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さて、二股口に戻ったはいいが官軍は一向に動かない。官軍は稲倉石というところまで撤退。そこで後続を待つつもりのようだ。と言うことは俺たちは退屈、そういうことでもある。
「新さん、ほら、みんなも。今日は川で取れた鮭のお鍋ですよ。」
「えー、またぁ?」
「いくさなんですからいっぱい食べとかないと。」
今井さんは相変わらずの鍋好きで、俺たちのところの飯の世話をしてくれる。ちなみに自分の部下の衝鋒隊には鬼のように厳しいらしい。これだから人というものはわからない。
「だって、あの人たちは元々脱走兵ですよ? いくら死んでも全然心が痛みませんね。」
「なるほどねえ。」
そう、衝鋒隊は元々江戸開城を不服として脱走を図った幕府歩兵第11連隊と12連隊。それを捕まえに古屋さんと今井さんが出かけて行ったのだ。
「あの人たちが脱走なんかしなければ私だって新さんたちと一緒に。勝さんがああ言ったから引き受けましたけど。」
「でも古屋さんはいい人っぽいじゃん。」
「まあ、気心は知れてますけどね、神奈川奉行所で一緒でしたから。けれどあの人も頭でっかち。武人としての重みがないから私を補佐に。」
「ま、今井さんは強いからね。講武所でも教授方だったし。」
「けど、私は戦うならともかく剣はダメですね。竹刀打ちでは榊原先生はおろか、山岡さんあたりでも勝てるかどうか怪しいですし。」
「山岡、強くなってたもんね。俺も勝てないかも。けど、俺たちは剣術家じゃないし。」
「ですね、人斬り、でしょうから。」
「それも違うさ。」
「そうなんですか?」
「そう、そしてほかのみんなのような軍人、でもない。俺たちは武士、サムライさ。人に理解されない矜持を抱え、損得がわかっていながらそれを理解できない。勝つため、そして自分の矜持を折らない為なら何でもする。そんなはた迷惑で時代遅れの生き物。だからこんなところで戦ってる。仕えるべき幕府も、認めてくれる相手もいない。かといって榎本と理想を共にするわけでもない。武士の、サムライの一分を折りたくない、それだけの理由で。」
「そうですね。私たちはサムライ。ですが新さん。私はそんな自分がたまらなく好きなんです。誇らしいほどにね。負けてばかりのいくさ、最後まで勝てはしない、いや、勝ってはいけない。そんな中にこの身を置く、今井信郎って人間がね。」
「あはは、俺だってそうさ。あのね、今井さん。俺は昔、吉田さん、吉田松陰と友達で、あの人がいろいろやらかして捕まったって聞いた時、何をそこまで、って。家族に、親族に迷惑をかけてまでやることなの? って不思議だった。けどね、」
「今の私たち、よそからみればそう見えるでしょうね。で、その吉田松陰はどんなことを?」
「……なんかね、老中さらって朝廷に攘夷を誓わせるんだって。で、そのために藩の大砲持ち出そうとして、断られると、今度は藩主さらって言う事を聞かせるって。」
「……訂正します。私たちは違いますよね? そんなことしませんもの。」
「だよねえ。」
「けど、その吉田松陰もそうしている自分がたまらなくお好きだったのでしょうね。その方は志士、そういう生き物。私たちとは違いますよ。」
「だよね? だよね? 最近さ、あの人たちと同じことしてるんじゃ? ってちょっと不安だったし。」
「ええ、違いますとも、私たちはサムライ。ここには幕府にこうむった恩を返すため。なくなってしまったとはいっても、幕府の為、最後まで戦う武士がいてもいいじゃないですか。まして私たちは将軍家直臣の旗本。人より恵まれた立場にいたのですから最後まで戦うのは道理です。」
「だよね、なんかすっきりした。俺たちが戦うのは世を乱すためじゃない。サムライの、武士の本分を通すため!」
「ですよ、新さん。さ、そろそろ片付けて寝ましょうか。」
官軍が姿を現したのは四月二十三日の日暮れ後。暗くてよく見えないが物見の報告によれば数を増して800は居るらしい。トシはさっそく銃撃を開始。しかし前回いいところのなかった官軍長州兵は俺たちの陣の左手にある山を占拠。そこから銃弾を撃ちおろす。上から撃たれては遮蔽物も効果はなく、そちらに陣取る大川さんたちは苦戦を強いられた。トシはその大川さんを呼び出し善後策を練る。何しろすでにあたりは真っ暗。大きな行動はとりづらい。
「この暗さじゃあっちもこっちもメクラ撃ちさ。何か仕掛けるなら夜明けとともにやるしかねえな。」
「ですな、土方さん。夜の間は適当に相手を。そして斬り込み隊を編成し、裏に回して夜明けとともに突撃を。」
「それしかねえな、ほれ、旦那。あんたの出番だ。大川さんと裏手に回って夜明けと共に。ただ、できればうまいこと包囲して降伏、って話にしてえとこだ。名のあるものを捕虜にできりゃ交渉する種にもなろうさ。」
「えー、みんな斬っちゃえばいいじゃん。めんどくさい。」
「いいから、ちゃんと大川さんの言うこと聞くんだぜ? あんたはこの人に借りもあんだろ?」
「えっ、そんなのあったっけ?」
「かぁ、これだから旦那は。羨ましい性格してんぜ、まったく。京で幕府歩兵ともめたとき、うまく収めてもらったろ?」
「あはは、あれは、その。こちらにも非がありまして。会津からも文句がたっぷりと。」
「だよねえ。」
「あのな、そういうのの後始末、全部大川さんがやってんの。元々関係ねえのに。」
「へえ、そうだったんだ。」
「いや、その、まあ、ほんの少し大変だったかな。」
「とにかく、旦那は大川さんのとこについてくれ。いいか? うまいこと捕虜にするんだぜ?」
「あーはいはい。」
そのあと俺はみんなを集め、大川さんにトシの文句を言いながら移動した。大川さんの伝習隊からも刀を使える十人ほどが加わり、長州兵からは死角になる位置に陣取った。あとは朝を待って一気に駆け上がればそれでおしまい。簡単な仕事だ。
「ま、朝までは時間もあるし交代でひと眠りしときましょうか。」
大川さんの提案に乗り、隊を二つに分けて交代で眠った。
「隊長はん、そろそろ夜明けどすえ。」
一郎の声で目を覚まし、うーん、と伸びをする。その一郎から竹筒に入った水をもらってそれを飲んだ。上の方からはパンパンと銃撃の音がする。
「ははっ、一晩中やってたの? 飽きないねえ。」
「ほんまどすなぁ。」
最後に残った水で口を漱いで吐き出して立ち上がる。すでに安次郎たちはやる気満々、準備運動に励んでいた。
「隊長殿、腕が鳴りますな!」
「あ、うん、でも皆殺しにしちゃだめだよ? トシがうるさいから。」
「えー。」
そう安次郎が不服そうな顔をしたとき、山裾から一隊の軍が。その先頭にいる馬に乗った若い男は伝習隊士官の隊服を着ていた。
「突撃!」
その男はそう叫ぶと真っ先に敵陣に乗り入っていく。それに続いて同じく伝習隊士官の隊服を着た兵たちが走りこんでいった。そこに交じって渋沢さんたち小彰義隊も突撃していく。
「隊長殿! 隊長殿! これはどういう! ともかく我らも!」
「あ、うん、そうだね。一郎!」
「はいな! みんな、いきまっせー!」
腕の封印を解いた一郎が今にも悶え狂いそうな安次郎たちと山を駆け上がる。そして鬼と見間違うかのような顔をした大川さんも山を駆け上がる。俺はその後ろをゆっくりと上がっていった。どうせもう敵なんか残っちゃいない。皆殺しに決まってる。
山頂に上がって見たものはそこら中に散らかる官軍の死体。それに混じって何人かの伝習士官の遺体もあった。そしてみんな引いていく長州兵をどこまでも追っていく。
パンパンと銃撃の音がしてうぉぉ!っと叫びが上がる。
「敵将打ち取ったぁ!」
一人の士官が掲げたサーベルには白熊を被った首がついていた。討ち取られたのは長州の駒井政五郎。誰かは知らないが偉い人なのだろう。
さて、問題はそのあとだった。
「滝川! 貴様、勝手な事を!」
もう大川さんはカンカンだ。そりゃそうだよね、人質を取るどころか皆殺しだもの。
「なんで怒られなきゃいけないんです! 僕は自分の務めを果たしただけじゃないですか! あ、大川さん、もしかして僕らが敵将打ち取ったから妬いてる?」
煽るように答えるのは伝習士官隊、隊長の滝川充太郎。今年19歳の若者だが、本来伝習隊の第一大隊の隊長になる予定だった切れ者で、戦国武将、滝川一益の末裔なのだそうだ。いわゆるエリート、そんな顔をしていた。
「そんなことはどうでもいい! あいつも! あいつも! あそこの奴も! みんな俺たちが斬るはずだった! それをよくも!」
「えっ?」
「えっ?」
そんな安次郎の言い分と迫力にさすがの大川さんも滝川さんも目を丸くする。
「えっと、その。ごめんなさい。」
「コ・ロース!」
「「コロース!」」
若い滝川さんは涙目でそう安次郎に謝った。しかし、うちの連中は「コロース!」の大合唱。どいつもこいつも目を血走らせている。大川さんはいつの間にかそこから消えていた。
「まあまあ、ええやないどすか。安さん。けど、そこのあんた。誰かしらんけど、今度うちらの獲物取ったら許さへんよ?」
「あっ、はい。」
ようやく落ち着いたみんなを率いて本陣に戻ると滝川さんは大川さんに抱き着いて泣いていた。それを大川さんが慰める。
「滝川、お前は若いし才たけている。だがな、世には触れてはいかん物もあると言うことだ。」
「はいっ!」
「ま、そういうこったな。いっくらあんたでも旦那たち相手じゃ分が悪い。な? 大川さん。」
「そうだな。土方さんの言うとおりだ。とはいえよく来てくれた。頼りにしてるぞ、滝川。」
「はいっ! 僕、頑張ります!」
うんうん、実に感動的だ。そう思っていると感動からは程遠い男が声をかけてくる。
「松坂さん。」
「ん? 渋沢さん、どうしたの?」
「いささか、気になることが、少し、よろしいか?」
そう言って渋沢さんは俺の袖を引いていく。
「で、どしたの?」
「その、帳簿を見るに、ここしばらく異国の商人からの買い付けの値が異常に高く。確かに函館政府が不利、足元をみて高値で。それはわかるのですがそれにしてもいささか。三倍以上とは。」
「へ、へえ、そうなんだ。」
「おそらくそれがしが見るに、外部からの差し金が。違いますかな? 松坂さん。」
さすがに金のにおいに敏感である。
「あは、あはは。そういう話はさ、また今度ってことで。ほら、トシに見つかるとうるさいし。なんせ戦争中だからね。」
「ふむ、なるほど。ではこの話、土方さんに伝えた方がよろしいと?」
「えっ、トシは関係ないじゃん?」
「裁判局の頭取、政府の軍費が不当に使われているとなればその役目の範疇かと。もしかしたら買い付けに当たるものが私腹を。などと言う事も考えられますからな。」
「あは、そ、そうだよね。」
「ほう、強情ですな。しからばこう考えればいかがか? 異国の商人と結託して不当に値を釣り上げているものがいる。そしてそのものは、あとで異国の商人から取り分を。その線で調べた方が宜しい、そうお伝えしても?」
「や、やだなあ。で、渋沢さんはどうしたいのさ。」
「別に。ただ、そうですな、等分、とはいかずともいくばくかはそれがしにも。ですよね? 松坂さん。」
「もう、仕方ないな。二千、これでどう?」
「もう一声!」
「じゃ、三千! これ以上は無理だからね!」
「ええ、それがしは松坂さんとは友、そのつもりですから。」
いい笑顔を見せた渋沢さんは持ち場に戻っていった。
結局この日も丸一日銃撃戦。みんな銃身を桶に汲んだ川の水で冷やしながら小銃を撃ち続けた。そして官軍は夕暮れになるとついに兵を引いた。
「「えい、えい、おー!」」
トシの音頭で勝鬨が上がり、俺たちは再び勝利する。その晩、トシは酒樽を抱えて歩き、一人一人に酒をふるまった。
「まったく、どいつもこいつもよくやってくれた! せめてもの気持ちだ。酔っちゃいけねえから一杯づつだが飲んでくれ。」
にこやかに酒を配って歩くトシ。最後に俺のところに来た時には酒樽は空だった。
「ま、旦那は今回何もしてねえからな。我慢だ我慢。」
「うっわ、ひでえの!」
「しょうがねえさ。俺の分もねえ。我慢すんのも上のもんの役目だろ?」
そう言ってトシは俺にシガーを差し出した。それに火をつけ、二人で座り込む。
「ま、これで官軍はここをあきらめる。その代わりに南の大川さんたちがきつくなるだろうさ。すでに松前の城は落ちたって報せが入った。木古内だって支えきれやしねえさ。矢不来が突破されりゃここを守っても意味はねえ。俺たちも撤収さ。」
その矢不来が落ちたのは四月二十九日。俺たちも二股口を撤収し、五稜郭へと戻った。