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 海舟が帰り、俺たちも作業を再開する。すっかり不貞腐れた俺は片付いた瓦礫の上に腰かけシガーを吸った。くそ、海舟の野郎、俺たちの血と汗の結晶を奪いやがって。トシはざまあみろ、とばかりに俺からシガーの箱を取り上げて、自分も一服つけた。


「ま、これも天罰って奴よ。人に隠れて自分らだけで良い思いをしようとすっからだ。」


「うっせーよ!」


「ほらほら、新さん? いつまでもいじけてないの。そんなことでいじけてたらオイさんなんて、もう、」


 そう言って西郷さんは涙声になり、ぶわっと泣いた。


「もうね、本当に大変なんだから! 俊斎はバカだし、信吾もバカだし、一蔵どんとは喧嘩になるし!」


「まあ、他はともかくとしてなんで一蔵さんと喧嘩してんのさ? 仲良かったじゃん、互いの苦手なところを埋め合わせてる感じで。」


 西郷さんの語るところによれば、一蔵さんはかつての井伊大老と同じく、行き過ぎる世の変化にブレーキをかけているのだという。薩長土肥、などと言うが維新を成し遂げたのは薩長。国元の藩士たちも当然そう思っていて、しばらくは薩長の藩閥政治を、そして徐々に他藩、そして幕臣の登用を進めたい、そう

でなければただでさえ恩賞の薄かった国元の藩士が納得せず、そこから新たないさかいが起こってしまうからだと言う。ま、わからなくもない話だ。


 ところが長州は維新の最中に高杉をはじめ、たくさんの犠牲を出している。特に長州藩の上層部はほとんど押し込めに近い状況だ。春輔や山県といった下士たちはその力の裏付けを奇兵隊のような民兵組織に頼っている。

なんだかんだあったとはいえ、薩摩は藩として維新を成し遂げたが長州は内ゲバの果てに民兵の力で維新を成した。根本的に内情が違うのだ。薩摩が戦国時代よろしく藩士たちに報いねばならない。しかし長州はその必要がないために、早く次のステージに進みたい。それが一蔵さんと木戸の対立と言う形で集約する。


 さらに悪いことにここに土佐の意向が加わる。俺たちから見ても、土佐はおまけ。だが、おまけに甘んじたくない土佐は坂本龍馬の手柄を大げさに言い立てる。維新ができたのも、龍馬が薩長を周旋したからだと。その、自分たちが祭り上げた龍馬、それを殺した犯人探しに土佐は躍起。黒幕の薩摩としてはそんなことは早く忘れてほしいのだ。


「それでね、新選組が違う、となれば犯人は見廻組、最近じゃそんなことを言い出してるの。」


「そりゃそうだ、犯人は俺たちじゃねーし。」


「それでね、ほら、函館にいた今井さん。今はあの人に取り調べをしてるんだって。あの人新さん以外じゃ一番偉かったんでしょ? 見廻組じゃ。」


「うーん、格としては一郎と同じだけど、実質いろいろやってたのはあの人だしね。龍馬が死んだ現場にもいたし。」


「そうなんだ。それじゃ、その今井さんにいろいろかぶってもらうことになるかもね。」


「けどさ、西郷さん。」


「何?」


「今井さん、俺と一緒に一蔵さんから龍馬殺しの依頼、受けてるからね。今井さんは聡いから、そう簡単に本当の事言わないと思うけど。」


「えっ?」


「ばれないと良いね、いろいろ。それと拷問、なんてことになれば俺がその土佐の奴を許さない。今井さんは友達だからね。」


「あっ、そう、そうだよね! オイさんもそう思ってた! 今井さんにひどいことするのはオイさんも許せない! ついでに早く赦免が出るように言っておかなきゃ!」


「ま、西郷さんよ、旦那を敵にしちゃいろいろ面倒だってわかったろ? 俺はそういうやつらを何人も見てきてる。近藤さんもそうだったし、伝習隊の連中だってそうだ。そう考えるとあの黒田ってのは実にできる奴だったな。」


「あ、うん、了介は優秀だから。たまにおかしくなるけどね。」


「今井さんが黙ってるとしたら、そりゃあ金のにおいを嗅ぎつけてるからだ。その件を種にして旦那に泣きついて金に換えるつもりなんだろうさ。薩摩はまた一つ旦那に借りを増やすことになるわけだ。」


「あはっ、あははは。もう、どうにでもなあれ! なにやってんの! 俊斎も半次郎も! 今日中にここ、片付けちゃうんだから! 急いで!」


 西郷さんはそう言って作業に復帰した。


「ま、旦那もいつまでもぐちぐち言ってんじゃねえよ。」


「だってさぁ。」


「勝さんの言った通り、旦那はあの男谷先生に顔向けできねえことをしちゃならねえ。あの金で幕臣たちも徳川も助かるんだ、そう思えばいいじゃねえか。

 元々奥方様だって、鐘屋を大きくして困った幕臣の働き口をこしらえるつもりだったんだ。面倒事をあの先生が引き受けてくれたってこった。」


「ま、そうだね。なくした分はどこかで埋め合わせりゃいいか。」


「そうそう、今度は俺も協力するさ。」


 機嫌を直した俺は作業に復帰。その日の夕方には作業は完了、みんなで飯を食い、ビールをのんだ。この働いた後のビールがまた、たまらないのだ。

 西郷さんたちはその夜、迎えに来た馬車に乗って帰り、俺たちも落ち着いた生活を開始する。瓦礫を片付けた跡地にはさっそく建物を建て始める。今度もそっちは和風。こっちの洋館と中ではつなげるらしい。そしてその建て増しの金は鐘屋の稼ぎの中で十分にまかなえるらしい。


「新九郎さま、海舟さんに幕臣の方々の面倒を見ていただけるとあれば、わたくしたちは焦らずに、ゆるゆると過ごせばいいのですよ。」


「ま、そうだよね。」


「そう、新九郎さまは何もなさらずこうして律に抱かれていればいいのです。」


 数日の間、俺は昼となく、夜となく、律と哲学に明け暮れる。食うに困らずこうした生活ができるのも律のおかげ。俺は銭ゲバの板倉さまとは違うのだ。そうした優越感に浸りながら時を過ごした。



「ねえ、聞いちゃった。新さん、大層な金持ってるんだって?」


 そう言って現れたのは大蔵官僚となった井上聞多。名前の通り金の話は聞き逃さない。


「もうさ、政府じゃ大騒ぎだったんだから。そこでね、私がいい話を持ってきたって訳ですよ。」


「いい話、ねえ。」


「ま、話によるの。」


 こっちも儲け話は聞き逃さない板倉さまがお茶を持ってきたかと思うとそのまま居座った。


「そうなんですよ、板倉さま。実はですね、今、政府が発行してる太政官札、あるでしょう?」


「うむ、鐘屋の支払いにもそれを用いるものがおるの。じゃが、いかんせん信用が。市中では半値でしか通らぬの。」


「太政官札?」


「ああ、いわば政府の出した藩札みたいなもんですよ。それがね、全然不人気で。」


 藩札と言うのは幕府の当時、各藩が発行した藩内にだけ通用する紙幣の事だ。今や藩の行く末は危うく、その藩札の処理に藩知事たちは頭を悩ませているのだという。そんな状況では政府の出した紙幣とはいえ、なかなか市場には流通しない。貴金属としての価値もある小判の方が安全なのだ。


「で、この太政官札なんですけど、大久保さんあたりは新さんの持ってる金をこれに変えてほしい、そんな風な事を言ってるわけですわ。それで私がこうして来たと。」


「嫌に決まってんじゃん。ねえ?」


「そうだの。」


「まあまあ、話はここからですよ。その太政官札、実勢価格としちゃ小判百両に対して額面百八十両、ま、そんな塩梅で。」


「そりゃえらい値崩れしたもんじゃの。」


「ですがこれが底値、こっからは値崩れしませんよ。」


「なんでさ?」


「政府がそういうお触れを出すんです。額面通りじゃなきゃ交換は認めないって。それに税の支払いも太政官札じゃなきゃ受け付けない。今政府は新しい貨幣制度の導入の支度をしてる。そうなりゃ通貨の値段も安定しちゃう。」


「なるほどの、今手持ちの金を官札に変えておけば八割の利。貨幣が改まってしまえばもうその機はない、ということじゃな?」


「そうそう、今ならぼろ儲けって事ですよ。しかも政府はこの官札の通用期限を五年と区切ってる。それを超えて換金できなきゃ年利で六分。悪い話じゃないでしょう?」


 なるほど、これがインサイダー取引と言う物か。


「けどさあ、そんな話、漏らしちゃってまずくないわけ?」


「大丈夫ですよ、なんせ私は大蔵省じゃいい顔だし、話をするのもお二人だけ。ばれたところで新さん相手、文句を言うやつなんかいやしませんって。」


「そうだの、こうした話はその塩梅が重要じゃ。われも、われもとなれば政府の目論見も狂うじゃろうて。」


「そうです、そこなんです。何事も塩梅を。私はね、そういう部分、大久保さんに同意してるんですよ。木戸の馬鹿はその辺が判らないから困る。」


「ああ、西郷さんも悩んでたね、それ。」


「最初は薩長、じきに土佐や肥前、そして幕臣といろんな奴を絡めていけばいいのに、木戸の馬鹿は最初からそれを。軍制だってそうですよ。民兵も藩士も一緒にしちゃ、武士からしちゃ面白くない。うちの狂介、あ、山県っていうんですけど、そいつがまずは帝の身辺を固める御親兵を作っちゃどうかって。薩長

土佐の藩士でね。そうすりゃ藩の連中だって納得もするでしょうに、木戸と大村さんが反対して。ま、最後は西郷さんが何とかしてくれる、そう思っちゃいるんですけどね。」


「あ、その大村。そいつに話があるんだった。聞多、あとでそいつのところに案内してよ。」


「そりゃいいですけど、ぶっちめたりしちゃだめですよ?」


「しないって、ちゃんと話し合うだけ。」


「ま、ここ何日かはあの人も忙しそうですし、落ち着いたらって事で。」


「うん、俊斎も一緒に行くって言ってたし。」


「えー、あの海江田さん? やだなあ。新さんと海江田さんって最悪の組み合わせじゃん。」


「大丈夫だって。」


「ま、それはともかく、この話には続きがあるんですよ!」


「ほう、興味深いの。」


 聞多が言うには今、政府が計画している中に、公地の払い下げ、と言うのがあるらしい。新政府に変わって、江戸に合った各藩の藩邸、旗本屋敷などの用地はすべて政府が接収。これを空き地のままとすればまた問題が、実際空き屋敷には壮士と名乗る不平士族や行き場をなくした者たちが住み着きはじめ、東京の治安を揺るがし始めているらしい。なので、格安での払い下げ。植林して森にするもよし、畑にするもよし、畑にするならしばらくは税も免除するとの大盤振る舞いをするらしい。


「しかし、畑を作ったところでどうにもなるまい?」


「そうだよね。商いするにしても武家町じゃ。」


「そこで、私の出番、と相成るわけですよ。これからの東京は発展しなきゃならない。道も馬車が通れるように拡充するし、盛り場にはガス燈なんてものをおいて、夜も明るく。そのうちには鉄道、ほら、黒船と同じく蒸気で動く車。それも作られる。異国に負けないようにね。」


「それが?」


「町を作るにしても、鉄道を敷くにしても、そのためには用地がいるって事ですよ。それを事前に。栄える予定のあるところを押さえてしまえばどうです?」


「なるほど、後には高値で、と言う事かの?」


「そう、それ、けどね、ここでまた一ひねりいるわけですよ。」


「何かいい案があるの?」


「ええ、そりゃありますとも! ただ、お二人のように大金がなきゃできないことでもありますけどね。」


 聞多の提案は実に斬新なものだった。曰く、大きく土地を買うのではなく、要所要所に十坪、ニ十坪と買っていくのだという。そこは角地だったり、鉄道の駅の予定地の真ん前だったり、そういうところ。もちろんそういうところは賑わう訳で、当然大店が店を開く。だが、肝心の角地を少しだけ抑えられている

ともなれば、多少吹っかけられてもそこを買い受けたくなるという物だ、と。


「なるほどの、さすが大蔵官僚じゃな。」


「でね、そこは売らずに貸し付けるんですよ、割高な値で。そうすりゃどうです? 一生金には困らない。」


「頭良いね、聞多は。」


「えへへ、それで、その時は。」


「わかっておる。お主にも分け前を、と言う事じゃな? わしはいいと思うぞい。松坂、上がりは三等分、それでどうかの?」


「俺はよくわからないけど板倉さまがそれでいいっていうなら。けどさ、聞多、そううまくいくのかな?」


「うまくいかなきゃいかせりゃいいんですって。考えてみて、栄えた町のど真ん中に空き地がぽつんと。そこには野犬や食い詰め者が屯するって事になるでしょうよ。そんなのが居着いちゃ客足だって遠のきますって。それでも首を縦に振らなきゃ肥溜めでもなんでもこしらえてやりゃあいい。」


「そうだの。そのとおりじゃ。」


 うーん、完全に悪者めいてきたぞ。しかし、政府に金を出させるよりはよほど現実的かもしれない。何しろ政府は金がないのだ。大店を開けるような商家から少しづつ。いいよね、それくらい。


「じゃ、それで行こうか。聞多、そのあたり任せるからうまいことやってよ?」


「わかってますって。」


 聞多はにっこにこで帰っていった。まずは太政官札に交換、これも政府に話を通じて、実勢価格で替えてくれるらしい。聞多的には俺たちの金を太政官札に換えるという、政府の命も果たせたと言う事だ。板倉さまはお千佳を説得、鐘屋の資産も太政官札に換えてしまった。


「って話なんだけど、どう思う?」


 さすがに悪事を働いている気がして、後ろめたくなった俺は正義の人、トシに相談を持ち掛けた。


「いいんじゃねえか? そんなことは悪事でもなんでもねえさ。誰に迷惑をかけるわけじゃねえ。てめえの土地をどう使おうが勝手だろ?」


「まあ、そうなんだけど。」


「押し込みでも働こうってんなら文句の一つも言うとこだが、そうじゃねえんだ。ここの連中、それに斉藤、そういうやつらを食わせていくのには銭がいる。聞多だって、あんただからこそそんな話を持ち掛けるんだ。何も悩むことなんかありゃしねえよ。ただ、」


「ただ?」


「それがうまく回るようになりゃ函館の連中もいくらか面倒見てやらなきゃな。榎本さんにしろ、誰にしろ、わかったうえであんたをかばってくれたんだ。ないがしろにしちゃ罰が当たる。それに渋沢なんか丸裸にされちまった。さすがにあんまりだからな。」


「まあ、そうだよね。」


「大丈夫だよ、あんたは男谷先生に恥じることはしちゃいねえ。してると思ったときは俺が文句をつけてやるさ。」


 はははっとトシはそう言って笑い、俺のシガーを箱ごと持って行った。文句つけたいのは俺!



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