第4幕 秀吉の恋
「あれはいい女だの、佐吉! 」
秀吉の目線の先を三成が探すと、大名らしき父親の傍にいた14歳ぐらいの少女が市女笠と小袖を着ていた。
顔色は艶やかで天質の美顔で眼差しに張りがあり鼻筋も美しく通り、遠くから見ても万人が振り返る際立った美貌の上﨟であった。
容姿は揚柳の風にたなびく様に立ち振る舞いも美しい秀吉好みの女性だ。
聚楽第工事視察中の秀吉は傍らの三成に目配せをした。
三成はすぐさま配下の小者に京見物らしい一行の後を追わせた。
小者はさりげなく一行の従者に話かけた。
「ここのお姫様はたいそうお美しいでんな! 」
「そうじゃろう、東国一の美人で文武の道に優れ力も衆人に優ると国元では評判のお姫様なのじゃ」
「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうかの? 」
「おぉ、よいとも、我が主の成田氏長様と甲斐姫様じゃ! 」
甲斐姫一行は天正十四年秋に父氏長と同伴で上洛して、京の紅葉見物をしていた
氏長親子を工事視察に訪れた秀吉がたまたま見かけたものだ。
甲斐姫の天性の美貌を見逃すはずもなく、秀吉性癖の貴人上﨟漁りに火がついた。
秀吉は前日も機嫌を取ってきた茶々よりもよさげな、未だ男の色に染まっていない手つかずの娘を見つけたのだ。・・儂が手折らなければと好色男の秀吉の胸が騒ぐ。
すぐさま親子の身元と宿舎が判明した。大名成田氏長と娘甲斐姫の一行だ。
甲斐姫は美しさと武芸の才能を兼ね備えた女性だとの周囲の評価が高い、女癖が悪く一度目を付けた高貴な上﨟には手段を選ばずものにする秀吉だ。
即座に、滞在中の宿舎で成田氏長に甲斐姫の秀吉側室への打診がされた。
氏家に直談判した秀吉の使者は石田治部少輔三成であった。
「甲斐姫様が豊臣家の側室に入られるのならば、成田家の本領安堵とご加増は間違いございません」
と三成は氏長を説得した。
「いきなり急なお話なので、当方も親族一同と相談せねばならないし、お時間を頂戴いただけるとありがたい」
と氏長は回答を引きのばした。
近々、関白宣下のうわさもある畿内随一の覇者秀吉の甲斐姫側室の話しに乗るか、主家北条氏への義理を立てるか、氏長は迷い抜いたが主家北条氏への義理を立てて秀吉側室の誘いを断わった。
◇◆◇
この報告を秀吉は伏見城の屋敷の寝室で聞いた。
床の間には小さな青磁の香炉“千鳥”が紫煙を揺らしていた。
秀吉は目を光らせてつぶやいた。
「儂は甲斐姫がどうしても欲しいぞ、何年かかつてもあの女を手に入れてみせるわ」
「はっ、仰せの通りに左近に命じます」
三成が平伏した。
氏長に断わられて、秀吉の甲斐姫入手への執着の想いはますます燃え狂った。
天正十五年秋になつても秀吉は甲斐姫をあきらめておらず、実は忍城内部の内応者からの情報で三成家臣島左近が仕掛けたのが今回の、“狩り途中の甲斐姫襲撃”であり、“砦への乱波夜襲”であり、すべては甲斐姫を拉致する目的の作戦だった。
ちなみに洛中で秀吉が甲斐姫を見かけて一目惚れしたのは、連也と甲斐姫の出会いの一年前の話です。
伏見城大広間の秀吉の前で今後の大方針が石田三成から大名たちに説明された。
「九州平定も終わり、天下統一のためには残る騒乱の元関東の北条氏政居城の小田原攻略を数年のうちになして東の憂いを武力で平定することが肝要である」
「この小田原攻略に奥州の諸大名にも呼び掛け、諸侯におかれても攻略準備として軍船、築城資材、兵糧、人夫等を石高に応じて負担をお願いし申す。
もって太閤殿下の後顧の憂いをなくしましょうぞ。」
と関東攻略の大方針策が太閤の意向として公に傘下諸大名に説明された。
事前に、三成から秀吉には北条の小田原城攻略で支城の忍城ごと武力で奪取する事が甲斐姫を早期入手する事につながります、との念願の美女獲得策も二人だけの密室で説明されている。
この一石二鳥案が腹心三成から事前に説明され秀吉は大いに喜び大方針と認めた。
むろん、支城の忍城攻めは言い出した石田三成が指揮をとることとされた。
大名たちも秀吉の野望が今は小田原攻略にあることを知った。
◇◆◇
秀吉絡みで、十五夜の夜に連也と甲斐姫が出会いそして襲われた後の話、忍城の二の丸屋敷の一角で成田家宿老と侍女のひそやかな会話がなされた。
「今回はおしかったの」
「はっ! 今一歩で獲物を逃しました」
「今宵は、いつもの刻に部屋で待っておるからの」
「はい」
宿老成田近江守泰徳は非戦派の首魁であり、豊臣の内応者であり、石田三成の成田家への調略窓口でもあった。
密謀の相手の侍女は成田泰徳陪臣の息女で、泰徳が幼い頃より手なずけ女にして間諜として使っている侍女で、泰徳の意思に忠実な犬のお吟だった。
侍女お吟は三成家臣島左近と城下で接触して成田家情報を渡す役目であった。
今は、成田家中で武断派筆頭の甲斐姫に侍女として近習して情報を得ている。
数日前、お吟は甲斐姫と巻姫との狩り目的密行を知り、急ぎ二の丸を出て橋をわたり城下にいた島左近配下の細作傀儡使いに情報を知らせたのであった。
その結果、島左近使役の乱波群による二度にわたる甲斐姫襲撃を招いた。
お吟は宿老泰徳が監視役として力で甲斐姫近習に推挙した侍女で、
甲斐姫子飼の腹心ではない。
だから、お吟と甲斐姫との間には恩とか奉公とかの入り込む余地はなかった。
お吟は明日の命も分からない乱世の中で、小さい頃から自分を可愛がってくれて、最初の男になってくれて、父親を陪臣ながら家臣として重用している宿老泰徳を心から信頼している。
泰徳様は本当は素直で優しいお方なのじゃ、少し優柔不断の所はあり、知恵が先走り人から嫌われるが、その性格を含めてお吟にとっては愛しい男であった。
邪魔する奴は斬る、ただ泰徳様に認められる事こそお吟にとり大切なこと。
泰徳様のお役に立つなら甲斐姫を裏切ってもいいと、一途なお吟は思う。
それ以外に、いまのお吟が求めるものは何一つないといってよい。
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