初めまして心療内科。
前振りが長い
ざっくりまとめると。
泥酔状態の父親をあしらったらブチ切れられて、初めて「死ぬ日までは正論で殴られても世間の正論でもあるわけだし構わない」と思っていたのに。
「こいつ(父親)を殺せば、死ぬ日までの安寧が多少得られる。こいつは泥酔してる。すぐに寝る。がんばれば滅多刺しにして殺すか、そうでなくても設定に対して恐怖を植え付けられるんじゃないか?」と思いました。
父親が寝るのを待ち、包丁を握り、あとは最初の一刺しをしくじらない勢いだ!…となったんですが、引きこもり生活が長くて腕力に自信なくて、でもものすごくチャンス!今を逃せば次のチャンスなんてないかもしれない!
そんなこと考えていたら、お花を摘みに行っていた母親が戻ってきて未遂になりました。
1対1だからこそ実行しやすいのでね。
そこで握っていた包丁から手を離して、母親に心の話と父親の言動よって殺そうとしたことを話しました。
(´・ω・`;) ここで病院にGO!が決まり、病院探しが始まるのです。
初診だけは母親についてきてもらいましたが、それ以降は1人で通院してます。
お世話になっている病院は、近場で、院長先生が猫好きの現猫飼いさんだったのが決め手で予約を取りました。
フィーリングが合ったのか、成人男性の担当医(院長先生でもありまふ)さんにも恐怖感を抱くかとなく、むしろ先生の飼っておられるお猫様の話を聞きに行く感じで過ごしています。
(´-ω-`)何しに通院してんだよ。と思ったアナタ!
拙者もよく思います。
でも、拙者の受けている治療ってカウンセリング的なものが主で、基本2〜3分のご機嫌いかがですか?のやり取りで終わります。
そして特に変わりがなければ前回と同じお薬で〜、です。
現状、社会人になりたいとか、社会に復帰したいと思わないので。社会に出るなら死ぬ。死ぬことは憧れ救い究極の逃げる方法だと思っています。
先生には「死ぬことは逃げることにはならない」と言われました。
でも生きることを止める方法なのに逃げることにならないのか、拙者には分かりません。多分、いまのままだと分かる日は来ない気がします。
初診の日には、心の病気を治すことを目的?としていたけど、今は「まだ死んでないですよ、でもお薬飲まないと夜は落ち着かないので、お薬もらいに来ました」くらいの気持ちです。
父親を殺そうとしたこと。その前から夜は眠れず息苦しく身体を横にしていられない。というのが最初に先生に話したこと、症状でした。
もらった診断は「不安障害っていえるかもしれないね」っていうフワッとしたものでした。
でもストン、と拙者の中に落ちてきた言葉でした。
ああ、病気なんだ。不安障害なんて、そんな病気があるだ。拙者が弱いから働いてないから、だけじゃない何かがあったんだ。
すごくホッとしました。
同時にフワッとし過ぎた病名に、不安にもなりました。
ここから、拙者は「あ、この考えすぎて不安になるの病気なのかー」というのが増えました。
やっぱり病気だって思うとすこし楽になります、気持ちや息苦しさが。
初診後。
ぽっかり空いていた何かが埋められた気がしました。
それでも空いたものは塞がりきりません。
今でも穴は空いているし、塞ごうともがいて、疲れたら止めて、虚無感からぐったりしたりします。
病気を治す気がないけど薬がないと手のひらが赤くむくんだりするので、通院してます。
スネかじっていいと言ってくれる母親がいるから、まだ生きていようと思います。
今、今日、この瞬間以外のことは、チェックしたゲームの発売日とか配信日しか気にしないようなりました。
考えたくないので。
考えて死にたくなるなら、考えなければいい。
究極のダメ理論だと思います。
でも生活保護を受けてでも生きようとは思ってないので、母親のスネをかじれなくなったら死ぬのかな?
その時のことは分からないけど、死ぬときは静かに死にたいです。
いとこにも親戚にも頼りません。生活保護も欲しいと思いません。
かじるスネは母親のだけです。父親は同じ家に住んでいるので、大まかな生活費?を強制徴収されてます。母親が設定した銀行引き落としで。
(^∀^)これがダメ人間の頭?心?の中だ!
精神が健康な人には共感されない部分が多いだろうなって、思うよ
ごちゃごちゃしてしまいましたが、これも一種の病気です。マンガで分かる心療内科のどこかに、そんな感じの…こと・が、書いてあったような気がします