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 さて、それはそれとして、俺は渋沢さんと別れ、湯の川を出たのが五月二十五日。すでに五稜郭には官軍が入っていたが、そこを素通りして函館の外国人居留区に。途中なんどか警護の兵に誰何すいかを受けたが商用で来ているのだ、と言うと案外すんなり通してくれた。何しろ俺は洋服姿。容保さまから拝領した帽子までかぶっている。刀こそ差してはいるが、軍服という訳でもない。外人と取引、そう言われるとなんとなく邪魔しちゃまずい、そんな雰囲気を兵たちは見せた。


「よう、トシ。しっかり生きてるか?」


「ああ、おかげでひでえ目にあった。とはいえ体の方はまだ痛みはあるが問題ねえ。」


「っていうか、なにその顔? ウケでも狙ってんの? あはは。」


 そう、トシの右頬にはまっすぐにやけどの跡が。下手に直線的なのがおかしかった。


「あのな、誰のせいだと思ってやがる! あんたらが俺を大砲に押し付けっからこうなったんだろ?」


「ま、生きてたならいいさ。ちょっと付き合えよ。」


「えっ? 俺まだ、傷が痛むんだけど。」


「いいから。」


 俺はトシを引っ張り出し、一郎と打ち合わせをしてから外に出た。そして向かうは官軍のいる五稜郭の本営だ。そう、何事も正面からあたらねばならない。俺たちの罪がないことを官軍に認めさせ、ただで官軍の船に乗って江戸に帰る。それが目的。


「俺は松坂と言います。薩摩の黒田了介に取り次いでほしいんですが。」


 門衛に丁寧に用向きを告げる。


「黒田参謀は多忙じゃっど、時間が取れるか聞いてきもんそ。ちっと待ってたもんせ。」


 薩摩の人は田舎ものだけあってトゲのない良い人が多い。少なくともこれまで出会った薩摩人に嫌な奴はいなかった。


 しばらくすると門番の人が戻ってきて、俺たちを案内してくれる。政庁にある洋室に入り、椅子に座るとその人がお茶を出して下がっていった。


「旦那、本当に大丈夫なんだろうな?」


「大丈夫だって。もう戦争は終わったんだし。争う意味ないじゃん。」


「けどよぉ。」


「なあに、いざとなったらこいつでズドン、さ。」


 そう言って手に取った一文銭を見せるとトシは苦笑い。そうしている間に偉そうな軍服を着た黒田了介と、今一人、同じ軍服の若い男が現れる。


「お久さしかです、松坂さん。」


「うん、了介も元気だった? ずいぶん活躍したみたいじゃん。」


「はは、そげんこつなかです。兵児どもが気張ってくれたおかげじゃっで。」


 そう言って了介は苦笑いした。


「んで、榎本から話は聞いた? 俺たちは、たまたま、ほんとたまたま蝦夷に旅行に来てたんだけど、この騒ぎに巻き込まれてね。ほら、こいつなんか、こーんなやけどまで。あ、こいつは内藤ね。俺と同じ旅行者。あとは了介も知ってる一郎たち、うちの連中がいるんだ。」


「ははっ、そいはたまがった事ですが、そこの人は土方さんじゃ。オイはちらっとじゃけど京で見たことある。」


「そうそう、そんな名前だったけど、そいつは死んじゃった、だから今は内藤。」


 そう言い切ると了介は複雑な顔をし、隣の男は明らかにむっとした顔をした。


「黒田さん。こいつらは幕軍じゃ! ここで捕まえて牢につなぐべきじゃろ?」


「山田さん、事はそう簡単にいかん。」


「そうそう、俺たちは確かに元幕臣だよ? けど今は違う。戦争に巻き込まれた旅行者だからね。それを保護すんのも政府の務めだろ?」


「何を言うとるんじゃ! 松坂、お前は見廻組与頭! そっちの土方は新選組の副長! しかもここじゃ陸軍奉行。おとなしく投降すんならまだしも、旅行者だから保護しろ? よくもそんな図々しい事言えるな!」


「つか、誰? お前に用事はねえんだけど。俺はね、了介に会いに来たの。」


「俺は長州参謀、山田市之允じゃ!」


「あーあ、やっぱり。大体話の分かんない奴は長州人だもんね。桂といいさ。だろ? トシ。」


「そうとも限らねえぜ? 聞多や春輔はいい奴らじゃねえか。桂はともかく。」


「そうだね、吉田さんも高杉も変わってるけど悪い奴じゃなかったし。」


「た、確かに木戸さんはあれだけど、」


「だろ? 山田って言ったっけ? あんたもさ、まだ若いんだからもうちょっとおおらかにならないと。」


「なあ、旦那、木戸って誰だ?」


「桂だよ。禁門の変のあとずっと逃げててひょっこり長州に姿を現したらしい。んで、そん時に木戸って名乗ったみたい。だろ? 山田。」


「そうなんだよ! いきなり来て、僕が長州を導くって! あったまおかしいんじゃねえかって、けどみんな、やらしときゃいいじゃんって。

 ……いやいや、そうじゃなくて、あんたらは朝敵! わかってんの?」


「えっ? そうなの?」


「まあまあ、山田さん。言いたいことはわかりもうす。じゃっどんここで松坂さんをどうこうすっとは無理。」


「なんでです? 黒田さん。」


「きまっとう、オイたちがそげなこつしたら生きてこの部屋を出れん。」


「えっ?」


「お、さすが了介、わかってるぅ。」


「まあ、そうなるだろうな。山田さんよぉ。悪いことは言わねえ、おとなしく旦那の言い分を聞いといた方がいいぜ?」


 トシがそういうと山田はぎりぎりと歯ぎしりして、結果、刀に手をかけた。


「俺たちは官軍じゃ! こんな幕府の脱走どもにいいようにされたとあっちゃ面目がたたん! 黒田さん、あんたが何もせん、そういうなら俺が!」


 そう叫んで立ち上がる山田の足元に一文銭を弾き飛ばした。ズドン、と音がして床にめり込んだ一文銭。それを見て、山田は真っ青な顔になる。

 ズドン、ズドン、と山田の足元に埋め込まれていく一文銭。山田はあわわ、っと腰を抜かしてへたり込んだ。


「そげなことになっとじゃ。で、松坂さん、オイにどうせいと?」


「うん、そろそろ江戸に帰ろうかなって。官軍の船で。それとね、いろいろあったけど、こいつは土方じゃなくて内藤。別人だから。土方っていうアホは一本木でかっこつけて死んだの。それをお前が証明すりゃいい。」


「ははっ、また無茶を。できん、っちゅうたら?」


「一郎たちは外国人居留区にいる。そこの外人をみんな斬ることになるね。俺が夕方までに戻らなきゃそうしろって言ってある。」


 了介は、はははっ、と乾いた笑いを浮かべ、椅子からずり落ちた。


「あん人たちなら間違いなくやる。あはは、たまがったことでごわすな。」


 隣の山田もうんうん、とうなずいた。


「じゃっど、オイの判断、っちゅうわけにも。あとで責められたら嫌じゃっで。」


「うん、そうですよね、黒田さん。」


 しばらく了介は腕組みして考え込む。山田はすがるような目でそれを見ていた。


「やっぱいここは吉之助サァの判断が必要じゃ。そうじゃろ? 山田さん。」


「うん、そう、そうですよ。総督たる西郷さんの判断、そうしましょ!」


「えっ、西郷さんこっちにいるの?」


「船で今日にも着くっちゅう報せが。松坂さん、オイの方から連絡すっで。」


「あ、そう? ちょうどいいね。帰りは西郷さんと一緒の船でいいし。居留区のアメリカ商館。そこにいるから。」


「わかりもした。そいと、榎本さんたちの事じゃっど、悪いようにはせんで、心配いりもうさん。」


「そうなの? 悪い奴はばしーって斬首すりゃいいのに。あ、でも今井さんだけはダメ。大川さんもかな。あとはどうでもいいや。ねえ、トシ?」


「いや、榎本さんたちはみんなできる人だ。黒田さん、それに山田さんも。あの人らを殺しちゃこの国の損になる。無罪ってわけにゃいかねえだろうが穏便に頼む。」


 そう言ってトシは深々と頭を下げた。


「土方さん、いや、内藤さんじゃった。それはオイもわかっとる。おはんにはこん松坂さんの事、頼みもうすで。無茶せんことしっかりと。」


「ああ、そっちは任しといてくれ。なんせ長え付き合いだからな。俺がしっかり手綱を。」


「ちょっと、トシ? お前は俺の飼い主かなんかなの?」


「いいから行くぞ、邪魔して悪かったな。蝦夷も慣れりゃいいとこだ。あとの事はあんたらがしっかりとやってくれや。」


 俺はトシに引きずられて五稜郭を後にする。


「ああ、ここともおさらばか。寒くて厳しいとこだけど、離れるとなりゃ寂しくもあるね。」


「おいおい、旦那。まだ帰れるって決まったわけじゃねえんだ。なんせ相手はあの西郷、気を抜くには早すぎんだろ。」


 その西郷さんが村田さんと共にアメリカ商館に姿を現したのは、その日の夕方の事だった。二人とも髷を切り、西郷さんは角刈り、村田さんは長髪を七三に分けていた。


 そしてその西郷さんは俺の顔をみるなり山のように文句を言い連ねる。


「もうね! オイさんだって大変なの! なに? 新さんはオイさんをいじめたいの?」


「吉之助サァ、落ち着いて。新さん、すまんこって。」


「新どん! これが落ち着いていられるはずないでしょ! そりゃあオイさんだって友達だもの。新さんが生きててよかったって思うし、捕虜になってたら全力で助けるつもりだったよ? けどさぁ、実際はどう? 了介、完全に脅されてるもの! それによりによって土方さんまで一緒! いったいどうすりゃいいの?」


「まあまあ、西郷さんもいろいろあるのはわかるけどさ。、あ、甘いもの食べる? チョコでもクッキーでも何でもあるよ?」


「そりゃ、食べるけれども! あのね、新さん。オイさんたちにも面子があるの! 江戸開城の時だってもう、馬鹿な連中からやいのやいのと言われちゃって大変だったんだから! そのうえ今度は土方さんでしょ? 土佐の連中が黙ってないの!」


「えっ? なんで土佐が?」


「例の坂本さん、あれの犯人が新選組でしょ? だから近藤さんだって斬首されちゃって。土方さんだって副長なんだし。」


「ちょっと待ってくれよ! ありゃあ、旦那が流したガセだぜ?」


「「えっ?」」


 西郷さんと村田さんはびっくりしたように目を見開いた。


「ちょっと、どういうこと?」


「坂本を襲撃したのは旦那たち見廻組! んで坂本は中岡ってのと斬りあって、勝負がつかずに、足滑らせて窓のへりに頭ぶつけて死んだんだよ! それじゃあんまりに不憫だってんで、旦那たちと近江屋の連中が俺たち新選組のせいにしたんだよ! だろ? 旦那。」


「そうだったっけ? ほら、昔の事だし。」


「なにそれ? ってことは土佐は勘違いで?」


「そういうこった。仇を取りたきゃ窓のへりでも切り刻むんだな。少なくとも俺たちはやっちゃいねえよ。」


「ねえ、新さん? あんた、俺に龍馬まで殺させといて、とか言ってたよね?」


「言葉のあや? そんな感じかな?」


「あー、もうどうしよ、土佐がほんとのこと知ればまたなんやかんやと言いたてるよ?」


「そやなあ、困ったこつです。」


「ねえ、何をそんなに慌ててんのさ。あっ! 龍馬の一件、土佐に薩摩が黒幕だってばれるとやばいとか?」


「いやいやいや、そんなことない! 全然大丈夫だから!」


「なあるほど、そういう事か。そりゃ薩摩としちゃ困るよなぁ。」


「ちょっと! 土方さん?」


「あー、どうしよっかな。そっか西郷さんは困るのか。こういうのなんていうの?」


「貸し、っていうんじゃねえか?」


「あわわわわ、もうね、それだけはやめて、オイさんは新さんの貸しを返すのに江戸城開城を飲まされてるからね!」


「なるほどね、あのからくりはそういう事か。」


「んじゃ、西郷さん、一緒に帰ろっか。あと、こいつは土方じゃなくて内藤ね。別人だからね。土方は戦死した。いいね?」


「もう、もう、わかった! わかりました! オイさんが帳尻あわせりゃいいんでしょ!」


「ははっ、仕方なかこつでごわすな。」


「うんうん、よかった。西郷さんが話を聞いてくれて。一郎! 計画はなしで。あと甘いものちょうだい!」


「はーい。」


「ねえ、今変なこと言わなかった? 計画ってなに?」


「たいしたことじゃないよ。西郷さんがどうしてもいうこと聞いてくれなかったらここの外人を皆殺し。至って普通の事さ。けど、ここの人たちもいろいろあって仲良くやってたし、多少心苦しいかなって思ってたからよかった。」


「あはは、そう、よかった、本当によかった。オイさん、ほっとしておしっこ出ちゃいそう。」


 こうして西郷さんとの話も無事まとまり、俺たちは官軍の船で江戸に帰ることになる。そしてトシも内藤歳三として生きることが認められ、江戸に戻ったら新たに人別帳にその名で記載される事になった。

 出立の決まった俺たちは外国商人たちから分け前を受け取り、為替にしてもらう。渋沢さんの三千両を抜いても俺と板倉さまで二万両づつ。悪くないね。


 函館を出港したのはそれから三日後。五月二十八日の事だった。




史実でも西郷さんが函館に来ていたらしいです。ですがすでに五稜郭は開城。やることとてなく、そのまま上陸せず、三日後に出港したようですね。三日もいたのに上陸しないなんて。面倒だったんでしょうかね。

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