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 横浜に預けていた金も官札に換え、ひと段落すると、聞多の言うように政府は次々にお触れを発布。官札の安定化に努めた。これにより俺たちは当然大儲け。海舟に取られた分にはまだ足りないが、それでも八割方は回収したことになる。


 そして、六月末の晴れた日、俺は俊斎を伴い、聞多の勤める大手町の大蔵省に顔を出す。


「ねえ、本当にいくんです?」


「もちろんだよ。なんでもカタをつけとかないとしこりが残るからね。」


 そう、俺たちは鐘屋を壊し、海舟の屋敷を襲った大村益次郎と話をつけるため出てきたのだ。その聞多の案内で幸橋さいわいばし門の中にある東京府庁を訪ねた。


「へえ、立派な洋館だね。」


「まあ、江戸に変わる東京、その顔となるところですからね。」


 いくつかの手続きをして官吏に案内を受け、奥に通される。俺は相変わらずの臙脂のチョッキとズボンにブーツ姿、俊斎と聞多はもう初夏だというのに蝶ネクタイに背広を着ていた。


「して、何用ですかな?」


 その大村は奥の座敷にいて、文机の上で書見をしていた。服装は質素な着物姿。だが、その額、というか、頭はびっくりするほど大きかった。なんていうの?七福神のメンバーにいそうな頭の長い人。そしてそれは横にも広い。一目見ただけでわかる異相であった。


「大村さん、この人はね、松坂新九郎さん。元幕臣で勝さんのいとこでもあるんです。」


「松坂さん、ですか。そのお名前はどこかで。そうそう、象山先生の五月塾、その塾頭であられましたな。」


 そう言われてなんだか俺はうれしくなってしまう。誰に言ってもいぶかし気に見られた五月塾の塾頭の事、それをこの人は知っていてくれた。


「そうなんですよ。」


 照れながらそう答えるのが精いっぱいだった。


「さればお話を聞かぬ、という訳にも参りませぬな。井上さん、海江田さんもお楽に、今茶でも持ってこさせますゆえ。」


 いかんいかん、俺はここに文句を言いに来たのだ。好印象を持ってどうする! 隣の俊斎も思わぬ歓待にびっくりした顔をしていた。


「海江田さんも上野では失礼を。小生はいささか物言いがよくなくて、人との軋轢を。言葉が足りぬ、情がない、そうしたことで何度も注意を受けてきたのですが、一向に改まる気配もなく。」


 そう言って大村さんは俊斎に頭を下げた。えっ、なんで俺、さん付けなんかしてんの?


「それで、松坂さん、お話とはやはり、勝さんの事、それに不忍池の店の事でありましょうや?」


「ええ、まあ。」


「小生は、軍略を学んだ身、いくさともなればどうしても効率、と言うものを重視してしまうのです。その勘定の中に人の命すら。」


「なるほど。」


「ここからはいささか私見、となりますが、お聞き届けいただけますかな?」


「ええ、どうぞ。」


 大村さんは茶を啜り、んっ、んっ、と声の調子を整える。そして持論を語り始めた。


「小生は本来医者でしてな、ですが、その才に欠けるところがあり、これまでも幾人も適切な処置をとれず、死にゆく姿を見ることしか。人の死、そうしたものに触れ続けていると、多少の事では動じぬようになるのと同時に、繊細な、人の心を案ずる、と言う事もまた難しくなるのです。その場その場に応じて、目的を果たすため、最低限の言葉しか用いない、それゆえ本意とは程遠い言い方になることもしばしば。上野では海江田さんにそれで不快な思いを。」


「なるほどねえ。」


「して、小生はこの維新動乱、これを幕府と言う役目を終えた器官を摘出するための手術、そうとらえております。役目を終えた器官を放置すればそれはすなわち病巣と。日本と言う国、それを体に見立てれば幕府はまさに心の臓。それを取り出し、新たな政府と言うものを植え付ける手術となれば当然、血もでれば、体にも大きな負担がかかります。」


「でしょうね。」


「そうまでしてなした大手術、これに病巣の取り残しがあれば、いずれまた病は再発を。勝さんの事はそうした意味が、あの方は幕府を再発させられるだけの器量がお有り。予防的観点から見れば取り除いてしまった方が無難、そう判断したまでの事。」


「うーん、確かに言ってることはわかるんですけど、俺からいわせりゃ病巣は長州の方。薩摩と幕府なら折り合いはつけられた。それをあんたらが聞かずに攘夷だなんだってやってたからこうなった。ちがいます?」


「確かに、確かにそうでありますな。ひと頃において、ひたすらに攘夷を言い立てる長州はまさにこの国の病巣でありました。しかし、幕府はその病巣を手術によって取り除くだけの決断ができなかった。病巣はやがて成長し、体全部に回ってしまった。その愚を繰り返さぬため、小生は勝さんを。」


「なるほど、けど、その病巣にだって言い分はあるって事ですよ。海舟はすでに恭順してた。それを物のついでに襲っちゃ名分だって立つはずがない。そうでしょう?」


「ええ、それはご指摘の通り。ですからあの折がその最後の好機であったと。この東京府での内戦、混乱のさなか、そうでなければ罪なき人を討つなどと。その折は誠に申し訳ないことを。」


 うーん、なんだろう、このもやもや感。文句をつけに来たはずなのに、その文句をつける隙が無い。何しろ大村さんは丁寧に頭まで下げたのだ。ここで強引に、と行けば間違いなく俺は悪者だ。ま、向こうが過ちを認めた、と言うなら矛を収めるのも器量のうちだろう。


「まあ、大村さんがそう言ってくれるならいいけど。あとはそうだね、壊されたうちの賠償として五千両も払ってくれりゃいいかな。」


 そう言ってにっこり笑うと、大村さんの顔は口を開けたまま固まった。


「んっんっ、その、松坂さん?」


「はい?」


「五千両、その根拠はどこからですかな? 建物の損害であれば多く見積もっても数百両。そうみておりましたが?」


「だって、あそこは単なる店じゃなく、俺の家でもあったからね。いろいろ思い出とかもあったし、それに店も何日も開けなかったわけだし。西郷さんやこの俊斎たちは責任を果たすため、瓦礫の片づけをしてくれたよ?」


「えっと、その、しかしですな。」


「大村さん、ここは黙って払っちゃいましょうよ。それが一番ですって。」


「井上さん、そうはいっても。」


「そうなあ、オイとの事も、きれいさっぱりってこつで。」


「海江田さん、それはありがたく思っているんですが、五千両なんて! 私の月棒は六百両なんですよ?」


「すげっ、そんなにもらってんだ。」


「あのね、松坂さん。その六百両てあれやこれやとかかる経費もまかなっているんです。それは確かに庶民と比べれば豊かではありますが。」


 そう言って大村さんは腕を組んで考え込んでしまった。



「……やはり、無理でありますな。」


「えっ、それは困るよ。あんたたちのせいで焼けたんだから。」


「すでに補償はされているのでありましょう? そもそもですよ、あの店を守るために戦況を鑑みない、西郷さんはそうされようとした。司令官として、飲める話ではありませんでしょう?」


「それはそっちの話さ。」


「じゃっど、吉之助サァはこん松坂サァに約束ばした。約束は約束、守らんち言うわけにはいかん。」


「ですから、あの折は戦争であった。個人の約束を守る、それも大切な事でありましょうが、戦争に負けては元も子もないでしょう?」


「チェストー!」


 あっという間に俊斎は相手の話を聞かない生き物に変形した。すげーな、薩摩隼人って。


「そんな、子供じゃないんだから。あの時だって。」


「チェストー!」


「松坂さん、あなたはわかってくださいますよね?」


 う、っと答えに窮した俺は必殺技を使うことにする。


「何がですか?」


「チェストー!」


「で・す・か・ら、個人の約束と戦争に勝つこと、それは違う次元の話で。」


「何でですか。」


「チェストー!」


「……」


「……」


「……」


「あ、」


「なにがですか。」


「チェストー!」


「……これでは話になりませんな。」


「大村さん、ことわりの勝負は引き分け、と言う事で、別の解決策を。」


「ほう、なんでありましょうか?」


「ここですよ、ここ。」


 俺は自分に有利なルールを設定すべく、自分の額を指さした。


「大村さんも塾でそういう勝負、したでしょう? 五月塾では学問のみならずそういう部分の頭の出来まで問われたからね。もしかして適塾ではそういう事、教えてもらえなかった?」


 少し煽り気味にそう言ってやった。大村さんはしばし考え込み、口を開く。


「よろしいでしょう、小生も適塾の塾頭、塾の名誉を損なう訳にはまいりませんからな。参った、と言った方が負け、小生が負ければ五千両を松坂さんに、小生が勝てばこの話はなかったことに、よろしいですかな?」


「もちろん。」


 ふふ、何しろ俺は会津指弾翔鶴流の免許もちでもあるのだ。容保さまのようにはいかなくとも、あのでかいデコを弾き飛ばすくらいは容易なはず、だが、この時俺は大村さんを甘く見ていた。


 ひたすらに「チェストー」と叫び続ける俊斎、それにその場にいた聞多も交え、四人でじゃんけんをする。


「「じゃーんけーん、ぽん!」」


 勝ったのは俺、負けたのは聞多だった。


「ねえ、ちょっと新さん! 私なんだかよくわからないんですけど。」


「聞多、これはね、高名な塾ではどこでも行われていた鍛錬の一つなんだよ。ですよね、大村さん。」


「ええ、井上さんもこの機に味わっておくべきかと。」


「そう?」


 俺は構えを取ると、刀傷の入った聞多の額に狙いを定める。そして十分に指を引き絞り、すぱこーんっと聞多の額に指弾を放つ。聞多はそのまま吹っ飛んで、泡を吹いて気絶した。ま、こんなもんだろう。


「すごかぁ! さすが松坂サァじゃ! オイも負けちょられん!」


 聞多が抜け、三人でじゃんけんをする。今度は俊斎が負け、勝ったのは大村さん。


「しからば松坂さん、適塾の実力をしかとお見せいたしましょう。」


 そういう大村さんは俊斎の両頬を手でしっかりと固定する。そして、そのでっかい額で俊斎に頭突きを食らわせた。ズゴン、っとすっごい音がして、俊斎の頭がすごい勢いで後ろに弾かれ後頭部が畳に打ち付けられた。だが俊斎も薩摩隼人である。すぐさま姿勢を立て直し、その格好で白目をむいた。


 うっそ、ちょーやばくね。あのしぶとい薩摩隼人が一撃? 大久保さんは容保さまの一撃を食らっても立ち上がったし、西郷吉二郎は何度でも立ち向かった。まあ、吉二郎さんは別格としても、俊斎だって彼らに負けず劣らずの薩摩隼人なのに。


「いかがでしたかな? 適塾塾頭の業前は。」


「なかなかのものかと、しかし、俺も負けるわけにはいかない!」


「小生とて!」


 そのあと勝負はデットヒート。互いに塾の名誉も背負っているのだ。俺と村田さんはそれぞれ渾身の一撃を相手に見舞い、それを耐え抜いた。


「さ、さすがは名高き象山先生のご門弟。吉田松陰、勝海舟を差し置き、塾頭となられただけの事はありますな。」


 大村さんはやや首が傾いてこそいるが言葉は明瞭、その目は闘志に燃えていた。対する俺はへへっと、笑みを浮かべるのが精いっぱい。頭の中で銅鑼が打ち鳴らされているかのようにぐわんぐわんするのだ。次のじゃんけんで勝たねば、俺は敗れる。そう直感し、気合を込めた。会津指弾翔鶴流は無敵でなければならないのだ!


「「じゃーんけーんぽん!」」


「おっしゃぁぁ!」


 勝ったのは俺。この一撃にすべてを!


 俺は必勝を期し、雷光の構えをとる。そして繰り出す技は横車、そう決めた。大村さんの額は鍛え上げられている。だが横からではどうかな? 


「うぉぉぉぉ!」っと雄たけびを上げ、複雑に手を組み替えて指を引き絞った。


「会津指弾翔鶴流、横車!」


 そう技名を叫んで指弾を打ち放った。大村さんは座布団ごと、ぐるぐるぐるっと三回転半を決め、止まった時には後ろを向いていた。ガクガクガクと体が震わせ、それでも凄惨な笑いを浮かべて振り向いた。くそっ! 倒しきれなかったか! そう、奥歯をかみしめた瞬間、ズシャっと大村さんの体が崩れ落ち、最後に「お見事。」と口にした。勝った! 俺は勝ったのだ!



「さて、此度は小生も潔く負けを認めましょう。」


「いや、大村さん、おはんもたいしたもんじゃった。オイも無礼を働きもんした。この通り。」


 大村さんに一撃でやられた俊斎は気持ちのいい笑顔で頭を下げた。


「いえいえ小生の方こそ。」


 そんな感動的な仲直り。一人ぶすっとしているのは聞多だった。


「もう、ひどいですよ。」


「とはいえ、これは戦時賠償、ともなれば小生個人と言うよりもこれは政府に責のある事かと。井上さん、五千両、頼みましたよ?」


「えっ、えっ? なんで私が?」


「あなたが、ではありません。大蔵官僚として、戦時に被害に遭われた松坂さんに補償を、と言う事です。」


「そいや良かなあ。松坂サァ。」


「うん、政府が補償してくれるなら安心だね。」


「えっとまさか、私が上と交渉を?」


「当然でしょう、あなたのお役目なのですから。さ、今お茶の代わりをお持ちしましょう。」


「きゃぁぁぁぁ!」


 聞多の悲痛な叫びが東京府庁にこだまする。初夏の陽気は非常に心地よかった。


 大村さんの頭突き、想像しただけで痛そうです。不思議に思った方は肖像を検索してみてください。

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