る訳だが、目の前のスプレイグリーンモスキートはその殺虫剤を吹き付けた時の蚊と同じ挙動をしながらヒラヒラと地面に落ちて仰向けに倒れた。
「いや……なんでだよ」
俺を刺して、また刺そうとしていたらいきなり倒れたって事なんだろうけど、どう言う事だ?
つーか、刺された所が痛いんだが……くそ。
EXP6獲得の文字が浮かんで来た。
Lvが上がって2になる。
さすがにLvアップで全回復の効果は無いか……あったらこの腕の痛みもすぐに引いてくれるはずだしな。
『一体どういう原理で絶命したのか……ありえるのはポイズンウィップの放った毒液が気化して当てられたか、もしくは汝が持つ毒吸収(弱)が血中にも作用していて、体内を巡って居た沼の毒がモスキートを毒殺したのかもしれん。殺虫剤は言い返れば毒であろう?』
うーん……特に何もしていないのに勝利したのは嬉しいが、なんとも嫌な経験をしてしまった。
油断はするなって事で良いのかもしれない。
しかしこの傷……どうやったら治るんだろうか? 安静にしていたらすぐに治るのか?
『後で傷薬の作り方を教えてやろう。道中で薬草を採取でもして作るのが良いだろう』
ヴェノは傷薬を持ってないのか?
『生憎手持ちに無い。傷薬では無く手早く治したいなら、今回の仕事の報酬で回復魔法を使える者に手当てをしてもらえば早く治療は出来るぞ?』
流れ的に考えて、その分お金は掛かるんだろうな。
く……若干勿体無い気がする。
『しかし……スプレイグリーンモスキートに刺された場合、刺された箇所に痒みを伴う麻痺が起こるはずなのだが……汝は特にそれらしい症状は出ていないな』
痒みを伴う麻痺……そこは異世界の蚊も一緒らしい。
むしろ痛みがもう引いて来ている。
『神経麻痺だぞ? 人間なら患部が腫れ上がり、しばらく動かせなくなる位なのだが、汝の世界にもいるのか?』
そこまでじゃない。
と言うか地味にきついぞその症状。
……これも毒吸収の効果って事か?
『かもしれん。単純に刺された痛みが残っているだけならば、しばらくすれば痛みも引く。今は魔物の死骸の処理を優先するぞ』
死骸の処理?
目の前には仰向けになって倒れているスプレイグリーンモスキートの死体。
これをどうすりゃいいんだ?
『既に絶命している魔物だ。我が圧縮収納魔法で収めるとしよう。不必要であれば我の食糧にする』
お前、蔓と虫を食うのか?
『非常時だからしょうがないではないか! 幾ら強制憑依召喚であっても我の体が無くなった訳ではないのだぞ。まあ、まともに体を動かしたりしていないから消費は少ないが』
生き残る為にはどんな物でも食わねばならないって事か……。
俺の腹に収まる訳じゃないなら良いか。
と言う訳で今回倒した魔物は収納魔法でヴェノが処理した。
それからの道中で魔物には遭遇はせず、順調に俺が意識を取り戻した毒の沼地に到着した。
潜伏のローブ+3のお陰だろうか?
よくよく考えてみれば毒よりも魔物の方が危険なんじゃないか?
そこは装備の強さに期待するほか無い。
「俺、こんなのに入っていたのか……」
改めて毒の沼を見る……紫色をしている。
目に見えて体に悪いですよ、と沼自身が訴えているかの様だ。
ボコンボコンと沼から泡が湧き出ていて、薄っすらと靄が掛かっている様にも見える。
あまり空気が良く見えないけど、俺は何故か森林浴をしているような気分だ。
「さて……目的地に到着した訳だが、どの辺りにマルフィーナとやらが生えているんだ?」
独り言に近い感じで直接喋ってヴェノに聞く。
『あっちだ。それと我の知る薬草などもわかりやすい様に目印を付けておいてやろう』
言われて辺りを見渡すと視界に強調表示とばかりに丸い印で採取する品を見せてくれる。
ここまでわかりやすくしてもらえると楽で良い。
とたんにゲームっぽさが出たが、わかりやすいのは良い事だ。
折角来たついでとばかりに薬草らしき綿毛っぽい物が生えた草を抜いてみる。
毒草ポーニュク
花粉を吸うと呼吸困難になる毒草。茎にも毒性があり触れると火傷に似た炎症を起こす。
「おい、これ毒草だぞ!」
『毒物の調合に使う素材であろう? 薬草も人には益を与えるが、魔物に毒となる物など多数あるのだぞ?』
まあ、チョコレートやネギを動物にあげちゃいけないとか聞くけどさ。
アルコールも似た様な物だし。
と言うか……花粉を吸うのもヤバイはずの毒草を普通に抜いちゃったんだが……。
触れた手を確認してみる。
……特に異常は無い。火傷の形跡も無いぞ?
これも毒吸収のお陰なんだろうか? 便利だなおい。
まあ、収納魔法でヴェノが管理してくれるなら気にする必要も無いか。
『汝の毒吸収が何処まで許容するのかを把握するのも興味深い。あまりにも毒性が強すぎる物には反応しない様にしておくから安心して採取をしながら行くが良い』
はいはい。
と言う訳で道中で生えている毒草や毒キノコばかり採取して行く作業は進んで行った。
……思ったよりも魔物が居ないな?
遭遇する魔物……やや大きめのカブトムシみたいな魔物、バフポイズンビートルを剣で突き刺してからヴェノに考えで伝える。
これかスプレイグリーンモスキートばかりで拍子抜けと言ったら拍子抜けだ。
雑魚ばかりとも言える。
あ、Lvは3に上がった。
中々に順調だ。しかしあまり感動は無い。
『驚異度の高い魔物が何かを察して隠れているか、もしくは冒険者が通った後なのかもしれん』
一応、アルリーフさんがこの辺りに居るはず。
彼女が殲滅して行ったとかだろうか?
『ああ、あの人間の雌か。魔物避けの香を焚いておったから、その匂いを懸念して離れているのかも知れんな。アレはかなりの異臭だったぞ』
あくまでこの辺りでの生態系とか……危険な魔物が住まう奥地って程ではないのだろう。
サバイバル経験の無い成人男性が徒歩三〇分で来れる場所だし。
『どちらにしてもこの状況を利用しない手は無い。早めに目当ての品を採取するのだ』
そんな訳でヴェノの案内に従ったまま、毒の沼地の奥を少しばかり向かうと……崖に面した沼地辺りでヴェノが沼地の中を強調表示させる。
ゴボゴボと泡が湧き立っている所だ。
高温の源泉か? 沼の水面に手をかざしてみるが熱らしき物は感じられない。
ちなみに毒の沼地と言っても泥で沼が見えない訳じゃない。
紫だったり赤かったり、緑だったりとカラフルな沼って感じ。
透明度もそれなりなので、禍々しくも綺麗な、不思議な景色だ。
『ほら、あそこの沼の底に生えている苔が見えるであろう? アレが毒苔・マルフィーナだ』
沼の中を泳いでいたらピラニアみたいな魚に襲われそうだな。
『魚は居るであろうが、毒で弱ったり死んだ獲物しか食わん。そもそも大型の魚がいる沼に見えるか?』
一応沼を上から眺めてみる。
そこまで深い沼では無いので底に隠れでもしていないとわからない。
そもそも毒の沼地と言う非常に厳しい環境を生き残るのは、中々に厳しいのではないだろうか?
まあ……あんまり警戒しても始まらないか。
確かスモークアーマーは水に弱いって効果があったはずなので外して……沼の中へと入って行く。
お? 思ったよりも沼の中は温かい。温泉みたいな気持ち良さがある。
これって毒なんじゃないか? とは思うが俺のステータスを確認しても体力とか生命力が下がっている気配は無い。
と言うか……覚えている数字よりも大幅に増えている様な気が……。
なんて思いながら目当てのマルフィーナの採取を行う。
思ったよりも硬いのでゴリゴリとフライアイアンの剣+4で削り取って採取して行く。
削り取らないと収納魔法で収納出来ないらしい。面倒な手間が必要だ。
結構生えてんな……全部採って行ったら良いのか?
『環境を壊さない程度にしておくのだぞ? またここで採取する機会があるかも知れん』
マツタケとか自然薯みたいなものか。その辺りの認識も世界共通かな?
とりあえずかなり生えている様なので採取は虫食い程度にして、しばらく採取を行う。
……なんか沼地に浸かっているのって気持ちが良いな。
気分が良すぎて眠くなってくる。寝ないけど。
アルリーフさんに起こされる前に気持ちが良くて寝ていたのはコレの所為か?
「ん? アレ……怪我が……?」
スプレイグリーンモスキートに刺された時に開いた傷が塞がっている。
傷跡さえ無いぞ。
『毒での回復まで発生するのか。中々に有益な情報を知る事が出来たぞ。この沼地に居る限り、汝は自然回復の効果が得られる様だ』
毒吸収(弱)、果てしないな。
しかもドンドン疲れが無くなっている実感がある。
ブラック企業で働いていた俺の疲労は簡単に取れる物じゃないが、体が羽のように軽くなっていく。
沼地の毒素でハイになって居ない限りは、間違いないだろう。
そんな感じで二時間くらいは採取していた。
『ふむ……これくらい採取しておけば問題なかろう』
ヴェノの言葉に俺も頷いて沼地から出る。
少しばかり体が重く感じるが、これは普段の重さなんだと思われる。
沼地の中に居た状態の方が異常な訳だし。
『夢中になって採取をしておったな』
「全然疲れなかったし」
むしろ体調が万全って位だ。眠気もいつの間にか飛んでいる。
傷も手当が出来た様な物で、多少の無理をしても戦える位には回復しているしな。
寝ながら運動していた様な不思議な感覚だった。
「さて……この後どうするか」
目当ての品を入手する事は出来た。
後は帰るだけだけど、ついでに採取や探索はしておきたい。
『ふむ……ここまで快調ならば少しばかり探索範囲を広めても良いかも知れんな』
ヴェノも俺の調子が良い事を理解したのか矢印を俺に提示する。
『あっちの瘴気の密度が濃くなっている。あまり危険なら下がるべきだが、多少は偵察しても問題は無いであろう』