三十六話
なんて冷や汗を流しつつ、どうにかエルバトキシンに効果的な毒をボルトに仕込んで殲滅するかと僅かに視線を外した直後。
「ユキヒサさん!」
ドンとアルリーフさんが俺を突き飛ばす。
「うわ!」
「キャ!?」
直後にドンと言う音が響き、俺を突き飛ばしたアルリーフさんの方角を見ると、アルリーフさんはそこにいなかった。
辺りを見渡すとアルリーフさんは壁がめり込むほどの力でエルバトキシンに突き飛ばされていた。
「アルリ――」
声を掛けようとした直後にエルバトキシンの尻尾が飛んで来て俺も吹き飛ばされる。
「うあ――」
何度か回転しながら地面に叩きつけられ、転がされる。
いてー……最近は痛み無く戦えていたから忘れがちだったけど、体中が痛みで悲鳴を上げている。
どうにか立ち上がって腕を押さえながらエルバトキシンへと意識を向ける。
『余所見をしてはいけませんよ。しかし……これは素晴らしい。後少し……後少しでこの辺りに居る人間や魔物の全てを駆逐出来ます……手始めに、私の眷属を創造しなくてはいけませんね』
ふと、ヴェノの回想に浮かぶ開拓の夢を語った男の決戦時の姿が思い浮かぶ。
配下すらも犠牲にして力を得た化け物……その化け物への軽蔑の感情。
このままエルバトキシンに何も出来ずに居たら俺自身が死ぬのは元より、アルリーフさんやムウ、ダンジョン内に居るはずのアルリーフさんの両親や村の人達、冒険者……そしてこの辺り一帯の全ての人々が犠牲になってしまう。
ミッドナイドブルーウルフリーダーだってそうだ。
おそらく、エルバトキシンの配下以外は皆殺しだろう。
『さて、先ほど貴方は私に慈悲を与えたつもりになっていましたね。なのでこちらも返しましょう。何処まで逃げられるか見物ですが、逃げる猶予位は上げますよ。ヴェノ=イヴェバールが尻尾を巻いて逃げたでも私には損にはなりませんからね!』
ここから逃げる猶予を与える?
『第二ラウンドの始まりです!』
いや、エルバトキシンは鬼ごっこを獲物である俺を相手にしたいと言っているのだ。
僅かな時間、生き延びる事が出来る、逃げ切れれば……。
そんな事は受け入れられないし、諦めたくない。
だけど、ここで状況をひっくり返すなんて出来るのか?
『……一つ、手があるぞ』
ヴェノが静かに呟く。
『奴は娘の料理の毒をまだ克服しておらん。その証拠に呼吸が荒く、辺りから魔素を吸引して強引に自身を強化している』
言われて俺はエルバトキシンを凝視する。
確かに、肩で息をしているのが分かる。
怒っているからではないのか。
『一見奴が有利に見えるが、奴も追い込まれているのだ。そして我をどうにかして仕留めたくてしょうがないのだろう。弱っていると思っているのでな』
だけど俺の攻撃は弱らせる事は出来ても致命傷に至る攻撃は無い。
アルリーフさんの毒を追加で与える事も考えたけどそれで上手く行くか……失神させれたら良いかもしれないけどさ。
一か八か過ぎる。
『そうではない。そうではないのだ……』
ヴェノは僅かな躊躇いが混じった口調で呟く。
『上手く行けば毒で弱らせるのではなく、奴を葬る事が出来る。だが、その代償として汝は確実に追っ手に居場所がばれると言っているのだ』
……どう言う事だ?
『このダンジョンに入る際に祭壇で我に力が流れ込んで来たと言ったであろう? その時に回復した僅かな力を解き放てば奴を葬れる。その代わりに漏れだした我の魔力を追手共に感知されるのだ』
つまり、エルバトキシンを仕留める事は出来ても、平和になった村からは出て、すぐに出て来る追っ手と戦ったり逃げなければいけなくなるって事か。
『そうだ。今までの様に隠れ続けられる保証は無く、しかも我等が賞金首である事が村の者達にばれる。おそらく罵倒される事になるぞ。それでも……良いか?』
俺は俺を庇って意識が無いアルリーフさんに視線を向け、ムウやミッドナイトブルーウルフリーダーを見る。
もはや生きているのが不思議なくらい、追い詰められている。
そして村の人達を思い浮かべる。
余所者である俺を冒険者として迎え入れてくれて色々と良くしてくれた人達。
そんな人達に軽蔑の眼で見られるか、このまま逃げるか……。
……はは、そんなの最初から決まってるじゃないか。
ヴェノも人が悪い。お前は前に言っただろ? 責任を持てと、その延長線上でしか無い。
元より皆を助ける為に危ない橋を渡ってんだ! 今更揺らぐかよ。
するとヴェノは……なんか笑っている様な声が僅かに漏れつつ答える。
『一撃だけだ。絶対に外すではないぞ』
俺の視界にステータスが浮かび上がり、スキル名が表示される。
使い方も頭の中で浮かんで来た。どうすれば発動するのかも。
『さあ、おめおめと逃げるか、パワーアップする私にこのまま仕留められるか選びなさい』
完全に余裕の表情を浮かべるエルバトキシン。
俺はふと、アルリーフさんからもらった毒料理の一切れが地面に転がっているのに気づき、拾って口に含む。
吹き飛ばされたアルリーフさんが落とした物だ。
落ちている物を食べるのは行儀が悪いし腹を下しかねない。
だけど俺は毒使い。体の中を巡る毒素が大抵の病を駆逐してしまう。
カッとアルリーフさんの毒素による強化が俺の体を駆け廻り、低下しつつあった体力や魔力を回復させて能力値を上昇させる。
チャンスは一度、それしかヴェノが使える力は無い。
絶対に逃さない。
ヴェノにボルトを出してもらう様に意識して手に持つ。
そして……毒付与で鈍足毒を施し、力を込めて腕に刺す。
『はははは! 痛みでおかしくなったんですか? 自傷行為をするなんて』
言っていろ。これは俺自身が見つけたセルフリカバリー。
アルリーフさんの毒料理を食べるのと同じ様に、俺自身の毒も俺にはプラスに働く。
痛みが少しずつ引いて行き、毒素が体を駆け廻る。
鈍足毒で作動するプラス要素は素早さの上昇。
「喰らえ!」
腰を低くして屈み、出来る限りの速度で駆け出す。
武器は吹き飛ばされた際に落として拾う暇なんて無い。
だけど、それで良い。
軽くはあるがかさばって今の俺には邪魔なんだ。
毒放出で出来る限りの沼地の毒素を毒霧にして放ちながらエルバトキシンに向かって走る。
そして手を大きく広げ、爪で引っかくとばかりに振り上げる。
『おやおや。実力の違いが分かって居ないのですね。良いでしょう。死になさい!』
エルバトキシンは俺達を舐め切ってツメで俺を薙ぎ払おうとしてきた。
俺達の呼吸に合わせた様にアルリーフさんが背負っていた剣が光り輝く。
『な、何!?』
その光に驚いたエルバトキシンが視線を逸らした。
――かかった!
ガキンと音を立ててエルバトキシンのツメが俺の手に阻まれ、跳ね飛ばされた。
俺の手の軌跡に合わせて空間が切り裂かれ……そこから大きなツメが振り下ろされる。
『グギャ!?』
エルバトキシンはその大きなツメの一撃を受けて叩きつけられ、抑え込まれる。
ヴェノが俺に与えたチャンスとは、僅かに回復した魔力を利用して授けたドラゴンの力と強制憑依召喚への抵抗。
スキルで言うのならばドラゴンクロー。竜の爪だ。
本来ドラゴンであるヴェノが放つ一撃。これを受けたら並みの魔物では一溜まりも無い。
『うぐ……だが、所詮はこの程度、次は――』
本の一瞬の時間だけしか出ない僅かな空間の隙間からの一撃。
それをエルバトキシンは察したのかもしれない。
だが……。
『残念ながら次は無い』
ガシっとヴェノはエルバトキシンを腕で握り締め、開いた空間に吸い込まれて行く。
強制憑依召喚によって俺に内包された空間内に……だ。
『な、何をする気だ!? お前は――』
『わかっておらんのか? 貴様は第二ラウンドの始まりと言ったではないか。存分に相手をしてやろう。我の収められた空間内でな!』
空間圧縮魔法の要領で、ヴェノはエルバトキシンを強制憑依召喚で収められた自らのいる狭い空間へと引き摺り込む。
その場所であるなら、あのドラゴンクローも打ち放題だろう。
『や、やめろ! 離せ! 離せぇええええええ!』
『随分と我を小馬鹿にしてくれたものだな。存分にどちらが上かを教えてくれる! さあ、始めようではないか』
懸命に引き摺りこまれまいと抵抗するエルバトキシンだけどヴェノの力は強く、手も足も出ない。
元々ヴェノを閉じ込めようとする力が働いているんだ。
引きこむ力は強い。
『ぎゃああああああああ!』
やがてエルバトキシンはヴェノに掴まれたまま完全に引きこまれていった。
『ふふふ……我も歯がゆく思っておったぞ。さあ、その新たなに得た力を存分に振るうが良いわ!』
『ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!』
やがて何度か叩きつけるような音と共に肉が千切れる様な音が聞こえて来る。
そうして……辺りに静寂だけが残った。
「……ムウ?」
「ワウン?」
それとほぼ同時にムウとミッドナイトブルーウルフリーダーから出ていた結晶とブラッドフラワーの紋様が消え去り、何事も無かったかのように立ち上がる。
「う……うう」
「ムー!」
アルリーフさんが壁にめり込んでいる事に気付いたムウ達が急いで助け起こし、傷薬をアルリーフさんの荷物袋から取り出して塗り始める。
「ゆ、ユキヒサさん。あの魔物は?」
「倒したよ」
「それは良かったです。ところで……」
壁にめり込んでいても僅かに意識があったのかアルリーフさんが俺を見つめる。
「あー……うん。ちょっとね。色々とね……だけど、少しだけ黙っていて欲しい」
「いえ……私は……」
そう答えようとしたと同時にアルリーフさんが意識を失った。
確認するとガスマスクに亀裂が入っている!
やばい、急いで修理するか?
『汝の手でガスマスクの亀裂を塞いで置けば良いはずだ。汝の毒吸収を舐めるな』
若干くちゃくちゃと咀嚼音を立てつつヴェノが答える。
おい、何食ってんだよ。
『む? 何って――』
言わなくて良い。何を食ってるのかは知っているから。
こんな時も食ってるとか自由すぎると呆れているだけだ。
『そうか』
そう言えばエルバトキシンを殲滅すると感染した者達は即座に病が治るのな。
この辺りはゲームと言うかご都合主義と言うか……。
『違うぞ? 我の居る空間に引き摺りこんで奴を仕留める際に魔力反応を解析し、逆スキルを放出してブラッドフラワーとドリムスヴォイタを自壊するようにしたのだ』
IDとパスワードをエルバトキシンから奪い取って遠隔操作を無害化させた感じ?
いや、この場合、コードがわかったから解除用のプログラムを作ったって所か。
『概ね間違いは無い。この程度なら奴から得た魔力で、強制憑依召喚に奪われる前にどうにか出来たのでな』
結果的に助かったけどかなり危ない所だったんだな。
『支配者を仕留めた後だからブラッドフラワーもドリムスヴォイタを鎮静化していた。侵食自体は十分遅くなっていたと思うぞ。とは言っても急な高速増殖をさせていたのでどう変異するかわからんのが恐ろしい所だ』
なんてヴェノと会話しつつアルリーフさんのガスマスクの亀裂を手で塞いでから応急修理を施していると。
「コーグレイ! 目的の魔物がいるってのはここか!」
今更と言えるタイミングでアルリーフさんの両親を初めとした村の方々がミッドナイトブルーウルフ達と一緒に駆けつけてきた。
「とは言っても……既に倒し済みって雰囲気だな」
アルリーフさんの父親がエルバトキシンが居た跡……ヴェノの手の跡がある場所を凝視しようとしている。
とりあえず今は話題を逸らそう。
「皆さんは大丈夫でしたか?」
「ええ、さっき全員、病で動けなくなっていて、正真正銘全滅かと思った所で急に体が軽くなったのよ」
役立たずとか罵るのは愚かな行いだ。
エルバトキシンがそれだけ厄介な事を仕出かしていたのだからしょうがない。
それこそあのままだったらみんなが危なかった。
「んで、アルリーフは大丈夫なのか?」
「それが目的の魔物を相手に俺を庇って怪我を……回復魔法が使える人にアルリーフさんを任せたいです」
「ああ、任せろ」
俺はアルリーフさんを両親に預ける。
アルリーフさんの母親が回復魔法を唱えてアルリーフさんの手当てを行った。
幸いにしてそこまで重症ではなかったので、すぐに回復するだろうとの事。
「どっちにしてもここは瘴気が深いな。早めに村に戻ろう」
「はい」
そういやエルバトキシンを倒しても瘴気は無くならないのな?
『瘴気と奴に関係性は薄いのでな。もちろん、奴自身も瘴気を放つ魔物ではあるが、この地の根本的な物とは異なるのだ』
へー……。
「ムー」
「ワウ」
かなり善戦してくれたミッドナイトブルーウルフリーダーに配下の二匹が駆け寄って何やら鳴いている。
リーダーの活躍を褒め称えているのかね。
そして当然の様に背に乗るムウ。
斧を背負ってお馬の稽古ってか。
そんなこんなで俺達は足早にダンジョンから地上に出たのだった。
相変わらず薄曇りの空だけど、前よりも明るい様な気がした。
「ワオーン!」
地上に出ると同時にミッドナイトブルーウルフリーダーが遠吠えをし、ムウを背中から降ろす。
「ムウムウ」
ムウが手を振るとミッドナイトブルーウルフリーダーはそのまま配下を連れて走り去っていく。
『やるべき事はやり終えたと言う事だな』
「手伝ってくれてありがとなー」
俺もムウに合わせて手を振る。
チラッとミッドナイトブルーウルフリーダーはこっちに顔を向けた様に見えたけど、あっという間に行ってしまった。
共に強敵に挑んだ仲間との別れか……出来れば彼等の生活が安定した物である事を祈るほか無い。
それから俺達は村へと帰り、人々がドリムスヴォイタから解放されたのを確認して安堵した。
で、戦いの影響でどっと疲れが出た俺は足早に宿屋の部屋に戻って、ベッドに倒れこむ形で寝付いたのだった。
さすがに毒のお陰で疲労とかが回復出来たとしても精神までは癒やせない。
ただ……寝る前に宿屋の窓の外から見た、アルリーフさんの両親や村の人達が真面目そうな顔で何やら広場で話し合いをしている姿が……妙に印象に残った。




