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 明治二年(1869年)八月二十日


 聞多の言っていた通りに、政府は地所の払い下げを行った。便利なところは千坪あたり二十五両、これは虎ノ門、霞が関など江戸城、いや、皇居のすぐそばだ。他にも二十両が飯田町、それに番町、永田町。少し利便の劣る市ヶ谷、四谷、青山、牛込その他の地所は十五両で払い下げられる。

 聞多はさっそく今後の都市計画を鑑みて、よさそうな場所を押さえにかかる。銀座、新橋、それに品川、あとはなぜか三田。


 数日してやってきた聞多は少し困り気味の顔でつぶやいた。


「ねえ、新さん。」


「何?」


「例の五千両なんですけど、」


「うん、早くしてよ。こっちも増築して大変なんだから。」


 そう、鐘屋の跡地には元の建物を上回る、和風の店を建てている。ここができればうちの連中の妻たちは外に働きに出ずともいいのだ。


「それがね、ほら、役所の統合とかあったでしょ? それで、今度大蔵卿になったのが松平春嶽さま。これがまた細かいんですよ!」


「へえ、大変だね。」


「それで、五千両の話を通すのは無理。なので、その分を土地でってのはどうです? そっちならうまいことやれると思うんです。」


「そうなの? だって、すっごい安いじゃん? みんな先を争って買うんじゃない?」


「それがですよ。そりゃいいとこは欲しがる奴も多いんですが、それ以外はさっぱり。完全に取らぬ狸の皮算用って奴で。ま、私は事前にいろいろできますから、新さんのとこは確実に儲かりますけどね。ほら、三田。あそこの島原藩中屋敷跡のでっかい土地、そこを丸々福沢ってのが買い受けたんですよ。」


「福沢?」


「私も良くは知りませんけど、私塾を開いて大層な人気だとか。なんでも、ほら、勝先生が亜米利加に渡った時に一緒に行った英才だとか。これは塾を移すに違いない、そう踏んだ私は、あの周りのいいところをみーんな押さえちまったという訳ですよ。塾生相手に商売したいってのに貸してもいいし、ほっぽらかしときゃ文句の一つも言うでしょう、そしたら高値で貸してやればいいんですよ。」


「なるほど、そういうやり方もあるんだ。」


「ま、めぼしいところはすっかり押さえたし、あとは五千両分をそうやって、よそに乗っかる感じで押さえていけば数年後には大儲けですよ。」


「けど、その五千両、どうするのさ?」


「なあに、帳尻が合ってりゃいいわけで。金を引き出すのは大変だけど、土地で帳簿を合わせるくらいは余裕ですよ。言ったでしょ? 私は大蔵省で良い顔だって。降ってわいたような殿様なんかはいいようにできますから。」


「ま、聞多はその辺は上手そうだもんね。」


「そうそう、けどこれも今のうちだけですよ。世がきちっと定まっちゃ派手な事なんかはできなくなる。私はね、新さん、藩閥政治だろうが何だろうがうまくまわりゃそれでいいと思ってる。大久保さんは薩摩だけど、木戸なんかよりはよっぽど頼りになる人ですしね。長州だから木戸につく、そんな考えは私も春輔もさらさらないんですよ。」


「だよね、ま、しばらくは藩閥政治、それも仕方のないことだと思うし、いっぺんに何もかもって訳にもね。」


「そうそう、何事も塩梅って奴ですよ。ほら、木戸って昔から空気読めなかったでしょ? あいつは役職で物を言うから嫌なんですよ。もっとこう、僕はこうしたいんだ! ってのがあるなら私だって協力しないこともないんですがね。」


「そうだね、昔から思ってたけど、木戸って何がしたいのかわからない。高杉は、ほら、頭アレだったけど目的ははっきりしてた。吉田さんだってそうさ。」


「あの人はね、責任感だけはあるんですよ。長州が今の政府で良い顔できるのもあの人がいたから。それはわかってるんです。倒幕、そして王政復古、それをこなせたのはあの人のおかげ。才たけてるし、判断も的確。人柄だって悪いわけじゃない。」


「まあ、そうだよね。竹刀打ちだってすごく強いし。」


 その時襖が開いて、トシが顔を出す。


「お、聞多じゃねーか、なんだ? 桂、いや、木戸の話か?」


「ああ、トシさん。そう、あいつの話。」


 トシは人を呼んでお茶を出させると、自分もそこに座り、俺のシガーに火をつけた。


「ま、あいつは近藤さんと一緒さ。」


「近藤さん、って新選組の?」


「そうそう、自分の考えってもんがねえ。けど、役目を与えりゃそれなりにこなしちまうし、人だってついてくる。けどな、その役目、肩書ってのがねえと何もできねえし、その役目の顔しか持てねえから、偉くなりゃ鼻に付く。聞多や春輔みてえに役目の顔と友達の顔の使い分けができねえんだよ。」


「なるほどねえ。確かにそうかもですね。」


「だから旦那が苦手なんだよ。役目の顔、身分ってのが通用しねえからな。旦那はてめえが上でも人を見下さねえが、その分上も敬わねえだろ? 近藤さんはそれで一回ひでえ目に遭ってる。」


「ちょっと、俺だってちゃんと上の人には敬意をもって接してますぅ!」


「嘘つけ! 函館じゃ、俺はあんたの上司だったんだけど? それに総裁の榎本さんだって榎本呼ばわりしてたじゃねえか。」


「だって、トシだし、それに榎本だよ?」


「な? こんなもんだ。木戸がいくら偉くなろうが敬っちゃくれねえさ。だからあいつは旦那に近づかねえ。」


「あはは、そうですね、新さんは初めて会った時から新さんのまんまだ。」


「だろ? まったく成長の跡ってのが見られねえ。それはそうと、榎本さんたち、どうなりそうだ? あと、会津の連中も。」


「会津は奥州の斗南ってところで三万石。会津候に男子が生まれたからその子に家名を継がせて、って話ですね。函館の連中は、まだ決まってませんがそうひどい事にはなりませんよ。あの連中を処断、なんてことになれば不平士族が何するかわかりませんし、それに、」


「それに?」


「西郷さんが鹿児島に帰る前にえらい剣幕で言い置きましたから。函館の連中、特に今井って人にきつい処罰はならんって。いつもなら大久保さんあたりがなんか言いそうなとこですが、大久保さんまで一緒になって言ってましたから。今井さんを赦免しろって。」


「ま、それなら安心だな。」


 その後しばらく世間話をして、聞多は帰っていった。


「会津、それに函館の連中。こいつらの事は俺たちが何とかしてやらなきゃな。」


「うん、でもさ。」


「なんだ、気のねえ返事しやがって。」


「今井さん、それに渋沢さん、あと榎本も。すっごく怒りそうだよね?」


「今井さんと渋沢はわかるが、榎本さん、って、そういやなんで榎本さんの金を?」


「函館に残った金、降伏したとき俺と板倉さまと榎本で三等分、あと、渋沢さんにも三千両。そう分けたんだよ。」


「かぁぁ、まさか榎本さんまでが。」


「あいつ、家族がいるからその金でって。」


「んで? その家族は?」


「いや、何も。だって、榎本の金、取り上げられちゃったし!」


「あんたなあ! そういうのはちゃんとしてやれよ! あーもういい、俺が明日訪ねてみる。」


 そう言ってトシは、はいっと手を差し出した。


「何その手。」


「決まってんだろ? 金だよ、金、食うに食わずだったらどうすんだよ! とりあえず太政官札に換えたときの儲けがあんだろ!」


「あ、あれは俺の金だし!」


「んじゃ、今井さんの金で儲けた分な。それをよこしな。俺が榎本さんだけじゃなく、主だった連中の家を訪ねてみるからよ。」


「えーっ。」


「いいから。こうしたことも男谷の男の務めだろ? 明日は安さんにでも付き合ってもらって行ってくるさ、じゃねえと後でぐちぐち言われんだろ?」


「もう、今回だけなんだからね。」


 仕方なしに律を呼び、その話をすると律は大賛成。さっそくトシに千両分の官札を渡した。紙幣は持ち運びに便利だからいいよね。って、あーあ、また、俺の金が減っていく。


「いいではありませんか。お金に困っているわけでもありませんし。さ、ご不満はわたくしの体が聞いて差し上げます。」


 そう言って律は俺を寝室に連れ込んだ。外には涼し気な不忍池と蝉の声。汗だくになって哲学を語り合うのもいいよね。



 九月二十八日。再び海舟が俺を訪ねてやってくる。


「なに?」


 金を奪われた俺、そして板倉さまもこの男には最大限の警戒をもってあたった。


「おいおい、そんな面するんじゃねーよ。今日のオイラは客としてきたんだ。今から静岡に帰るんじゃちと事だからな、せっかくだからおめえのとこで、って訳だ。ま、別に話もあるんだがな。」


 ともかくも俺たちはトシを隔離。海舟とトシが一緒になると碌なことはないのだ。


「お? 内藤の奴はどうした?」


「あは、忙しいんじゃないかな?」


「あいつにも話があるんだよ、ちと顔出すように言ってくれや。」


 ちっ、と舌打ちして仕方なしにトシを呼びに行く。


 俺、板倉さま、それにトシを前に、海舟は居住まいを正して口を開いた。


「新九郎、板倉さま、それに内藤。オイラは幕臣として最後の仕事を片付けた。慶喜は本日をもって赦免。謹慎を解かれた。また、榎本たち函館の連中も帝のご寛容をもって赦免となった。」


 海舟は涙声になって俺たちにそう伝えた。


「おめえらは函館まで戦い抜いて幕府の意地を、そしてオイラは慶喜を殺させねえことで徳川の意地を果たして見せた。こいつは幕臣、勝安房守としての最後の言葉だ。よくやってくれたな、おめえたち。」


 俺たちは一斉に幕臣、勝安房守に頭を下げた。トシは感極まって泣き出したが俺と板倉さまはチラッと目を見合わせる。


「たいしたもんじゃの、勝よ。で、これからどうするのじゃ?」


「ああ、オイラはしばらくは静岡だ。あぶれた幕臣たちを何とかしなきゃならねえし、一応はまだ、徳川家の家臣って立場だ。それも近々やめようと思っちゃいるがな。」


「幕臣たちに何をさせる気かの?」


「今は山岡に銅山を見させてる。あとは原野を切り開いて茶畑なんぞをこしらえる。いま、この国で外国に売れるもんといや、銅と茶だ。それを静岡の産物にって訳だな。函館の連中も赦免となりゃ静岡に来るだろうしな、ともかく食えて、仕事になるようなことをさせなきゃならねえ。」


「銅、それに茶か。して、売り先は決まっておるのかの?」


「その辺もこれからだな。直接異国と取引しちゃ政府の顔をつぶしちまう。どっか商人を通さなきゃならねえさ。」


 海舟がそういうと板倉さまは興味を失ったようで、「それがいいかもしれんの。」と言った。


「ま、なんにせよ目出度い事には違いねえ。お千佳さん! ビール、それとうまいもんも見繕ってくれや!」


 トシはにっこにこで酒の用意を始めた。


 酒が入り、しばしの間はめでたいめでたいと言ってたが、途中からは愚痴になる。俺も、海舟も、そして板倉さまも慶喜公の事が好きではないのだ。榎本の解放に喜ぶトシは一人機嫌よくビールを注いで回る。


「実際のところ静岡は最悪だ。なんせ政府と口を利けるのはオイラだけ。こうした交渉事は全部オイラの役目って訳よ。なのに売国だのなんだのと言われ放題。しかも連中はオイラが四十石の軽輩あがりだってんで蔑みやがる。役にしたって山岡と同格よ。文句言うならてめえらでやってみろってんだ。」


「ま、仕方がないの。幕府ってのはそういうところであったからの。アホでもなんでも血筋がすべて。武士と言うものはそういう物じゃ。」


「そう、そのアホな連中だらけって訳だ。だからな、オイラは安房守をもじって安芳やすよしってのに名乗りを改めた。安芳、読み方によっちゃアホウって訳よ。アホの中で生きていくにはてめえがアホにならなきゃやってられねえ。」


「でも、もう慶喜公の件も片付いたんだろ? だったらこっちに戻ればいいじゃん。政府からも誘いがあるんだろ?」


「ところがな、新九郎、周りはアホでも上はそうじゃねえ。お家を継いだ家達いえさとさまもその後見を務める松平確堂さまも利口と来てる。オイラがやめるのは許さねえとよ。それにオイラが政府に出仕しちゃ内通だのなんだの騒がれる。この身に関しちゃいろいろと手詰まりなんだよ。」


 そんな話をぐだぐだして、翌朝海舟は金も払わずに帰っていった。


「ま、静岡に関しちゃ水物じゃの。茶に銅、先物買いするにはちと危うい。」


「そうだよね。」


「当面は井上に儲け話をもらう方がよいの。」


「だよねー。」


 そしてその翌日、世に解き放たれた、金の亡者どもがやってくる。



この時期の海舟さんはほんとかわいそう。静岡では嫌われ、いつ殺されるかわからない。しかも妹婿に収まった村上俊五郎は真性のクズ。このあともずっと海舟さんにたかり続けます。幕末明治の名のある人でこの人よりクズな人はいないんじゃないか、そう思わせるレベルですね。それに比べれば新九郎さんはまだまだです。

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