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 明治二年(1869年)五月五日


 さすがに五月ともなれば北国の蝦夷とは言え春めいてくる。二股口を撤退し、五稜郭に戻った俺たちは着ていたものを洗濯し、風呂に入って髭を剃る。身だしなみを整えすっきりすると、トシが俺を部屋に招いた。そこにはトシの他に小姓を務める市村鉄之助がいた。


「どしたの?」


「ん、ああ。旦那、この鉄はまだ16だ。だからな、ここらでここを出て江戸への連絡役を務めてもらう事にする。」


「土方さん! 僕は最後まで!」


「うるせえぞ! クソガキが! てめえみてえなガキにこの先のいくさはまだ早え! 黙って江戸に行きゃいいんだよ!」


「でも!」


「つべこべ言うなら叩き斬んぞ!」


 鉄と呼ばれた少年はその場で泣き崩れた。


「悪い、んでな、この鉄に旦那のとこの連中の手紙でも持たせてやろうと思ってな。奥方様だってそれを首を長くして待ってるはずさ。」


「んー、そうねえ。けど、俺たちはいいさ。ここが落ちれば帰るつもりだし。手紙にグダグダ書くよりそっちの方がよほどいい。」


「ははっ、強えな、旦那は。そっか、そうだよな。んじゃ俺もそうする。実家や義兄のところも迷惑かけてるかもしれねえからな。その上泣き言なんぞ書いたら兄貴に殴られる。鉄、おめえにゃ俺からの紹介状と、近況報告を書いたもんを預ける。あと何枚かの写真な。旦那、あんたらのも一緒に送っていいか?」


「そうだね、頼むよ。」


「奥方様もその坊主頭を見りゃたまげるだろうからな。まずは写真で慣らしとかねえと。頬に傷も入っちまったし。」


「鉄、っていったっけ?」


「はい、松坂さま!」


「ま、ここはトシの言うことが正解だ。討ち死にするなんて馬鹿のすること。お前はつらくても生きなきゃいけない。それが若い奴の務めってやつさ。」


「……」


「それにだ、俺はなんせ塾頭まで務めた利口者さ。討ち死になんて馬鹿な真似、俺もしないしトシにもさせない。だからお前は一足先に帰っとけ。」


「……は、はい。松坂さま、土方さんの事。」


「ああ、この馬鹿の面倒見るのも俺の役目さ。なんせ俺はこいつの友達だからな。」


「そういうこった。俺は威張れるほど強くはねえが、おめえも知ってのとおり、旦那の強さはとびっきりだ。その旦那がこう言ってる。だから俺の事は気にかけねえでおめえは役目を果たせ。いいな?」


「はいっ!」


 その日、市村鉄之助は旅立っていった。


「つか、お前、あいつに路銀渡したの?」


「あーっ! 忘れてた!」


「ばっかだねえ、お前って。」


「あちゃー、あいつ、大丈夫かな?」


 官軍が総攻撃を行ったのはそれから六日後の五月十一日。すでにブリュネ、カズヌーヴといったフランス人は二日に脱出。死んでまずい人間はいなくなった。大鳥さんは果敢にも数度の夜襲を官軍に仕掛けたがうまくいかない。そして海軍も海戦に敗れ、すべての船を失った。

 その日のうちに要所を次々と制圧され、函館政府は孤立した弁天台場、五稜郭の前哨基地である千代ヶ岱陣屋、そして本営の五稜郭のみが抵抗を続けた。


 そして陸軍奉行、土方歳三は孤立した弁天台場を救うため出陣する。突き従うのは俺たちの他、陸軍奉行介添役となった唐津藩出身の大野右仲。仙台で船に乗るときトシの謀略によって新選組にさせられた男だ。その大野率いる一隊を含めても百に満たない数だった。そのトシはかっこつけの為か、碌に操れもしない馬に乗っていた。


「ねえ、トシ。なんで馬なんか乗ってんのさ。」


「はは、ここで敗れちゃお終いだからな。最後くらいいい格好したっていいじゃねえか。」


「つか、鉄砲のいい的だと思うけど?」


 トシはそれには答えずふふっと笑った。その手には容保さまから授かった白い手袋。俺は帽子が汚れたら嫌なので相変わらず坊主頭を晒していた。


 そのトシは一本木の関門に陣取った。ここは函館市街との境。ここを抜かれれば後ろには渋沢さんたちのいる千代ヶ岱陣屋、その向こうは五稜郭だ。


「いいか、野郎ども! ここを抜かれちゃどうにもならねえ。死んでも守り切るぞ! 突撃!」


「「応!」」


 トシの命令で俺たちは迫りくる官軍に突入する。まずは大砲、それを奪えば楽になる。


「あれだ! あれを奪う!」


 そう言って先頭を走る俺に銃弾が降り注ぐ。大丈夫、当たらない。信念にも似た何かが俺にそう確信させる。そして驚いた顔の砲手を切り捨て、振り向きざまに隣の男を斬った。そのころには飢えた獣のような安次郎たちが官軍に突入。あまりの勢いに逃げ惑う官軍兵を追い立てていた。


「一郎!」


「はいな!」


 準備を終えた一郎の大砲が火を噴いた。うわぁぁ! と悲鳴が聞こえ、官軍兵が散っていく。「押せぇ! つっこめぇ!」と、トシの声が後ろに聞こえた。七重浜から上がってくる官軍を次々と斬り、叩き、ねじ伏せる。銃撃を食らったものもいたが、何事もなかったかのように立ち上がりそのまま突撃、さすがにうちの連中だ。講武所上がりは伊達ではない。


 トシの声が枯れる頃、一発の銃弾がトシに命中した。ずるり、と馬上から滑り落ちるトシ。それがスローモーションのように感じた。トシは慌てて駆け寄った兵を振り払い、進め、と身振りで合図した。


「一郎、ここを頼む。」


「え、どないしたんどす?」


「馬鹿の面倒を見なくちゃならない。安次郎、一緒に。」


「はっ!」


 俺の横を興奮した様子のトシが乗っていた馬が駆け抜ける。バカが、あれほど言ったのに。



◇◇◇


 

 ははっ、どうにもいけねえ。俺もついにここまでか。鉄砲の弾は腹に当たった。だがもう、痛みすら感じねえ。体がしびれたように動かねえ。それにやたらと寒いや。もう春だってのによ。


 地面に大の字に横になる。ああ、空ってこんなにきれいだったんだな。初めてそう思った。


 幼い時からいろいろあった、そんな風景が次々と思い浮かんだ。そして新選組、京での事、鳥羽伏見に甲府、会津、それにここだ。俺は十分戦って、血を燃やすことができた。死ぬならここで、榎本さんの夢、函館政府がなくなっちまう前に。ひそかにそう決めていた。だからもう十分。後悔なんてものはありゃしねえ。


 なあ、近藤さん、あんた、あの時こんな気持ちだったんじゃねえか? 流山でのあんときだ。妙にすっきりした顔してやがった。あんたの夢に乗っかって新選組を作っちゃ見たが、あんたはすっかり変わっちまった。いんや元からあんたはそうだったのかもしれねえな。

 いっつも言ってたもんな、偉くなってあのふでさんと周斎先生、それにつねさんに楽な暮らしをって、汚え道場だなんて誰にも言わせねえって。だがよ、あんたは天狗になっちまった。あれじゃあ誰もついていかねえさ。芹沢を殺し、山南に腹を切らせた結果があれじゃあな。


 ま、文句があるならあの世でいくらでも聞いてやるさ。


 夢、か。結局俺は人の夢に最後まで乗っかったきりだ。近藤さん、その次は榎本さん。旦那のような信念が、矜持が俺にはなかった、そういうこった。ま、所詮は百姓の小せがれよ。武家に、男谷に生まれた旦那のようには行かねえさ。

 旦那、俺はあんたに義理もあれば恩もある。なんせ薬売りの百姓を友達だと言ってくれた。旗本のあんたがだ。いろいろとやかましいことも言ったが勘弁だ。なんせ俺はもう死んじまう。せいぜい長生きしてあの奥方とイチャイチャしときゃいい。俺もお琴と、そう思ったが今更だ。


 ああ、もう考え事もまとまらねえ。おっ死ぬ前に旦那の面でも拝んどくか。そう思ってうまく動かねえ肘で体を支え、少しだけ身を起こす。

 向こうから歩いてくるのは旦那。あの坊主頭はそうに違いねえ。俺の事なんて放っておいて戦えって。まったく最後まで人の言う事を聞かねえお人さ。ま、最後に礼ぐらいは言わせてもらう。あんたがいてくれたから面白おかしく生きることができたんだからな。


 ははっ、端正な顔立ちに少し瞳孔の開いたおっかねえ目がついてやがる。人斬りの目って奴だ。斉藤なんかも同じ目をしてやがった。普通は眩しくなって目を細めるって聞いたが旦那も斉藤も普通に見開いてる。それが俺にはおっかねえ。どんなに気合を入れようが、策を講じようがあの目を見ると絶対勝てねえ。そんな風に思っちまう。そういや斉藤にも借りっぱなしだ。あはは、ま、こうなっちゃ仕方ねえさ。

ツケはあの世に持ち越しだ。


 旦那が俺のそばに来た。最後に礼を、そう思ったが声が出ねえ。ま、それもあの世でいえばいいさ。旦那、死ぬってのも案外悪いもんじゃねえみてえだ。

 ふぅぅっと気が遠くなり、目の前が暗くなる。その時、むにゅっと俺の面に固いものが押し付けられた。


「えっ?」


 思わず目を見開くと旦那が俺の面を踏んづけてた。それを理解したとき、かぁぁっと腹の奥から熱いものがこみ上げる。死んでる場合じゃねえ。一言文句を言ってやらなきゃ気が済まねえ!


「ちょっと、何してんの。俺、死にかけてたよね。」


 でない、と思った声も出た。とにかくこの理不尽さがたまらねえ。


「ったく、いっくらお前が弱くても鉛玉一つで死にかけるとはねえ。」


「はぁ? いや、それはいいや、とにかく俺の面から足をどけろ! 普通しねえから。もう死ぬんだって相手を踏んづけたりしねえから。」


「あんなもんで死にかけるお前が悪い。」


「そうだ、土方! 貴様は鍛錬が足りん!」


 おいおい、安次郎さんまで。っていうか、あんたら戦いは?


「一郎! お前はこいつを病院に。んでそのあとは居留区のアメリカ商人のとこに行け。」


「そりゃええどすけど。隊長はんは?」


「俺は榎本に用がある。いいね?」


「しかたありまへんな。安さん、そっち持って。」


 へっ? なに、俺、病院に? ってか病院って敵陣の向こうだよね。二人は俺が動けねえのをいいことに、なんと大砲の上に乗せやがった。


「あっち! すげえ熱い! ねえ、俺、死にかけてたんだけど? こんな砲身の焼けた大砲に乗せねえだろ、普通。」


「これしかないんやから仕方おまへんやろ?」


「一郎、土方歳三ってアホはここで死んだ。そいつは別人ね。なんだっけ、内藤とかいうやつだから。」


「そういうからくりどすか。」


「だからね、顔を見られるとまずい。こうして押し付けないと。」


「やめて、今ジュって音したから!」


「ほないきましょか。」


「ああ、俺もあとでそっちに行くから。」


 俺はごろごろと音を立てる大砲に据え付けられて銃弾飛び交う戦場を移動する。次々と人が斬られる音、その末期の声が聞こえてきやがる。


「一郎、このままじゃキリがないぞ。」


「そうどすな、安さん。一発景気づけにぶっぱなしましょか!」


 え、まさか。俺をこのままで大砲撃つつもり? 見えねえだけにすっげー怖い。


「ほないきまっせー! なんかえっらい悪いことしてる気がしますなぁ!」


 いや、してるから、完全にしちゃいけないことしてるから!


 どーん、と音がして、びりびりと衝撃が体全体を突き抜ける。


「ほら、顔をあげたらあかんって。」


 じゅううっと顔が焼ける音がする。


「ほなもう一発ぐらいいっとこか!」


「やめてー! こーろーさーれーるー!」


 どーん、と言う音、それに衝撃と熱さ、そんなものを感じて俺は意識を失った。



 

「はい、これで弾は取れたわ。あとは傷がふさがれば問題なし、っと。」


「せっかくやし、こっちの玉もとっときましょか。」


「えっ? そっちも? けど、もったいなくない? 土方さんってわりと好みだし。」


「こういう男は悪さしかせえへんのどす。悪ささせんようにしとかな。」


「そうねぇ。けど、その前に味見してもいいかしら? せっかくだし。」


「ええんちゃいます?」


 俺は危機を感じてはっと目を覚ます。


「いやよくねえから! さっきから聞いてりゃ一郎さん、あんた何してくれてんの? 人の体勝手に改造しようとしてんじゃねーよ!」


 そういうと一郎さんはちっと舌打ちした。そう、ここは函館病院。敵中を抜けてここまで? ははっ、旦那がいなくてもそんくらいはできるってか?


「残念ねぇ。もうちょっとだったのに。」


「先生! いいからあんたはズボンをはけよ!」


「そうね、こんなことしてる場合じゃないわ。あたし、忙しいのよ! それじゃ、一郎ちゃん、ここは頼むわね!」


 そう言って函館病院の院長、高松凌雲先生は部屋を後にした。


「なあ、一郎さんよ、こりゃどうなってんだ?」


「普通に隊長はんの言ったことをやっただけどすけど? あの人の無茶ぶりは今に始まったことじゃおまへんやろ?」


「いや、そうだけど。いずれにしたって俺たちは負けだ。この先どうすんだ?」


「さあ、僕もようわからんけど、普通に船に乗って帰るつもりらしいんどす。」


「えっ? どうやって?」


「どうせきっつい無茶をやらかすつもりやないどすか? いつも通りに。泣くのは榎本か官軍かしりまへんけど。」


 ははっ、そうだよね。旦那はそういう人だもんな。


 その日、土方歳三改め、内藤歳三となった俺は病院を出て、外国人居留区にある亜米利加商人のところに移った。



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