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翌日もまた雨。まあ、梅雨なので仕方がない。西郷さんは今日も来れないと使いがあった。そしてその雨の中、定さんは重太郎と佐奈の花嫁衣裳を抱えてやってくる。とにかく一刻も早く嫁に出したくて仕方がない、と言った感じだ。
当の佐奈は相変わらずべったり。四六時中一郎にくっついて回る。その一郎はまんざらでもない顔をしていた。やはり人は相性なのだ、と思う。そして律はついでとばかりに敏郎と佐紀の祝言も挙げてしまおうと言い出した。佐紀の花嫁衣裳も準備済み、一郎と敏郎には俺の羽織を着せることにする。
「いよっ! 日本一! お似合いだよ!」
嫁ぎ遅れの佐奈を嫁に出せるとあって定さんは大はしゃぎ。佐紀の両親もうれし涙を流していた。
「さて、一郎、敏郎。二人もこれで所帯持ちだ。これからは妻を、家族を守ることが何よりの務めとなる。」
「はい、隊長はん!」
「絶対に守って見せます。」
俺は似合わぬ教訓などを二人に垂れ、そのあとは昨夜に続き宴席となる。そこではトシの妻となったお琴が得意の長唄を披露して、その素晴らしい声にみんな、おぉっと感嘆を漏らした。
「いやぁ、新さん、これでわしも心残りが何も。ほんっとありがとう。一郎さんも、佐奈は返品受け付けないから。いや、いい意味で。うちの事なんか忘れて仲良く暮らしてって意味だから。他意なんかまるでないからね。」
「もう、お父さんったら。」
「大丈夫どす。僕がかならず佐奈さんを幸せにして見せますわ。」
「そうそう、定さん、なんたって俺たちは金持ちだからね。」
「えっ? そうなの?」
「そうなんだよ、定吉先生。こいつらはな、あちこちで略奪かまして金かっぱらってきてんだ。だろ? 板倉さまよ?」
「さて、なんのことかの。」
「ま、みんなで分けてもくいっぱぐれはないくらいは稼いださ。そのうえこの鐘屋がある。佐奈には苦しい思いはさせないよ、だろ? 一郎。」
「ええ、そういう事どすえ。」
「……そっか、うん、そうだよね。前言撤回。佐奈? お父さんはいつでも待ってるから。ちゃんと顔見せてくれないとダメ。一郎さんも、これからはわしのせがれ、家族なんだから。困ったときは助け合わないと!」
「まったく定吉先生も相変わらず調子がいいや。」
一郎は長年の仇敵であった敏郎ともこの場で和解。新たに仇敵となった鉄之助には秘蔵の春本を授けることで機嫌を取った。
「さて、新婚の夫婦をあんまり邪魔してもアレだし、重太郎、お父さんたちは帰ろうか。」
「そうだな、松坂先生、それに一郎さん、佐奈の事、よろしく頼みます。」
定さんたちが引き取ると一郎は佐奈と二人で住むことになった鐘屋の一室に。敏郎も佐紀と新たにここで一室をもらい暮らすことになった。
残った俺と律、それにトシはお琴が用意してくれた菓子でお茶を飲む。
「しっかし慌ただしいもんだな。昨日が俺で、今日は一郎さんと敏郎だ。」
「まあね、でも今日の花嫁はきれいだったよね。」
「あ? なんだ、引っかかる言い方するじゃねえか。」
「いや、お琴も愛嬌があっていいと思うよ? こう、うぱっとした感じで。」
「あぁ? どういう意味だ! 俺はお琴を馬鹿にすんのは許さねえって言ったよな?」
「馬鹿になんかしてないだろ! ただ、方向性の違いの話!」
「そうですよ、それにトシさんだってお顔にべっこう飴みたいなやけどを。」
「旦那だって傷つくってんだろ!」
「新九郎さまの傷はもののふの誉れ傷、さらに男振りが。トシさんのはちょっと。」
「あー? こりゃ誰のせいだと思ってる! 旦那が俺を焼けた大砲に押し付けっからこうなったんだろ!」
「歳三さん、今のお話本当ですか?」
「ああ、お琴、よっくきけ。旦那はな、死にかけの俺の顔を踏みつけた挙句、焼けた大砲に乗せて運びやがった。そのうえその砲身に頭を押し付けやがって! ひでえ話だと思わねえか?」
「……許せませんね、松坂様、お覚悟!」
そう言ってお琴がその場をびょんと跳ね、俺につかみかかる。それを間に入った律が手で払った。
「わたくしの新九郎さまに手を上げようなどと。」
「これはそういう問題じゃないんだ、奥方様! 夫の顔に傷を負わされ黙っていては妻の一分が立たないんだよ!」
お琴も江戸の女である。普段は物静かだがこういう時は早口で文句を言い立てる。
「どのような問題であろうが関係ありません。新九郎さまに手を上げる。それを許してはわたくしの男谷の女としての矜持が立ちませんから!」
ほぉーんと、二人は顔を斜めにしてにらみ合う。
「あ、あれだな、旦那、こういう時は。」
「そう、関わっちゃダメ。」
「だな。」
そうこうするうちに二人はヒートアップ。バッ、バッと互いの襟を掴みあっては振り払われる。だがお琴は喧嘩慣れしているらしく、律が隙をついて、頬を打とうとしたのを飛び下がってかわした。
「ほう、なかなかやりますね。」
「夫の為ですから。」
距離を取った二人はじりじりと睨みあったまま、移動してぐるりと一周する。まるでプロレスのように。
「歳三さん、耳をふさいでおいておくれ。」
突然お琴はそう言いだし、トシは言われたように耳をふさいだ。するとお琴はパクパクパクと口を動かし、すぅっと息を吸い込むと喉を膨らませる。
そして、
『ウキャァァァァ!』
と、超音波を放った。声がでかいだけでなく、びりびりっとした衝撃派が俺たちを襲った。
「うわぁぁ!」
「きゃぁぁ!」
俺たちは抱き合ってその衝撃派をやり過ごす。障子がカタカタと揺れ、菓子皿の上のせんべいがパリンと割れた。俺は目を見開き、同じ顔の律と顔を見合わせる。なに、今の? 音波兵器? 長唄の師匠ってこんなことまで出来るの?
「すげえな、お琴、さすがは俺の妻だ。」
「歳三さん、私はあんたの為ならなんだってする。」
「に、してもすげえ声だ。」
「声にだけは自信があるの。なんせ長唄の師匠だしね。」
「そうだな、おめえはあの時の声も最高だ。」
「もう、歳三さんったら。あんたのために鍛えた声だもの。」
顔を見合わせていた俺と律はそろってイラっとした顔をする。
「なるほど、なるほど。確かに、声と言うものは重要な要素、しかし、女のたしなみ、その本質は口、そして舌使い。お琴さん? わたくしはあなたに劣るところなど何一つ!」
なぜか闘志を燃やした律はそう言って立ち上がり、袂から袋を取り出すとその中の飴玉を一つ口に放り込む。そしてそれを俺に見せつけるようにねろっとなめるとすぅっと鼻から息を吸い込んだ。そしてっ!
プッ口から吹き出された飴玉はものすごい勢いでお琴の顔の脇を通り抜け、奥の柱に当たってパンと砕けた。
「「えっ?」」
トシとお琴はぽかんと口を開け、何が起こったかわからない、そんな顔をしていた。
「やはり慣れぬ技はどうしても狙いが甘くなりますね。」
「いやいやいや、そんなの食らったら死ぬからね! わかった、俺が悪かった! だからもうやめてくれ! な? お琴?」
トシが慌ててそう言い、お琴はすごい速さでブンブンと頷いた。だが律の口には二発目が装填されていた。
「だ、旦那! わかった! お琴はおたまじゃくしで良い! 俺はおたまじゃくしが何より好みなんだ! だから頼むよ!」
トシが懇願するので仕方なく律の顔をこちらに向ける。律は俺に口づけていやらしい舌使いで飴玉を俺の口にねじ入れた。
「さ、新九郎さま、わたくしの口使い、しっかり堪能していただかねば。お琴さん、散らかったところは片付けておいてくださいね?」
「は、はい。」
お琴の音波兵器もすごいが、律の技はすべて即死級。うーむ、律ならばあの熊にも勝てるかもしれない。
その翌日は好天に恵まれて、西郷さんは馬車でやってくる。一緒に来たのは先日顔を合わせた海江田俊斎、それに桐野利秋と名を変えた中村半次郎。
「へへ、オイさんもね、大変だから手伝いを連れてきたの。さって着替えて一仕事するよ!」
西郷さんと一緒に俊斎も半次郎も軍服を脱いで、浴衣姿。そしてみんなで瓦礫の片づけを始める。
「なんか悪いね、俊斎も、半次郎も。」
「よかとですよ。吉之助サァが約束違えっとが悪かとです。な、半次郎?」
「オイは吉之助サァの為ならどげんこつでも。」
「ねっ? 聞いた、松坂サァ、あいつ頭イカれちょるんじゃ。」
イカれてる。そう西郷さんから言われている俊斎がイカれてるという半次郎。うーむ、これはまた複雑な関係だぞ。
みんなが西郷さんの差配でテキパキと瓦礫を片付ける中、誰の言う事も聞かない俺と俊斎は世間話をしながらゆるゆるとやっていた。西郷さんは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、無理だと悟ったのか何も言わなかった。
「んでな、吉之助サァのとこの信吾、これがまたイカレもんで、何かち言えばチェストーだもん。オイもバカの相手ばっかで疲れっと。」
「あはは、そうなんだ。」
誰しも自分の事はわからない。この俊斎もまた、そうであるようだ。
「大久保サァはなにかち言えば小難しい理屈ばかり。あんなんは薩摩兵児じゃなか!」
「あ、一蔵さんはそんな感じだよね。けど村田さんはいい人っぽいけど?」
「村田の新どんはオイと一緒で上のもんの尻ぬぐいじゃ。昔っからそうじゃっで慣れたもんじゃけど。」
「そうそう、蝦夷で了介にあってね、あいつも立派になったもんさ。」
「了介? 黒田の? あがいな二才どんは生意気ごじゃったらひっぱたけばええとじゃ。のう? 松坂サァ。」
「うん、そうだね。」
うーむ、薩摩も会津に負けず劣らずの特殊教育。ちなみに二才どん、とは若い衆くらいの意味らしい。
「じゃっど、松坂サァ、会津候の件はそうやすやすとはいかん。」
「そうなの?」
「オイたちはあれほど立派に戦った人じゃっで、なんごつかしたい思うちょる。けど長州は北陸、会津とええとこ無しじゃ。特に木戸さんは頭をがんとして縦に振らん。家名は実子に継がせるとは同意させちょるが、本人は生涯謹慎、先はともかく、しばらくこの沙汰は動かん。」
「ま、そうだろうね。負けたら敗軍の将は責を取る。当たり前さ。けど、本人じゃなきゃ出歩いてもかまわないじゃん。トシとか板倉さまみたいに。」
「そうじゃけど。」
「俺がね、薩摩の人を好ましく思うのは、戦った相手に敬意を持ってくれること。西郷さんのとこの吉二郎さんもそうだったし、俊斎だってそうさ。」
「そ、そいは当然じゃ! それができん奴は薩摩ん兵児じゃなか!」
「長州の連中と違うのはそこさ。あいつらは兵を駒としてしか見ていないし、敵は邪魔者としか感じてない。ああいう頭でっかちなとこが気に入らない。特に木戸ね、あと大村とかいうやつ。」
「大村はオイも許せんち思うとった!」
「うん、あいつはここを瓦礫に変えた。なあなあで済ます気はないさ。容保さまの事はすぐに、とはいかないだろうけど考えといてよ。」
「そやなあ。友の頼みも聞けん、とあればこの俊斎の名が。うん、オイからも話しとく。」
「一蔵さんには俺がそう言ってたって伝えて、木戸がぐちぐちいうなら殴ればいいさ。」
「すごかぁ。そういうことをきっぱりと言える。さすがは松坂サァっじゃ。」
俊斎は感心したように首をかしげてそう言った。
「そいでもダメち言うならオイも。」
「そうそう、普通に乗り込めばいいよね。」
「そっじゃな。」
俺たちは首をすくめてぐふふっと笑った。会津の始末がつけばはじめちゃんだって戻ってくるのだ。そうすれば当面の心配事は片が付く。
だが、そんな俺と板倉さまには地獄からの使者がすぐそこまで迫っていた。




